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ヴィヴィアンの婚約

ヴィヴィアンは逃走した

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「なごやかに話してるところに水を差すけど、ヴィヴィアン、あんたの作った蛇じゃなくて鞭、自己魔力不全の根治療法ってことで学会で発表したら、大騒ぎになるわよ。あと、間違いなく蛇量産の依頼が来るわね」

 スカーレットに言われて、ヴィヴィアンは、そう遠くない未来に起きることをまざまざと想像して、げんなりした。

「えっ、それは、面倒…」
「だったら、死に至る病を放っておける?」
「うー、無理」
「諦めて稼ぎなさい。嫌いじゃないでしょ、仕事」
「スカーレット……鬼」

 恨めしそうに自分を見上げるヴィヴィアンに、スカーレットはとどめを刺した。

「やかましい! 何でもかんでも自分で抱えこんで、さっさと私たちに相談しないから、毎度毎度大騒ぎになるのよ!」

「それは、ごめん……だけど、大ごとになるのは、わりとスカーレットのせいのような気も…」

「なにか、言ったかしら」

「なにも言ってません」

 その時、病室に向かって何人もの人が駆け寄ってくる足音が響いてきた。

「ビンフィル医師! どこにいる!?」

 スカーレットの電撃手刀で沈められた、シャルマン隊長の声だった。意識を取り戻して仕事に復帰したのだろう。

「あ、さっきのトンチキで異常な隊長」

「真っ先に面倒なのが来ちゃったわね」

「スカーレット、逃げよう」

「私は残るわ。そこのクソ馬鹿に関する事情の説明と事後処理もあるしね」

 夫の話が出たのを聞いて、メアリーは蛇鞭を大切そうに胸に抱きしめながら、真剣な顔で言った。

「スカーレット様、ヴィヴィアン様。私、ユアンのやったことを、包み隠さず警察に話す覚悟です。相応の罰を二人で受けます」

「あー、その必要はないわ。そうでしょ、ヴィヴィアン」

「うん。これは事故。手違いとか、そういう感じで、ちょっと虫が湧いただけ。それに、メアリーは何もしてない」

「でも、それでは償いが……」

 戸惑うメアリーに、スカーレットがキッパリと告げた。

「あとのことはこっちに任せて。あんたは何も言わなくていい。ヴィヴィアンはすでに元は取ってるし、私たちもその方が都合がいいの」

「虫が増えすぎたの、スカーレットの五倍返しのせいだものね」

「誤差の範囲だって言ったでしょ。見た目を五倍にするはずが、ちょっと五百万倍くらいになっただけ!」

 隊長たちの足音がどんどん近づいてくるのを聞いて、ヴィヴィアンは急いで病室の窓を開けた。

「悪いけど先に行くね。メアリー、お大事に」

「ヴィヴィアン様! きっと、お礼にうかがいますから!」

「うん、待ってる」

 ヴィヴィアンは、近いうちに差し入れてもらえるかもしれない甘いパンを想像して、幸せな気持ちになった。

「ヴィヴィアン! 絶対に寄り道しないで、まっすぐ家に帰りなさいよ! あと、しばらくは一人っきりの外出禁止!」

「わかった……我は願う、刹那ののちの、我が憩いのねぐらへの、つつがなき帰還を」

 詠唱が終わった瞬間、ヴィヴィアンの姿は消えた。

 同時に病室の入り口からシャルマン隊長と部下たちが駆け込んできた。

「ビンフィル医師、ここだったか! 虫がいきなり消えたんだが、何をどうした?」

「シャルマン隊長、全部解決したわ。詳しく話すから、場所を用意して。速やかに書類作成ができるように、病院の事務員たちも呼んでちょうだい」

「病院長も呼ぶか?」

「来てもらったほうが話が早いわね。それと、そこで倒れてるユアン・グリッドの入院手続きをお願い」

「呪術師のグリッド家の子息か」

「今回の『事故』の原因よ」

「事故だと? どういうことだ」 

「説明が長くなるから、人が揃ったらまとめて話すわ」

 シャルマン隊長は、必要な手配を部下たちに命じると、病室内を睨むように見回しながら言った。

「ヴィヴィアン・ウィステリアは、どこへ消えた?」

「家に帰ったわよ。あの子の仕事はもう済んでる。言っとくけど、あの子は今回の『事故』とは無関係よ。善意で協力してくれただけなんだから、おかしな言いがかりをつけるのは、よしてちょうだい」

「ビンフィル医師よ、それを素直に信じられるものは、王都の警察部隊には一人もいないぞ。国の財務部や行政関係者の中にもな」

「言い方を変えるなら、あの子の真実を理解している者が一人もいないってことね。ちなみに司法担当者の中には、理解者は少なくないと思うわよ」  

「聞いたことはないな」

「軽々しく語れない真実もあるということよ」

 シャルマン隊長は胡散臭く思う気持ちを隠そうともしないものの、この場ではそれ以上追求する材料もないことから、ヴィヴィアンについての話を切り上げることにした。

「隊長、会議室の用意ができました。事務員たちも集まってます」

「分かった。ではビンフィル医師、よろしくたのむ」
「ええ」


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