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六話

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「ふぅ、ここまで来れば大丈夫かな?」
 僕はヘルメットを脱いで、辺りを見回す。さっきのスーパーから二十分程の所にある繁華街に来ていた。木を隠すなら森。じゃ、人を隠すなら~って思ったんだ。
 とは言っても、ここまで来る途中で人気の少ない所で休憩しようとしたら、話しかけられたり、追いかけられたりしたからこそ至った考えなんだけどね。
 あと、さっきの女性みたいな人がまた来るかもしれないので、上着のフードを深めにかぶってマスクを着けた。分かるとは思うけど、顔上部を覆うマスカレードマスクは逆に目立ち過ぎるから、妥協点としてサージカルマスクを買ったんだ。
 あの警察、怒ってるだろうな。まあ、公務執行妨害とか暴行とか器物損壊とかの罪には問われるだろう。生物の傷とか病気は治せるけど、物は無理かな? そもそもこの能力における生物と物質の判断基準は何だ? インフルエンザが治るって事は、ウイルスは取り除く、若しくは除去するわけだから、ウイルスは能力の対象外って事になる。じゃあ、タンパク質があれば良いってわけじゃないな。菌はどうなんだ? キノコの場合、裂けた部分がひっつくのかな? 専門機関で調べないと……、いや専門機関何て無いか。
 ちなみに、眼鏡の心配はしたけど、あの警察の人自体はあまり心配してない。追ってくるかもしれない、っていう心配はあるけどさ。
 思い切り光を目に当てたから、少しの間目がチカチカしたかもしれないけどその内収まるし、何なら視力が治ってるんじゃないかな。問題はどれだけ視力が上がってるかだけど。元の視力まで治ってるのか、それとも人間かもしくはあの人の体の構造上における、限界まで視力が上昇してるかは僕にも分からない。
 少なくとも眼鏡は必要無くなるのは違いない。オシャレ眼鏡とか眼鏡好きなら間違いなく嫌われてるけど。
 そんなこんな考えつつ、人混みに埋もれつつ体調が悪そうな人をついでに治す。
 時期が時期だから、咳をしたり体調が悪そうだったりする人が多い。感染を抑える為にだとか喉の保湿の為にとか、防寒の為にマスクをしている人もいるから、僕がマスクをしていても、別段目立っている様子もなくて少し安心する。
 肌寒かったのでショッピングモールに入り、その中にあるフードコートで少し休憩する事にした。
 気付かなかったけど、クリスマスのフェアだとか内装だとかで溢れている。それに浮かれている家族も多くて、何だか僕も少し家族が恋しくなってしまう。
 スマホを確認しても、まだ親から返事は来ていない。“犯罪者の烙印を押された奴なんて、もう息子とは思っていない”とか? ま、流石にそこまで薄情でないと思うけどね。何か理由でもあるんだろう。多分。
「……はあ」
 ため息をついてしまった。さっきは驚いた。話が通じない人間は、ああも恐ろしいものかと思い知らされた。
「あの……。貴方は△△さんですね」
「……え?」
 後ろから名指しで話しかけられ、思わず目を見開いて振り向いてしまった。そこには、崩れる気配の無い笑顔を浮かべた、身なりの整った初老の男性がいた。
「やはりそうですね。いやはや、こんな所で出会うなんて奇跡でしょうか?」
「どちら様ですか……?」
 確かに僕は今や有名人かもしれないけど、急に話しかけられると流石に驚く。
「ああ、申し訳ない。わたくしは☓☓教の者で、名前はこちらに書いております」
 渡された名刺を受け取り確認する。☓☓教は、今までに何度か耳にした事のある新興宗教の団体だった。かと言って有名って程では無いけど。ああ、でも芸能人で入ってる人がいると聞いたことあるから、そこそこ大きい組織かもしれないな。
「そうですか」
「△△さんは今随分お困りと存じますが、宜しければわたくし共の教会にいらしませんか?」
「何でですか?」
「わたくし、いえ、わたくし共は皆あなたのの力を信じておりまして、微力ながらもお手伝いさせて頂ければと思っております」
「と言われましても、知らない人をすぐに信じられるわけないでしょ」
「ごもっとも。ですが、あの力が本当のものだと知れ渡れば、やがて政府はあなたの能力を自身の政治の駒として使おうとするでしょう。そうなれば政府はあなたの人権なぞ、気にもとめますまい」
「まあ、確かに……」
「知っていますか? 既に何人もの人が、あなたやあの親子に対して被害届を出しています。それに、情報は早いものです。あなたが警察に対して暴行をふるった事も知らされ、詐欺、暴行、器物損壊、公務執行妨害等、多方面で捜査されているのです」
「マジか……」
 あれからせいぜい三時間程しか経っていない。
「今捕まれば、あなたにより良い未来は待っていないでしょう。入信しろだとか、会費や物を買わせよう等といった事は言いません。警察の捜査も簡単に入る事もありませんし、ただの雨宿り感覚で一度いらしてはどうですか?」
「そこまで言うなら……」
 一時だけの避難所と考えるなら、願ってもない申し出だ。それに、たかだか1日で、いや、さっきの女性や警察とのやり取りで随分疲れた。
「宜しい。では、参りましょう」

 そう言われて車で連れてこられたのは、大きな庭のある立派な建物だった。そこにはひと目見ただけで十人以上の人がいて、お祈りをしたり、掃除をしたり、パソコンを使っていたり、トランプ等で遊んでいたり、それぞれ自由に過ごしていた。
「ここがわたし達の教会です」
「皆笑顔ですね……」
 皆漏れなく笑顔で、何となくだけど自信に満ちている印象を受けた。
「ええ、皆幸せですからね。さあ、こちらへ」
 いくらか進んだ所の、机といくつかの椅子がある部屋へ案内された。そして部屋に入ると男性にその内の一つに座るよう促された。
「はい」
 男性は僕が座ったのを確認すると、机の上に置いてあったベルを鳴らす。
「コーヒーと紅茶、どちらがお好みですか?」
「え? ああ、じゃあ、コーヒーをお願いします」
 一人の女性がノックをして部屋に入って来た。あれ、何か違和感があるな。
「お呼びでしょうか?」
「コーヒーを二つお願いします。ああ、△△さんミルクと砂糖はどうなさいますか?」
「大丈夫です」
「では、ブラック二つ」
「かしこまりました」
 そう言うと女性は部屋を去って行った。
「あの人は?」
 気になって男性に尋ねた。
「あの娘は友人の隠し子でしてね。多忙の友人に代わって小さい頃から面倒を見ているんです。ですが、年月か経ち彼女もわたしが留守の間を任せられる程に成長しました。さながら、わたしの右腕と言った所でしょうか」
「そうですか」
「ええ。有り難い事です」
「そう言えば、何で僕の能力を信じたんですか?」
 気になっていた事を尋ねた。男性は表情を変えずに返す。
「簡単な事です。うちの仲間があなたが奇跡を使う瞬間に居合わせたからですよ」
「へー。奇遇ですね」
 沢山の人がいたのは事実だけど、かと言って二、三十人程度。この宗教の信者がたまたま居合わせたのは奇跡的だろう。それとも、
「教会があの場所の近くにもあるんですか?」
「いえ、たまたま。言い換えるならでしょう」
「不思議な事も、あるもんですね」
「ええ、本当に」
 でも疑問が湧いてくる。
「自身の目で見てないのに、皆そのまま信じたんですか?」
「おや、お疑いになりますか。しかし、その気持ちも分からなくもありません」
 ゆっくりとした口調で続ける。
「ですがわたしは、わたしが信じる教えを信じる仲間を、同じく信じております。皆も同じ考えでしょう。それに……」
 男性が目線を扉の方へ向ける。
「奇跡を目撃したのは彼女ですから」
 いつの間にか女性がコーヒー二つを持って戻って来ていた。
「はい」
 女性は短く返事をしつつ、コーヒーを机に並べる。
「何か役職にでも就いてるんですか?」
 女性に質問をする。
「いえ」
 またも短く返事をする。が、代わりに男性が付け加えた。
「我々の教えに於いて、人は皆基本的に上も下もありません。それぞれできる事が違うだけです。ああ、補足させて頂きますと基本的と言うのは教えは強制せず、自らの意思で守って行くものだからでして、皆の意思を尊重しているからです。そしてわたしも彼女も別段に役職に就いているわけではございません」
 男性は話を一度止めたが、僕にコーヒーを飲むように勧めた後、女性をひと目見てまた話を再開する。
 女性は男性を見て一礼をして部屋を後にした。
「しかしながら、尊敬する相手や先んじる相手には自然と敬意を表してしまうもの。ですからわたしも彼女もここの古参ですから、少しばかり皆の意見より尊重される節はありますね。ついでにではありますが、わたしは皆から代表を任せられているものですから、△△さんをお呼びする大役を担わせて頂きました」
「大役って、そんな……」
「大役ですよ。自信をお持ち下さい。少なくとも、あなたの様な奇跡の力を持つ人をわたしは他に知らない。そんな方をお連れするのですから、これ以上はありません」
 そういうものだろうか。
「あー、そうだ。僕はこれからどうしたらいいですかね? ただ居座らせて貰うのも悪いですし」
「ははは。別に気負わなくともいいですよ。ドンと構えていて下されば。ですが、やはり奇跡を持つ者の半生と言いますか、お考え、人生等を、簡単にでも教えて頂ければ嬉しく思います」
「考えって言っても、そんな高尚なものじゃないですよ」
「かまいませんとも。そうですね、好きな食べ物なんかのついでにでも仰ってくれれば助かりますね」
「好きな食べ物ですか?」
「ええ。もしここに短期間であれ、長期間であれ一緒に過ごすのであれば、でき得る限りは好物をお出ししたいですから」
「ありがとうございます。すみません。何だろう、好物は、月並みですけど、玉子焼き……ですかね? 甘いやつです。あとは割と何でも食べられますかね」
「甘い玉子焼き……。家庭料理の定番ですね。お母様がお作りになった物ですか?」
「ああ、はい。そうです。でも最近は食べられてないですね」
「恐れながら、親子仲が悪いのでしょうか?」
 僕は頬を指でかきながら答える。
「そこまでではないです。親は定職について安心させて欲しいみたいなんですけど、僕としてはあんまり時間が取られるとをする時間が無くなってしまうんで、それは避けたかったんです。それで衝突も増えたんで、一人暮らしするのと同時に非正規雇用の職に就いてたんです。生きがいにも近いですからね、人助けをするのは。基本的には能力を使って助けるのがメインですけど、怪我とか関係なしでも困っている人を見たら、できるだけ助けるようにしてますね。道案内とか重い荷物もったりとか」
 男性は顎を軽くかく。
「素晴らしい。普段から人を救っていたのですね。ですが、お母様、ご両親ですかな? は、あなたの奇跡の力をご存知で言っているのでしょうか?」
「教えたのは教えたんですけど、聞く耳を持ってくれなくて……」
「それは残念でしたね。理解者がいないというのは、どの世界でも孤独なものです。そうだ、互いの理解を深める為にも、あなたの能力を詳しくわたしに話してみませんか?」
 僕は会って間もないこの人に話して良いものか少し迷ったけど、優しそうな人だし問題は無いと思った。
「それに、わたし達が知っている事であなたの手助けもできますし、どうでしょうか?」
 男性の意見はもっともだ。今後、どれくらいお世話になるか分からないし、知っておいて貰う方が良いだろう。
「確かに。分かりました」
「ありがとうござます」
「いえ。僕の能力は怪我も病気も治せるんですけど、体の一部が離れてしまえば新たに生やす事はできません。ですけど、離れてしまってもその部分があれば、多分繋げられます。塞がった部分に引っ付けられるかは分からないです。後、完全に死んだ人とかを生き返らせることはできないんですけど、心臓が止まった直後ならもしかすると呼び戻せると思います」
「ひとまずは心肺蘇生できる時間と同じ位と考えるのが妥当でしょうか。それはウイルスや菌……、言い換えるなら体外からの異物が混入した場合も治せるのでしょうか?」
「ああ、はい。インフルエンザとか風邪、怪我して膿んでしまった時も綺麗になります」
「ほうほう、それ程とは…………。素晴らしい。そのような奇跡を無駄にするのは勿体ないの一言ですな。それに奇跡の担い手を陰に追いやってしまう社会は腐っているとしか言いようがありません」
「そこまで言わなくても……」
「おお、慈悲深い。ですがあなたも奇跡を使う選択を、受け入れられなかった経験があるのでは? だからこそ人目につかぬ様人助けをしたのでしょう?」
「え、まあ」
「そろそろ、受け入れられたいとお思いではないですか? いえ、言い方を変えましょう。社会は、人は、受け入れるべきだと思いませんか?」
 『少し強引だな』と思いつつも、それいってる事は的を射ている気がした。
「まあ、僕も中学の頃に“ヒーローに成りたい”って書いたらこっぴどく叱られて、諦めるしかありませんでした。でも成れるなら、今でも成りたいなーとは思いますね」
「やはり…………。その学校も、罪深いですね。子どもの能力を伸ばすのが仕事なのに、まるでなっていない。わたしならそんな事にはならないのに……!」
 さっきまで絶やすことなく笑顔でいた男性が、初めて他の感情を表に出した。つまり、怒りを露わにしたので驚いてしまった。
「え?」
「ああ、すみません。取り乱しました。ですが、この気持ちは真実ですよ。あなたが望むなら、わたし達は協力を惜しみません」
「あ、ありがとうございます。でも、僕がこの力を持っているからって、ここの宗教に入るつもりは今の所ないですし、担ぎ上げられても教えをといたりできないですよ?」
 男性は口角を上げ直した。
「問題ありません。先程も言いましたが、我々の教義は強制するものではないのです。皆が好きで、そして共感できた結果入信したまで。ですからあなたも、入るかどうかは今後興味が湧いた時に考えれば良いんですよ」
「それでいいんですか?」
「はい、勿論。わたし達はあなたが傍に居るだけで、奇跡の、神の存在を感じる事ができ、信仰心が一層磨かれますので、気負わずそのままいてくれればいいのです」
「はい」
「ですが、問題がありますね」
「はい?」
「警察です。追われる身であれば、あなたは自由に外を歩くこともできない。となれば、人を救うこともできなくなります」
「確かにそうですね」
「そうだ。どうです? 一度実家に帰られては」
「何故ですか? 今帰ったら僕を標的にして悪戯する人とかが実家に来ちゃうと思うんですけど」
「それはあなたが家に入る所を人に見られた場合ですよね? 見られなければ宜しい。場所を教えて貰えれば車で送ります。御両親もさぞ心配しているでしょう」
 僕はスマホを覗いたが、連絡は届いてなかった。
「それは、どうですかね。連絡もないですし」
 皮肉めいた言い方をしてしまう。
「……何か事情があるのかもしれません。やはり一度帰って話をした方がよろしい。親子仲が悪いのは悲しいですからね。もし居心地悪いのであれば、すぐにこちらへ戻って来れば良いのです。連絡を頂ければ、迎えも送りますし」
「そう、ですね」
「わたし達はその間に、あなたが動き易くなるよう色々と手を打っておきます。もしそちらでもいたずらがある様でしたら、そちらも」
「ありがとうございます。でも、どうやるんですか?」
「お楽しみですよ」


 その後僕は男性と別れ、彼の友達の娘だったか? に、実家まで送ってもらう事になった。
「何か違和感があるなと思ったんですけど、失礼ですけど皆始終笑顔なのに貴女は笑ってないですね」
「はい」
「何でですか?」
「可笑しいですか?」
「いや、そういうわけじゃないんですけど……。一人だけとなると、気になってしまって」
「笑顔で居る事も強制されているわけではありません。他の方は違う道を歩んであそこに辿り着いたので幸せでしょうけど、私は物心ついた時には既にこの生活をですので幸せか判りません」
「ふーん。難しいですね」
「……………………。あそこが私にとって唯一の居場所です。ですから、例え何があっても離れる事はないでしょう」
「未知の世界に行くのって勇気が必要ですし、行った先で必ず幸せになるか分からないですけど、少なくとも居場所は一つだけではないですよ。幸せじゃないんなら、思い切って別の道に行ってみてもいいんじゃないですか? 僕にできることがあれば言ってくださいね、あんまり役に立たないかもしれないですけど力になります」
「…………」
「ああ、ごめんなさい。別に何か改宗しろって言ってるんじゃないんですよ」
「……はい。そろそろ到着です」
 実家前に到着すると僕は車から降りて、彼女にお礼を言った。
「ありがとうございました」
「いえ。騒動が収まるまでは極力外出は控えてください。もし必要であれば人を送りますので、要件を申し付けてください。あと、ご実家も危険であれば安全な場所へお連れします」
「わかりました。手を打つって言ってましたけど、どれくらいかかりますかね? ああ、分からないなら良いですけど」
「そうですね。細かい事は何とも言えませんが、ひと月は覚悟しておいて下さい」
「結構かかりますね」
「申し訳ありません」
「いや、こちらこそやって貰う側なのに文句言っちゃって」
「その点はお気になさらず。皆好きでやっている事ですから」
「助かります」
「ではくれぐれもお気をつけて。後、スクーターはすぐに届けますので、お待ちください」
「あ、忘れてました。すみません、お願いします」
「はい。では、さようなら」
「さようなら」
 彼女は少し間僕の顔を見ると、少し、ほんの少し口角を上げて、
「もっと早くにお会いしたかったです」
 そういって去って行った。
「どういうことだ? まあ、いいか」

 久しぶりの実家だ。らくがきとか張り紙みたいな悪戯の跡は見当たらず、殆ど数年前に僕が飛び出した時のままだった。そして、その景観に安心しつつも、何故か他人の家に来たみたいな緊張があった。
 僕はこの家の鍵は持っているけど、あえてインターホンを鳴らした。
『はい』
 当たり前だけど、返事が返ってきた。僕は乾ききった喉を、なけなしの生唾で潤して声を出した。
「えっと、僕。△△だけど……」
 インターホンからもう声は返ってこなかった。
「やっぱり嫌われてるのか……」
 すぐそこにある家が遠くに離れていくような感覚に襲われる。
 そして僕が長い長い一分を味わった後、玄関が開き、五十代の女性が出てきた。僕の母親だ。母は感情昂らせる事無く、でもそっけなくも無く、僕が出ていく前と同じ調子で、何度も言って、聞いた、調子で口を開き、
「おかえり。遅かったね」
 僕を迎え入れた。
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