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覚悟なんて無い

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 プテュエラに手紙を渡した後、僕たちはブラガさんの「遠吠え亭」に向かった。もうお昼だしね。ラーメンがどうなったかも確認したいし。

 店の前に着く。

「あれ?」

 閉まっている。おかしいな。こんなお昼時に閉めているなんて、そんな殿様商売するほどラーメンの完成度が上がったのかな?

「ケイ、中で取り乱した人間の声が聞こえるわよ?」

 その忠告を聞き終わらないうちに、扉をこじあけダイナミック入店する。念のため鞄からベストックをいつでも取り出せるようにする。屋内ならこいつの出番だろ。

「ケ、ケイ。いいところに来てくれた!」

 ブラガさんが大慌てで僕に寄ってくる。彼の後ろには家族もいる。よかった、何もないみたいだ。となると誰が取り乱していたんだ?

「ブラガさん、何かあったの?」

「俺たちに何かあったわけじゃないんだが……。シャロンがな」

 えっ、シャロンちゃんいるの? あ、本当だ。床にうずくまって、泣いている。泣いている? いったいどうしたんだ?

「シャロンちゃん、久しぶり……」

「……ケイさんですか?」

 シャロンちゃんの顔を見てぎょっとした。

 顔はやせこけて、大きな隈が出来ている。利発そうだった印象は消え失せ、ひたすらに悲壮な印象だ。髪がぼさぼさにほつれている。

「う、うん。どうしたの? なにがあったの?」

「はい……。お、お……」

 えっぐえっぐ、と嗚咽を漏らすシャロンちゃん。


「お、おかっ、お母さんが死んじゃう……っ!」


 彼女はまた、床に伏せて泣き始めてしまった。そんな彼女をブラガさんの奥さんが優しくいたわり、慰めている。

 こりゃ、事情聴くのは厳しそうだな。そう言えば、この前会った時にお母さんの看病しているって言っていたけど。そんなに悪化しちゃったのか。

「ブラガさん、事情は聞いてる?」

「ああ、いくらかな。ここ最近、シャロンは親の看病で休んでいたんだが、さっき急に来てよ。『助けてください……!』って言ううもんだから店閉めちまったぜ。あんな子、そのままにしておけねえよ。どうやらお母さんの……シャフナって名前なんだけどな。容態が悪化したらしくてな。医者やアセンブラの神父に頼んだみてえだが、すげなく断られたらしい。ギリギリまで看病していたが、どうにもならなくなって俺のところに来たって訳だ」

 マジか。ということは今、シャフナさん誰も看ていないのか。早く向かわないと。
 もっと早く浄化しに行けばよかった。そうすればここまで悪化せずに済んだのに……。

 そう思っていると、ふと肩に手が置かれる。

『自分を責めてはだめよ? 事情は分からないけど、今後悔の顔をしているわ。ケイの手はそんなに大きくないの。貴方はよくやっているわ』

 察してくれたベステルタに見透かされてしまった。その通りだ。何でも救えると思ったら大間違いだよ。そんなもの思い上がりだ。その上でやれることだけのことをやらなければ。

「ケイ、何とかしてやれねえか?」

 ブラガさんが泣き腫らすシャロンちゃんを介抱しながら言う。彼は僕が使徒だと知っているから、何かできるんじゃないかと思っているんだろうな。

 できるさ。きっとできる。

「シャロンちゃん、お母さんのところに案内してくれる?」

「も、もしかして助けてくれるんですか……?」

 ふらふらとした足取りで僕にしがみつくシャロンちゃん。顔をぐしゃぐしゃにして訴える。

「お願いします! 私にできることなら何でもしますから、お母さんを助けてください……お願いします……お願いします……」

 崩れ落ちるシャロンちゃんを抱き留めた。かなり軽い。大人に堂々と話していたとは思えない。そうだよね、まだ……子供だもんな。

「ブラガさん、シャロンちゃんの家分かる?」

「何とかしてやれるのか? 任せろ、案内するぜ。おい、店は任せたぞ」

 奥さんはこくりと頷いて、シャロンちゃんの手を握って背中を何度もさすった。息子さんもおねーちゃん泣かないで、と励ましている。いい家族だな。

「ベステルタ、シャロンちゃんのお母さんが危篤らしいんだ。これから浄化に向かうよ」

「……ケイ、この娘今まで気付かなかったけどアセンブラ教徒よ。いや、母親が教徒なのかもしれない。それもかなり敬虔な。腐った油のような嫌な匂いがする」

 ベステルタが顔を歪ませ、吐き捨てるように言った。そんなことまで分かるのか。もちろん僕にはアセンブラの匂いなんて感じない。

「ジオス神の使徒であるケイがアセンブラ教徒を助けるの? わたしたちがアセンブラを憎んでいるの、知っているでしょう?」

 彼女が僕に問いかける。目を見据えられ、心臓が鷲掴みにされたように身体が動かない。血が沸騰しそう。彼女の熱エネルギーにさらされているみたいだ。

 僕に命の選択ができる訳が無い。目の前で人が助けを求めているのに、拒絶できるはずがない。しかも他人じゃない。シャロンちゃんには良くしてもらった。

 たとえ、大好きな亜人に嫌われるかもしれない、と思っていても見捨てられるわけない。だってどうすればいいんだよ。

 覚悟なんて無い。そんなもの、今この瞬間に湧いて出るわけないだろ? でも、他にどうしろっていうんだ、くそっ。

「……助けるさ。覚悟なんて無いけど」

「そう。覚悟は無いのね。それは巡りめぐってケイを不幸にするかもしれない。いいのね?」

 いいはずあるもんか。不幸なんて一生無縁でいたい。

「いい訳ないよ。……でも責任は取る。だから、その時は助けて欲しいんだ」

 絞り出したのは情けない言葉。はぁ、嫌になるな。

「虫のいい話ね」

 するとベステルタは微笑んだ。

「でも、いいわ。わたしの契約者はわたしがいないとダメダメだから、助けてあげる」

 慈母のようで、それでいてゾクゾクする瞳で僕を見つめる。

 甘やかされてるなあ。あんまり良くない気がする……。でも、常にベストなんて選べないんだから、進むしかない。これって、後の自分に丸投げしているだけだよな。
……

「ここがシャロンの家だ」

 ブラガさんに連れられ家に着いた。家……? かなりぼろい。すきま風ありそうだし、掘っ立て小屋に近い。こんなところにシャフナさんと二人で住んでいるのか。

「ひどい匂い……」

 ベステルタが顔を歪ませる。そんなに匂うのか。僕には全然分からないな。……ちゃんとお風呂入らなきゃ。

「無理しないでね。外で待ってる?」

「ありがとう、でもいいわ。こんなところにケイ一人で送り出せないもの」

 うう、ベステルタがイケメン過ぎる。申し出は有り難く受け入れよう。

「こちらです……」

 シャロンちゃんに案内され、寝室に向かう。ほとんど物が置かれていない。良く言えばかなり簡素、質素な造りになっていて、悪く言えば貧乏だ。シャロンちゃんが本格的に心配になってきた。

 寝室の扉を開ける。

「お母さん!」


「……ェ……イ……ス」

 ベッドに横たわる女性。うわ言のように何かを呟き、シャロンちゃんがその手をそっと取る。

「シャ……ォ……?」

「そうだよ、お母さん、私だよ。今良くなるからね。もう少し頑張ってね……っ」

 シャフナさんを必死に励ますシャロンちゃん。

「こいつはひでえ……」

 ブラガさんが思わず口にしてしまうのも頷ける。

 はっきり言おう。
 人には見えないほど、痩せ衰えていた。生きているのが不思議なくらいだ。頬はこけ、目はおちくぼみ、声は掠れて聞こえづらい。男か女かも分からない程に身体の特徴が薄れ、顔が……何故だか人間として認識できなかった。恐ろしい、怪物を見ているかのような……。そして、ゾッとするような死の匂いが部屋に充満していた。

「くっ……」

 さらに信じられないことに、ベステルタが後ずさった。
 おいおい、マジかよ。大怪獣暴走サンドリア相手に一歩も引かなかったのに。一体この部屋で何が起こっているんだ?

「なんて禍々しい瘴気……。鼻が曲がりそうだわ。ケイ、早く浄化した方がいい。これを放置するのは危険よ」

 ひどい匂いってそういうことね。
 ベステルタが危険って判断したことに、僕が対処できると思うか? 暴走した亜人と戦うよりも危険ってことか? でもやるしかない。

「浄化って効くのかな?」

「どう考えても、これは不浄なものよ。それに……囁くのよ、わたしの本能が」

 ベステルタの本能か。僕の理性よりは信頼が置けそうだ。

「ブラガさん、シャロンちゃんを連れて離れていて」

「お、おう」

 ブラガさんが嫌がるシャロンちゃんをお母さんから引き剥がし、ベステルタの後ろに隠れる。正しいポジションだ。

 さて……やるか。
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