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萩原繁殖

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いしはおもいから、うちがわに、しずむ/inside

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 フォガティは家出をすることにした、から始まる小説のようなものを僕は書いたことがある。そしてそれをネットに放流したらどうなるかを眺めていたが、結局情報の海に翻弄されてくたびれただけだった。僕はその船が僕の元に戻ってくる前に削除した。エイミーと相談した結果そうなった。
 僕はパーカーと分かれて(ちょっと不本意な形になったが)ホテルに向かった。白装束たちに教えられた通りに道を進めばすぐに見つかった。駅と駅をつなぐ大きな道に沿って、葉脈のように派生している細い道の一本を辿っていくとそこにあった。ラブホテルのようでもありシティホテルでもあるような絶妙な建物の褪せた感じが目に付く。僕はそのホテルの受付(パーカーは着ていない)からキーを受け取り部屋に入った。中は狭いがニューヨークの古アパートをモチーフにしているようで随所にそのような意匠が凝らされていた。特に漆黒の体で鎮座している黒電話に僕は安心感を覚えた。これはこの部屋の執事だな、それもきっと銀髪の老紳士だ。そう思った。居心地は悪くなかった。

 僕はセミダブルのベッドにどかっと身を投げ出して横になる。なんだか身体がどろどろしている。ヌタウナギのような気分だ。きっと疲れてしまったんだろう。そして昔書いた小説もどきについて考えた。あれは小説と呼べるのか。いいや呼べない。あれはフィクションじゃなくて本当にあった話しだし、小説にしては場面転換が早すぎる。言い回しも稚拙だ。そんなことを動かずに静かに考えていた。僕は深海の泥に横たわるクジラの屍骸だった。
 まどろみの底に落ちていた僕を、執事が柔らかな仕草ですくいあげる。僕を呼ぶ、黒電話が鳴っている。
 リン、リン、リン、の三回目で受話器を取る。
「君の夢を買いたい」
 受話器の向こうの声は確かにそう言った。それはよどみなく、かといって人間的ではない声だった。
「だれですか」
「君は自分の夢の価値を知っているか」
 声は言う。続ける。
「知りません」
「私は知っている」
 執事は主の応対を静観する。
「君の夢は虚構だ。強固な虚構だ。
 強く固い虚ろな構えをした、いしの漆喰だ」
 僕はその声に聞き入る。
「君が暮れなずんでいるとき、空を見上げると朱色の流星が見えるだろう。それを全て我が身に誘引している存在が、私だ」
 声が小さく息を吸う。これが最も人間的な瞬間だった。
「君が衛星軌道に乗ったとしてもそれはせいぜいガニメデやエウローパだろう」
 木星について考えたことがあるか、と声が訊く。
 無い、と僕は言う。
「木星は広大だ。君は見たことがあるか。王水とエーテルの突風を。硫酸渦巻く海を。涙を抱擁するアンモニアの風を。それらはすべて巨人の手によるものだ。光の巨人がもたらした物だ。私は見たことがある。そこには全てを受け入れる要素の素養がある」
 例えそれが黄金の虚ろな漆喰でも。声は言う。
「あなたはいったい誰なんだ」
 僕が声に肉薄する。すると声は、
「朱色」
 それが私の名、と端的な声。そして、木星人でもあるんだ。
 そこで電話が途切れる。遠い断絶の音がする。
 ツー、ツー、ツー、の三回目で受話器を置く。
僕はあんまり話さなかった。相手のことは分からなかった。
 外を見る。暮れなずんでいる。ビル群を朱色に染めている。空では流れ星が堕していた。それは僕の前に落ちることなく消えた。夜鷹となって燃え尽きた。
 僕は誘引される。いや、以遠さんたちと関わった時点でもうその巨大な重力に捕らわれていたのだろう。リンゴの引力の気持ちを身を持って知る。疲れた身体がため息を漏らす。黒星さんに電話する。
執事は堕して沈黙する。 
      
 私はフォガティに撃たれた。それを痛感する。いいところまで来たのに。やっとコギトを救い出せると思ったのに。
 フォガティはコギトがよく話していた小説のキャラクターだった。その小説はコギトがネット上で偶然見つけた小説で、えらく気に入っていた。その小説はすぐに削除されてしまったが。
 しかし、そのおかげで私は殺された。コギトの夢の中で、彼の無意識の生んだ想像上のキャラクターによって。
 園原、と落ちていく景色の中でコギトが私に呼びかける。
私はそれに必死に答えようとするが、もうすでに遅かった。
 私は覚醒する。目覚める。
 まず見えるのは天井。白い天井。コギトといつも見上げる天井。身体を起こす。隣を見る。コギトはまだいた。白い欠乏した肌をシーツに同化させながら。ほほえみをたたえて春のように沈黙している。
 私は涙になった。もう時間がない。コギトはもう消える。バロバロに連れて行かれる。
 その前に。
 その前に私はコギトと交わる。
お互いの性をすり合わせる。
そうしないと、私が。コギトが。
 私はコギトと交わるために彼を覆っているシーツを剥ぐ。
するとそこにはすでに下半身は存在しておらず、ただの黒いもやが存在していた。
 バロバロ。
 私ははじかれたようにそこから飛びのく。バロバロは私を見つめる。その曇りのないよどんだ瞳で私の大事な部分を見透かす。私は生理的な恐ろしさを覚える。バロバロ、知っている。あの男が話していた。潜水病の成れの果て、深海の遣い。バロバロ。
 私は逃げる。分かってるよ! 逃げちゃいけないんだ。コギトを置いてはいけないんだ。知ってるよ。でも怖いんだ。あの瞳は闇そのものだ。私を食らう、私を食い破る虚構そのものだ。だから逃げてしまった。コギトを置いて逃げてしまった。
 私の逃げる足音が廊下に響く。影は追ってこない。
      
 僕が黒星さんに電話する前に彼から電話がかかってきた。
「手短に言う」
 彼の言葉に愛はなく、とても焦った声だった。
「ユピテルの居場所が分かった」
「本当に?」
 ずいぶんとあっけないね。と僕は言う。黒星さんは電話の向こうで苦々しい顔をする。
「あちらさんから姿を現したのさ」
 黒星さんは本当に悔しそうな声で言う。
「俺たちの管理している病院で大きな虚構のエネルギーの反応があった」
「その病院ってまさか」
「そのまさかだよ」
 クソ、と吐き出す言葉を飲み込むくらいの冷静さは失っていないようだった。その病院は僕がさっき検査したばっかりの病院。ぎんぶちが駆け込んでいった病院のことだった。
「お前はそこで待機してろ」
「いやです」
「ふざけんな」
 黒星さんの怒声で電話がひび割れる。
「お前が来ても足手まといになるだけだ」
『まあ、まて』
 黒星さんがぎょっとする気配がする。
「後ろでいきなり声ださないでくださいよ」
 黒星さんの背後から、以遠さんのすこしくぐもった声が聞こえる。そして彼に構わず続ける。
『こいつは確かに足手まといだが別種の才能があるだろう』
「本気ですか」
 黒星さんは本当に信じられないような声を出した。今にも仕事を辞めてしまいそうな声色だ。
『こういう複雑な状況下では、手札はたくさんあったほうがいいんだ』
「その手札を守るのはだれですか」
『私ではない』
 ちっと小さく、そして鋭い舌打ちの音がはっきりと聞こえた。
「わかったよ」
 黒星さんは全て諦めたようだ。
「五分で来い」
 そして電話が途切れる。僕は二分で到着し、黒星さんにもう一度舌打ちさせる。
      
「二人だけですか?」
 僕は以遠さんと黒星さんを目の前にしてつぶやく。
「動ける人間が俺たちしかいないんだよ」
 心底腹ただしそうに言う黒星さん。
「ユピテルの不意を疲れたIRSはその処理で手一杯なんだ」
 とちょっと楽しそうな以遠さん。
「もしかして二人って」
 僕は一つの推測を言葉にする。
「厄介者なんですか」
 以遠さんはすごく笑顔になる。黒星さんは手を固く握り締めている。
「じゃあ行こうか」
 と以遠さんはまるで遠足に行くかのような軽さで言う。黒星さんは以遠さんのせいで胃が塩酸で満ちたような顔をしている。僕はと言うと、ぎんぶちに会えればそれでいい。あと、パーカーにあやまりたい。
      
 結果的に言うと罠だった。僕はとんだマヌケだった。それくらいの可能性、押して計るべきだった。僕たちは病院に入ってすぐに襲撃された。それに最初に気付いたのは以遠さん。彼女は背後で発生した殺意にいち早く反応した。
「伏せろ」
 僕は突然の出来事に、伏せれない。代わりに黒星さんが僕を突き飛ばす。そして二人は僕には到底真似できない洗練された訓練された動きをした。
 一発ずつ銃声が廊下にこだまする。
 僕は穿たれたはずの存在を見た。それは黒いもやだった。人の形をしているが、人ではなかった。明らかに。
そして、黒いもやの心臓と額の部分を弾丸が通過すると、それはたちどころに霧散した。
 それを以遠さんはしばし無表情で一瞥し、「いくぞ」といって奥に進んだ。黒星さんには余裕がない。僕は付いていく。
 結局のところ襲撃はそのあとなんどもあった。それは僕たちの心の隙間を縫うような、まるで見透かされたような襲撃だった。以遠さんたちが黒いもやを打ち倒し、先へ進もうとするとそいつは再び現れる。それは僕たちが油断した瞬間を見計らって行われる。そいつには人の心がわかるのだろう。この中で一番心に隙が生じている僕を標的にした襲撃が一番多かったからだ。そして黒星さんを標的にした襲撃は2。3回あり、以遠さんは一度もなかった。僕は文字通り足手まといだったが、以遠さんたちのおかげでなんとか切り抜けることができた。
「ここだな」
 僕たちは病院の最上階に着く。以遠さんが額の汗を拭う。
「ですね」
 黒星さんは肩で息をしている。僕は床に伏してリノリュームと激しく接吻している。
「あけるぞ」
 以遠さんが最上階の一番奥の部屋の扉を勢いよく蹴飛ばす。蹴破った。二人は中に入る。僕も続く。
 白い空間があまりにも白すぎてホワイトホールかと思ったんだ。
 以遠さんが蹴破った先にはどこまでも白い空間が広がっていた。
 そして台座のように動かない、ぎんぶちがいた。
 そして彼女が突っ伏して泣いているベッドには白すぎるシーツと小さ目のパジャマが一組。
 僕はぎんぶちに会えた喜び以上に、その異様な空間に飲み込まれていた。
「どういうことか説明してもらおうか」
 そう言って以遠さんはぎんぶちに拳銃を突きつけ恫喝し、黒星さんは慌ててそれを止めに入った。
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