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潜水問答/outside
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内臓が砕けそうだ。
痛む腹を押さえ、ぼくは園原の後に続く。
「おなか減ったの?」
「うん」
流石に何か食べないとね、と彼女は言う。
そうだね。
でも今の僕に何かを食べることができるのだろうか。バロバロに多分いくつか内臓を取られてしまった。心臓の時はあまり痛まなかったのに。
「お腹が減りすぎてキリキリするよ」
きっと空腹のせいだ。そうなんだ。お腹が減った。
「あ、あそこに」
園原が嬉しそうに言う。ぼくも嬉しい。でも何があるかは知らない。
「こっちに」
なんだろう。
「泊まれるとこが」
あるらしい。よかった。
「これで一安心だね」
「そうだね。よかった」
とにかく座ってしまいたい。へたり込んでしまいたい気分なんだな。今のぼくは。そして同じように眠りに落ちてしまいたい。
僕らはその「泊まれそうな場所」まで歩いた。中で受付してくるね、と園原は、彼女には見えているであろう、屋内に入っていった。もちろん建物は透けて見えるので、園原の行動も丸分かりだ。僕から少し離れたところで、誰かと話している。文字通り、誰かだ。僕にとって園原以外の人間。
二人で、と園原が指を二本立てる。すると、「誰か」が何か言ったのだろう。園原はぱっと目を輝かせて「本当ですか」と嬉しそうに言った。ありがとうございます、と彼女は言い僕のところへようやく戻ってきた。
「なんだって?」
「お代はいりません、だって」
「そうなの。なんでだい」
「なんかお客さんは払わなくていいんだって」
じゃあ、いこうか。と彼女は僕の手を取って建物に入っていく。彼女はたぶん廊下を、僕はやわらかい草草の中をずんずん進んで行く。僕はどうしてもうつろな気持ち。草の感触がリアルで。それしかなくて。
突然彼女が空中に浮いた。僕はぱっと手を離す。
「どうしたの」
彼女は僕を見下ろすような形で振り向く。園原の目がやけに黒く感じる
「いや」
おそるおそる足を伸ばすと宙に感触があった。堅い、感触だ。もう少し足に力を込めると、小さく、きぃ、と木の軋む音がした。
「階段がどうかしたの?」
園原は怪訝そうな顔をする。
ううん、なんでもないよ。
「そう」と彼女は再び進む。階段を上っていく。
だいじょうぶさ。僕は園原に遅れないように、怖いけど早足で宙を駆け上がっていく。地面が遠くなる。空に近づく。本当に僕は大丈夫なのだろうか。いきなりまっさかさまに落ちていってしまわないだろうか。足はちゃんとある。だからどこかに立つことはできる。でも今はそれがすごく難しい。やっぱり怖いよ。
「なんでもない」
僕はそう言う。それ以外になんて言えばよかったんだろう。否定の言葉しか浮かんでこなかった。途中で何度も歩みが止まりそうになった。ヒュウウウウゥゥゥ.って落ちていくかもわかんないだろ。でも僕は上ったよ。そうさ、振り払うように進んでいったさ。
突然足をかけるところがなくなったので、危うく僕は転びそうになり、前につんのめった。園原が不振に思うんじゃないかとどきどきしていたが、幸い彼女は宿の内装に気を取られているようで、気づいていないようだった。でも僕が立てた物音に園原はなんとなく振り返った。
「どうしたの」
なんでもないよ、と僕は言ったが、園原は駆け寄ってきてくれて僕の顔を見て驚いた。
「真っ青じゃない」
事実、そうだった。あの透明な階段を上ったせいで僕はすっかりくたびれていた。胸の辺りがぐっしょり汗で濡れていて、腰の辺りまで濡れていた。心なしか寒くて、僕は少し震えていた。
「気づかなくてごめんね。今日はたくさん歩いたんだもの。途中でちゃんと休めばよかった」
僕は園原に手を引かれて部屋まで連れて行かれる。園原の手はあたたかい。ほんわりする。まるで焼きたてのパンみたいだ。なんだかまるで、心臓を握られているみたいだ。
園原が扉を開ける仕草をし、僕たちはたぶん部屋に入った。推察するに、そんなに大層な部屋じゃないだろう。簡素なベッドがあって、木の机があって、電話があって、テレビはない。それでいい。
すぐにでもベッドに入りたかったけど、園原に「ちゃんと服を取り替えてから」ときっぱり言われ、しぶしぶ了解した。園原は部屋に元から置かれているであろうタンスの中から、着替えを取り出した。
「ちゃんと着替えなきゃだめよ」
風邪、引くから。
「うん」
僕はそれを受け取る。透明だった。
「じゃあ私外出てるから」
う、うん。
園原が外に出た後、考えた。僕が手渡された服は見事に透けていた。さらさらとした感触がある。手に程よく馴染むし、着ればだいぶ楽になるだろう。ただ、これを着るのはかまわないけど、それを園原に見られることに抵抗がある。ちょっと、さすがに。そもそも僕の周りは全部透けているのだから、状況的には裸で野原に放り出されることになる。
僕が悶々と考えあぐねていると園原が扉の外で(といっても彼女の後姿は見えている)話しかけてきた。
「つかれた?」
「それなりにね」
「私も少し疲れたかな」
「そんなことないだろ。君は僕よりずっと体力ある」
「あなたからしてみればそういうふうに感じるかもしれないけど、私は違うの」
「うん」
「あなたはあなたの中で疲れているけど、私は私の中で疲れてるの」
「うん」
「あなたが離れているところで私も疲れてるのよ」
「もしかして怒ってるの?」
「怒ってない」
怒ってるの、って誰かに訊くと、怒っていてもそうでなくても、結局、怒ったみたいなふうになる。実際、損な言葉だと思うよ。
「大体あなたの体力が少なすぎるんでしょ」
「そうだねえ」
「ほら」
やっぱり、と笑ってくれた。
「私ねぇ、動くってとても喜ばしいことだと思ってる」
「うん」
「きいてる?」
「うん」
僕は真剣に聞いてる。
「動くの。走ったり、歩いたり、つばを吐いたり、お尻を突き出したり、6弦を調整したり、オフサイドしたり、ページをめくったり、ゆれたり、燻らしたり、制服に着替えたり、お酒をひっくり返したり、乱切りしたり、種を蒔いたり、それらをゆっくりゆっくり。するのよ」
彼女は言葉を選ばずにつまみ、それを発音して僕を惑わせる。でも僕はじっとしている。園原の言葉の中性子を観測したいから。
「私が、動いているとき、そういうことをしているとき、そういう行為に、私が、それに、それ自体に、なっているように思えてくる」
のよ。
「それが心地良いの」
そうなのよ。
「星々の間で絶えず繰り返されている暮れなずむということ、もしもの話だけど。仮にそれが実際に彼らの間で行われているとしたら、彼らもきっとわたしのことわかってくれると信じてる」
半ば、ね。
「ううん、ほんとは信じたいの」
でも違うんでしょ?
「だまって」
それなりにそうする。
「私の無駄なものが全部そぎ落とされて、とてもきれいなきぶんになるの。インパラの太ももみたいに」
園原は言う。
「あなたはどう?」
「僕は……」
「ううん、いいの」
なんでもない、とでも言いたげな後姿が僕にはよく見える。
「着替えた?」
「着替えたよ」
園原が部屋に入ってくる。僕はもちろん素っ裸だ。僕の世界では。
「どうかした?」
いいや、と僕は口ごもる
僕の体は貧弱だ。ましてや裸なんてみれたもんじゃない。ギリシャの彫刻のような体躯ならよかったけど、あいにくそういうわけにもいかない。
でも僕の乳首は立っていた。硬くとがっていた。寒さのせいもあるけど、それだけじゃない。否定できない。こうやって園原に、彼女の知らないところで、裸をみせているのがとても心地良かった。僕が裸だったら、彼女は僕のいろんなところに視線を送ってしまうだろう。でもそれじゃ、ただの普通だ。違うんだ、彼女の自然な視線の送り方がとてもよかった。普段見せられないものを堂々と露出できることが、とてもよかった。
「じゃあ寝ようか」
「うん」
そう園原は言うと、ベッドに潜り込んだ。僕も続けて入り込む。真っ白なシーツが僕を迎えてくれているはずだ。そのまま目を閉じてしまうのもよかったけど、僕はしばらく目を開けていた。園原の身体を見ていたかったからだ。彼女は着替えないで布団に入ることがよくある。それは服を脱いでからではなんとなくめんどくさいし、すぐにでも布団に潜り込んでしまいたいからだと言っていた。でもなによりの理由は、彼女は布団やベッドの中で服を脱いでいくのが好きだからだ。まずは一番うっとおしい上着を脱いで、一段階目の脱皮をする。上着を脱いだだけでずっと楽になる。皮膚がシーツや掛け布団の布地にまだ触れないけど、以前よりぐっと近付いた感覚がすてきだ。でもそれも、一回寝返りを打っただけで萎えてしまう。穿いているズボンが邪魔だからだ。それがもしジーパンだった日には最悪。台無しだ。もさもさして動き辛いったらありゃしない。だから彼女はへその前にあるズボンのホックを外す。彼女の身体はカモシカのように引き締まっているのでホックとへその間には大きな隔たりがある。その空間が僕はすきだ。なんでも吸い込んでくれそうだし。そして足の関節をくねらせてゆっくりとズボンを脱いでいく。つららを水滴がなぞるように滑らかに流れていく。それが足首まで来ると、いったん動きを止める。ふくらはぎや太ももの薄い部分、青白い血管がのぞく部分がシーツの綿に触れる感触に浸るからだ。そしてごそごそと動かして、かかとの抵抗を一息に乗り越えてくしゃくしゃのズボンははるか後方に姿を消す。ああ、下半身が自由だ。普段ここは制約が厳しくて解放できないから。くすぐったいようで心地良い。赤ん坊のうぶ毛に包まれているようなんだ。上半身も我慢できなくなって脱ぐ。両肩が交互に前屈して衣服を隅に追い出す。そうするともうほとんどなにもない。赤ちゃんだ。彼女は身体を丸めて親指の爪を噛む。古代の人が埋葬されていたような格好で眠りにつく。僕はじっとそれを見ていた。今彼女が死体でも僕の身体は結局あついだろう。僕なんかまるでセミの幼虫みたいだ。栄養源を取り込んでじっとしてるだけ。園原の格好をみて興奮剤を打たれたみたいになってる。とにかく今は気持ちいいんだ。やってごらん。
痛む腹を押さえ、ぼくは園原の後に続く。
「おなか減ったの?」
「うん」
流石に何か食べないとね、と彼女は言う。
そうだね。
でも今の僕に何かを食べることができるのだろうか。バロバロに多分いくつか内臓を取られてしまった。心臓の時はあまり痛まなかったのに。
「お腹が減りすぎてキリキリするよ」
きっと空腹のせいだ。そうなんだ。お腹が減った。
「あ、あそこに」
園原が嬉しそうに言う。ぼくも嬉しい。でも何があるかは知らない。
「こっちに」
なんだろう。
「泊まれるとこが」
あるらしい。よかった。
「これで一安心だね」
「そうだね。よかった」
とにかく座ってしまいたい。へたり込んでしまいたい気分なんだな。今のぼくは。そして同じように眠りに落ちてしまいたい。
僕らはその「泊まれそうな場所」まで歩いた。中で受付してくるね、と園原は、彼女には見えているであろう、屋内に入っていった。もちろん建物は透けて見えるので、園原の行動も丸分かりだ。僕から少し離れたところで、誰かと話している。文字通り、誰かだ。僕にとって園原以外の人間。
二人で、と園原が指を二本立てる。すると、「誰か」が何か言ったのだろう。園原はぱっと目を輝かせて「本当ですか」と嬉しそうに言った。ありがとうございます、と彼女は言い僕のところへようやく戻ってきた。
「なんだって?」
「お代はいりません、だって」
「そうなの。なんでだい」
「なんかお客さんは払わなくていいんだって」
じゃあ、いこうか。と彼女は僕の手を取って建物に入っていく。彼女はたぶん廊下を、僕はやわらかい草草の中をずんずん進んで行く。僕はどうしてもうつろな気持ち。草の感触がリアルで。それしかなくて。
突然彼女が空中に浮いた。僕はぱっと手を離す。
「どうしたの」
彼女は僕を見下ろすような形で振り向く。園原の目がやけに黒く感じる
「いや」
おそるおそる足を伸ばすと宙に感触があった。堅い、感触だ。もう少し足に力を込めると、小さく、きぃ、と木の軋む音がした。
「階段がどうかしたの?」
園原は怪訝そうな顔をする。
ううん、なんでもないよ。
「そう」と彼女は再び進む。階段を上っていく。
だいじょうぶさ。僕は園原に遅れないように、怖いけど早足で宙を駆け上がっていく。地面が遠くなる。空に近づく。本当に僕は大丈夫なのだろうか。いきなりまっさかさまに落ちていってしまわないだろうか。足はちゃんとある。だからどこかに立つことはできる。でも今はそれがすごく難しい。やっぱり怖いよ。
「なんでもない」
僕はそう言う。それ以外になんて言えばよかったんだろう。否定の言葉しか浮かんでこなかった。途中で何度も歩みが止まりそうになった。ヒュウウウウゥゥゥ.って落ちていくかもわかんないだろ。でも僕は上ったよ。そうさ、振り払うように進んでいったさ。
突然足をかけるところがなくなったので、危うく僕は転びそうになり、前につんのめった。園原が不振に思うんじゃないかとどきどきしていたが、幸い彼女は宿の内装に気を取られているようで、気づいていないようだった。でも僕が立てた物音に園原はなんとなく振り返った。
「どうしたの」
なんでもないよ、と僕は言ったが、園原は駆け寄ってきてくれて僕の顔を見て驚いた。
「真っ青じゃない」
事実、そうだった。あの透明な階段を上ったせいで僕はすっかりくたびれていた。胸の辺りがぐっしょり汗で濡れていて、腰の辺りまで濡れていた。心なしか寒くて、僕は少し震えていた。
「気づかなくてごめんね。今日はたくさん歩いたんだもの。途中でちゃんと休めばよかった」
僕は園原に手を引かれて部屋まで連れて行かれる。園原の手はあたたかい。ほんわりする。まるで焼きたてのパンみたいだ。なんだかまるで、心臓を握られているみたいだ。
園原が扉を開ける仕草をし、僕たちはたぶん部屋に入った。推察するに、そんなに大層な部屋じゃないだろう。簡素なベッドがあって、木の机があって、電話があって、テレビはない。それでいい。
すぐにでもベッドに入りたかったけど、園原に「ちゃんと服を取り替えてから」ときっぱり言われ、しぶしぶ了解した。園原は部屋に元から置かれているであろうタンスの中から、着替えを取り出した。
「ちゃんと着替えなきゃだめよ」
風邪、引くから。
「うん」
僕はそれを受け取る。透明だった。
「じゃあ私外出てるから」
う、うん。
園原が外に出た後、考えた。僕が手渡された服は見事に透けていた。さらさらとした感触がある。手に程よく馴染むし、着ればだいぶ楽になるだろう。ただ、これを着るのはかまわないけど、それを園原に見られることに抵抗がある。ちょっと、さすがに。そもそも僕の周りは全部透けているのだから、状況的には裸で野原に放り出されることになる。
僕が悶々と考えあぐねていると園原が扉の外で(といっても彼女の後姿は見えている)話しかけてきた。
「つかれた?」
「それなりにね」
「私も少し疲れたかな」
「そんなことないだろ。君は僕よりずっと体力ある」
「あなたからしてみればそういうふうに感じるかもしれないけど、私は違うの」
「うん」
「あなたはあなたの中で疲れているけど、私は私の中で疲れてるの」
「うん」
「あなたが離れているところで私も疲れてるのよ」
「もしかして怒ってるの?」
「怒ってない」
怒ってるの、って誰かに訊くと、怒っていてもそうでなくても、結局、怒ったみたいなふうになる。実際、損な言葉だと思うよ。
「大体あなたの体力が少なすぎるんでしょ」
「そうだねえ」
「ほら」
やっぱり、と笑ってくれた。
「私ねぇ、動くってとても喜ばしいことだと思ってる」
「うん」
「きいてる?」
「うん」
僕は真剣に聞いてる。
「動くの。走ったり、歩いたり、つばを吐いたり、お尻を突き出したり、6弦を調整したり、オフサイドしたり、ページをめくったり、ゆれたり、燻らしたり、制服に着替えたり、お酒をひっくり返したり、乱切りしたり、種を蒔いたり、それらをゆっくりゆっくり。するのよ」
彼女は言葉を選ばずにつまみ、それを発音して僕を惑わせる。でも僕はじっとしている。園原の言葉の中性子を観測したいから。
「私が、動いているとき、そういうことをしているとき、そういう行為に、私が、それに、それ自体に、なっているように思えてくる」
のよ。
「それが心地良いの」
そうなのよ。
「星々の間で絶えず繰り返されている暮れなずむということ、もしもの話だけど。仮にそれが実際に彼らの間で行われているとしたら、彼らもきっとわたしのことわかってくれると信じてる」
半ば、ね。
「ううん、ほんとは信じたいの」
でも違うんでしょ?
「だまって」
それなりにそうする。
「私の無駄なものが全部そぎ落とされて、とてもきれいなきぶんになるの。インパラの太ももみたいに」
園原は言う。
「あなたはどう?」
「僕は……」
「ううん、いいの」
なんでもない、とでも言いたげな後姿が僕にはよく見える。
「着替えた?」
「着替えたよ」
園原が部屋に入ってくる。僕はもちろん素っ裸だ。僕の世界では。
「どうかした?」
いいや、と僕は口ごもる
僕の体は貧弱だ。ましてや裸なんてみれたもんじゃない。ギリシャの彫刻のような体躯ならよかったけど、あいにくそういうわけにもいかない。
でも僕の乳首は立っていた。硬くとがっていた。寒さのせいもあるけど、それだけじゃない。否定できない。こうやって園原に、彼女の知らないところで、裸をみせているのがとても心地良かった。僕が裸だったら、彼女は僕のいろんなところに視線を送ってしまうだろう。でもそれじゃ、ただの普通だ。違うんだ、彼女の自然な視線の送り方がとてもよかった。普段見せられないものを堂々と露出できることが、とてもよかった。
「じゃあ寝ようか」
「うん」
そう園原は言うと、ベッドに潜り込んだ。僕も続けて入り込む。真っ白なシーツが僕を迎えてくれているはずだ。そのまま目を閉じてしまうのもよかったけど、僕はしばらく目を開けていた。園原の身体を見ていたかったからだ。彼女は着替えないで布団に入ることがよくある。それは服を脱いでからではなんとなくめんどくさいし、すぐにでも布団に潜り込んでしまいたいからだと言っていた。でもなによりの理由は、彼女は布団やベッドの中で服を脱いでいくのが好きだからだ。まずは一番うっとおしい上着を脱いで、一段階目の脱皮をする。上着を脱いだだけでずっと楽になる。皮膚がシーツや掛け布団の布地にまだ触れないけど、以前よりぐっと近付いた感覚がすてきだ。でもそれも、一回寝返りを打っただけで萎えてしまう。穿いているズボンが邪魔だからだ。それがもしジーパンだった日には最悪。台無しだ。もさもさして動き辛いったらありゃしない。だから彼女はへその前にあるズボンのホックを外す。彼女の身体はカモシカのように引き締まっているのでホックとへその間には大きな隔たりがある。その空間が僕はすきだ。なんでも吸い込んでくれそうだし。そして足の関節をくねらせてゆっくりとズボンを脱いでいく。つららを水滴がなぞるように滑らかに流れていく。それが足首まで来ると、いったん動きを止める。ふくらはぎや太ももの薄い部分、青白い血管がのぞく部分がシーツの綿に触れる感触に浸るからだ。そしてごそごそと動かして、かかとの抵抗を一息に乗り越えてくしゃくしゃのズボンははるか後方に姿を消す。ああ、下半身が自由だ。普段ここは制約が厳しくて解放できないから。くすぐったいようで心地良い。赤ん坊のうぶ毛に包まれているようなんだ。上半身も我慢できなくなって脱ぐ。両肩が交互に前屈して衣服を隅に追い出す。そうするともうほとんどなにもない。赤ちゃんだ。彼女は身体を丸めて親指の爪を噛む。古代の人が埋葬されていたような格好で眠りにつく。僕はじっとそれを見ていた。今彼女が死体でも僕の身体は結局あついだろう。僕なんかまるでセミの幼虫みたいだ。栄養源を取り込んでじっとしてるだけ。園原の格好をみて興奮剤を打たれたみたいになってる。とにかく今は気持ちいいんだ。やってごらん。
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