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第ニ話 病院
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桜木 卯月【さくらぎ うげつ】は、孫の桜木 弥生【さくらぎ やよい】を育てている還暦を迎えた老人だ。昔に病で妻を亡くし、数年前には娘夫婦を事故で亡くした。まだ幼かった弥生【やよい】を引き取り、男手一つで育てながら共に暮らしている。
大した反抗期もなく育った弥生だが、ある種においては手を焼きながらも、卯月は何とか高校生になるまで弥生を育て上げた。
しかし、そんなある日の事だった。
朝早くから大声を上げ騒ぎ立てる弥生に、何事かと見に行けば、孫は変な薬剤を飲んだと膨らんだ乳を晒しながら喚いていた。それだけならまだしも、卯月は大きな溜息を吐きながら頭を抱える。
そう。
それは、今まで卯月が手を焼いてきた孫のある種の悩み──────頭の弱さだ。
「じーちゃん!!オレの飲んだサプリメント一粒に約四ヶ月の効果があるんだってぇえ!?」
「お前は何粒飲んだんだぁ?」
「効き目をよくしようと思って……その、、一回一粒のところをまとめて三粒飲んじゃった……テヘ」
冷や汗をかきながら舌をペロッと出して自身の頭を軽く小突いた孫に再度深い溜息が漏れる。
「はぁ~~~~こンの馬鹿孫ッ!ちゃんと確認してから使えといつも言ってるだろうがッッ!!」
「いってえぇ!!」
朝から何度の拳骨を喰らわせた事か。赤くなる手を振りながら、卯月は怒りを通り越して呆れていた。
「ほんに、お前は誰に似たんだ……お前の母親のがまだ賢かったぞ!?」
「だって多い方が効き目いいに決まってんじゃん!?大は小を兼ねるって言うでしょーが!!」
「阿呆かッ!!医薬品はなぁ、多めに取れば命に関わるから決められた量を守れと書いてあるんだよ!!」
「うえ゛ぇ!?じゃあ、オレ死んじゃうってこと?ヤダァ~~!!」
「知らんッ!不安なら病院に行って診て貰え!!」
再び喚き散らす馬鹿孫に頭が痛くなる。
此処まで言わなきゃ分からないものなのか……?
卯月は、取り敢えず弥生を病院へ連れていく事にした。
「さっさと支度しろ!病院に行くぞ」
「うわああああ……死にたくないっ!!死にたくないい!!」
「だから病院に行くって言ってんだろうがッッ!!」
「病院はもっとヤダァ~~!!」
半ば引きずる形で弥生を連れて部屋を出る卯月。未だメソメソ泣いている弥生に『自分で歩け』と叱咤し、準備をさせながら病院へと向かった。
▼
バスに揺られること30分。ビルが建ち並ぶ街の中心部にあるバス停からすぐの処にその病院は建っていた。
立冬【りっとう】総合病院。
卯月の掛かりつけである病院だ。
小麦色のカンカン帽に甚平の上から羽織る赤茶色の羽織を着こなし、弥生と訪れた卯月は四角い手下げの黒革鞄から弥生の保険証を取り出して、受付の女性に手渡した。
家を出る前まで赤子よろしくギャン泣きしていた弥生だったが、家を出てからは流石に泣き止み、今は待合室の長椅子に座り、問診票を大人しく書いている。初めて書く問診票に四苦八苦しながらも、何とか書き終えて受付に手渡した弥生は、卯月の隣に座る。
いつもなら身に着ける事さえしない帽子〈卯月が少し前まで愛用していた藍色のアポロキャップ〉を深くかぶり、身体の変化によりサイズが少し大きくなったダボつく黒のパーカーと、下手をすればズリ落ち兼ねないカーキ色のカーゴパンツ姿で、時折診察室に出入りする人をチラチラと見つめている。その横顔は、少々不安げな面持ちをしており、卯月は弥生のかぶる帽子の上にゆっくりと手を置いた。
昔から大きな怪我や大病を患う事の無かった弥生にとって、今日が初診となる。もともと病院があまり好きじゃなかった弥生は、風邪を引いた時でも薬を飲んで様子をみているのが当たり前だったのだから不安になるのも仕方ないだろう。
しかし、卯月の脳裏には、昔の出来事が思い出されていた。
『ねぇ、じーちゃん……』
それは、まだ弥生が3歳の頃だった。病院の待合室で放心する卯月の隣で長椅子に座った弥生が足をぶらぶらと揺らしながら何の気なしに呟いた。
『とーちゃんとかーちゃん、いつ帰ってくる?』
妻の13回忌に顔を見せた娘は、今度の休みになかなか行けなかった新婚旅行へ出掛けると言っていた。
『早く会いたいなぁ……』
なら、たまには夫婦水入らずでと、卯月が弥生を預かったのだ。
『かーちゃんがね、おみやげいっぱい買ってくるって言ってたの』
片腕に抱っこした弥生と卯月が見送るなか、娘夫婦は手を振り出掛けて行った。
『だからおれ、良い子にして待ってたんだー』
その日、娘夫婦は帰って来る筈だった。
『寂しかったけど、ちゃんとお留守番できてたでしょ?』
予定の時刻が過ぎても帰って来ない二人を心配していると、連絡が入った。
『ねぇ、じぃちゃん……』
すぐさま駆けつけると、娘夫婦は病院の地下室にて顔に布が掛けられた状態で横たわっていた。
『とーちゃんとかーちゃん、どうして帰って来ないの?』
新婚旅行の帰り道での出来事だった。対向車線をはみ出したトラックが娘夫婦の車と衝突し、車は大破。
娘夫婦は瀕死の状態で病院に運ばれたが、卯月が駆け着けた時には既に、二人は息を引き取っていた。話によると、はみ出したトラック運転手は過労で居眠りをしてしまったという。
思えばあの日以来だろうか……。
弥生が病院を酷く嫌う様になったのは。
卯月は弥生の帽子を優しくポンッと叩き、静かに告げた。
「心配せんでええ」
「……うん」
不器用ながらに馴れない手つきであやす卯月を見つめて静かに頷いた弥生は、長椅子の背にもたれる形で座り直した。それから暫くして名前を呼ばれると、卯月と共に診察室へと足を運んだ。
大した反抗期もなく育った弥生だが、ある種においては手を焼きながらも、卯月は何とか高校生になるまで弥生を育て上げた。
しかし、そんなある日の事だった。
朝早くから大声を上げ騒ぎ立てる弥生に、何事かと見に行けば、孫は変な薬剤を飲んだと膨らんだ乳を晒しながら喚いていた。それだけならまだしも、卯月は大きな溜息を吐きながら頭を抱える。
そう。
それは、今まで卯月が手を焼いてきた孫のある種の悩み──────頭の弱さだ。
「じーちゃん!!オレの飲んだサプリメント一粒に約四ヶ月の効果があるんだってぇえ!?」
「お前は何粒飲んだんだぁ?」
「効き目をよくしようと思って……その、、一回一粒のところをまとめて三粒飲んじゃった……テヘ」
冷や汗をかきながら舌をペロッと出して自身の頭を軽く小突いた孫に再度深い溜息が漏れる。
「はぁ~~~~こンの馬鹿孫ッ!ちゃんと確認してから使えといつも言ってるだろうがッッ!!」
「いってえぇ!!」
朝から何度の拳骨を喰らわせた事か。赤くなる手を振りながら、卯月は怒りを通り越して呆れていた。
「ほんに、お前は誰に似たんだ……お前の母親のがまだ賢かったぞ!?」
「だって多い方が効き目いいに決まってんじゃん!?大は小を兼ねるって言うでしょーが!!」
「阿呆かッ!!医薬品はなぁ、多めに取れば命に関わるから決められた量を守れと書いてあるんだよ!!」
「うえ゛ぇ!?じゃあ、オレ死んじゃうってこと?ヤダァ~~!!」
「知らんッ!不安なら病院に行って診て貰え!!」
再び喚き散らす馬鹿孫に頭が痛くなる。
此処まで言わなきゃ分からないものなのか……?
卯月は、取り敢えず弥生を病院へ連れていく事にした。
「さっさと支度しろ!病院に行くぞ」
「うわああああ……死にたくないっ!!死にたくないい!!」
「だから病院に行くって言ってんだろうがッッ!!」
「病院はもっとヤダァ~~!!」
半ば引きずる形で弥生を連れて部屋を出る卯月。未だメソメソ泣いている弥生に『自分で歩け』と叱咤し、準備をさせながら病院へと向かった。
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バスに揺られること30分。ビルが建ち並ぶ街の中心部にあるバス停からすぐの処にその病院は建っていた。
立冬【りっとう】総合病院。
卯月の掛かりつけである病院だ。
小麦色のカンカン帽に甚平の上から羽織る赤茶色の羽織を着こなし、弥生と訪れた卯月は四角い手下げの黒革鞄から弥生の保険証を取り出して、受付の女性に手渡した。
家を出る前まで赤子よろしくギャン泣きしていた弥生だったが、家を出てからは流石に泣き止み、今は待合室の長椅子に座り、問診票を大人しく書いている。初めて書く問診票に四苦八苦しながらも、何とか書き終えて受付に手渡した弥生は、卯月の隣に座る。
いつもなら身に着ける事さえしない帽子〈卯月が少し前まで愛用していた藍色のアポロキャップ〉を深くかぶり、身体の変化によりサイズが少し大きくなったダボつく黒のパーカーと、下手をすればズリ落ち兼ねないカーキ色のカーゴパンツ姿で、時折診察室に出入りする人をチラチラと見つめている。その横顔は、少々不安げな面持ちをしており、卯月は弥生のかぶる帽子の上にゆっくりと手を置いた。
昔から大きな怪我や大病を患う事の無かった弥生にとって、今日が初診となる。もともと病院があまり好きじゃなかった弥生は、風邪を引いた時でも薬を飲んで様子をみているのが当たり前だったのだから不安になるのも仕方ないだろう。
しかし、卯月の脳裏には、昔の出来事が思い出されていた。
『ねぇ、じーちゃん……』
それは、まだ弥生が3歳の頃だった。病院の待合室で放心する卯月の隣で長椅子に座った弥生が足をぶらぶらと揺らしながら何の気なしに呟いた。
『とーちゃんとかーちゃん、いつ帰ってくる?』
妻の13回忌に顔を見せた娘は、今度の休みになかなか行けなかった新婚旅行へ出掛けると言っていた。
『早く会いたいなぁ……』
なら、たまには夫婦水入らずでと、卯月が弥生を預かったのだ。
『かーちゃんがね、おみやげいっぱい買ってくるって言ってたの』
片腕に抱っこした弥生と卯月が見送るなか、娘夫婦は手を振り出掛けて行った。
『だからおれ、良い子にして待ってたんだー』
その日、娘夫婦は帰って来る筈だった。
『寂しかったけど、ちゃんとお留守番できてたでしょ?』
予定の時刻が過ぎても帰って来ない二人を心配していると、連絡が入った。
『ねぇ、じぃちゃん……』
すぐさま駆けつけると、娘夫婦は病院の地下室にて顔に布が掛けられた状態で横たわっていた。
『とーちゃんとかーちゃん、どうして帰って来ないの?』
新婚旅行の帰り道での出来事だった。対向車線をはみ出したトラックが娘夫婦の車と衝突し、車は大破。
娘夫婦は瀕死の状態で病院に運ばれたが、卯月が駆け着けた時には既に、二人は息を引き取っていた。話によると、はみ出したトラック運転手は過労で居眠りをしてしまったという。
思えばあの日以来だろうか……。
弥生が病院を酷く嫌う様になったのは。
卯月は弥生の帽子を優しくポンッと叩き、静かに告げた。
「心配せんでええ」
「……うん」
不器用ながらに馴れない手つきであやす卯月を見つめて静かに頷いた弥生は、長椅子の背にもたれる形で座り直した。それから暫くして名前を呼ばれると、卯月と共に診察室へと足を運んだ。
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