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第1章
8話
しおりを挟むこれは、夢だ。
ゆらゆらと、目の前の景色が陽炎のように揺れる。
くるみ色の髪を風になびかせて、小さな女の子が森の中を歩いている。
それを見て、リーナは目を見開いた。
(あれは、私だ)
幼い頃のリーナが、木漏れ日の差し込む森の中をさまよっている。
今のリーナは、それを遠くから見ているような感じだった。
幼いリーナは道に迷っているようだ。
きょろきょろと、あたりを不安そうに見回している。
そこへ、黒い影が差す。
ふっと幼いリーナが顔を上げると、そこにはあの悪魔が立っていた。
『お前が次の聖女か』
『……あなた、は?』
突然現れた人ならざるものに、幼いリーナはきょとんとしていた。
『俺か? 俺は悪魔だ』
『あくま?』
『信じられなければ信じなくていい。お前はここで死ぬのだから』
『? わたし、死ぬの?』
『ああ。俺が殺す。そろそろ契約にも飽き飽きしていたんだ。あの聖職者ども、生贄を出せば済むと思って舐めたことばかりしやがって』
そうぼやくように言うと、悪魔はどこからともなく黒い結晶を取り出した。先のとがったそれは黒曜石のようにも見える。
悪魔は鋭い結晶の切っ先を、幼いリーナに突きつける。
『そろそろ、思い知らせてやらないとなぁ? お前を殺せば、今代で差し出す生贄は無くなる。さぁて、聖職者どもはどうするかな?』
喉元に突きつけられて、幼いリーナは恐怖で身動きが出来ない。
それでも恐怖を押さえつけて、かつてのリーナはどうにか言葉を絞り出した。
『わたし夢があるの!』
見ている大人のリーナも、昔のリーナでも、いきなり何を言い出したのだろうと思う。
それでも幼いリーナは必死だった。
懸命に言葉を紡ぐ。
『それはね、聖女になること! 聖女になって、わたしのいのちをかけてお祈りするのよ! 世界中のひとが、神様も、天使様も悪魔も、みんなみーんな幸せになりますようにって!』
それは、単なる子どもの語る無茶苦茶な夢だった。
みんな幸せ、のなかに悪魔まで含めるなど、教会関係者は卒倒ものだ。
聖書の教えでは、悪魔は許されないものとして描かれているというのに。
それでも、幼いリーナの本気の夢だった。
悪魔は、幼いリーナの言葉に呆気にとられたようだ。
しばらくぽかんとしていた後、やがて悪魔は吹き出した。
腹を抱えて笑う。
『……は、ははっ、お前、それ本気で言っているのか?』
『ええ! 本気よ!』
悪魔の手から黒い結晶が消える。
威圧的だった雰囲気が薄れ、どこか興味深そうにリーナの顔を覗き込んだ。
『お前の中では、悪魔と天使が同列なのか?』
『同列、というより、悪魔の方が好きかもしれないわ』
『何を馬鹿なことを』
悪魔が小馬鹿にしたように、ハッと鼻で笑う。
けれど、リーナは負けずに言った。
『だって、天使はみんなに救いの手を差し伸べてくれるわけじゃないもの』
戦争でリーナが暮らしていた街は焼かれ、兵士だった父は亡くなった。大火傷を負った母と共に幼いリーナは命からがら逃げてきた。
だが、誰も救いの手を差し伸べてくれるものはおらず、さまよっている間に母までも亡くなった。
リーナを救ってくれたのは、神父だけだった。
『対価を払えば願いを叶えてくれるなら、まだ悪魔の方が親切よ。だから好き』
『変わった奴だな、お前』
(あ、笑った)
優しい笑顔。
幼いリーナの胸が、とくんと甘やかに鳴る。
『殺すのはやめだ。その代わり、対価を払え』
『?』
『お前はこの先の未来、俺のモノになるんだ』
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