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番外編
一人の暗殺者の運命が変わった日②
しおりを挟む「この城にここまで入り込んだのはお前が初めてだ」
「……お褒めに預かり光栄です」
いつどこから、暗殺者が城へ入り込んでいることがバレていたのだろう。
暗殺者たちに独自の情報網があるのと同様に、王侯貴族にも独自の情報網があるということか。
衛兵の男たちによって床に組み伏せられながらも、セリーンは鋭い視線で銀の長髪の男――オズウェルを見上げた。
凍てつく氷の帝国・ルーンセルンの主は、冷めた瞳でセリーンを見下ろしている。その瞳からは侮蔑も嘲笑も、どんな感情もうかがえない。
(失敗した)
顔には出さないままに、セリーンは内心舌打ちをする。
今まで自分は任務を失敗したことなどなかった。
その腕を見込まれて、大国ルーンセルンの皇帝陛下を暗殺するようにと、組織から命じられたのにこのザマだ。
おめおめ組織に帰ったところで、待つのは処分のみ。
(それならここで死んでも同じだわ)
城で皇帝暗殺を目論んだ賊として処罰を受けようとも、任務失敗した役たたずとして組織から処分されようとも。どちらでも同じことだ。
暗殺者組織に拾われた身ではあるが、あそこは家族でもなんでもない。
組織にとって自分は単なる手駒の一つであり、商品だ。失敗作が切り捨てられるのは当然のこと。
自分の死を悲しむ人などどこにもいない。
(わたしには何もない)
仕えるべき主も。守りたいものも。生きる意味さえも。
何もない。
「なぜ、私を狙った」
「……若き皇帝オズウェル・ウォード・ルーンセルンを殺せ。それが依頼ですから」
「依頼主は」
「さぁ。分かりかねます」
淡々と尋ねてくるオズウェルに、セリーンも淡々と返す。
「組織の場所を吐いても構いませんが、無駄ですよ。皇帝暗殺なんていう大きな依頼です。直ぐにアジトを移転しているはずです」
「そうか」
(この男とわたしは同類だわ)
生まれ育った環境も何もかも違う。
由緒正しき血筋の皇帝と、卑しい生まれの自分を同じに思うなど、思い上がりも甚だしい。無礼極まりない。
そう、分かっている。
それなのに、たった一瞬で理解してしまったのだ。
この男も、自分と同じように何かが欠けているのだと。欠けてしまったのだと。
(バカバカしい。こんな感傷に浸ったところで何にもならないというのに)
自分を嘲るように息を吐きだす。
オズウェルは顎に手を当てて、なにやら考え込んでいるようだ。
(きっと、わたしをどう殺すかを考えているに違いない)
「最期に一つだけ、よろしいですか」
「……なんだ」
「なぜこんなに花を飾られているのですか」
最期だというのに、セリーンの口から出た質問は間抜けなものだった。
どうせ自分は殺されるのだ。
ならばせめて、冥土の土産に聞いてもいいだろう。
「……かつて大切だったものがあった。それを取り戻すまでの代わりだ」
やはりそうだったのか、とセリーンは納得した。
飾られた花から受けた印象は間違っていなかったらしい。
「そうですか。皇帝陛下の大切なものが、戻るといいですね」
人間、死を目前にすると逆に穏やかな心地になるものなのだろうか。
殺されると分かっているのに、怖くはなかった。自分もしてきたことだ。いつかはこうなると思っていた。
「お前、名はなんという」
「……セリーンと申します」
皇帝陛下はなぜ、自分の名前を聞いてくるのだろう。
怪訝に思いながらも、セリーンは返答をする。
「取引をしないか、セリーン」
「……はい?」
予想だにしない言葉をかけられて、無表情を得意とするセリーンもぱちくりと目を瞬かせた。
自分は殺されるはずではなかったのか。
「私は暗殺者のやり口を知るものが手の内に欲しい。その代わりに、お前を見逃し身分を保証しよう」
「陛下!?」
それまで黙って見守っていた衛兵が、オズウェルを咎めるように声を上げた。
しかし、オズウェルがちらりと視線を向けると衛兵は言葉をつまらせ、それ以上は何も言わなかった。
「……どういうことです」
オズウェルの言葉の意味をつかめなくて、セリーンは眉をひそめる。
「私に仕えろと言っている」
オズウェルは皇帝という身分にふさわしく、傲岸不遜に言い切った。
どうやら自分に拒否権はないらしい。
選べるとするなら、生か死か。
「わたしは、あなたを殺そうとした女ですよ? 裏切るとは思わないのですか」
「裏切ったならその時こそ殺す。それまでだ。どの道、私を殺せなかったお前に帰る場所などないだろう」
「……」
「私はお前の洞察力を買った。この部屋まで来られた能力を買った」
(ああ、どうしよう)
このおかしな皇帝に仕える未来が、少しばかり面白そうだと思ってしまった。
「……いいですよ。その取引に乗りましょう」
そうしてセリーンは暗殺者だった過去を捨て、皇帝陛下に仕えることになったのだ。
◇◇◇◇◇◇
「セリーンったらどうしたの? ぼーっとして」
聞こえてきた澄んだ美しい女性の声に、セリーンはハッとする。
そこは、あの夜の皇帝陛下の私室ではなかった。
ここは柔らかな陽の光が差し込む、ガラス張りの温室。
皇帝陛下、妃殿下お気に入りの、花を眺めながらの茶会真っ最中だった。
「お前がぼんやりするなんて珍しいな」
「……申し訳ございません、オズウェル様、ヴィエラ様。少々物思いにふけっておりまして」
「あら、良ければ教えて欲しいわ」
オズウェルの隣で、ヴィエラは優しく微笑んだ。
かつて研ぎ澄まされた氷の刃のようだったオズウェルの雰囲気は随分と軟化し、青い瞳は穏やかにヴィエラを見つめている。
それもこれもヴィエラがオズウェルの元に戻ってきたおかげだ、とセリーンは思う。
皇帝陛下が探し求めていた大切なものは、セリーンが想像していた以上のものだった。
冷酷だと噂される皇帝陛下が溺愛する女性なだけはある。
使用人に対しても分け隔てなく接するヴィエラに、セリーンは心が温かくなるのを感じていた。
(わたくしは、過去を失った代わりに主を手に入れた)
この二人を裏切ろうなんて思わない。思えない。
凍えた氷の帝国で、頂点に君臨する皇帝とその妃に仕える日常は存外悪くない。……否、これ以上ないほど気に入っている。
「お二人にお仕えできて幸せだと、考えておりました」
(この命にかえても、オズウェル様とヴィエラ様は守ってみせます)
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