【番外編追加】冷酷な氷の皇帝は空っぽ令嬢を溺愛しています~記憶を失った令嬢が幸せになるまで~

柊木ほしな

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第4章

30・温室の夢

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 気がつけば、ヴィエラは真っ暗な空間にいた。
 上下左右、どこを見ても真っ黒。自分の姿さえ見えない。意識だけが空間にただよっている。

 (ここはきっと夢の中ね)

 ヴィエラがそう思った瞬間、暗闇が徐々に薄らいで視界が晴れていく。
 気がつけば、真っ暗な空間はどこかの屋敷の庭へと変わっていた。
 庭に植えられた低木には雪が降り積もっており、ここがルーンセルンだとすぐに分かる。

 (ああ、ここは私の家だ)

 ヴィエラは無意識のうちにそう理解していた。
 無くしていた記憶が、ヴィエラの中にゆっくりと戻ってくる。

「ヴィエラ、今から来られる方が皇帝陛下だよ。粗相のないようにね」
 
 気がつけば隣に本当の自分の両親が立っていて、穏やかな瞳でヴィエラを見下ろしていた。
 どうやらヴィエラは、過去の当時12歳のヴィエラの体に入っているらしい。
 しかし、体の操作は出来ないようで、かつての自分の視点で過去の出来事を追体験しているに過ぎないようだった。

 やがて屋敷の前に一台の馬車が止まる。
 御者の手を借りて降りてきたのは、酷く美しい銀髪の青年だった。

 (オズウェルだわ)

 肩で切りそろえられた銀の髪に、深い海のような群青の瞳。
 今よりも張り詰めた雰囲気をしているが、間違いない。

 当時のオズウェルは17歳だと、ヴィエラは両親から聞いていた。若くして皇帝の地位に即位したばかりの青年。
 生まれたその時から帝王学を学び、どんな時でも冷静なる判断を求められ続けた。彼についたあだ名は『氷の皇帝』。
 どんなことであっても冷静に判断をくだし、必要とあれば味方であろうとも容赦なく切り捨てる。
 17歳とは思えない政治手腕と、凍りきった冷たい眼差しに、国内外問わず誰もが脅えていた。

 今よりも冷たいオズウェルの瞳をみていると、ヴィエラはぎゅっと胸が締め付けられるような心地がした。

「今日は視察に来た。ホワイトリー家の開発した温室技術を見せてもらう」

「ど、どうぞどうぞ!!」

 父は焦った様子ながらも、オズウェルを温室へと案内していく。

 (そうだったわ。温室は、ホワイトリー家が改良したんだ)

 父とオズウェルの後ろをついて行きながら、ヴィエラは思い出していた。
 ホワイトリー家は、長年温室技術を研究していた。
 ルーンセルンは植物が育ちにくい寒冷な土地だ。
 そんな中、安定した植物栽培を可能にする技術として開発されたのが、温室だ。
 ホワイトリー家がさらに改良したものを、この日オズウェルが視察で見に来たのだった。

 庭の片隅にある小さなガラス張りの温室にたどり着き、父が扉を開ける。

「ヴィエラ、ご案内して差しあげなさい」

「はい、お父様」

 幼いヴィエラは、ドレスの裾を引いてオズウェルに頭を下げた。

「オズウェル様、はじめまして。私はヴィエラ・ホワイトリーと申します。温室の案内は私がつとめますね」

「……ああ」

 この時、オズウェルがヴィエラと視線を合わせた初めての瞬間だった。
 当時ヴィエラは12歳。
 男爵令嬢として教育を受けてはいたものの、怖いもの知らずの令嬢だった。
 相手が『氷の皇帝』だと知っていた。冷たい目をした青年だと思った。
 それでもきっと、温室に咲く花を見れば喜ぶだろうと。
 そんなふうに考えていたのだ。

 幼いヴィエラは、ゆっくりとオズウェルに温室を案内していく。
 やがてアネモネの咲く一角へたどり着いたとき、オズウェルがぽつりとこぼした。

「……きれいだな」

 たったその一言で、ヴィエラはとても嬉しくなったことをよく覚えている。
 なぜならその一角は、ヴィエラが手入れしていたものだったからだ。

「本当!? ここの花は、私が育てているの! オズウェル様にそう言って貰えて嬉しいわ!」

 思わず敬語も忘れ、素直に反応してしまったヴィエラは思わず口元を押さえる。

「あっ! ご、ごめんなさい!」

 失言してしまった、どうしようと、焦っていると、オズウェルが息を吐き出すようにして笑った。

「お前は、素直だな」

 冷たい表情が崩れ、少し目元を細めたオズウェルに、幼いヴィエラは目が離せなくなってしまう。
 そして今のヴィエラも。

「無理に敬語など、使わなくていい。自然に話してくれ」

「でも……」

「これは命令だ。敬語を取れ」
 
「わ、わかったわ」

 そうして一通り案内したあと、ヴィエラは帰り際のオズウェルに一輪の花を渡した。
 白いアネモネだ。

「なんだ、これは」

「あなたにあげるわ。今日の記念!」

「……ありがたく受け取ろう」
 
 差し出された花を、オズウェルは躊躇いがちに受け取った。
 なにかを差し出されること自体に慣れていないようだった。

「ヴィエラ」
 
 馬車に乗り込む間際、オズウェルが見送るヴィエラたちの方を振り返った。
 青い瞳は、真っ直ぐにヴィエラをとらえていた。
  
「またここにきたくなったら、ここに来てお前を呼んでいいか」

 青い瞳の奥に、かすかに不安そうな色が揺らめいているのが見て取れる。
 当時のヴィエラは、そんな彼の不安になど気づかずに笑顔を返した。
 
「ええもちろん! 一人より二人の方が、きっと楽しいわ」

 (ああ、懐かしい)

 この日を境に、オズウェルはホワイトリー家へよく顔を出すようになった。
 表向きは、温室や植物の経過を観察するため。
 しかし実際は、ただヴィエラと温室で穏やかに過ごし帰っていく。

 (あの時私は、確かにオズウェルに惹かれていた)

 身分不相応ながら、ヴィエラはオズウェルに密かに想いを寄せていた。
 しかし、オズウェルに婚約者がいることを知っていたヴィエラは、決して伝えることはなかった。
 その裏で、オズウェルがレミリアとの婚約を破棄していたことなど、ヴィエラは知らなかったのだ。
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