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第二章:すれ違う横顔

第九話:温度差

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望月もちづき君、

「……どういう事だ?」

 息を切らしながら絞り出すようにして訴えかける蓮波はすなみあやに、半井なからいゼンジはそう答えるのがやっとだった。

 望月もちづきリクに自分の想いを打ち明けてしまった事すら、受け止めきれずにゼンジは混乱していた。そんな彼にとって、リクが死のうとしているなどという話は、理解の範疇はんちゅうを完全に超えてしまっていた。

 ポカーンとしているゼンジの腕をつかんだあやは、ありったけの力を込めて懇願こんがんした。

半井なからい君、お願い。

 瞬間、リクの放った悲痛な叫びがシンクロする。

「どうしてお前なんだよ……お前は、!」

 確かにアイツは、と言った。リクの首と手首についていた、痛々しい傷痕きずあとが頭をもたげる。俺はずっと望月もちづきに対して、嫌悪感しか抱いて来なかった。アイツを知るようになってからは、別の苛立ちに振り回された。

 白々しく笑いながら、今にも燃え尽きそうな命に、自ら手をかけてるようにしか見えなかった。
 緩やかな自殺をみせつけられているのに、俺は指をくわえて見ているしか出来なかった。
 
 もっとハッキリ、助けを求めて欲しかった。
 たとえそれが俺の自分勝手で、一方的な願望だとしても。
 
 そうする事でいつからか、俺自身が触れて欲しいと願っていたのかもしれない。


「ちょっと、思い当たる所がある。蓮波はすなみは、保健室で傷の手当だけしてもらえ。望月もちづきかばん持って、下駄箱んとこにいるから」

 おもむろに立ち上がったゼンジが言うと、あやは頷いて保健室に向かって行った。教室は、相変わらずヒソヒソ声でひしめいている。その声をかき消すように、窓際のリクの席へと向かうとかばんを持って、そのまま教室を後にした。




「……望月もちづき君、引っ越したって言ってたけど。こんなに近いと思わなかった……」

 あやは、改めてリクの事を何も知ろうとしてこなかった自分に、自責の念を覚えながら呟いた。二人は、リクの家に向かっていた。雨の降る住宅街を、言葉少なに歩いてゆく。背が高いゼンジの持つ傘が、彼女の持つ傘の上で揺れていた。

「同じ、中学だったのか?」
「――……うん」

 含みのある言い方で、あやうなずく。
 
 ゼンジはリクが何故、あやにあげた筈の自分のタオルを持っていたのか、聞き出せずにいた。
 同じようにあやもまた、リクと自分の関係について、何を何処まで話せば良いのか迷っていた。
 
 どちらも話を切り出す事が出来ないまま、ただ歩き続けてしまい、気がつくとリクの家の前まで来てしまっていた。立派な門構えの、古風な屋敷。もうじき梅雨も明けると言うのに、そこはかとなく空気が冷たい。

「あ、表札」

 あやが、少し驚いた様子で声をあげた。表札をじっと見ている。

「ここだよ。望月もちづきんち。親戚か何かの家なのか?この奥の離れに、アイツ住んでて」
「……桐生きりゅうって、望月もちづき君の、前の苗字」

「前の苗字?それってどういう……」

 そう言いかけたゼンジの後ろを、スラっとした長身の男性が通り過ぎ、門の中に入っていこうとしていた。

「すみません、ちょっと。そこを通して頂きたいんですが」

 男性は、20代前半だろうか。色素の薄い髪と大きなつり目が、リクとそっくりだった。ただ、リクが常に自分を誤魔化しているような所があるとしたならば。その男性は、何と言えば良いのだろうか。最初から感情など持ち合わせていないような、めきった雰囲気を漂わせていた。

 思わず後ずさったゼンジの身体がぶつかったあやは後ずさると、その男性をじっと見つめた。男性は門をくぐり抜け、そのまま母屋へ向かおうをしている。

「……あのっ!望月もちづき君のお兄さんですか?」

 口を開いたのはあやだった。振り返った男性はやはり、リクとよく似た美しい造形をしている。

望月もちづき……そのような者はウチにはおりませんが」
「でも望月もちづき、お宅の離れに住んでますよね?」

 あやにつられて、ゼンジが口を開く。男はそうしている間も醒めきった様子で、二人の制服姿を眺めていた。母屋の扉が開く音に男は母屋の方へ向き直ると、二人をこれ以上見ようとはせず平坦な口調で返した。

「さあ、申し訳ありません。遠縁の子でも、引き取っているんじゃないんでしょうか。私も、住まいはこちらではないので。何も知りません」

 それだけ言うと、扉の開く方へ歩いて行ってしまった。玄関には着物姿の女性がおり、男に向かって名前らしきものを呼びかけているのが聞こえる。



 ガラガラという音と共に扉は閉められ、ゼンジとあやは何とも言えない気持ちで顔を見合わせた。

 雨は益々、冷たく降り注いでいた。




「……やっぱり戻ってきてないか」

 男の様子を見たせいからか、ゼンジは思わずそう独りごちてしまった。二人は、リクの住む離れに来ていた。鍵がかかっていないので、誰でも入れる。かばんをダイニングテーブルに置いたゼンジは、一通り家の中を見て回った。
 
 あやは、全く使われてないダイニングテーブルをさすりながら、辺りをじっと見回している。

望月もちづき君、引っ越して来た時から、

 あやが悲しげにそう呟いた時、ゼンジはリクのベッドの上にある自分のタオルを見つけて、立ち尽くしていた。

蓮波はすなみ、ちょっと」

 ゼンジが、部屋から声をかける。声のする方へやってきたあやは、タオルがまず目に入ったのだろう。「あ」と小さな声を出すと、ベットへ駆け寄った。

望月もちづき君、戻ってくる。これ取りに」

 そう言うと、安堵の籠もったため息をついた。タオルを手に取り、大事そうにかかえる。ゼンジは、ずっといだいていた疑問を投げかけずにはいられなかった。

「そのタオル、なんで望月もちづきが持ってるんだ?お前に、あげたはずなんだけど」
「……」

「……話しにくいなら、無理して話さないでもいいけど」
飯山いいやま先生」

「え?」

望月もちづき君と付き合ってた人……今は先生を辞めてる。その人と、似てるの。半井なからい君」

「どういう事?」

「最初は半井なからい君が先生に似てたから、タオルが欲しかったんだと思う。望月もちづき君、ずっと平気なフリしてたの。先生がいなくなっても」

 なんとなく話が繋がる。あの日、新宿で望月もちづきが見つめていた男の事だ。右目に大きなあざを作って来た日のリクの言葉がよみがえる。

 剥がれ落ちた、眼帯。
 れ上がった目から、こぼれ落ちていた涙。

「……………先生………どうして、居なくなっちゃったの?」

 俺の胸に倒れ込む直前、アイツはそう言った。

 けれど、それと望月もちづきが死のうとしている事がどう繋がるのか、よく分からない。蓮波はすなみの言葉は、抽象的というか断片の寄せ集めみたいで、分かりにくい。俺だって話すのは上手じゃないから、人の事は言えないけれど。

「多分、望月もちづき君は、私と同じだったんだと思う」
「……?」

「――……虐待、されてたと思う。自分は生きてちゃいけないって、思ってたんだと思う」

 ゼンジの脳裏を、先程すれ違ったと呼ばれる男の姿が過っていった。重なるようにして、殺風景過ぎるこの部屋は、皮肉にもリクが生きた証を残さないよう、生活をしていた証になってしまっている事に気づく。
 
 最初から死ぬつもりだったのか。
 
 自分の言動を含む様々な欠片の寄せ集めが、望月もちづきを傷つけ、追い詰めてしまった。ようやくゼンジは理解した。したけれども。そうなったら今度は、悔やまずにはいられなかった。

 好きだなんて、言わなければ良かったのか。

「なあ、蓮波はすなみ。その飯山いいやまって人、心当たりがあるんだけど。顔を見れば分かるか」
「うん」

「……さっきの男がいる間は、戻ってこないと思う。望月もちづき。だったら、飯山いいやまって人んとこへ話聞きに行かないか?」

 あやは無言でうなずくと、ゼンジと共に部屋を後にした。




 ◆




 ザーザー降りの雨の中、無言でオフィスビルの入口を見つめる、半井なからいゼンジと蓮波はすなみあやの姿があった。二人とも無口なので、沈黙は苦にならない。そう言えば、今日の蓮波はすなみは顔を赤らめたり、どもったりしないな……そんな事をゼンジは考えていた。

半井なからい君のタオル」

 突然、あやが口を開く。ゼンジは黙ったまま、彼女の立つ方を見た。

「あれ、望月もちづき君の宝物なんだよ」
「……えっ?」

「私達、ずっと二人きりで生きてきたの。いつか、二人で死ぬつもりで。だけど、半井なからい君と話すようになって変わった。望月もちづき君も、私も」
「――……」

望月もちづき君が死のうとしてるって言ったの、間違いのような気がする。望月もちづき君、本当は生きたいんだと思う。生きたいって、思うようになってしまったんだと思う。半井なからい君がいるから」




 オフィスビルから、若いサラリーマン達が出てくる。一人、長身ちょうしんで髪をくくった男性が出てきた。なんか……この間も見た気がする。

飯山いいやま先生!」

 あやが細い声で叫んで、長身ちょうしんの男性の元に走って行った。

「――……蓮波はすなみさん?」

 飯山いいやまと呼ばれた男性は、酷く驚いた表情であやを見つめていた。は、どことなく俺と似ていた。




「そんな事言われても……俺と桐生きりゅう君について、話す事なんて何もないよ」

 喫茶店でアイスコーヒーにミルクを入れながら、飯山いいやまは困りきった表情で答えた。そりゃ確かに、とゼンジは思う。中学生と成人男性の恋愛なんて、表に出れば犯罪でしかない。リクのあの態度を見ても、肉体関係がなかったという方に無理があった。

 そんな後ろ暗い大人の事情をものともせず、あやが切り込む。

「でも望月もちづき君と、付き合ってましたよね?私、見た事あるんです。体育館の用具室。いつも、あそこで……」
 
「ちょっちょっ!蓮波はすなみさん、声、声抑えて」

 慌てて口に指を当てた飯山いいやまは深い溜め息をつくと、これ以上は誤魔化せないと思ったのか、タバコに火を付けながら答えた。

「確かに付き合ってたよ」
 
飯山いいやまさんは望月もちづきの事を、本当に好きでしたか?」

 タバコの煙を燻らせながら、飯山いいやまが言葉を選んでいる。そう言えば、ずっと何も飲んでいなかった事に気づいたゼンジは、急に喉の乾きを感じて注文したアイスティーに口を付けた。



 トントン、と灰皿に灰を落としながらハルキが答える。そうして、ストローをくわえながら、リクと最後に関係を持った日に思いを馳せていた。




 -----二年前-----




 その日も、二人はいつものように用具室でセックスをしようとしていた。ここ二週間ばかり、ご無沙汰だった。何でもプレゼントをしたいとかで、桐生きりゅうリクの方から珍しくセックスを断っていたのだ。
 
 行為への要求は、エスカレートする一方だった。つい先日はタバコの火を押し付けてくれ、とせがまれたばかりだ。飯山いいやまハルキは、リクとの関係に疲れを感じ始めていた。

 担任にそれとなく聞いても、桐生きりゅうリクの家に虐待の噂や事実はないと返ってくる。

 だったら、なんだってあんなに自分を痛めつけたがるんだ。
 SMを勘違いしているのかとも思ったが、そもそもSMと自分のそれは違う、とリクは言い張って聞かない。

 なんだかなあ……タバコを吸いたい気分で、飯山いいやまは防球ネットにもたれかかった。5分程して、学生服を着たリクが入ってきた。チュッと小鳥がついばむようなキスをしたかと思うと、こらえきれないと言わんばかりに、スーツのズボンを脱がせにかかる。

 結局、性欲に流される俺も俺だ。その様子にたまらなく欲情してしまっている。

桐生きりゅう、口でズボン脱がせて」

 コクンと頷いた、その細い首筋を目で追うだけで、スボンの中身が、はち切れそうなくらいにパンパンになってくるのを感じた。口で器用にベルトを外したかと思うと、ボタンまではなかなか上手く外せないようで苦戦していた。

 こういう時のリクは、本当に愛おしい。歯茎を指先で撫でてやりながら、ボタンを外すのを手伝ってやる。興奮してきたのか、ハァ……と小さいあえぎ声を上げながら、薄い唇でズボンのチャックを噛んだ。

 ズボンの一番盛り上がっている部分に、チャックがつかえて中々下げられない。

「早くして、桐生きりゅう

 そう言って、リクの顔をズボンの膨らみに押し付けると、ビクンッと小さな身体が反応した。カチッカチッと一つずつ、チャックを下げていく。そうして全部下げきらないうちに、収まりきらなくなった飯山いいやまのソレが、リクの頬を勢いよく弾いた。

「先生……好き」

 そう言うと、リクは飯山いいやまのソレを愛おしそうに口へ含んだ。裏側の筋から丁寧に舐めていく。タマを舐められている時に、妙な感覚がする事に飯山いいやまは気づいた。何か……当たってるような気がするんだけど。
 
 リクの舌は、先端のくびれにまで一気に移動して来たかと思うと、その勢いで強く吸った。皮がこすれて、飯山いいやまのソレがグッと硬くなる。

 ズボッ……チュッジュル

 リクの舌が、先端のくびれを愛撫し始めた。右手で残りの部分をしごき、左手では自分の下半身をまさぐっている。舌が這い回る度に、とてつもない快感がみぞおちにせり上がってくるのを、飯山いいやまは感じていた。

 と、同時にやはり妙な感覚がする。
 なんだか、パチンコ玉でも口に含みながら舐められているみたいだ。

「ちょっ……ちょっと桐生きりゅう、タンマ。口に入れてるもん出して。変な感じがする」

 チュポッという音と共に塊から口を離したリクは、飯山いいやまに向かって舌を出しながら微笑んでみせた。
 
 二週間もかけて用意したプレゼント。

 cm

「何やってんだ……お前……」

 飯山いいやまが絶句してリクに尋ねると、問題があることを全く理解できていないような返事が返ってきた。
 
「え、プレゼント。気持ちいいでしょ?来週にはスプリットタンにしてもらうんだ。先生、知ってる?」

 悪びれもせず、むしろ喜んで貰ってるとすら思っている様子のリクは、再び飯山いいやまのモノにむしゃぶりつこうとしていた。飯山いいやまはリクの肩を掴むと、自分のモノから彼を離した。
 
「そういうことじゃなくて!お前まだ中学生だぞ。今の勢いでそんな事したら、後々取り返しがつかなくなったって、絶対に後悔する。分かってんのか?」

「――……どの口でそれ言ってんの?」

 リクの声は、恐ろしく冷静だった。

 飯山いいやまひるんで、用具室によどんだおりのような空気が漂う。自分でも、偽善者丸出しな事を言っている自覚はある。

 けれど、桐生きりゅうは今ここで止めないと。絶対にエスカレートしていく。それはだけはもう、断言してもいい。

「もうこういうのは、二度とするな。取り返しがつかなくなる前に……」

 飯山いいやまが言い終わらないうちに、今にも壊れそうなくらい悲痛な声で、リクが叫んだ。

「今だってもう十分、取り返しなんてついてないよ。先生。俺の事、面倒くさくなってるでしょ?」

 その言葉を飯山いいやまは否定できなかった。

 二人の中にあった何かが、プツンと切れてしまった瞬間だった。

 その後、桐生きりゅうリクは無表情のまま、一言二言言い残して用具室から去っていった。
 翌週には、二人の肉体関係は学校関係者に知れ渡る所となった。




 -----現在-----




 飯山いいやまが「すまない」と言いながら、タバコの煙を吐き出した。鎮痛な面持ちで座っている二人に向かって、言葉を続ける。

「俺は、好きだったよ。けど、普通の恋人にするような事はさせてくれない。痛めつけてくれ。そればっかりになってきてね……俺には、ちょっともう理解が出来なかった。怖くなったんだよ」

「そう言う風に接する事を、望月もちづきは恋愛だと思っていたって事ですか?」

 うーんという顔つきで飯山いいやまが、ゼンジを見た。

「何とも言えないんだよね、それが。彼、最初から破滅願望ありきで近寄ってきたような節があったから……そういや、最後に何か妙な事を口走ってたな」

 あやが、顔を上げて飯山いいやまに訴えた。

「どんな事でも良いから、教えて下さい」

 ゼンジも頭を下げる。困惑した表情の飯山いいやまは頭をかくと、二人に伝えた。

「桐生ね……って言ってたんだよ」




 ◆




 雨は、ますますザーザーとその雨足を強めるばかりで、まるで空が泣いているかのようだった。

 ラッシュが始まる少し前の電車に、間に合って乗り込む。あれから蓮波はすなみあやは、何かを決心したような顔つきで、黙ったまま正面を見据えていた。

 飯山いいやまが最後に言っていた言葉が関係しているのかもしれない。

 半井なからいゼンジは、自分が関わっても無駄な相手と関わってしまったような気がして、気後れしてしまっていた。

 これ以上、深入りして頑張ってみた所で、飯山いいやまと同じ結末になるのではないか。性格はおおよそ似てないが、飯山いいやまと自分はおそらく同じ種類の人間だ。

 雨が電車の窓を叩きつけるように、斜めの雨だれを残してゆく。
 乗車してからどのくらい経っただろうか。あやが、視線を動かさずに話始めた。

望月もちづき君は、やっぱり私と同じだったんだと思う」
 
「――……虐待の事?」

「うん」

 ゼンジは言葉を上手く選べず、彼女の横顔を見ているしかなかった。あやが、少し間を置いて続ける。

「私、ずっと不思議だったの。どうして、望月もちづき君が助けてくれたのか。ようやく分かった。私達、本当に世界で二人ぼっちだったんだと思う」
 
「……二人ぼっち?」

「そう。お互いに、一人ぼっちだったの。だから」

 立川駅に到着して、人が水流のように渦を巻きながら行き交う様子を、ぼんやりとゼンジは眺めていた。電車が再び走り出す。

半井なからい君」

 正面を向いていたあやが、ゼンジを見つめていた。まだ、一度も染めたことのない黒髪。大きな黒目。ゼンジは、あやを初めて美しいと思った。

「私、やらなきゃいけないことがあるの。それをしなくちゃ、先に進めない。私は、望月もちづき君の居場所になりたい」
 
蓮波はすなみは、望月もちづきの事が好きなのか?」

「うん、好きだよ」

 そう言って、あやは初めて笑顔を見せた。大きな黒目が、吹っ切れたように輝く。

「だけど、胸が苦しくなる好きとは違う。そういう好きは、半井なからい君だった」

 二人の空間だけが、まるで時が止まってしまったかのようだった。

 眠る人
 スマホを眺める人
 イヤホンをする人
 くたびれ果てた人

 電車の中にはいる人の数だけ、日常が切り取られて押し込められている。二人にとっては非日常であった今日も、中に紛れてしまえば、取るに足らないちっぽけな日常だ。

半井なからい君は、望月もちづき君の事を好き?」
 
「――……うん。胸が苦しくなる方の好きだけどな。俺なんかじゃ、きっと何も分かってやれない。どうすれば良いのかも、全然分からない」

「……だから、半井なからい君を好きになったんじゃないかな」
「……?」

「――……分かりあえたら、前の私たちみたいに死ぬしかないねって、なるから」

 どちらともなく手を差し出すと、二人はそっと手を繋いだ。俺も、決心をしなくちゃいけない。いや、出来なくてもいい。とにかく前へ、進んでいかないと。
 
 誰かを好きになるっていうのは、苦しくて辛いものだった。それでも、俺は望月もちづきの側にいたい。大事だと伝えたい。

蓮波はすなみ、ありがとう。俺の事、好きになってくれて」
「私も、ありがとう。半井なからい君の事、好きになれて本当に良かった」

 そう言うとあやは、その黒目いっぱいに涙をためながら、最高の笑顔で微笑んだ。ゼンジも、笑顔を返す。

 そうして繋いでいた手を離すと、それぞれの駅で降りていった。
 それぞれの役割を果たすために。

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