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第一章:面影

第五話:インモラル

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 ホテルのエグゼクティブルーム。高層階から望める美しい夜景をよそに、フルチンの男が三人。先程から何が繰り広げられているかと言うと、一人の少年を巡る、みっともない痴話喧嘩だった。

 プランプラン揺れる男達のタマが、哀愁を誘う。
 シュールだなー………
 
 望月もちづきリクは、まるっきり他人事の面持ちで言い争う男たちを眺めていた。
 もちろん彼も当事者なので、当然フルチンなのだが。

 リクはおっさん二人をよそに(どちらも20代だが、リクからすれば立派なおっさんだ)キラキラと輝く美しい夜景を、うんざりとした気持ちで眺めた。
 
 かばんからタバコを取り出し、火をつける。

 半井なからいゼンジとオナニーをして以来、俺の貞操は、まるで糸の切れたたこだ。一応、高校を卒業するまでは大人しくしておこうと思ったのに。

 あれから十日が経つ。

 半井なからいは、露骨に俺を避けるようになった。着替えも更衣室でするようになった。どんなに俺が挑発しても、涼しい顔して無視を決め込んでる。せっかく気持ちよくさせてやったのに。真面目にインポにでもなったんじゃないの。

 最近で言えば、蓮波はすなみあや。アイツもだ。
 
 佐伯さえきとかいうクラスの女とつるむようになって、遠回しに俺を避けている。それはすなわち、を拒絶しているのと同義どうぎだって事。アイツ、分かっていてやってんだろ。
 
 ベッドに投げ出されたゼンジのタオルに目をやると、リクは自嘲的にタバコをふかした。

 まあ、蓮波はすなみに酷い事をしたのは、俺なんだけど。

 けれど、アイツは本心では分かってる筈だ。
 俺たちは、二人じゃなきゃ生きていけない。

 なのに……あんな女と。
 何もかもが、面白くなかった。

 だから今日は思いっきり、滅茶苦茶にしてもらおうって準備してきたのに。さっきから、お尻がヅクヅクとうずいて仕方ない。

 薄い煙を口から吐き出し、後どのくらいでこの修羅場は終わるんだろうか……とリクは考えていた。




 -----遡《さかのぼ》る事、一時間前-----




 リクは、男と交尾の真っ最中だった。肩に、大きなトライバルのタトゥが入っている、20代後半の男。でっぷりとした腹と、バサバサのブリーチヘア。工事現場の仕事をしているかのような、日焼け。刑務所で覚えた男の味が、忘れられないと言っていた。

 そんな話は、どうでもいい。

 挨拶もそこそこに、男の汗臭いモノにむしゃぶりつくと、するすると自分も服を脱いだ。勃起した乳首を自分でいじくくりながら、上目遣いで誘う。あっという間に男の塊が、俺の口の中でパンパンにふくれ上がった。

「ヘッ、メスが」

 男は欲情した顔を剥き出しにしていた。暴力的で下卑た笑みを浮かべている。
 汚らしいツラだな、と思う。が、行きずりの相手は、汚ければ汚いほど興奮した。

 いつだって自分を俯瞰ふかんというか、他人事のように見てしまう癖が、リクにはあった。ぼうっと行為をながめている、もう一人の自分がいる。
 
 なんていう哲学的な話でもない。
 
 単純に汚い男に犯される美少年というシチュエーションが、好みなのだ。

 ベットに横たわったリクが長い足を広げて、硬くなった自分のモノに手をやってみせる。男からは、尻にある入口が丸見えだ。

「一丁前に挑発してんのか」

「……ダメ?」

「ガキの言う事なんか、いちいち聞くわけねえだろ」

 男は言い終わらないウチに、リクの髪の毛を乱暴につかむと、喉の最奥さいおくにまで自分の怒張したモノを突っ込んできた。硬い肉の塊が、執拗にリクの口腔を犯していく。

 ウゲッっとえづく度に脳を電流のようなものが走って、ただれたれた酩酊めいていを誘う。

 こりゃ久しぶりのヒットだな。

 夢中になってフェラをしていると、今度はバイブをリクの小さな尻に突っ込んで来た。

 裂けるような痛みで、目がチカチカする。痛みは直ぐに、熱を帯びた快感へと変わっていった。

「ヒッ」

 涙、よだれ、鼻水。
 
 粘膜という粘膜から、液体があふれ出てくる。ぐちゃぐちゃになって、身悶みもだえするリクの口の中に、男は容赦ようしゃなく臭い液体をぶちまけた。

 グハッっと吐き出した液体を、顔を塗りたくられる。男の体液によだれ胃液いえきが混ざって、最早何だかよく分からなくなったシロモノ。

「ハァ……いいね。ようやく見られるツラになったじゃねえか」

 恍惚こうこつとした表情を浮かべて、リクはうなずいた。
 うん、最高。
 一生、こうしてたい。ずっ――とずっと気持ちいいまま。このまんま、死んじゃいたいくらいだ。

「お前、3P好きだろ」

 男に言われ、リクは顔についたモノを指ですくってめながら、目を輝かせた。

「え、誰か呼んだの?」
「呼んだ。シャワー浴びてこい。ケツのコレは抜くなよ」

 バイブをグッと押し込まれ、ブルッと身体が震える。パンパンの下半身がうっかり射精してしまわぬよう、慎重にシャワーを浴びた。洗面所で身体を拭いていると、男が入ってきた。

「おい、ちょっとそこに立て」

 姿見すがたみの前に立たせられる。肩をつかまれ、横向きにされた。薄い色素をした、リクの細く小さな身体が映る。柔らかい陰毛からは形の良いリクの男性器が、へそに向かってそそり立っていた。

 鏡を凝視すればするほど、先端からぬるりとした透明の汁が垂れてきて、呼吸が荒くなってくる。

 男のだらしない腹が写り込んできた。

「絶対にイクなよ」

 男はリクのぷっくりと勃起した乳首を背後から、乱暴に愛撫し始めた。

「アッ…………ンゥウッ…」

 日に焼けた太い指が、ザラザラと乳首を擦ってゆく。鏡に目をやると飲み込んだままのバイブが、ヒクヒクと動いていた。男の怒張どちょうしきった塊が、鏡に写り込んでは消えていく。たまらずイきそうになって身体を震わせると、男が乳首から手を離した。

「誰がイッて良いって言った」

 ハァハァ
 ハァアア…………

 言葉が出ない。熱い吐息だけが、リクの口からこぼれ落ちた。小刻みに身体を震わせていると、男が洗面台に置いてあってネクタイでリクの両手を縛った。

「手首のあと
「…………?」

「お前、変態だろ」

 悦びで身体が更に震えて、先端から垂れる汁が止まってくれない。男はリクを抱えあげると、ベットに放り投げた。

 あ、そうだ。
 こんな日のために、アレを蓮波はすなみから取り上げたんじゃないか。

「ねえ…………ハァ…おねだり、していい?」
「なに」
 
「あそこにあるタオル、口につっこんで」

 四つん這いの姿勢のまま、ソファーに置いてあったタオルに目をやった。男が舌打ちをしながら、取りに行く。

「血まみれじゃねえか、なんだこのタオル」

 半井なからいのタオルで猿轡さるぐつわをしてもらう。
 で…………

 瞬間、バイブを抜かれ、リクは果ててしまった。
 パタパタと白い液体が、ほとばしる。息する間もなく、今度は男の塊が入ってきた。

「んーーー!!!」
「お前、いいな。女より、よっぽどいい」

 白い身体が魚のようにねて、顔からベッドに沈んだ。男が腰を動かそうとした、その時「ピンポン」とルームチャイムが鳴った。

 もう一人の相手が到着したようだった。

「もう、やってんのかよ。たまんねえな」

 既に興奮しきっている若い男の声。
 ……何処かで聞いた事があるような。

「このガキやばいぜ。ド変態だわ」

 男が雑に腰を動かしながら、到着したもう一人と話している。バチンッ!と尻を叩かれる度に脳天がショートして、目の奥がチカチカとまたたいた。

「ウグッ!グッ」

 自分から発せられるけもののようなあえぎぎ声を聞いているだけで、またイッてしまいそうだった。思わず尻に力が入ってしまう。

「締め付けてくんなよ、メスが」
 
 バチンッ!

「んっ!!」

 早く来て。もっと痛めつけてよ。
 足りない。全然足りない。もっと、ぐっちゃぐちゃになりたい。

「おい、ちょっと」

 なんだよ……入るなら、早くはいっ……

「カイ、お前カイだろ!」

 半井なからいのタオルが、口から外れる。うるっさいなーとひじをついて振り返ったリクは、もう一人の姿を見て「ゲッ!!」っとなった。

 客人は、長野ながのセツナ。ほんの少しの間だけ、体の付き合いがあった男だった。

 ただのヤるだけの間柄だってのに、本気で自分のイロにしようとした、バカ……いやチンピラだ。端正な顔立ちをしていて、ホストをやりながら、ヤクザの事務所にも出入りをしていた。

 組の男どもに掘られ、俺を掘り、金の為に女を抱く。そう言ういい加減さを、リクは気に入っていた。
 
 しかし下半身のいい加減さとは裏腹うらはらに、セツナは嫉妬深く独占欲も強かった。

 ばっかじゃないの。
 住む世界が違うんだから、俺が本気でお前の事なんて好きになる訳ないじゃない。

 あっという間にめたリクは、セツナの目の前で客の女とやった。ホストとして金の為に抱いている女と、SEXをしてみせたのである。

 みっともなく泣きわめくセツナを見て、ざまあみろと思った。それ以来、会ってない。つくづく本名なんか教えなくて良かったと、あの時は心底思ったっけ。

 あれから新宿を離れたって聞いてたけど、また戻ってきてたのか……

「おい、そいつから離れろよ!」

 セツナの鬱陶しい叫び声がして、リクは終わった。と思った。




 -----そして今に戻る-----




 すっかりイチモツのえた二人が、別の意味でヒートアップしてる。萎えてるのは、俺もだ。タバコなら、吸い終わってしまった。

「こいつが俺のイロだったって、知ってて呼んだろ!」

「知るわけねえだろ、こんなクソガキ」

「あ?誰に向かって口聞いてんだテメエ」

 飽きた。勘弁して欲しい。帰りたい。

「あのー、そろそろ終電なんだけど。俺、帰っても良いよね」

 リクがとっておきの笑顔で口にすると、二人が一斉に振り向いた。

!!!」

 ガンッ!!
 目の辺りに強い衝撃を受けて火花が散り、世界が暗転あんてんした。




 ◆




 望月もちづきリクを避けるようになって、十日が経つ。相変わらず、雨は続いた。ジトジトとした空の下、アイツの顔を傘越しに確認するだけの日々。

 望月もちづきが、俺を見ている事は知っていた。けれど、見つめ返す事が出来ない。二人でしてしまった事よりも、自慰行為でリクの素顔をけがしてしまった事に、半井なからいゼンジは強い罪悪感を抱いていた。

 人目もはばからず、涙を流していた望月もちづきの横顔は美しかった。
 夕日に照らされた涙はキラキラと輝いていて、あまりにもはかなかった。
 
 それを、俺は。あんなもので汚してしまって。

 思い出す度に、胸が詰まるような息苦しさを覚える。
 ゼンジは、傘の柄をギュッと握りしめていた。

 男だらけの欲望にまみれた更衣室。そこでリクは、露骨な挑発をするようになっていた。彼には、自分が欲情よくじょうを誘う存在である事への自覚がある。

 自慰のオカズしてくれとでも言わんばかりの振る舞いに、ゼンジはひりつくような怒りを覚えていた。けれどもやめろと言って、挑発を繰り返すリクを止める権利などゼンジにはない。恋人でも何でもない。ただ一度、一緒に擦りあっただけの仲。それだけだ。
 
 だからと言って、また元の踊り場で着替える勇気もなかった。

 今度また望月もちづきに誘われたら…………俺は、きっとおさえる事が出来ない。自分の中にある、決壊けっかいしてしまうだろう。そして、そうなったらそれきり。もう二度と、元には戻れない。

 校門をくぐり抜け、玄関へと向かう。
 水溜みずたまりを避けながら、陰鬱いんうつな気持ちで歩いた。

 今日も望月もちづきは、空虚くうきょ眼差まなざしで外を眺めているんだろうか。傘を傾けて確認をする。

「…………いない」

 いつもの眼差しが、そこになかった。




「よーっす。おはよ」
「おう。なあ、望月もちづきは?」

 聞かずにはいられなかった。

「へ?知らね。風邪でも引いたんじゃねえの」

 アラタはゼンジの口から出てきた、という言葉に唐突感を隠せず、間の抜けた返事しか出来なかった。ゼンジって望月もちづきと話した事あったっけ?

 HRが始まってクラス全員が着席してからも、リクは姿を表さなかった。

 眼帯で隠しても分かるほどの、大きなアザを作ったリクが教室に姿を現したのは、三限目の途中だった。

 全視線がリクに集中して、教室がにわかにザワつき始める。
 黒板の方を向いていた老教師まで、ギョッとした面持おももちで固まってしまっていた。

 リクは見てんじゃねえよ、と言わんばかりの顔で教室中をにらみつけいた。
 そうして凍りついたクラスを尻目に席へ着くと、頬杖をついて外を眺めだした。

 授業が終わってすぐに、担任が呼びに来た。
 クラス中が、リクの話題で持ち切りだった。

「何アレ?ケンカ?」
「彼女と修羅場とか?でも望月もちづき君って、彼女いたっけ?」
「男かもしんねえよー」
「えー、ヤダ!ウッソー!」

 ゼンジは居ても立っても居られなくなって、職員室へと向かった。

 蓮波はすなみあやが、職員室の入口に立っていた。心配を隠そうともせず、職員室の中を真剣な眼差しでのぞきこんでいる。
 
 そして、側までやってきたゼンジに気づくと「あ」と小さな声を出し、そのままうつむいてしまった。顔が、耳まで真っ赤になっている。

 蓮波はすなみって望月もちづきと知り合いだったのか、とゼンジは意外な気持ちでいた。
 
 すぐさま、蓮波はすなみってこんなんだったか?という疑問が頭をもたげた。
 上手く言えないけど、みすぼらしさみたいなものが消えた。

 二人で中を覗き込むと、担任に向かってしきりに首を横に振るリクの姿が見えた。これ以上は話しても無駄だと思ったのか、担任が肩を叩きながら何やら言っている。形ばかりの礼をしたリクが、ムカついた表情を隠そうともせずに職員室から出てきた。

望月もちづき君、大丈夫……」
「何しにきたの」

 近寄るあやにそっけなく言ったリクは、彼女の身体を手で押しやった。
 、というのが丸わかりだ。

 しかし足元はフラフラで、満足に歩くことすら出来ていない。
 
「どいてよ……」
 
 そう言いかけたリクは、力なくゼンジの腕に倒れ込んでしまった。触れた身体が、酷く熱い。

「玄関までいけるか?かばん、持ってくるから」

 それだけ言うと、ゼンジは走って教室へ行ってしまった。
 
 玄関?なんだアイツ。何しに来たんだ。
 リクには、自分が気を失いかけた自覚がなかった。

 そのままフラフラとした足取りで、教室へ戻ろうとする。今度はあやが引き止めるようにして、手を引っ張ってきた。

「保健室、いこ……」

 急にリクはイラッと来て、あやを引っ叩きたい気分になった。
 
 元はと言えば、蓮波はすなみ半井なからい。お前ら二人のせいで、こんな事になったんだぞ!それを今更。玄関行けだの、保健室行けだの。うるっさいんだよ!

「本当に大丈夫だから。どけって」
「…………でも」

「どけって言ってるだろ!」

 リクの怒号に廊下を行き交う生徒たちの視線が、にわかに集まる。何?……というざわめきが、音を立て始めた。

 頭が痛い。ガンガンする。
 
「俺に触るな」
 
 ビックリして手を離したあやにそれだけ言うと、リクは階段に向かってヨタヨタと歩き始めた。
 
 その時だった。かばんを持ったゼンジが戻ってきたのは。

「歩けるか。家まで送るわ」

 そう言いながら、リクの手を掴む。
 
 散々シカトしてたくせして。こんな時だけ、俺に触るなよ。本当は、そう言いたかった。けれども、声を出す力がない。口をパクパクとするばかりで、呼吸が上手く出来ない。
 
 抵抗をする気力を失ったリクはうなだれると、ゼンジに手を引かれるまま校舎を後にした。

 あやは立ち尽くしたまま、その様子をただジッと見ていた。




 ◆




 さっきから、半井なからいがずっと手を離してくれない。そう言えば、人からこんな風に手をつないでもらうのって初めてだな。望月もちづきリクは半井なからいゼンジの背中を見ながら、ぼんやりとした頭で考えていた。

 結局、タトゥ男の一撃いちげきをマトモに食らってしまった俺は、しばし気を失ってしまった。その間に二人が殴り合いの喧嘩を始めたので、意識が戻って早々にホテルから逃げ出した。

「病院、行ったのか。それ」
「…………行ってない」

 そんな事を気にしてるのか。
 リクは不思議そうな面持ちで、ゼンジを見つめた。

「まだ間に合うから、行くぞ」

 そう言うとゼンジは、手を握ったままスタスタと歩き始めた。もしかしたら制服のシャツ越しに、あの傷痕きずあとが見えるかもしれない。リクは無言で後をついていった。

 次第に雨が本降りになってきて、ザーッと言う音だけが、二人の間を心地よく流れた。




 駅の傍にある眼科で診てもらった。目は特に異常なし。打撲だぼくの影響で、39℃の熱が出ていた。解熱剤げねつざいを処方してもらい、病院を出る。

「良かったな。失明してなくて」

 ゼンジから言葉をかけられたリクは、意味を理解できていないようなキョトンとした表情で見つめ返していた。

 俺は、自分の事に無頓智むとんちゃくだと思う。痛かったって言うのもあったけど、熱がある事さえ自覚がなかった。ましてや、失明してるかもなんて。頭をかすりもしなかった。で、それをなんで半井なからいが喜んでるんだ?俺の事だろ。お前の事じゃないのに。

「家、どっち」
「ああ……突き当たりを左」

 途中、ゼンジがコンビニに立ち寄って、ポカリやゼリー等を買っていた。俺はこういう事が、全然分からないんだよな…………とリクは思っていた。風邪を引いても、どうするのが正解なのか分からない。

 突然、胸がキュウッとするような感覚におそわれたリクは、困惑していた。
 あれ、なんだろう。この感じ。どうして半井なからいの顔をちゃんと見られないんだ、俺は。

 生暖なまあたたかく湿った感情がこみ上げてくる。それを打ち消したくて、どうでも良い質問をしたつもりだった。
 
半井なからいって、こういうの慣れてるんだね。長男?」
 
 コンビニ袋をぶら下げたままのゼンジは立ち止まると、簡潔に答えた。

「歳の離れた弟と妹がいる」 

 リクの表情が、サッとくもった。しかし、その事に気づく者はどこにもいなかった。ゼンジは背中を向けたままだ。

「ふうん、お兄ちゃんなんだ」
「え?」

「いや、なんでもない」

 自分から聞いたくせして、何傷ついてるんだよ。
 長男だから、看病かんびょうみたいな事には慣れてる。それだけの話じゃないか。




 住宅地の一番奥に、リクの家はあった。
 立派な門構えのそれは、明らかに名家のものだ。ゼンジは気後れしてしまって、門をくぐれないでいた。けれども、よく見ると表札が望月もちづきではない。

「ここ、親戚の家だから」
 
 聞き覚えのある、酷く覚めた声でリクがそっけなく答えた。
 
 そのままスタスタと門をくぐると、敷地の中に入って行ってしまった。今度はゼンジが後ろをくっついて歩く番だった。水溜たまりなどまるで目に入らないような、リクの足取り。足元は泥で汚れてしまっていた。

 母屋おもやと中庭を抜けた所に、こじんまりとした離れがあった。広さにして、1DKくらいだろうか。

「これが、俺の家」

 それだけ言うと、リクは扉を開けた。
 鍵は、最初からかけていないようだった。

「家族の人にこれ、渡してくれるか?」

 ゼンジがコンビニ袋を渡す。

「家族はいない」

 まるで機械人形のような口調のリクは言いながら袋を受け取ると、中に入り扉を閉めてしまった。扉の前に取り残されてしまったゼンジは、離れに入る事も出来ずに人気のない母屋を遠巻きに見ていた。

 何かしら、家庭の事情があるんだろうけれども。一応は、親戚か誰かの敷地である事には間違いないだろう。だとしたら。望月もちづきの様子も、誰かが見に来るのではないか。

「心配をしている」と、ゼンジはリクに伝える事が出来なかった。嫌がっていたのを、無理やり連れ出したのは俺だ。病院だって、余計なお世話だったのかもしれない。

 

 もう帰ろう。
 諦めてきびすを返した、その時
 
 ドタン!
 
 と言う音がリクの家から聞こえてきた。

 靴を脱ぎ、部屋に入る。ダイニングを抜けて、寝室を見た。
 いない。
 
 間取りは想像した通りで、望月もちづきは本当に一人で暮らしているんだ。と、ゼンジは思っていた。一通り家具は揃っているものの、何というか。人の住んでいる気配というものが、まるでない。

 洗面所の方から、ジャーッと水の流れる音が聞こえてきた。

望月もちづき?」

 扉を開けると、シャワーを出しっぱなしにしたままのリクが床に座り込んでいた。脱衣所だついじょが水浸しになっている。

 滑って転んだのか。家の人を呼んできた方が良いのだろうか。

 けれど、あの殺風景な部屋は。
 人の出入りがあるようには、到底見えない。

「大丈夫か」

 思わずしゃがんで手を差し伸べようとした時、リクがブツブツと独り言を言ってる事に気づいた。首の後ろをさり気なく触る。火がついたように、熱い。

「寝室に行こう。立てるか?」
「…………して…」
 
「………望月もちづき?」

「どうして、!」

 叫びながら振り返ったリクが、ゼンジの唇を奪った。
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