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第二話
しおりを挟む日の落ち切らないうちに、私たちは家を出た。日々のほとんどを屋根の下で過ごす身に、西日の赤が突き刺さるようだった。
行こうかと軽く声をかけ、私は街に向かって歩き出した。整備されていない道を踏みしめる足音が二人分。綻びのない、一定のリズムが私の後ろをついてきていた。
「この街も随分立派になったよ。君と私が冒険者だった頃は、満足に魔物避けもされていない粗末な場所だったね。今では麻縄を巻いた杭を立てて、魔物避けを張っているんだ。最も、街の中央部だけだが」
こんなに大きい杭さ、と私は記憶に残る杭の太さと高さを身振りで示した。私にとっては腰の高さであったが、セライにとっては腿の高さだ。張られた麻縄など一跨ぎで超えてしまえるだろう。もとよりこの境界は人を阻むために作られたものではない。
我が家は街の外れも外れに発っていて、件の麻縄が見えるまでに十数分ほどを要した。その間彼は一言も発さず、私の数歩後ろを歩いていた。幽鬼のように静かで胡乱な歩き方であった。セライはこんな歩き方をしていただろうか。記憶の中のセライが緩やかに頭を振っている。
私は二歩後ろを歩む彼の顔を窺い見た。すっぽりと外套を纏っているせいで口元しか見えない。ぎゅっと真一文字に引かれた唇は、今の私のとっては確かにセライのものだった。
「……この縄の先が中心街だ。正規の入口ではないが、ここから入っても構わないだろうよ」
私は手本を示すような気分でひょいと麻縄の下を潜った。セライであれば、わざわざ屈まずとも一跨ぎすれば通れるだろう。
だけど彼は杭の境界を前にして一歩たりとも動かなかった。振り返った私と彼とが、麻縄を境に正面から向き合う。彼の表情は見えなかった。ただ、困っているということは何となく感じ取れた。わかって当然だ、長らく苦楽を共にした、私とセライの仲なのだから。
「お行儀良くする必要はないさ。ここには私と君しかいない」
私は杭の一つを思い切り蹴飛ばした。深々と地面に突き刺さっていた杭は中ごろから呆気なく折れ、結ばれた麻縄を引き連れて地面に転がった。
前線から離れて随分経っていたが、これくらいのことは私にもできるのだ。セライと一緒にいると思うと、あの頃の一番楽しかった自分に戻ったような気分でいられる。
「もう一本必要かい」
右横に立つ杭に足をかけながら言うと、彼はゆっくりと首を横に振った。そうして、無惨に地面を這う麻縄をあっさりと跨いで中心街へ、私の側へと足を踏み入れた。
「イルガンダの親父を覚えてる? 冒険者を辞めたら小料理屋をやるんだと息巻いてた男だ。とうとう夢を叶えてさ、今では結構繁盛してるそうでね。……私も初めて訪ねるんだ」
私は先頭を歩きながら、今から向かう店についてを話した。彼はうんともすんとも言わないが、ついてきているのであれば返事の有無などどうでも良かった。
道ゆく人々から私たちをそっと窺うような視線を感じる。私が街を訪ねるのは数ヶ月ぶりのことだったし、ボロ衣じみた外套を頭から被ったものを引き連れていては、衆目を集めるのもさもありなんといったところだ。
気分がいいものではない。私は歩く速度を早めた。背後を歩くセライの姿を、早く人の目から隠してやりたかった。
目的の店は『龍の友愛』という名を冠していた。存在しないものの例えだ。無骨なイルガンダにしては洒落た名前をつけただろうと茶化して見せたが、彼の口元はぴくりともしなかった。随分堅物になったものだ。
店内はそこそこの人間がいた。繁盛しているというのも嘘ではないようだ。暖色を基調とした壁の一面に、狼の牙だの鳥の羽だのといった戦利品がこれでもかとばかりに飾られている。これらは全てイルガンダ自身が狩りとったものだと私は知っていた。彼は優れた冒険者だった。もちろん、セライと私の次に、である。
「いらっしゃい! 空いている席に、」
開かれた厨房から響いた太い男の声は、不自然な場所で途切れた。声の方を見ると、記憶よりも白髪の増えたイルガンダが、驚きに目を見開いてこちらを見ていた。
声を張る勇気は私にはないので、代わりに左手を軽く振ると、イルガンダはどうしてか困ったような表情をして親指で店の奥を指し示した。……その先には階段がある。上へ行けということらしい。
ごちゃごちゃとした店内を抜け、二階に上がった先には三つの扉があった。うちの二つの扉は閉まっているが、一番階段に近い扉だけ開いている。中を覗くと、あまり大きくないテーブルが一つと椅子が二脚並んでいた。狭い部屋だ。ここなら落ち着いて食事ができるだろう。
客である彼を奥に座らせるべきだったのかもしれないが、この廊下に私たちが入れ違えるほどのスペースはなかった。私が奥の席に座ると、彼は外套も脱がずに対面の席に座った。
「それ、脱がないのかい。良かったらこちらに置こうか」
セライの首が静かに横に振られる。ならそれでいいと、私は伸ばしていた手を下げた。飲食店には似つかわしくない格好だが、ここには他者の目はないし、あったとしても彼の意向を妨げる理由にはならない。
テーブルの上に置かれていた手書きのメニュー表を見ていると、扉が三回ノックされ、どうぞと声を上げる前に開かれた。珍しい彫像を見るような顔をしたイルガンダが立っていた。
彼が何かを発する前に、それを遮るために私は声を上げた。
「やあ。三年ぶりだね。盛況で何より」
「ああ、三年ぶりだな、シアトラ。その間何してた。どうして今になってウチに来た」
「何もしてないよ。富も名声も十分過ぎるほど得たんだ、自由に暮らしてたっていいだろう。今日ここに来たのは彼をもてなすためさ」
手のひらを向けて客人を示すと、イルガンダはいよいよもって奇妙なものを見るような顔をした。罷り間違っても店主の立場でしていい顔じゃないな。彼がイルガンダに背を向ける位置に座っていて良かったと思う。
外套を着たままの男の背を、イルガンダは訝しげに眺めた。その間彼は微動だにせず、じっとテーブルの上のメニュー表に目をやっていた。読んでいるのかは怪しいものだったが。
「シアトラに客、ねぇ。……なぁ、あんたまさか、俺の勘違いでなけりゃあ、」
イルガンダは目の前に座る男の背に声をかけた。彼が答えるとは思わなかったので、だから代わりに私が答えようとしたんだ。彼は私の相棒にして、親友のセライだと。
だけどそれは叶わなかった。セライの口元が音もなく動いた。
言うな。
私は浮かべそうになった笑みを必死になって押し留めた。彼の意思が垣間見えたことが嬉しかった。言うなと言うなら言わないさ。セライの意向を妨げるものなんて、この世にただの一つもありやしない。
「私の客に詮索はよしてくれ」
「あ、あぁ、悪かった」
セライの名を紡ぐ代わりにそう答えると、イルガンダはあっさりと引き下がってくれた。イルガンダのさっぱりとした性格は、今も昔も好ましい。
「ここのおすすめは何かな」
「今日出せるやつだと、石鶏の胡椒煮。それから亜竜の肝のパイ包みだな」
「じゃあそれを一つずつ。それから葡萄酒、赤いものを。どうもありがとう」
礼を言って無理矢理会話を区切ると、イルガンダは物言いたげな様子を隠そうともせず、しかし何も言わずに部屋を出て行った。
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