ある冒険者の贖罪について

中島とととき

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第一話

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 かつて私は冒険者であった。
 剣を手に取り魔物を倒し、暗きに分け入り道を拓く。称賛、羨望、嫉妬、憧憬。なんだって私のものだった。いや、私達のものだった。

 扉の軋む音なんて普段は気にもしないのに、今日のそれはやたらと耳についた。理由は明白だ。私以外の人間がその扉をくぐるのは久方ぶりのことだったのだ。
 橙色の光がゆっくりと部屋を照らしてゆく。舞い散る埃は私の怠惰の証であるが、そんなものでも陽光の元では輝くらしい。

 扉の先には男が一人。夕日を背負うその姿を、私が見間違うはずがなかった。何度だって夢に見ては、再開を祈り続けてきたのだ。遠慮なく室内に踏み入る無遠慮な姿も、僅かに頭を下げながら扉をくぐる姿も変わらない。

 彼の名前はセライ。
 かつて私が殺したはずの、たった一人の親友の姿がそこにはあった。


■ □ ■


 訪ねてくるのなら前もって文でも寄越してくれればいいものを。

 扉の前にある、いるはずのない親友の影に向かって私はまずそんな言葉を口にした。そして、そうすればもっと綺麗な部屋に通すこともできたんだが、と嘯いた。何通手紙を受け取っていようと、私が部屋を片付けることはなかっただろう。

 もっと情熱的で感動的な台詞を吐いておけば良かったと今更ながらに思っているが、それを当時の私に願うのはあまりに酷な話であった。あの時の私ときたら、三年と二月ぶりに見える彼の姿に感極まっていたのだ。我を失っていた、と言い換えてもいい。

 私は部屋の最奥に位置している揺り椅子から立ち上がることなくセライの姿を眺めた。狭い我が家ではそれで十分、何もかもが見渡せる。

 唐突な客人は全身をすっぽりと覆い隠せるほどに長いボロ衣を纏っていた。たわんだ深い紺色の布が彼の足元に群がっている。長い間地面を擦ってきたのだろう、糸はほつれ、裾の付近などは元の色が曖昧になるほどに白く汚れていた。あの白土は東の街区に特有の……などと言えれば彼の足取りも辿れたのかもしれないが、あいにく私は隣の通りの土の色すら知らない人間だ。

 率直に言って、彼の姿は薄汚れてみすぼらしいものだった。それでも、彼がすぐさま私のもとまで歩み寄ってくれるというのなら、私は諸手を上げて歓迎したことだろう。彼の纏う布切れがいくら私の部屋を汚そうとも、今の私から失われるものなんてただの一つもないのだ。

 だが、彼は私に近寄ることはなく、再開の喜びも告げず、ただただそこに立っていた。

 セライは優しい人間だったから、もし自らの纏う衣が汚れていたならば、部屋を汚すまいと内に入るのに躊躇もするだろう。そうでなければ私と彼はとっくに再開の握手を交わしていただろうし、両の腕で抱きしめ合ってお互いの無事を祝いあっていたはずだ。それが可能であるならば。

 彼は一向に動かなかった。だから私は彼に助け舟を出した。ああ、どうも彼は困っていたようだったから。自分が何をすべきか、霧中に取り落としてきたかのような有り様だったのだ。

「なぁセライ、君さえ良ければその布を取ってくれないか。床を擦っていては、せっかくの外套がほこりまみれになってしまうよ。この部屋の掃除をしてくれるというのなら、それはもちろん構わないが」

 彼は私の言葉を、やたら丁寧に聞いてくれた。それはもう、一向に動き出さなかったものだから、耳を失ってしまったのではないかと不安になるほどに丁寧に。
 ややあって、緩慢な動作で引き剥がされた衣の下から出てきたのは、まるであの日からそのまま抜け出してきたかのようなセライの姿であった。
 
 このときの私は心の底から安堵していた。艶のない跳ねた黒髪も、深緑を写し込んだかのような目も、人類の持つ優しさを煮詰めたような精悍な顔つきも。彼の持つ何もかもが親友のそれに似ていた。

「頼みがあるんだ」

 彼はまるで生まれて初めて声を出したかのような調子でそう言った。どんなことでも、と私は返した。それきり私達の会話は途切れた。
 続きを催促するつもりはなかった。頼み事の内容も、その有無ですら私にはどうでもいいことだったから。
 せっかくあの日のセライが目の前にいるのに、無言で見つめ合う時間は無駄だと思った。だから私は彼の二の句を待つことなく、別の話題を切り出した。

「見ての通り、この家は紙ばかりが溢れていて、食べるものも娯楽もないんだ。君さえ良ければ今から街に出ないか。人目が気になるなら、適当な宿屋でもとってそこに食事を運ばせよう」

 彼の同意を待つことなく、私は揺り椅子から立った。長らく部屋を出ていなかったから、私はまず自分の外套を部屋の中から探し出す必要があったのだ。
 幸い私はそれをすぐに見つけることができた。その間も彼は無言であったが、一度脱いだボロ衣を再び体に巻き付けていたので、街へ出る気はあったのだろう。

「待たせたね。さあ行こう」

 私は左手で彼の肩を叩き、外に出るよう促した。空いた扉の先はすっかり暗くなっていて、水平線にかろうじて引っかかっている太陽は空の端だけを照らしていた。

「…………ごめんな」

 家を出る際、彼は月明かりにも負けてしまいそうなほどに小さな声でそんなことを言った。
 彼がどうして謝ったのか、実を言うと、今でも全く心当たりがないんだ。

 だけどその言葉も、声も、調子だって。かつて私が彼を殺したときに聞いたものと全く同じで、私はその懐かしさにたまらない気持ちになった。だから私は、あの時かけられなかった言葉を口にしようと思えたのだ。

「どうか謝らないで。だって私は、君といた日々が本当に幸せだったんだ」

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