龍の呪いの殺し方

中島とととき

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第三章

第十七話 告解

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 日の高いうちに、とステラは早々に話を切り上げ作業に入った。
 やらなければいけないことは、魔物除けの紋章魔術の修復と転移結晶の設置だ。
 三人はまず結晶の設置に都合の良い廃墟を見つけるところから始めた。転移結晶の設置の方が、圧倒的に優先順位が高いためである。

 転移結晶は置けば使えるというものではない。起動には大きく分けて三つの紋章魔術が必要だ。転移の安定化、周囲の魔力吸収、そして魔物除け。
 これらの紋章魔術の設置には、十分な技量と時間を要する。早めに着手するに越したことはない。

 荒れたシジエノの中を歩き回った三人は、やがて手ごろな建物を見つけた。石でできた二階建ての建物であった。何が起きたのか、二階部分の大半は失われている。だが転移結晶を設置する分には問題にならないだろう。一階なら壁も床も天井もあるのだ。

 ヨシュアとステラの二人で内装を片っ端から放り出すと、薄汚れた広い床が現れた。後はここに三つの紋章魔術を描いて、転移結晶を設置するだけである。ヨシュアの仕事はここでお終いだ。

「では、ヨシュアは適当なところで休んでいてくださいね」
「……その、見ているのも」
「駄目です。休んでください。というか、いられると集中できません」

 きっぱりステラに言い切られ、ヨシュアは大人しくどこかに行った。とぼとぼと去る後ろ姿のなんと哀愁ただようものだろう。

 さて、リリエリは紋章魔術に対する知識を持っていない。使用はできるが、それだけだ。魔法を文字や記号として解釈し構築される紋章魔術は、大系だった教育から身に着けるのが常である。隙あらば壁外に出ていたリリエリとは対照的な、大きな一つの学問分野なのだ。

 当然リリエリは転移結晶の設置なんかやったことはない。というか転移結晶の設置って都市単位の事業であり、通常個人でやるものではない。だが流石聖祭司と言うべきか、ステラはその技術を有しているようだった。

「といっても、資料を見る必要はありますけどね」

 持ち込んだらしい数冊の書物を広げながら、ステラは床に点々と印をつけていく。そんな彼女を横目に、リリエリは塗料の準備を進めることにした。
 染料を砕いて膠液と混ぜ合わせる作業、と言うと簡単に聞こえるが――事実リリエリにとっては簡単な作業であるが。一挙手一等足が強張る。ステラが持ち込んでいた染料には、うっかり溢したらリリエリの一月分の食費が吹っ飛んでいくような高級品も混じっているのだ。

「蛍青石に、ミハシラゴケ……!?」
「どうぞ気負わず。予備はありますから」

 そんなこと言われても難しい。リリエリは目の前で贅沢に磨り潰されていく憧れの鉱石に、時折唸りを上げつつ作業した。不審人物のそれであった。四つ目の鉱石に着手した頃には、流石に慣れが勝っていたが。

 計五つの顔料を作った後は、ステラの指示に従いながら下書きの上をなぞることになった。これも本来リリエリのようなド素人がやるべき作業ではないが、それほどまでに手数が足りていないのだ。

「ヨシュアはこういう細かい作業は苦手ですからね」

 いても余計なことをするだけですなんて悪びれたことをステラは言うが、どちらかというとヨシュアに十分な休息をとってもらいたいがためなのだろう。それはそれとして、ヨシュアが比較的不器用な質であることにも全く異論はないが。

「レダはレダで面倒くさがりで、大抵のことを自分で解決しようとするんです。そっちの方が早いからって。まぁ、事実早いんですけど、あまりに属人的すぎて」

 紋章魔術を描きながら、ステラはいくつかのことをリリエリに話した。レダ、ヨシュアと三人で組んでいたときのこと。紋章魔術や転移結晶の知識。西方の都市の復興状況と観光地について。
 ゆっくりと、しかし途切れなく語り続けるステラは、それでも作業は迅速だ。リリエリにも耳を傾けられる程度の余裕はあったので、彼女の話は大変ありがたかった。黙々と作業をするのも好きだが、話しながらというのも悪くない。いささか一方的ではあるが。

「完成が見えてきましたね。これなら予定通り、明日の朝にはここを発てそうです」
「もう二割、って感じですね。転移結晶の設置って、二人でもできるものなんですねぇ」
「結構簡略化はしていますけどね。例えば、これは一度使用したら二、三日は魔力を貯める期間を要します。リリエリ様も、有事の際は遠慮なくこれで逃げていただいて構いませんが、二、三日に一度しか使えないということは重々覚えておいてくださいね」

 ステラの語りは、ここで止まった。
 さっと筆が床の上をなぞる音が聞こえている。リリエリの手元から、そしてステラのいる方向から。外からは絶えず風の音がしていたが、しっかりとした石造りのこの部屋の中までは届かない。

 リリエリが指示された範囲はもうすぐ終わりそうだ。顔を上げると、部屋の床のほとんどが幾何学模様に覆われているのがわかった。もう一息だ。残る自分の作業に向き合おうと、リリエリが手元に視線を落とそうとした、その時であった。

「リリエリ様」

 深く積もる雪に似た静かな声だった。唐突に名を呼ばれ、リリエリはステラに顔を向けた。声の主であるステラは、床から顔を上げぬまま、滑る筆先を一心に見ていた。

「ヨシュアは死にたがっていました」

 語る彼女の横顔に、もはや笑顔はない。表情を失くしたステラは、リリエリの目にはまるで無機質な人形になったかのように見えた。

「いつか邪龍になるのなら、早いうちに殺してくれと彼は言って……私たちはそれを実行しました」

 深々と語るステラの胸の内は、リリエリからは見えない。リリエリはただ黙って彼女の言葉を聞いていた。木の葉一枚すらも挟めないような、そんな空気がこの部屋を満たしている。

「結局、ヨシュアは死ねなかった。だから約束したんです。いつか必ずあなたを殺す方法を探すと。邪龍の憂いを晴らす方法を、なんとしてでも、私は、」

 ステラの筆が止まった。俯いてしまった彼女の顔は、黒いベールに阻まれて見えない。リリエリは動くこともできないまま、じっとステラの次の言葉を待った。筆の先が乾くほどの時間、ステラは床を見つめて動かなかった。

「リリエリ様には感謝しているんです」

 やがてポツリと声が聞こえた。

「今はもう死にたいと思っていないと、ヨシュアが言ったそうですね。私は、私は彼のその言葉が本当に嬉しかった」

 窓からは真っ赤な西日が差し込んでいて、埃っぽいこの空間を照らし出している。明日はよく晴れた日になるだろう。きっとステラの言葉のような、澄んで温かい一日になる。

「これは、貴方が彼に与えたものです。リリエリ様」

 ステラは顔を上げ、真っすぐにリリエリを見つめた。信頼を、誠意を、博愛を煮詰めて形にしたかのような優しい笑顔であった。

「ヨシュアをどうか、よろしくお願いいたします」

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