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第三章
第九話 ヨシュアの過去
しおりを挟む「私たちとヨシュアが出会ったのは、ヨシュアがまだこれくらいの大きさしかない時のことです」
ステラが僅かに振り返り、自身の鎖骨辺りを掌で示した。概ねリリエリの伸長程度の高さであった。
隣で横たわっているヨシュアは、リリエリが今まで出会ってきた人間の中でもかなり背が高い。リリエリよりも頭二つ分ほど大きいだろうか。
そんな彼がリリエリ程度の伸長だった頃。その姿もまた、リリエリは想像することができなかった。
「私とレダは当時冒険者をしておりまして、壁外の子どもを保護する活動を主に行っていました。私たちも昔は壁外孤児だったので、そういう子供たちを助ける側に回りたかったのです」
魔物の脅威から逃れるために、人々は大壁を築きその中に閉じこもるようにして文化を発展させてきた。外界から身を守るための大壁は、強固なほどに内と外とを断絶する。
壁外に取り残されたまま辛うじて生き延びているコミュニティや、壁の内側での生活が出来なくなった犯罪者。何らかの都合で安全な都市の中で暮らすことができない人たちは、今もなお世界中に存在している。
ステラとレダは、そんな壁外の危険に晒されている人々を保護することに重きを置いた冒険者であった。
「ヨシュアは、……そうですね。これはあまり楽しい話ではないのですが」
僅かに声が暗くなる。ステラは小さく頭を振って、前方に向き直った。
「西の地域に広くのさばっていた無法者の共同体がありました。どこから攫ってきたのかは知りませんが、彼らは幾人もの子どもを、――犯罪の道具に利用しておりました」
慎重に言葉を選んでいることが伝わってくる話ぶりであった。彼女が濁した言葉の向こう側のことを考えて、リリエリは目を伏せた。
物心ついた時からリリエリはずっとエルナトで過ごしてきた。壁外で日々を生き延びている人たちの存在は、もちろん知識としては知っているのだが、身近には感じられていなかったのもまた本当のところだ。
その問題が今、手を伸ばせば届くような近さにある。
「魔物から自分たちの身を守らせたり、壁外に出ている人間を襲わせたり。彼らはそういった危険な行為を子どもにさせて、使い捨てていました。ヨシュアもそういった子どもの一人でした。ただ、ヨシュアは他の子どもとは大きく違っていて」
がたんと荷車が大きく揺れた。大きめの石か何かを踏んだようだ。
リリエリは横で眠るヨシュアの顔を窺い見た。オレンジ色の暖かな光の下でも、彼の顔色は青白い。ぱさぱさと乾いた髪に、べっとりと張り付いた目元の隈。見てはいないが、きっと彼は当時からこのような風貌だったのだろう。
「生き延びていたんですよ、ヨシュアは。食べ物も、ろくな武器だって与えられず、睡眠だって怪しい環境で。恐らくほんの小さい頃から、ずっと」
木の軋む音がした。ステラの手元からだった。
「保護した方たちの中でも、ヨシュアは一等大きい子どもでした。都市によっては大人として扱われるような年だったかもしれません。でも、彼は言葉を話すこともできませんでした」
できなかったのか、しなかっただけかはわかりませんけどね。とステラは笑った。無理に作った笑い方であった。
「私たちが保護した子どもは、都市のしかるべき施設にお願いしておりました。でも、ヨシュアにはそれが難しかった。というのもですね、彼、とても危うい面がありまして」
リリエリ様もご存じでしょうが、とステラは続けた。彼女が言わんとしていることは十分にリリエリに伝わった。
かつてレダは、ヨシュアが変な人間と組んでたらかなり不味いことになるとリリエリに語った。他人からの命令をほぼ全て通してしまうから、というのがその理由であった。
リリエリにも大いに心当たりがある。どんな時だってヨシュアはリリエリの提案を二つ返事で肯定してきた。壁外から帰ってきた瞬間にまた壁外に連れ出したときも、彼は文句一つ言わなければその理由を聞くことすらなかった。
極めて倫理に外れている命令は聞かないはずだとレダは言った。……今は、ということなのだろう。
あらゆる枷のない状態のヨシュアが、悪い人間に利用されていた。笑えない話だ。
「もし当時のヨシュアに自害しろと命じたならば、彼は即座にそれを実行できたでしょうね。そんなヨシュアを市井に置いていくわけにはいかなかった。私やレダは彼を止められる力を持っていたので、一緒に連れていくことにしたんです」
「それでステラさんやレダさんと組むことになったんですね」
「ええ。初めの頃はとても大変でしたよ。無謀で、無分別で、衝動的。ヨシュアはとてもとても強かったんですが、それがむしろ、」
ステラは言葉を切り、代わりに小さく溜息を吐いた。思わずと言った風に漏れたその溜息に、事の深刻さがありありと窺えた。
当時のヨシュアにも、S級冒険者のステラをもってとても強いと言わしめるほどの力があったらしい。そんなヨシュアを抑え込むのは、本当に本当に苦労が伴うことだっただろう。
リリエリには天地がひっくり返っても無理な芸当だ。ヨシュアを保護したのがレダとステラの二人で良かったと、リリエリは心から安堵した。
「……ヨシュアが具体的にどんなことをさせられてきたのかを、私たちは聞いていません。貴方もどうか、聞かないであげて下さい。わざわざ思い出す必要のないものです」
「わかりました。決して聞かないことを誓います」
ありがとうと言うステラの言葉は、とても柔らかい響きを伴っていた。
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