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第三章
第七話 荷車と麻袋
しおりを挟む二日後の午前一時。
リリエリは大きな荷物を背負って、ステラの指定した場所に立っていた。
エルナトを囲む大壁の一角、東門。内側に立つ門兵が、深夜に一人立つ大荷物を持った少女に訝し気な視線を向けている。街灯の下に居た方がステラの目にとまりやすいだろうと、リリエリは居心地の悪さを耐えながら長身の祭司の姿を待っていた。
と、視界の端で何かが動いた。その人影は、リリエリに向かって手招きをしているようだ。そんじょそこらの男性にも引けを取らない高さの背に、ひらひらとはためく黒い祭服。建物と建物の隙間、門兵からは見えない位置からステラが顔を見せている。
リリエリは努めて待ち合わせを諦めた人のような雰囲気を出しながら、素知らぬ顔でさり気なくステラの待つ場所に向かった。
「こんばんは、リリエリ様。準備は万端ですか?」
「はい、ばっちりです。ステラさん、は……」
辛うじて明かりの届く路地、にこやかに微笑むステラの後ろ。そこには荷車が置かれていて、その上に大きな麻袋が積み込まれていた。……丁度、ヨシュアが一人くらい入れそうな大きさの。
「あの、それは」
「ヨシュアです」
まぁ、そうだろうなとは思ったけども。
「まだ目を覚ましていないのですが、だからといって悠長にはしていられませんからね」
リリエリ様のお荷物もどうぞ、とステラは荷車の開いている部分を示した。
荷車にはリリエリのバックパックに施されている紋章魔術に似た、しかしそれよりもずっと精緻な幾何学模様が全面に施されている。恐らく積み荷を軽量化する魔術だろう。だがこの規模、クオリティの品はかなり高価なのではないか。
明らかに個人で持つような代物ではない。リリエリは恐る恐る荷物を置いた。リリエリの持てる全てを持ってきたが、それとヨシュアを乗せてなお若干スペースが残るほどに大きい荷車であった。
「それと、リリエリ様にはこちらも」
ステラは黒い布をリリエリに手渡した。広げると、それはステラの着ている祭服と同じものであった。ご丁寧に揃いのベールも添えられている。
「それを被って、リリエリ様も荷台に乗っていてください。……ああ、羽織るだけで構いませんよ。門を抜けるまでの間、それらしくするだけですから」
「わかりました」
言われたとおりに簡単に着用し、リリエリは荷車の空いているスペースにすっぽりと収まった。ステラ自身の予備なのか、リリエリには大きい祭服であった。袖なんて拳二つ分ほど違うし、ベールを被ると顔の半分が隠れてしまう。夜逃げ染みたこの移動には、顔を隠せることはむしろありがたいが。
夜闇のように黒い生地は触り心地が良く、薄暗い中でも十分に価値が感じ取れた。テレジア教徒でもなんでもない自分が着ていいものかと、リリエリは内心恐々としていた。
「これ、本物の祭服ですよね。私、入信の儀も何もしていないので、なんだか罰が当たっちゃいそう」
「その心配はありませんよ、リリエリ様。テレジア様は寛大な方です。それに、もし罰をお与えになるのだとしても、まずは私からになるでしょうね」
さぁ行きますよ、とステラは荷車を引いた。ぎぎと車輪が小さく軋んだが、それも一瞬の事だった。リリエリとヨシュア、それから沢山の荷物を載せた荷車が、静かに滑らかに動き出す。
高度な紋章魔術が施されているとはいっても、明らかに女性が一人で引けるような荷量ではない。そのはずだが、ステラはまるでドレスの裾を持ち上げるくらいの優雅さで悠々と歩いているのである。
声もなく驚いているリリエリの顔が見えたわけではないだろうが、ステラは朗らかにリリエリの疑問に応えた。
「お話は後程。門を出てから、いくらだってお喋りしましょう」
ステラは堂々と東門に近づき、内側に立つ門兵に頭を下げた。門兵もまた大きな荷車を運ぶステラの姿に動揺を見せたが、テレジア教の祭服の効果か、引き留められるようなことはなかった。
もっとも、彼らはただの門兵に過ぎない。関所としての役割は一つ目の扉を超えた先に据えられている。
大壁に繋がる形で建てられた関門の中にステラが足を踏み入れたと同時、詰めていた門番が声を上げた。深夜から壁外に出ようとする酔狂な人間に対する警戒心が籠った、鋭く硬い声であった。
「こんばんは。こんな時間に壁外に出るのですか? ギルドの証明書か、それに類するものはお持ちでしょうか」
基本的に壁外に出るには相応の資格と相応の理由が必要だ。ギルドで依頼を受注した冒険者が大半だが、それ以外では研究者や商人などが壁外に出るために関門を利用する。ギルドの依頼以外で壁外に出るのは意外と難しく、国に理由を申請した上で冒険者を護衛として伴わなければならないなど、厳しい規定が存在していたりもする。
今回リリエリ達は依頼を受注していないし、なんなら荷台に意識のない人間を一人積んでいる。
引き留められて荷物を検められたら大変面倒なことになるだろう。リリエリは門番に対応するステラを静かに見守りながら、祭服の下でぎゅっと手を握りしめた。
門番に止められたステラは、慌ても怯みも見せずにそっと胸元からタリスマンを取り出した。一点の歪みもなく白い光を返すそのタリスマンは、転移結晶と昇る日の光を象徴化したものである。テレジア教を示す一般的なシンボルだ。
汚れのないその輝きは恐らくアテライ貴金を含む貴重な合金で造られている。テレジア教には詳しくないリリエリの目から見ても、ある程度以上の立場の人間じゃないと持てない物だろうということはわかる。……言い換えると、きっとすごいんだろうなーという程度にしかわからない、ということである。
タリスマンを見た門番は、一瞬のうちに目の色を変えてピッと背筋を正した。
「失礼。聖祭司殿でありましたか」
「壁外に用事があります。テレジア教の機密情報に関連するため詳細は言えません。通していただけますか?」
門番は困ったようにたじろいだ。そうして、少々お待ちをと言ってから慌てて詰所に引っ込んだ。詰所の中から誰かと話すような声が一言二言聞こえた後、門番はまた元あったようにステラの前に戻り姿勢を正した。
「お名前と所属をお願いいたします」
「ステラと申します。所属は王都ウルノールです。冒険者証も必要ですか?」
「いえ、十分です。聖祭司殿を引き留める権限はこの門にはございません」
聖祭司。なんだか聞いたことのある階級だな、とリリエリは思った。テレジア教の職位を示す言葉の、上から二番目くらいのやつじゃないか?
お気をつけて、と最敬礼を維持する門番の前を、ステラは荷車を引きながら通り抜けていく。せめてそれっぽく、ときっちり姿勢を正しながら荷台に乗っていたリリエリが門番の前を通り過ぎた、丁度その時のことであった。
「聖祭司殿。僭越ながら、こちらの方とお荷物についてお聞きしてもよろしいでしょうか」
「彼女は私の補佐です。荷物は儀式に必要なものです。これ以上は機密に含まれます」
失礼いたしましたと門番は言い、それきりステラを引き留めることはなかった。
権力って恐ろしい。意外に揺れの少ない荷台の上から一連を見ていたリリエリは、公権力にはなるべく逆らわないでおこうとひっそり心に誓うのであった。
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