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短編 余暇の青
余暇の青⑤
しおりを挟むそれから、二人は川の上流を目指し進んだ。進むにつれて川の周囲は切り立っていき、今では陽光も細く切り取られている。
手記の文言通りであれば、どこかに一際鮮やかに輝く黄金色の一帯があるはずだ。今も環境が変わっていないのであれば。
相も変わらず川辺は植物が好き勝手に伸びていて、視界も悪ければ移動だって楽じゃない。崖に遮られてすっかり陰った川沿い、植物に腕や足を叩かれながら進むのは想像以上に不快な体験であった。
おまけに目的の黄金には未だ見えていない。見落としているのなら厄介だ。どこで引き返す決断をすべきかと、リリエリはにわかに焦り始めた。
「見当たりませんね」
「手記は古いものだろう。同じ景色は残っていないのかもしれない」
「ちょっと手記の中身をしっかり改める必要があるかもですねぇ。……ん?」
きらり、と光るものがリリエリの視界の端を掠めた。日陰の下で輝くものなんて、そうそうないはずだが。
「ヨシュアさん、今なんか光りませんでしたか。右手側の方で」
「気づかなかった。この辺りか?」
「いえ、少しばかり戻った位置に」
ヨシュアはリリエリの指示に従って道なき道に分け入った。目の前を遮る草花は容赦なく踏みつけて進んでいるが、視界は一向に広がらない。
「進みにくい」
「本当に」
「もしレダがここにいたなら、辺り一面焼き払っていたかもしれない」
「それは、なんというか、見たいような見たくないような光景ですねぇ」
移動にのみ焦点を置くのならそれで構わないのだが、環境保全の観点から見たら最悪すぎる。有用物資がないからといって全てを焼却してもいいのだろうか。リリエリに悩ましい問題だ。
それはそれとしてぱーっと豪快に火の海に沈む世界は見てみたい。なんだかんだ言っても、すごい魔法はすごいのだ。冒険者なら誰だって憧れてしまうものである。
「ああ、やっぱりこの辺りのアシは色が濃いです。この辺りかも」
「……確かに、向こうの方から風の流れる音がする。俺には全くわからなかった。よく気がついたな」
「それは私の台詞ですねぇ」
リリエリには風の音なんてさっぱり聞こえない。この人の耳は一体何を拾っているのだろうか。
彼の埒外の聴覚を、しかしリリエリは疑わない。リリエリは確信した。自分の目には映らずとも、手記の洞窟はここに見つかったのである。
□ ■ □
はたして件の洞窟はそこに開いていた。
食事を摂った場所に比べると、周囲のアシは確かに鮮やかに広がっている。岸壁に生じている入口は手記での印象よりもずっと狭く、まるで隠されているような趣であった。手がかりがなければ確実に見落としていただろう。
「一度降りてもらってもいいか」
「もちろん構いませんよ」
言われるがまま、リリエリはヨシュアの背から降りた。次の瞬間、ヨシュアがさり気ない動作で洞窟の中に半身を突っ込んだ。
「あっ! また勝手に洞窟に!」
「入口は大丈夫そうだ。妙な臭いもしない」
「命がけで安全確認しないでください!」
慌ててヨシュアの服の端を掴んで引っ張ると、ヨシュアは案外素直に洞窟内から身を引いた。
「過去に人の立ち入りがあった場所だろう。安全だとは思っていた。これはあくまで念のための行動だ」
「……本当は?」
「……こっちの方が、手っ取り早い」
ヨシュアは目を逸らした。行為とは裏腹に口調は全く悪びれていなかった。
手っ取り早いかどうかで言えば、そりゃあ最速だろうけども。この行為を容認するのは、少し、かなり、罪悪感がある。
「俺にできないことは全部アンタがやっている。だから、俺にできることは全部やりたい」
「そんなの、私だって同じ気持ちですよ。ですけども」
「アンタは料理をしたり、道を示したりしている。これは、それと同じ行為だ」
「いや違うでしょう。……違いますよね? あれ?」
淡々と断言するヨシュアの話を聞いている内に、段々とリリエリは自信がなくなっていった。元より流されやすい性格である。はっきりと言い切られたことによって、なんだか自分が間違っているような、いやそんなはずはない。だって彼のそれは、
「ヨシュアさんの行為は、自己犠牲でしょう」
「違う。自己犠牲じゃない」
ヨシュアの言葉は平坦だった。普段と変わらないトーンのまま、空の青さを指摘するような調子で言う。空が青いのは当たり前のことだ。つまりこれも、そんな感じの出来事。……で合っているのか? 本当に?
「自己犠牲でないならいい……んでしたっけ? やっぱり何か違くないですか?」
「もうじき日が暮れるし、早いところ中に入ろう」
ひょいとリリエリを小脇に抱えてヨシュアは洞窟に入っていく。日暮れというワードに搔っ攫われたリリエリの思考は、すぐさま今日の宿についてに遷移した。
不明瞭な視界の中で八方全てを警戒するよりは、洞窟内の横穴を見つけて一方のみを警戒する方が圧倒的に安全。ということは、さっさと洞窟に入るのは間違っていない、はず。
ここは壁外、洞窟は未知。考え事に意識を割くよりも紋章魔術で前方を照らす方がよっぽど重要だろうと、リリエリは未だ間に合わせのままの杖を掲げた。先ほどの問答はもはや思考の彼方であった。
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