龍の呪いの殺し方

中島とととき

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第二章

閑話 レダという男②

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 いくつかの会話を挟んでなおも、ヨシュアは目を覚まさなかった。周囲を腐り落とす邪龍の影響をその目で見たことも相まって、リリエリはじわじわと不安を感じ始めていた。
 穏やかに呼吸をしてはいる。だが、このまま目を覚まさなかったらどうする? 目を覚ましたヨシュアは、果たしてヨシュアのままなのだろうか。

「ヨシュアさん、本当に目を覚ますんでしょうか。このまま寝続けるとか、ないですよね? 心なしか顔色も悪いような」
「落ち着け落ち着け。そいつは元から顔色が悪い」
「でも、」
「すぐに起きる。俺達に出来ることはない」

 淡々とレダは言った。ヨシュアの復活を幾度となく見てきた、そんな口ぶりであった。
 リリエリだってわかっている。ヨシュアの再生能力は、今までに幾度か近くで見ていた。今回だって、きっと何事もなかったかのように目が覚める。
 根拠の薄い懸念を後生大事に抱いていたって、悪戯に精神を消耗するだけだ。……頭では理解しているつもりなのに、拭えない不安が心の奥底に横たわっている。

 リリエリはともすれば転がり出そうになる弱音をぐっと飲み込み、代わりにそうですよねとだけ口にした。うまくやれていた、と思ったのだが、自分の顔色を誤魔化すのは難しい。

「あぁ、うん、まぁ、アレだ。ほら、アンタの目の前にいるのは天下の宮廷魔術師レダ様だぞ。俺様の話が聞けるなんて貴重な機会じゃないか。何でも聞いていいぞ。答えてやる」

 感謝するんだな、とレダはわざとらしく尊大に言い放った。

 流石のリリエリでも気付くことができた。これはレダの気遣いだ。悪いことばかり考えてしまうのならば、考える時間自体を減らせばいい。そのために会話を、そのきっかけをくれている。
 なんて捻くれたやり方だろう。だがこの行為は、今のリリエリには本当にありがたいものであった。

「……昔、ヨシュアさんとパーティを組んでいたんですよね。その時の話、聞いてもいいですか」
「悪くない質問だ。答えてやろうとも。当時は三人で組んでいたんだ。大天才S級冒険者の俺様とヨシュア、それから同じくS級冒険者のステラという女性だ」

 S級というのは冒険者等級の最上位である。相応の実力は当然のこと、これに加えて目覚ましい実績を有することがS級昇格の条件だ。非常に狭き門であり、現時点での現役S級冒険者は両手の指ほどの人数だったと記憶している。
 エルナトという田舎都市で活動しているリリエリにとっては、人生で一人に会えるかどうかといったレベルの雲上人なのだ。……本来は。

 そんな特級の人材が三人も集まっていたパーティがあったとは。リリエリはスケールの大きさに目眩がしそうだった。王都とかだとこんなものなのか?

「ステラはテレジア教の祭司でもあってな、回復魔法に関しては随一だった。アレこそ本物の才能さ。俺様回復はからっきしだからな。興味がないだけだけど」

 この世界の魔法は二つに大別される。自然現象を模倣する魔法と、人体の治癒を行う魔法だ。前者は自然魔法と呼ばれ、後者は回復魔法と呼ばれる。
 どんな魔法がどれだけの強度で使えるかに関しては、殆ど全てが才能によって決まる。レダのように自然魔法であれば天災レベルに使いこなせる者であっても、回復魔法を使えるとは限らないのだ。
 そういえば、とリリエリはヨシュアと出会った時のことを思い出した。彼は自身に対しては回復魔法が使えるんだなどと言っていたが、今にして思えばあれは真っ赤な嘘だったというわけだ。

「テレジア教の祭司ですか。信心深い方なんですね」
「おっかない女だ。アイツ、治せるからって俺のこと思いっきり殴ってくるんだ。ガンッてやられたと思ったらもう治ってる。ほんの一瞬だけ痛みを感じて、でも次の瞬間には何もないんだ。アレほど恐ろしいもんはないぞ」
「そんな鎌鼬みたいな」
「俺様にしかやらないから、他人と恐怖を共有することもできないんだ」
「ああ」

 リリエリは察した。ステラという女性はレダのストッパーだったらしい。
 まだ見ぬ祭司の苦労を思い、リリエリは心の中でひっそりと手を合わせた。この享楽的な自由人と行動を共にするのはさぞ大変だったろう。拳が出るほどに。

「俺様達は超強かったから、それはそれは引っ張りだこでな。色んなことやったもんだ。ヤバい魔物を叩きのめしたり、野党の巣窟を一掃したり、危険な湖を埋め立てたり。王都から直々に招へいを受けたこともある」
「S級のパーティともなれば、そんな経験もするんですねぇ。ヨシュアさんも、強かったんですか? その、……昔から」

 呪われる前から、と言いそうになって、リリエリは言葉を改めた。気持ちを切り替えるためにしている会話に、邪龍の話を挟みたくはなかった。
 この気持ちをレダも察してくれたようで、続く言葉はいささか歯切れが悪かった。

「ああ、……うん。強かったよ。俺もステラも前線に出る戦い方は向いてないからさ、ヨシュアがいて本当に助かってた。ただ、昔から無鉄砲な奴で、」

 以降の言葉は続かなかった。レダは自分の口元に手を当てて、言うべきかどうか考えあぐねているようだった。そうして結局、言わないことにしたらしい。

「……俺様の話をしようぜ。気になるだろ? 至高の魔法使い様だぞ。さぁ聞け」

 話題転換のためにあえてこういう物言いをしているのか、それとも普通にこれが素の振る舞いなのか。

 レダは足を組み替えて、大変偉そうに胸をそらせた。身に纏っているローブに施された金糸の刺繍が、焚き火に照らされてきらきらと光っている。艷やかな生地に精緻かつ豪華絢爛な刺繍。間違っても壁外に着てくるような代物ではない。

「ええと、そのローブ、それは宮廷魔術師の服装なんですか?」
「いや、これは私服。宮廷魔術師っぽくていいだろ」

 素だな、とリリエリは確信した。尊大を絵にして色をつけろと言われたら、ちょうどレダの着ているローブの柄になる。この男がこれで宮廷魔術師としては物腰柔らかな人間として振る舞っているのが空恐ろしい。

 ふっと途切れた会話の穴を埋めるかのように、レダは次の質問を催促してきた。

「ほら次。早くしろ。まだあるだろ」
「いや、そんなこと言われましても。……じゃあ、あの、レダさんはどんな功績でS級冒険者になったんですか?」

 結構適当に口にした質問であったが、レダはいかにも言いたくなさそうに眉間に皺を寄せた。

「つまらない質問だな。俺様が最強で珠玉かつ冠前絶後の魔法使いだからに決まっ」
「壁外孤児の保護だ」

 答えは思いもよらぬ方向から聞こえてきた。横たわっていたヨシュアの目が開いている。起き上がってこそいないものの、彼の口調ははっきりとしていた。

「ヨシュアさん! 目が覚めたんですね!」 
「おはようヨシュア。お前それ以上言うんじゃねぇぞ」
「レダとステラはずっと二人で壁外孤児を助けて回っていたんだ。七十四人の子どもの保護と孤児院二軒の設立が、S級昇格の功績だ」
「おい!」

 ガンと鈍い音がした。咄嗟の口封じのためにレダが杖をヨシュアに向かって放り投げた音であった。ヨシュアは避けなかった。杖が明後日の方向に飛んでいったためである。

「ちょっと! 病み上がりのヨシュアさんに杖を投げる人がありますか!?」
「絶対当たらねぇからいいんだよ! てかアレだ、そういうのは言わねぇほうがかっこいいんだから言うな!」
「誇るべき偉業だと思うが……」

 ヨシュアはゆっくりと起き上がった。そうして深々と剣が突き刺さっていたはずの胸元を中心に自身の身体を確認し、一つ頷いた。そうして、

「リリエリ。この男はレダといって、昔俺とパーティを組んでいた。雰囲気ほど悪い人間じゃない」

 いつもの調子で淡々とレダの紹介を始めた。当のレダ本人がぎゃあぎゃあと何か言っているところを、完全にスルーする形であった。

「ええ、その、レダさん本人から聞きました」
「待て、普通に話を続けるな。俺は無視されるのが一番苦手なんだぞ。俺様の話を聞け」
「レダのことだから迷惑をかけたと思う。俺からも謝る。本当にすまない」
「迷惑ってなんだ迷惑って! そんな訳無いだろうが」
「いや迷惑ではありましたけどね」

 理由があったとはいえ、こっちは壁外まで逃げだす羽目になったわけで。迷惑千万もいいところである。
 そんな訳無いといいながら、流石のレダもこれには思うところはあるようで、バツの悪そうな顔をしながらごほんと一つ咳払いをした。

「あぁ、まぁ、多少は? 俺様に非がないこともな」
「助けにきてくれてありがとう。あのままだと、少し不味いことになっていた」
「…………だから、俺の話を最後まで聞けっての」

 苦々しげな呟きであった。が、恐らく彼の照れ隠しなのだろうことは、知り合ったばかりのリリエリにも理解できた。本当に難儀な人間だ。

「レダ。彼女はリリエリという」
「……知ってるよ」
「彼女は俺の呪いのことも知っている。それで、」

 ヨシュアは言葉を切り、考えるように目を伏せた。困っているような、そんな気配がしていたものだから。続きはリリエリが引き受けることにした。

「今、一緒にパーティを組んでいるんですよ」

 ヨシュアの視線がリリエリに向き、次いでレダに向けられる。レダもまたヨシュアとリリエリの二人をゆっくりと眺め、笑った。子の成長を垣間見た親のような、穏やかな笑顔であった。

「あぁ、知ってるよ」
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