龍の呪いの殺し方

中島とととき

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第一章

第五話 冒険者リリエリ

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「お待たせしました。ではエルナトに戻りましょうか」

 牙、皮、肉。グレイサーペントから取れるものを運べるだけ時間の限り取り尽くしたリリエリは、戦利品を地面に並べながらそう言った。
 空はすっかりオレンジ色を呈しており、もう間もなく日が落ちるだろう。小都市エルナトまではそう遠くない。完全な暗闇になる前には安全な場所まで出られるだろう。

「申し訳ないんですが、私と、このサーペントの素材を運んでもらえると嬉しいです。……サーペント、どのくらい持てそうですか? 全部が無理なら、価値のあるものを優先します」
「全部持てる。荷造りしてくれ」
「わかりました。……その、取り分ですが」
「全部アンタのものだ。アンタの剣で切って、アンタが解体した」
「……ヨシュアさんが首を落として、ヨシュアさんが運びますけどね。半々で手を打っていただけると助かります」

 今日の依頼がこなせなかったリリエリにとって、この臨時収入は大変嬉しい。グレイサーペントはリリエリ一人ではとても手が出せない強さの魔物で、得られる素材はどれも丈夫だ。爪は武具や筆記具に、皮は服飾品の用途としてそこそこの価値を有している。……肉は、強く味付けすれば食べられなくもない程度のものだが。

 さっと手際良く解体した大蛇を、詰められるだけバックパックに詰めていく。そこそこ重さがあるが、さてどのように運んだものか。

「両手は空けておきたい。背中に乗れるか」
「ああ、ではバックパックを背負った私がヨシュアさんの背に乗る、という形で」

 よいしょとバックパックを背負ったリリエリは、ヨシュアが静止の声を掛ける前によたよたと覚束ない足取りでヨシュアに向かって歩き出した。覚束ないとはいえ、歩いている。

「……アンタ、歩けるのか?」
「魔力で補っている間は。長くは持ちませんし、緊急時にしか発動しませんが」

 よく見ると、リリエリの右足を覆うように巻かれている革製のベルトから、ぼんやりと光が漏れ出ている。日の落ちつつある森の中だからこそ見えるような、淡く弱い光であった。

「紋章魔術か」
「はい。ベルトの内側に彫り込んでいます」

 紋章魔術。魔法をより簡便に、誰でも使えることを目的として編み出された技術である。

 魔法を行使する、というのは才能に依存するところが非常に大きい。無才のリリエリは一切の魔法が使えないし、先程の話を信じるならば、ヨシュアの治癒魔法も自分だけという制限がある。

 才ある一部の人間にしか使えなかった魔法を、誰でも使えるように改良した技術が紋章魔術だ。

 魔力さえ供給すれば、刻まれた紋様に従って奇跡の力が発現する。人々の生活を大きく向上させた技術であり、数多の冒険者にとっても必須の技術である。

 小都市エルナトを魔物の脅威から守り抜いている大壁には魔物避けの紋様がこれでもかとばかりに刻まれているし、ヨシュアに振る舞ったスープを温めたのも火を起こす紋章魔術の効果だ。もちろん、自力ではとうに動かせなくなったリリエリの右足を、歩行ができる程度まで回復させているのも紋章魔術の力。

 足の不自由なリリエリが今日まで冒険者を続けてこられたのは、この紋章魔術の技術あってのことである。

「もって三十分というところです。……ここからの移動は、お願いしていいですか?」
「うん。任せてくれ」

 ヨシュアはしゃがみ込みリリエリに背中を向けた。その背もまた血のような赤褐色に塗れている。喜ばしいことではないが、その程度で動揺するほどリリエリの冒険者の歴は浅くない。

 ……ただ、これ、この汚れ方。やっぱり致死量ではないか?

 心臓がある位置についた服の損傷と、その周りの夥しい赤。傷こそないが。ないとはいえ。
 ……本人が無事だと言っているのなら、無事なんだろう。現にホラ、傷もないし。

 リリエリは自分を十分に納得させてから、ヨシュアの肩に手を置いた。

 じきに日が沈む。リリエリ・ヨシュアの両名は、グレイサーペントをただ一つの収穫として、小エルナト森林を後にした。


□ ■ □


 ヨシュアは早かった。ほんの少し前まで空腹で動けなくなっていたとは思えないほどに。リリエリとグレイサーペントの一部を背負っていてもなお、風に似た速度で足場も視界も悪い森の中を駆けていく。

「そのまま真っ直ぐ進んでください。もう十分も行けば舗装された道が見えてくるはずです」
「わかった」

 リリエリは冒険者の中でもとりわけ小柄である。冒険者としては不利な面も多いが、狭い道や洞窟に分け入ったり、咄嗟に身を隠す分には重宝している。どうせ戦闘はできない体だ、リリエリは自分自身の小ささは別に嫌いではない。

 一方のヨシュアは大変恵まれた体躯をしていて、リリエリよりも頭二つ、いや三つ分は上背があった。しかし体格は細身であり、その長身のせいでどこか貧相な印象すら受ける。行倒れていた背景を思えば、貧相という形容で済む時点で十分奇跡的と言える体型ではあるが。

 リリエリは普段よりもずっと高い視点で流れていく小エルナト森林を眺めていた。やはり小動物の姿は見えない。夜の淵、昼間と比べて様々な生き物が活発になるはずなのに。
 グレイサーペントのせいであれば、ほどなく元の様子に戻るのだろうが。……静かな森は、どこか不気味だ。

「……一つ確認したいんだが」

 不意にヨシュアが口を開いた。ひゅうひゅうと風の切る音の中でも、その低音は耳によく届いく。風に負けないようにと、リリエリは無意識に声量を上げてどうぞと答えた。
 気軽な気持ちだった。ヨシュアの声が、なんら気負わぬものだったからだ。だからだろう、次に続いた言葉は、油断していたリリエリの心に鋭く突き刺さった。

「あんたは足が悪いんだろう。魔法で補えると言っても、三十分程度では……」

 ヨシュアはみなまでは言わなかった。それでも、言わんとすることは痛いくらいにリリエリに伝わった。

 冒険者に向いていない。

 嫌になるほどに聞いてきた言葉だ。そんなこと、誰よりもリリエリがわかっているのだ。今だってヨシュアに背負われながら都市へと戻っている最中だ。文字通りお荷物。足手まとい。反論の余地もない。

 続きの言葉はリリエリが口にした。誰かに言われるくらいなら、自分で先に言ってしまいたかった。

「冒険者には向いてない、ですよね。でも、これでも結構長いこと冒険者をしてるんですよ。……ずっとC級ですけど、戦うことはできないけど、それでもなんとか冒険者としてやってこれたんです。だから、だから、」

 リリエリは続きを言わなかった。ヨシュアもまた、何も言わなかった。背負われていると顔が見えない。何を考えているのか、リリエリには何一つとしてわからない。
 けれど、それでいいのだろう。エルナトについたら、それぞれの冒険に戻るだけだ。

「……そろそろ舗装路が見えてきます。右手方面に真っ直ぐ行くと、エルナトですよ」
「俺は、」

 森はとっくに抜けていた。高さのある草に覆われた草原の空は深い深い瑠璃色をしている。天気の良い日であった。満ちつつある月が、揺れる草花を照らしていた。

「俺は戦うことが得意だ。でも、それしかできない。他には何も持っていない」
「……ヨシュアさんは私より等級が上の、立派な冒険者じゃないですか」
「それは、仲間がいたからだ。もし、そんな俺を冒険者だと言うのなら。……アンタだって、冒険者だ」

 …………私も?

 どんな魔物にも負けない力。困難に立ち向かう勇気。未明を照らし出す知識。万人に手を差し伸べる博愛。そしてどこへでも行ける、自由な肉体。
 持っていない。リリエリは何一つとして持っていない。少なくとも、リリエリ自身はそう信じているというのに。

「俺は一人では冒険者としていられない。今までずっと一人でやってきたアンタが、冒険者に向いていないはずがない」

 天気の良い日であった。冒険を始めるには、うってつけの月夜である。広々とした夜空はどこまでも遠く広がっている。その下にある世界もまた、どこまでも続いているはずだ。
 
 ヨシュアの背の上で、リリエリは唐突に思い出した。子供の頃に思い描いた、宝物めいた輝きをもつ一粒の気持ちを。

 どこまでも続く広い世界を見てみたい。この目で、この手で、この足で。

 ――ああそうだ、ずっとずっと忘れていた。
 私はそのために冒険者になったのだ。

「……もし。もし、ヨシュアさんさえ良ければ――」
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