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第3章
第38話ーー間宮 結奈の苦難ーー
しおりを挟むあれから何日経ったのだろう。
手持ちの食料はとっくに切れてしまい、回復薬もMP回復薬も尽きてしまった。
幸い水だけは魔法で作り出す事が出来たが、それだけで空腹を紛らわすのにも限度がある。
自分が招いた事とはいえ、今は自分の浅知恵を呪いたくて仕方ない。
「はぁ……はぁ……っく」
飛鳥やアキラくん達から離れてから森を抜けるのに何日かかったのか覚えていない。
自分が酷く遠回りをしながら進んでいたことだけは分かるけれど、まさかあそこまで広い森だったとは思っても見なかった。
今はどこまでも続く平原を進んでいるけど、それも街道からは大きく外れた場所としか分かっていない。
この世界に来てからもう随分と経つ。
そのお陰で体力には自信が持てるくらいに逞しくなったつもりだったけど、精神的にはそうでもなかったらしい。
情けない事に寂しさがこみ上げてきて、泣き言を言いたくなってる……。
それならどうして私。間宮 結奈はパーティメンバーである皆んなの所から逃げるように襲撃してきた魔物が撤退するのと一緒になって抜け出したのかというと、それは一重に私自身の目的を果たしたかったからだ。
それはこの世界に召喚されてすぐに行方を眩ましてしまった葉山 弓弦くんの無事を確かめる為だった。
より正確に言うなら弓弦くんが姿を消してから突如として現れたという怪物『グラトニー』の調査をする為だ。
弓弦くんとの関連性があるかは分からないけど『グラトニー』が出現した時期と弓弦くんが消息を完全に絶った時期が重なっていることから何らかの関連性があるのではと冒険者パーティ『灰色の狼』に所属するフィムさんに教えられた私は親友である飛鳥にこの事を話した。けれど彼女からの返答は良いものではなかった。
私たち転移者の中では弓弦くんはとっくに死んだ人扱いになっており、更にクラスメイトの大半。というより本当に一部の人たち以外は彼のことを嫌っている為死んだと聞かされて多少の動揺はあっても寧ろ清々したという者ばかりだった。
飛鳥の場合は確かに弓弦くんの事を嫌ってはいても嫌悪していたわけではない。だけど既に死んだと発表された人間の後を追うような、ましてや冒険者ギルドで推定された危険難易度がA~Sランクの怪物を追跡するような真似は流石に友人として看過出来なかったのだろう。
バリューズに来るまでの間。私は何度も彼女からの説得を受けた。それは全て私の身を案じての事だというのは分かっていただけあって反論もし辛かった。だけど次の一言で彼女は私の独走を黙認してくれた。
『飛鳥なら庄吾くんが死んだと聞かされて、それでも生きている可能性があったとしたら、どうする?』
自分でも狡いと思う。好きな人の無事を確かめられるのなら確かめたいと思うのが人の性だ。
故に飛鳥はそれ以上の追求はせずに私の、パーティからの離脱を黙認してくれた。それどころか、上手く私が魔物に攫われたように見えるよう援護もしてくれた。
あの時の飛鳥からの視線は今も脳裏に焼き付いて離れない。
離脱する事を許してしまった自分への怒り、止めきれなかった事への後悔、もう二度と会えないかもという恐怖。それらが入り混じった鋭く、けれど自分の決断を後悔する濁った瞳で向けられた視線はか細いながらも『帰って来なければ絶対に許さない』という意思が込められていた。
飛鳥からのその視線を思い出す度に私は胸が締め付けられるような思いになる。
だけど、いや、だからこそ私は私の選んだ道を進みたいのだ。
彼女がどれだけの思いで私のことを見送ってくれたのか、自分もついていけない事をどれだけ悔やんでいることか。
それらを思い出す度、考える度に私は自分に向かって半端は許さないと言い聞かせれている事だろう。
故に私はまだ歩く事が出来る。前へと進む事が出来る。
食料が尽きたくらいで倒れるわけにも、弱音を吐くわけにもいかないのだ。
「はぁ……はぁ……あっ」
息を切らしながら平原を進み続けていると数十メートル先の小高い丘の上で何かが飛び跳ねているのが見えた。
私はすぐに姿勢を低くすると、先ほどまではただの杖代わりにしていた長杖を握りしめてゆっくりと顔を上げ、動いていたものを視界に捉える。ついでに魔力を全身に行き渡らせて身体強化の魔法もかけていく。
すると、そこにいたのは白い毛並みをした野兎が巣穴から出てきてのんびりと草を食べている光景が見えた。
食事に夢中になっているせいか野兎は未だこちらに気づいていない。
私は長杖を掲げて野兎の方へと向けると風魔法の詠唱へと入っていった。
「ふぅー……『風よ刃となりて、彼の者切り裂きたまえ“鎌鼬”』」
その瞬間、杖の先から見えない風の刃が生成されて真っ直ぐに野兎の方へと飛んでいき、異変に気付いた野兎が顔をあげたその刹那ーーバシュッーー乾いた音と共に兎の頭部が切断された。
結奈の魔法適性は治癒魔法や付与魔法に秀でたものだったが、他の魔法が使えないわけではな。
得意な魔法に比べて魔力消費が大きくなるが、初級魔法程度ならば簡単に発動出来るし中級の範囲攻撃魔法も詠唱時間さえかければ発動出来る。
結奈が勇者パーティに入れていたのはそれが理由だ。
結奈以外はこの世界でもレアな天職持ちな上に、他にも天職持ちのクラスメイトが居たにも関わらず勇者一行の列に加われていたのは保有する魔力量が他のものに比べて格段に上だったからだ。
勇者であり『光の加護』の称号を持つアキラや『風の加護』を持つ飛鳥の基礎ステータスでの魔力量が百代だったのに対して他のクラスメイトは魔法職系の天職持ちでも高いものでも八十代が限界だった。にも関わらず、結奈の基礎ステータスでは他のステータスは平均以下くらいだったが、魔力量だけ九十代もありレベルが上がり、幾度かのクラスチェンジを行った事で文字通り他のものを寄せ付けないまで成長したからだ。
何より、彼女の得意とする魔法が傷を癒す治癒魔法と身体能力を高めてくれる付与魔法だった事が大きな要因となったのは確かである。
「えっと、検査紙ってまだあったかな……あ、あった。よかった~」
仕留めた野兎の下まで来ると腰のポーチから数枚のお札に似た紙を取り出して安堵の声を漏らす。
この世界に生息する野生の動物の中には魔力の影響を強く受けて育った動物が生息する為、冒険者や騎士団では検査紙と呼ばれる紙を用いて仕留めた獲物の血液を浸す事で青系統に変色したら食用に適さず赤系統のままなら食べる事が出来ると判断している。
分かりやすくいうなら小学校の理科の実験で用いたリトマス紙のようなものである。
「色の変化は……よし、ないね。それじゃ次はっと」
検査紙を流れ出た血に浸して変色しない事を確認すると、ナイフで兎を捌いていく。
かつては手負いのグロウ・ウルフ一匹を仕留めるのにも躊躇いを見せていた彼女だったが、この世界での生活にも慣れた事でその手の動揺を見せる事なく手際よく作業していく。
水魔法で余分な血を洗い流し、火魔法で肉を焼いていく。
残念な事に塩などの調味料はないので肉の素焼きとなってしまったが、ものの三十分足らずで調理を終えると二日ぶりの食事へとありついた。
「いただきます」
熱々の肉汁が唇から溢れ落ち、何度も息を吹きかけては冷ましてゆっくりと食べていく。
しばらくの間空きっ腹が続いたせいでいきなり肉類などの消化に悪いものを食べれば腹痛の原因になる。けれど、しっかり噛み砕いていけば多少の腹痛は起こるが、余り酷いものにはならない。
その為、小一時間ほどかけて半分まで食べ終えると残りを水魔法で清潔にした布で包んでポーチへとしまった。
「ふぅ……さて、それじゃ頑張ろー!おーっ」
誰にいうでもなく、自分に言い聞かせて立ち上がると再び歩みを進めていった。
それから数時間後。
日差しも傾き始めて野営の準備をしようかと考え始めた頃。
「あ、見えてきた。あれがグローゲン砦……で、いいんだよね」
まだまだ距離があるせいで見えているのは小さなものだったが、視線の先には砦と思しき建物が写っていた。
正確な砦までの距離は分からないが、それでも比較する対象がなくともの感覚で眼に映る砦の大きさを推測すると、明らかにこの辺りを治める貴族が建てたにしては分不相応な大きさだというのは一目瞭然だった。
この一年間で様々な土地を巡ってきたが、グローゲン砦はその中でもダントツの大きさを誇っているのが分かる。
そんな巨大な建造物をただの貴族が建てるのはまず不可能だろう。
仮に可能だったとしても建設した費用との収支が付かなければ建てる意味がない。つまり、あの砦はその辺の貴族が建てたものではなく、国が主導して作り上げたものだと察しがついた。
「奴隷を買うならグローゲンに行け、か……国が主導して建てた砦で行われてるのが違法奴隷の売買なんて……信じたくないけど、まぁ見れば分かることだよね」
様々な旅路の途中で自分なりにこの世界の事を知ろうと色々な人の話を聞いてきた。
その中でもグラトニーの目撃情報に関しては念入りに調べたが、途中から分からなくなった。というのも突然その姿や痕跡が見つからなくなったというのだから情報を得ようにもそれ以上のことは分からなかった。
けれど、魔物の減退はグラトニーが姿を消してからも西へと続いており、最近ではグローゲン砦からほど近いダイラス迷宮を通じて亜人や獣人が住まうアグニスタという土地までの経路を確保出来たという話を聞いた。
その話を聞いて私はまずグラトニーの捜索の拠点としてグローゲン砦の事について色々と調べてきたのだが、砦については黒い話しか聞こえなかった。
正直余り信じたくないものから驚愕すべき事まで色々だ。
それでも一番驚いたのは普通なら国の暗部ともいうべき事実をごく普通の一般人ですら公然の事実として周知していた事に他ならない。
元々この世界の人間ではない私としてはとてもじゃないが信じられない事だらけだったが、これが自分たち転移者とこの世界の住民の違いなのだろうと深く納得するきっかけになった。
弓弦くんじゃないけれど、汚い言葉でいうなら反吐が出る。この一言しかもう出てこない。
それでも噂は所詮噂だから自分の目で確かめるまではあくまでも予備知識程度に留めておこうと思う。
……とはいえ、流石に今日はもう疲れた。
まだ暗くはないけれど、時期に夜になる。
月明かりもない完全な暗闇の中での移動は非常に危険だ。
私は土魔法で地面にちょっと深めの穴を掘ると、穴の周囲に魔物除けのお香を焚いて穴の中へと入っていく。
その中でも更に横へと一人部屋くらいの広さになるよう拡張させて、適当な場所に土で作った簡素なベッドと反対側に縄文土器のような器。というよりはドラム缶のような容器を作って中に水を注いでいく。
あとは容器の下から火魔法で水を温めればなんちゃって五右衛門風呂の完成♪
「はぁ~~っ生き返るぅ~~♪」
湯船に浸かりながら大きく伸びをして溜まりに溜まった疲れを癒していく。
ここまでの道中。流石に森の中ではいつ魔獣や魔物が襲ってくるのか分からなかった為ここまでのんびりとしたものは作って来なかった。
けれど森を抜け、グローゲン砦が見えるまで森から離れたこの場所なら魔物の心配はないだろうと判断したのだ。
魔物除けも決して万能ではない。あくまでも魔のモノが嫌う匂いを漂わせているだけなので、そこに獲物がいると分かれば襲ってくる危険性がある。
「それにしても、魔法って本当に便利だなぁ~」
皆んなのいる前では余り披露する機会はなかったけれど、こうしてわざわざ野営するためのテントなどを建てずに簡単な住居を製作できる。その上お風呂まで作れてしまうのだ。しかもたったの十分程度で。
ただこれだけでも割とバカにならない魔力を使う上に精密な魔力操作もしなければならないのでやろうとする人は少ない。
しかし、それでもお風呂はどうしても作りたかったのだ。入りたかったのだ。これだけば絶対に譲れない。
何せ汗水垂らしてこの数日間ずっと我慢し続けていたのだ。
肉体的にも精神的にも全力でお風呂に入りたいと私の中の衝動が暴れ狂っていたのだから。
「はぁ……弓弦くん。どこにいるんだろ……グラトニーの行方も気になるし……」
ちゃぽんっと湯船から挙げた左腕には銀色と黒いラインが特徴的な灰の腕輪が嵌められていた。
無意識の内に何度も触っていたせいか、ホルバドの受付嬢さんから貰った時と比べて随分とくたびれてしまっている。
私の中で弓弦くんとグラトニーの関連性は非常に高いものだと思っている。
何故なら調べれば調べるほど、消息を絶った時期と出現した時期が被っているからだ。
加えてグラトニーのような大型の魔物がダイラス迷宮に存在する事も稀で、かつ同種と思しき魔物も存在しない事が大きい。
いくら国の書物を読み漁ろうとも、冒険者ギルドが監修している伝説と呼ばれる魔物の記録を読み解いてもグラトニーの特徴を記した魔物は存在しなかった。
この国の、いや。この世界の歴史はかなり長い。
それこそ地球と同等か或いはそれ以上に長い。それなのにグラトニーと同種の魔物が観測されていないのは突然変異よって生み出された新種の魔物であるということだ。
確かに魔物の生態は未だ不明な点がいくつもあるが、それでも大凡のことは解明されている。なので、どこからともなく討伐難易度がA~Sクラスの魔物が突然現れるはずはない。必ず何かしらの前兆があった筈だ。
私はその前兆が弓弦くん。延いては私たち転移者にあると考えている。
私たちのような勇者召喚で招かれた者はこれまでも何度かあった。けれど、今回のような大人数での召喚は今回が初めてのケースで、その中でも弓弦くんのようなステータスを持つ者も初めてだったのだ。
弓弦くんのステータスに関しては記録していた騎士が吹聴したらしく、それを知ったクラスのほぼ全員はそれに嘲笑った。
『なんだ、アイツ自分が弱くなった途端に逃げ出したのかよ』
『恥ずかしい奴。でもいなくなったのは本当せいせいしたよな』
『でもよ、せめて何発かくらいは殴りたかったなぁ~、あー勝ち逃げされたみてぇで腹立つわぁ』
弓弦くんのこれまでの学校での態度を考えれば、そんな陰口が叩かれるのも仕方がないと思えた。けれど、正直にいって気持ち悪かった。
これまで学校ではビクビクと過ごしていた人間たちが、力を手に入れた途端に下卑た笑みを浮かべていたのを見て本当に気持ち悪いと思ってしまった。
それに何より、私は吹聴された彼のステータスに関して全くといっていいほど信じられない思いでいた。
何故なら私と彼はクラスチェンジを行えるポイントを貯める為に皆んなより一足先に実践経験を積むことがあったからだ。
そこでの彼は一撃で突如エイミーさんに襲いかかってきたシャドウ・ウルフの眼球を捉えて絶命させていたし、アレクさん達と手合わせをしていた時も圧倒的にステータスが違うにも関わらず投げ飛ばしていた。
そして決定的に格が違うと思えたのは勇者であるアキラくんが振るった訓練用の木剣を完璧に見切って回避し、反撃もしていたことだった。
遠目からではあったが、ステータスに関係なく弓弦くんは本当に強い人間なんだということを理解させられた。
確かにステータス上では弓弦くんは誰よりも劣っていたのかもしれない。けれど誰一人として弓弦くんには敵わなかったと思う。
そのくらい彼は強かったのだから。
だからこそ未だに彼が死んだとは思えない。きっと今もどこかで生きているに違いない。
そう思いつつ私は灰の腕輪に触れてどこかにいるだろう彼の無事を願った。
ーー翌朝。
日が昇ってすぐに私は動き出した。
野営地は出入り口の穴だけ塞いで、魔物が入らないようにしただけで後は何もしない。
無駄に魔力を消費して埋める必要がない事と、もしもの時のためのセーフティキャンプとしても使えるのでそのままだ。
難点としては目印をつけとかないと、分からなくなってしまう事だけど、あくまでも予備なので問題ない……決してめんどくさいからではない。うん、うん。
何はともあれ目前になったグローゲン砦へと足を伸ばして進んでいく。
天気は快晴なので絶好のお散歩日和だ。昨日久しぶりのお風呂にも入れたので気分も良い。
問題があるとしたら今着ている衣服や外套がかなりボロボロになっているのが気になる。
流石におしゃれに気遣うだけの余裕があるわけではないけれど、これでも自分で言うのも何だけど、うら若き乙女なのだ。最低限の気遣いはしたくなる。
それに余り薄汚れた格好でいると、情報収集をするにせよ、食事や宿屋に行くにしろ店の人からしたら余り良い印象を持ってもらえなくなるので、色々な支障が出てしまう。
一先ず砦に着いたら宿を取って食事をしたら服屋に行こうと決めながら頭の中でどういったものに着替えるかを思案していった。
半日ほど歩いてようやく砦の元まで辿り着いたは良いが、私はそれ以上先に進めないでいた。
大きめの砦や街などでは大抵中に入るのに違法な薬物や旅の目的などを聞くための審査が行われている。
その為、門の出入り口付近では必ずといっていいほど大名行列の如き長蛇の列が出来上がっているのだが、そういうわけではない。
寧ろその真逆で誰一人としてグローゲン砦の周辺には人がいないのだ。
まるで廃墟のように人のいる気配が感じられない。
「どういうこと?それにこの匂いって……」
砦の外にいるにも関わらず、錆びついた鉄臭さと僅かな腐臭が漂っていることに気づき、私は二の足を踏んでいたのだ。
匂いの正体は察しがついてる。けれど、迷宮でもないこんな堅牢な砦から漂ってくるものとは思えない。
色々と考えた末に、とにかくここで立ち止まっていても仕方がないと判断して私は砦の中へと入っていった。
ただすぐに後悔することになった。
「ひいっ」
門をくぐり抜けてすぐ目の前に何十もの死体が転がっていたのを見て私は短く悲鳴の声を漏らす。
死体はどれも腐敗が進んでおり、流れ出ている血は固まって地面を赤黒く染めている。
「な、に?何が、あったの?」
見渡す限り眼に映るのは死体。死体。死体の山。
それがどこまでも続いているのだ。
いくらこの世界に来てから時間が経ってグロ耐性がつきつつあっても流石にこの光景にはショックを隠しきれない。
私はふらふらとした足取りで気がつけば砦の奥へと足を進めていた。
本当なら今すぐにでも引き返すべきだというのは分かっている。ここで一体何があったのかなど、私には関係のないというのも重々承知している。
それでも私は足を止める事が出来なかった。
怖いもの見たさというのもあるだろう、興味本位というのもあるかもしれない。
けれどわざわざ死体の山を見にいくような趣味は私にはない。
それでも歩みを進めてしまっているのは、ここで何があったのかを少しでも知りたいと思ってしまったからだろう。
私には刑事ドラマに出てくるような死体を検分できるだけの知識も度胸もないのは分かってる。
それでも空気中に残っている微かな魔力の違いは分かる。
魔力は自然界の中でも溢れている。
もっと言えば空気中に漂っている元素の一つとして魔力が存在しているようなものだと認識している。
私は物理学者じゃないから本当はどうなのかは定かではないけれど、地球での知識に当てはめるとそう考えるのが妥当だと思っているからだ。
元素なんて普通じゃまず分からないけれど、長い間自分が魔法を主に使っている事もあってか何となくだけど自然のものとそうでないものの違いが分かるようになっていた。
例えていうなら何もない道路を歩いていた時と車が通り過ぎていった時に漂う排気ガスの温もりのような、そんなあやふやな違いだけれど、誰かが巨大な魔法を使った後なら何かが分かるかもしれない。
だから私は胃から込み上げてくるものを無理矢理に我慢して死体が散乱している砦の奥へと進んでいった。
聞いた話だとこのグローゲン砦はいくつかの区画があってその用途に合わせた人達が行き交っていたらしい。
今はどこに行こうと死体だらけでここが何の区画なのかも定かじゃないけれど、店の看板や冒険者ギルドがあった事からここが恐らく労働者エリアと呼ばれていた場所なんだろうと推測してみた。
「うっ……」
試しに立ち寄った冒険者ギルドに入ってみると、むせ返るような腐臭が扉を開けた瞬間に漂ってきた。
悲鳴こそ上げなかったが、嗚咽感は先程までの比ではないくらいに込み上げてくる。
余り長いはしたくない環境ではあったが、いつからこの状態だったのかを知るためには中に入らなければならない。
冒険者には原則として立ち寄ったギルドで安否確認の報告をする義務がある。
そこには立ち寄った日付などが記入されるので、最終日を見ればいつからこんな惨状になっていたのかを知る事ができるのだ。
私は目にしみるような異臭を我慢して鼻と口に布を当てがいギルドの中へと入っていく。
冒険者ギルドの作りはどこも大体似たり寄ったりなので、私はすぐにカウンターに向かうと内側に入って安否確認の名簿がないかを探し出す。
冒険者ギルドには幾度となく立ち寄った事はあったけれど、カウンターの中に入るのは初めてなので正直何がどこにあるのかなどさっぱりだった。
けれど、カウンターに突っぷすようにして倒れている受付嬢さんの下に一冊の本が下敷きになっているのを見つけるとそこに名前と思しきものが記入されていた。
「ごめんなさい……」
私は受付嬢さんの死体を端に退かそうと持ち上げた時、ぐちゃりと音を立ててまだ固まりきっていなかった血と腐っていた肉が擦れる音が聴こえて、見てしまった。
「ッッ!!おぇぇぇっ」
うつ伏せになっていて気づかなかったが、持ち上げた受付嬢さんの顔面が脳天から半ばまで縦一直線に斬り開かれていたのだ。
余りにも強烈な光景に先程までは何とか我慢出来ていた嗚咽感が限界を突破して、死体が倒れるのも厭わずその場で吐いてしまった。
ただ幸いといっていいのか、胃の中は空っぽだったので胃液しか出てこない。それでも喉をヒリヒリと焼くような不快感と異臭が堪らず崩れ落ちそうになる身体を必死に支えた。
しばらくして漸く治った吐き気から立ち直ると、私はカウンターに置かれていた名簿に目を通すが、全体に流れ出た受付嬢さんの血がにかわみたいに乾いて張り付いており、殆ど読めない。
代わりにページの端っこに恐らく日付だろう数字だけが見えたので、それが最終日なのかは不明だったが大凡3~4日ほど前に記録が途切れたのだと分かった。
色々と考えたい事があったが、それよりも先にここから出たいという衝動のが強くて私は冒険者ギルドを後にして外へと出ていった。
ギルドを出て向かい側にはちょうどよく酒場があり、私は中に入って胃液だらけで気持ち悪かった口内をどうにかしたくなりそちらへと入っていく。
酒場の中はそれほど広くはなかったが、店内には死体がなかったのでそれに安堵するとカウンターから適当な飲み物を取って口をゆすいでいく。
適当にとったものだったが、どうやら度数の高いお酒だったようでまた違う意味で吹き出しそうになったが、お陰で気持ち悪さはなくなった。
いつの日だったか、弓弦くんからは人前でお酒を飲むのはやめるよう言われたけれど、今はすこしでも良いから紛らわせるものが欲しかった。
お酒の良し悪しは分からないけれど、棚に蜂蜜酒っぽいものがあったので私はそれを手にとってチビチビと飲み始めた。
「はぁ~……もう、本当なんなのよ……聞き込みどころか生きてる人がいないとか予想外過ぎるよ……」
ぐったりとうなだれたまま弱音を吐いてしまう。
この世界に来てからというもの色々な事があった。人間の死体などを見るのも触るのも初めてじゃない。
地球にいた時よりもずっと身近に感じる『死』という存在に最初こそ動揺を隠せなかったが、今はもう随分と馴染んだものだと思っていた。
そう、自分でそう思っていただけだ。決して慣れてしまったわけではない。
一つ二つ程度なら時々道路などで見かけた動物の死骸と同じ思いしか湧かなくなっていたけれど、それでも今回のは余りにも数が多すぎた。
そしてその死に方もこれまで目にしてきたものよりも遥かに杜撰で残酷なものだった。
お陰で今の私の精神的ストレスは自分でもよく分からないくらいに過度に高まっている。
空腹だった事も忘れ、服屋に行こうと思っていた気もすっかりなくなってしまった。今はもうここからすぐにでも立ち去りたい気分で一杯だった。
「本当……何があったんだろ……ッ誰?!」
誰もいない筈の店内の奥からコトッと何かを置いたような小さな音が聴こえて私は突っ伏していた身体を瞬時に跳ね上げて音のした扉の方へと視線を向ける。
言いようのない不気味な感じがして、私は杖を構えて魔法の詠唱を始める。
「『火よ水よ。その身体に廻る赤き鮮血に熱を与えよ。我に力を与え給え』」
ぽわりと長杖の先端から暖かな光が迸ると、私の体へと光が溶け込み、同時に身体の芯から熱を帯びたように暑くなってくる。
普段はパーティメンバーにかけていた初級の身体身体能力を高める魔法を自分にかけてステータスの能力値を一時的にだが高めておいたのだ。
そのまま私はゆっくりと店の奥へと続く扉へと近づいて戸を開ける。
中は薄暗く視界が悪かったので「光よ」と呟いて杖の先端に魔力を流すと青系統のLEDライトのように杖が光り出した。
その光を頼りに中へと入っていくと、どうやらここは酒樽などが保管されている貯蔵庫のようでいくつかの樽と食材らしきものが置かれていた棚があったが、不思議な事に棚は空っぽで、酒樽もそこにあったと思われたが跡が残っているだけで殆ど中は空っぽだった。
しかし、物音がしたのは確かだったのでひと通り見回してみると残っていた酒樽の陰に何かがいた。
「誰?怖がらないで良いから出ておいで」
私はそう言って杖の明かりを酒樽の方へと飛ばすと、漸く隠れていた人物がはっきりと分かった。
灰色っぽい毛並みにシマウマのような黒いライン。尖った三角形の耳はピンッと尖って、切れ長に入った瞳は怯えているような視線を向けてくるが、警戒しているように毛を逆立てている。
「わっ猫の、獣人さん?」
この世界に来てから存在するというのは聞いていたが、初めて見た獣人の姿に思わず感動してしまう。
(凄い。本当に居たんだ。おっきい猫さんみたいだけど人間と同じ形してるし、顔も人間と動物を足して二で割った感じかな)
「フーッ!フーッ!」
「怖がらないで、貴女に危害を加えるつもりなんてな、きゃあっ?!」
構えていた杖を下ろして威嚇の声を漏らす猫獣人を宥めようとしゃがみかけた瞬間、私は突然後方へと引っ張られて凄い勢いで店の外へと叩き出されてしまった。
「?!?!」
ゴロゴロと移り変わる視界が止まると、突然の出来事に驚きながら顔を上げて周囲を確認すると先程までいた店内から一人の少女がゆっくりとした動作で出てきた。
「あ、あなたは?」
その少女は整った顔立ちに真っ白な髪を肩まで伸ばした五~六歳くらいの女の子だった。
ただすぐに人間ではない事にも気がついた。少女の頭には先程中にいた猫獣人のような耳と腰からは尻尾がゆらゆらと揺らめいていたからだ。
そして同時にその少女から発せられる殺気が見た目に反して尋常じゃない事も分かった。
無意識の内に手には汗が滲み出て、呼吸が異常なまでに早まりドクンッドクンッと心臓が五月蝿いくらいに高鳴る。
その理由は明確なまでの恐怖。
本能が早く逃げろと訴えかけてくるくらい彼女は危険だと告げてくるのだ。
けれど私の体はまるで自分のものではないかのようにその場から動けないでいた。
腰が抜けて立てないどころか、指先一本。足先一つ動かさず、目には涙が溜まり始めてしまう。
「や、やめ……たす、け」
少女が目の前まで来ると、その小さな細腕からは信じられない力で私の首を掴み上げてきた。
(こんなところで、終わっちゃうの?まだ何も出来てないのに?嫌、嫌イヤいやっ!!そんなのないよっ!まだ弓弦くんともっ)
「…………?」
「ゲホッゲホッ!」
声にならない叫び声をあげかけた時、目の前の少女が何故か私に顔を近づけるとしきりに匂いを嗅いできた。同時に掴まれていた首の力も弱まり、何とか呼吸が出来たが私の頭の中は混乱しっぱなしだった。
(え?え?何?何があったの?)
「ほかのとちがう……?パパと同じ匂い?お姉ちゃん、パパのお知り合い?」
「パ、パパ?」
突然の質問に混乱しながらも必死に質問の糸口を見つけようと思考を巡らせるが、そもそもパパとが何なのかが分からない。
誰かの事を言ってるのだろうが、その誰かが分からない。
これまで知り合った人の中にも、勿論クラスメイトの中にもパパという名前の人間はいないし、子持ちのクラスメイトなどいようはずもない。
知り合った中には子供がいる人たちはいたけれど、彼女のように猫耳と尻尾を付けた子供は見たことも聞いたこともなかった。
「あ、あなたのパパが誰か知らないの、ごめ……どんな人なの?」
一瞬謝りそうになったが、無関係な者だと分かればすぐさま殺されるかもしれないと思い質問を変えて問いかけてみた。
「んー……パパはね、すっごく強いの!それでね、すっごくカッコいいの!」
「へ、へぇ~、そうなんだぁ……」
先程まで感じていた殺気が無くなり、今度は年相応の子供のような無邪気な笑みを浮かべながら『パパ』の自慢をしだす少女に思わず困惑してしまう。
「じゃ、じゃあそのパパは今どこにいるの?もしかして逸れちゃった?」
「ううん、今はね。ひがし?の森に行って知り合いをさがしてくるんだって。あとおじちゃんからのイライ?でお友達も連れてくるんだって。
でも、すぐに帰ってくるって言ってたからそろそろだと思うの」
「東の、森……?」
頭の中で周辺地図を広げ、この近辺で森と呼ばれる場所を探してみるとそこはつい先日まで私が彷徨っていた森しか該当する場所が見つからない。
つまり、彼女のパパはあの魔物がひしめき、悪魔の子がいると噂される危険地帯に向かったということに他ならない。
悪魔の子に関して私が知ってるのは僅かなものしかない。
人間との間に生まれた魔なるモノ。
元々私たちがあの森にいたのは魔物の襲撃を予知したわけではなくその悪魔の子を討伐する為に向かっていたので、その危険性についても十分に知っている。
人間と同じ姿形をしているが、中身は魔物と同じで強力な能力を有してる上に知能も非常に高いらしい。
魔物にはない策を用いて絡めてを使う個体も少なくなく、夜襲は勿論突然の奇襲や魔物を使った襲撃など普段自分たちが相手にする魔物や魔獣とは一線を引く戦い方が主なものだ。
そんな強力な魔物を相手に務まるのは冒険者の中でも最低銀クラス以上の実力が必須と言われて私たちが派遣されたのだが、結果は惨敗。
私としては魔物の襲撃にあったお陰でどさくさ紛れにパーティを抜け出す事が出来たのである意味では成功と呼べるのは確かだが、結果だけ見ればパーティの一人を犠牲に魔物の襲撃を退けた事で表向きには成功なのだろうけど失った戦力を考えればやはり惨敗と言っていい結果になった筈だ。
「それよりも、お姉ちゃんは誰なの?どうしてここにいるの?」
別のことに思考を巡らせていると、少女がその金色の瞳でまっすぐに見つめて来ていたことに気づいた。
質問した内容や声音からは子供特有の無邪気さを含んだものだったが、私はその瞳を見て思わず息を飲んでしまう。
まっすぐに見てくるその瞳からは何の色も感じられず、ただ無機質な機械のような冷淡さが感じられたからだ。
私は震えそうになる声を我慢して、腕輪を反対の手で握りしめながらゆっくりと答えた。
「私は、結奈。間宮 結奈って言うの。少し前までは『使徒』とか『御使』他には『聖女』なんて呼ばれてたかな」
「ユナ……?マミヤが性?」
「う、うん。そうだよ、私は勇者召喚の儀式でこの世界に来た内の一人なの」
「……そーなんだ。うーん、じゃあどうしよう……うーん」
話を聞いて唸り声を上げる少女に私は内心で冷や汗が止まらなかった。
嘘をついても良かったのだけれど、本能的にここで嘘をついても良くない結果になると悟った私は正直に話してみた。
恐らく彼女はこの砦内の惨状に無関係ではない。だとすれば、彼女は等しく人間に対して良くない感情を持ってる筈だ。
だからこの世界の人間ではない事を告げて憎悪を向ける対象ではないと言いたかったのだが……その事を理解してくれるかはまた別の話になる。
自分のこの選択が間違っていない事を祈りながら私は震えそうになる手を腕輪を掴んで必死に堪える。
「んっ!決めたっ!お姉ちゃんにはパパが帰ってくるまでミーとおるすしてもらいます!」
「おるす?あ、お留守番?」
「うんっ!きて!」
「え?あ、ちょっ……え?」
そう言われて少女に手を引かれた瞬間、視界が瞬く間にぐにゃりと歪んだかと思えば次の瞬間には薄暗い場所にいた。
「え?え?ここって……ろう、や?」
辛うじて周囲が見える程度の魔道具の明かりによって今いる場所を見渡すと、周囲の壁は石材で隙間なく埋められ出入り口と思しき扉は鉄製の重厚感のある作りをしている。
扉の上下には二つの小窓があるが、どちらもこちらからは開かないような作りになっている。
他にはボロボロの布が一枚と壁から鎖で繋がれた手枷があるだけでそれ以外は何もない。
何をどう見ても完全に牢屋の中にいるのは間違いなかった。
(さっきまで外にいたのに、え?どうして?まさか転移魔法?嘘っそんなの絶対にありえない!転移魔法は大規模な魔法陣と術者が何人も必要なはずなのに、それに魔力の流れすら感じなかった!)
転移魔法は確かに存在する。
けれど、それは非常に効率の悪いもので知られている。
まず転移先となる場所と転移する場所に複雑な魔法陣が必要とされ、魔法を行使する者は鮮明かつ繊細に転移先の事を把握していないといけない。
しかもそれが少なくとも数人。多ければ十数人は必要となる上に長い詠唱が要求されるものであった。
単純な魔力量だけなら今の結奈であれば一人で転移魔法の行使は可能であろうが、それでも半日は詠唱に時間を費やさなければならない上に転移距離も限定されてしまうのは間違いない。
決して手を捕まれた瞬間に転移が発動するなどまずありえないのだ。
おまけに現在いる場所が牢屋であるならなおのこと不可能といっても過言じゃない。
監獄や留置所などの所謂罪人が入る部屋には内外共に魔法の行使を妨げる効果のある石材や魔道具がどんな場所にも存在する。
これは捕らえた罪人が魔法士だった場合や、高レベルの攻撃系のスキルを持つものを無力化させる為のものでこの中にいる間はどんな屈強な者でもなんの意味を成さないのである。
「お姉ちゃんにはパパが帰ってくるまではここにいてもらうね♪ ごはんとかはみんなといっしょにもってくるから待っててね~」
「あっ!待っ……嘘……」
言うことは全て言ったというように少女は手をひらひらさせて、今度は目の前で見ていたにも関わらず魔力の残滓すら残さずに少女は消え去ってしまった。
まるでそこには誰もいなかったかのように忽然と消えてしまったのだ。
余りにも驚愕な出来事に私はしばし呆然と立ち尽くしていたが、やがて壁に背を預けるとずるずると腰を下ろして蹲った。
「……もう、本当なんなのよ……わけわかんないよ……助けて、弓弦くん」
こんな事になるなら門の所ですぐに引き返せば良かったと後悔しながら自分の無力感に思わず涙を流してしまう。
これから自分がどうなるのか、どうすれば生きてここから出る事が出来るのか。もうそれすら考えるのが億劫になり、私は膝を抱えたままこの薄暗い狭い部屋の中で一人泣きながら眠りについていった。
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