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第3章

第33話ーー新スキル。その名はーー

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「パパおかえりー!」
「おう、待たせたな」

 宿屋に戻ると出迎えてくれたミリナが飛びついてきたので抱っこして受け止めてやるとそれが嬉しいのか「えへへ~」とはにかんだ笑みを見せてくる。

……何となく。ほんとーに何となくだが、世の中の父親が娘を甘やかす理由がちょっと分かった気がする。

 とりあえず室内に入ると、ミリナに頼まれて買ってきた紙束とそれとは別に日記帳のような鍵付きの本を渡してやった。
 これは買ってきた訳ではなく、襲撃してきたマフィアの屋敷にあった新品を拝借してきたものだ。
 見た目がただの日記帳にしては随分と豪奢な作りをしていて普通に買ったら金貨が何枚か飛びそうだが、盗めばタダだ。
 ついでに金品もたんまり貰ってきたので懐はかなーり温かい。
 他にも面白そうな魔道具があったので全部貰ってきた。
 その内の一つが腰につけたポーチ。中級の収納鞄だ。

 どっかの奴と取引する物品だったようで説明書っぽいのと一緒に置かれてたので助かった。俺に鑑定のスキルはないからな。

 こいつは見た目に反して様々なアイテムが収納出来る魔道具で、初級の収納鞄でも人間一人は入ってしまうらしい。
 中級にもなればバモウル十頭が入ると説明書には書かれてたが……そもそもバモウルって何だ?

 よく分からんかったが、屋敷にあったものを手当たり次第に入れてみてもまだ余裕があるくらいだったので相当な量が入るのは確かだ。

「それにしても、紙なんて一体何に使うんだ?」

 ベッドに腰掛けて、渡した紙とペンで一心不乱に何かを描くミリナを傍目に問いかける。

「んっとね~……んー?んー……ちょっと待っててね、パパ」
「どっか……って最後まで言わせろよ」

 要領を得ない事を言ったかと思えばピュンッと何処かへ消えてしまった。
 訳がわからず、とりあえず待つこと数分。

「ただいま~」
「どこ行ってたんだ?」
「えっとね、お空!あとこれも!」
「は?はぁあ?!」

 手渡されたのは先ほど渡した紙の一枚。
 そこには上から見た砦の構造が大雑把ながらも詳細に記されていた。

「……ひょっとして空からここの様子を見てきたのか?」
「うんっ!」
「…………」

 何という大胆過ぎる行動か。
 いくら無限に等しい転移能力があるからと言っても地図を描く為だけに上空数千メートルからスカイダイビングを連続して行う幼女が一体どこにいるというのか。

 答え。ここにいます。

 流石にツッコめる要領を超えて一瞬頭の中が真っ白になってしまった。
 なるほど、これがオーバーヒートというやつか。
 俺も大概常識外れの事はしていたつもりだったが、これほどじゃない。これほどには流石になれない。

 半ば放心状態になっているにも関わらず「ねっ!ねっ!ミーすごい?えらい?」とはち切れんばかりの笑みと褒めてアピールをしてくるミリナ。

 子供を持つ全種族の父親よ……こういうときどうすれば良い?
 連続スカイダイビングをしてきた娘を叱るべきか?それとも色々と凄いことをしてきた事を褒めるべきか?
 分からん……マジでどうしたらいい?

 いや、逆に考えるんだ。そもそもミリナは精神年齢こそ(見た目もだが)幼くなってるが、中身は俺より少し年下の女の子だ。
 つまりそれなりの教養や人格は整っていた。そうじゃなけりゃ地図なんて便利なものは作ってこない。
 自分が行った危険性についても重々承知の上でやったに違いない!だからここは褒めてやるべきだ!

「お、おー。偉いぞ、凄いなミリナ」
「やったー!褒められた♪ 褒められた♪」

 戸惑いながらもそういって頭を撫でながら褒めてやると小躍りしながらミリナが喜びを表現してくる。
 
(これで良かった……んだよな?)

 自分の選択に生まれて初めてといっていいくらいに疑問を持ちながらも一先ず飲み込んで、受け取った地図に視線を落とす。

(しかし、凄いな。大雑把だが、ある程度どこに何があるのかが分かる……自分の足で下見をやるにしてもこいつがあればけっこーな時間が短縮出来るな)

 描かれた地図は子供の落書きというには良くかけており、ちょっとしたガイドブックのようにも見える。
 この地図を頼りにマフィアのボスから得られた情報を重ねると。

「なぁ、ミリナ。ここの四角い場所からは何が見えた?」
「えっとね~、おっきな建物が三つくらいあったよ。それでね、お外の方にいっぱいお昼寝してる人がいたの!小山みたいになってた!」
「……そうか」

 その話を聞いて小山の正体がすぐに何か分かった。
 俺の指差した四角い建物。それはマフィアのボスから聞いた養殖場のある場所だ。

 養殖場では日夜変態趣味のクソ野郎共が捕らえられた亜人・獣人・人間奴隷が日々交配生産され、生まれた人間寄りの顔立ちをした半亜人と半獣人だけが生きる事を許された施設だ。

 それ以外がどうなるか。答えは小山となって現れる。

「ミリナ」
「なぁに?パパ」

 いつのまにか膝の上に座っていたミリナに声をかけるとくるんっと首を上に向けて返事をしてくる。

「俺はこれからこの街。この砦に住む連中全てを皆殺しにしようと思う」
「うん、ミーも頑張って手伝う!」
「……その準備としてミリナの見た小山へ向かうつもりだ」
「それならミーが連れてってあげるね♪」
「…………ハッキリ言うが、胸糞悪いなんてもんじゃねぇ。お前が見る必要なんて何一つねぇ」
「でもパパは行くんでしょ?ならミーも付いてく!一緒に行くって決めたもん!」
「………………はぁ。もう勝手にしろ」
「やったー!!」

 ……なんか、疲れた。
 教育上あんましよろしくない光景を嫌でも見る羽目になるから連れてきたかはなかったが、こっそり抜け出しても転移してきそうだし、説得するのも無理くさいってか面倒くさくなってきた。

……そういや、以前のミリナもなんだかんだで結局は付いてきてたしな。懐かれてるって思えば悪い気はしねぇが、幼女になってまでこうなるとお手上げもいいところだな。

「それじゃ夜になるまで適当に時間を潰すか。俺は寝るがーー」
「ミーも一緒にお昼寝する~」
「……まぁそれでいいならいいけどよ」

 時刻は夕暮れ。昼寝と称するにはやや微妙な時間だが、今のうちに寝溜めしとかねぇと集中力がもたん。

 この身体になってから睡眠とは随分縁遠いものになってたから忘れがちだったが、一応寝ようと思えば普通に寝られるだろう。いつぶりの睡眠か謎だが……。

 そんな事を考えながらベッドに横になるとその横にミリナが当然とばかりに入ってきた。
 流石に幼女に欲情することはないが、遠ざけようにもめちゃくちゃ寂しそうにするのでそのまま無視することにした。








 夜、来た時はそれなりに賑わっていた大通りも今は静かになり月明かりだけが街の中を照らしている。
 そんな中で俺とミリナは屋根伝いにオークションエリアへと向かっていた。

 情報によるとオークションエリアは完全に隔離された場所にあって塀も高く、正式な紹介状がなければ通ることが出来ないらしい。
 抜け道もないことはないが、そうなると一度砦の外から侵入しなくてはならない。
 ミリナの転移を使っても良かったが、哨戒中の衛兵と鉢合わせになると困るのでやめることにした。
なので俺たちは宿屋から屋根伝いにオークションエリアへとショートカットして塀を飛びこえようと企んだのだ。

 魔法的警報装置があるらしいが、それが発動するのは塀に手をついたり、何かが引っかかった時だけらしいので「だったら飛び越えればよくね?」ということになり走り抜けている最中だ。

 念のため姿を見られても困らないように黒いローブとフードを目深に被り、顔には認識阻害の魔法がかけられた仮面をしているので大丈夫だろう。

 認識阻害の魔法が付与された魔道具はどれも高価な代物ではあるが、こいつはマフィアの屋敷からパックってきた物なので金銭的損失は一切ない。
 被った時に若干視界が遮られるかとも考えたが、目の周りの穴が思ったよりも大きくていらぬ心配だった。

 ただ言いたいことがあるとしたらマスクのデザインだ。
 かつてミリナがエリセンでの滞在時に貸してくれていた能面のようなものではなく誰の趣味なのか、口が裂けているように口角が上がった笑みを浮かべたデザインなのだ。

 昔潰したどっかの族だかヤンキーだかのシンボルマークに似たピエロのようなデザインをしていて若干使うのに躊躇いを覚えたが、便利は便利なので我慢して使うことにした。

 ちなみにミリナの方は俺とは対照的に悲しんでいるような表情のマスクだ。まぁアイテム名も『歓喜』と『悲哀』だしな。名称通り過ぎてツッコミも湧かない。

 そういうわけで、屋根伝いに走り抜けること十数分。
 ようやく目的のオークションエリアへとたどり着いた。

 塀の高さは遠くから見ていても分かったが、中々の高さだ。
 恐らく本来の用途としては収容所か監獄的な役割を果たすために作られたのだろう、外壁とほぼ同じ。
 普通の人間がこれを登ろうとしたら余程の身体能力か風魔法でも使わないと無理だろう。

(……庄吾がみたら立体起動装置とか作りそうだな)

「よっと」
「じゃ~んぷっ」

 そんな高い塀も俺とミリナの身体能力なら無いも同然だった。
 俺は普通に走り幅跳びの要領で飛び越えたが、ミリナの方は空中で無意味にもくるくる回転しながら飛び越えていた……側転で。
 ちょっとどうやったのか気になったが、一応潜入してきてるのだからここは一言言っておくべきだろう。

「コラ、変な飛び方するな。コケたらどうする」
「えへへ~、ごめんなさーい」

 全く。遊びに来てるのと勘違いしてるんじゃねぇだろうな。

 彼らを知る、というか誰が見ても「そこじゃない」とツッコミたくなるやりとりだが、生憎と誰も彼らを目撃などしていなかった。

「それにしても嫌な臭いだな」
「うん、くしゃいね!」

 塀を一枚隔てただけなのに着地した場所からは既に腐臭というか、魚の腐ったような異臭とどんよりとした思い空気が立ち込めていた。

(んー……なんか知ってる感じはすんだが、なんだっけ?この空気。裏路地?廃屋?……違うな、なんかもっと嫌なとこだった気がすんだが……まぁいっか)


 気を取り直してミリナの書いた地図を元に養殖場の方へと移動しようと歩き出すと、通りの角から二人の会話する声が聞こえてきた。
 さっくり殺して進もうかと考えたが、会話の内容が気になったのでミリナを抱き寄せながら物陰に隠れて盗み聞く事にした。

「……にしても今月は出荷が多くて嫌になるな」
「全くだ。生産も追いついてねぇってのに……明後日にはまた新しい家畜が届くからそっちにも人を回すんだとよ」
「はぁ~、せめてエルフかドワーフだと良いのになぁ。獣相手じゃイマイチ盛り上がれねぇ」
「そういうな。一人でマスかいてるよりよっぽどいいだろう」

 どうやらここの従業員らしい。
 会話の流れからして一仕事終えての愚痴大会ってところだろうが、その内容には反吐が出る。
 ミリナからも抑えているようだが、抱き寄せる身体からはハッキリとした怒気を感じる。

(抑えろ、気付かれるぞ)
(フーッフーッ、でも、パパ)
(解ってる、だから抑えろ)
(……うん)

 声を潜めて宥めてやると、とりあえずは落ち着いてくれたらしい。逆立てていた耳や尻尾をしゅんとさせる。
 そうこうしてる間に話題は別のことに変わっていった。

「そういや知ってるか?勇者様の話」
「バリューズにいるって話か?それとも魔王討伐の遠征に出かけたのか?」
「いや、どうやら勇者様のパーティメンバーの一人が姿を消しちまったらしい」
「は?!どういう事だ?ってか大丈夫なのかよ、勇者様のパーティっていうと使徒様なんだよな?」

 相方の言葉に激しく動揺したように詰め寄る男は声音からしてもどうやら本当に心配しているらしい。
 それに対して相方の男は「落ち着け」と言って宥めている。

「俺も詳しい事は知らんが、東の森で例の『悪魔』を討伐する為に勇者様達は向かったんだが、そこで魔物の群れに遭って散り散りになっちまったらしい」
「魔物の群れ?ひょっとして新たに迷宮でも出来たのか?」
「さぁな。まだそこまでは分からんが、出てきたのは虫型の魔物で兎に角数が凄かったようだ。
 勇者様達がいなきゃバリューズまで飲み込む勢いだったって話だから相当だろう……ただ魔物が退く時に使徒様の一人が居なくなってたらしい」
「マジかよ……使徒様ってのは全員が金クラス相当の実力者だって聞いてたんだが……」
「仕方ねぇよ。噂じゃまだ二十にもなってないって話だしな」
「可哀想に、そんな歳で魔物餌になっちまうなんてよ……」
「まだ確定したわけじゃねぇよ。明日にはここからも捜索隊を派遣するらしいからな」
「本当か!それなら俺も」
「バカっ!テメェは仕事だろうが!それに俺らが行っても魔物の餌になるのがオチだ!」

 二人組の会話はそれ以上は実になるものではなかった為聞くのをやめた。けれど、予想以上の収穫があった。
 
(……あぁ、そういうことか)

 この世界に来て随分と経った気がするが、二人組の会話を聞いていて、ようやく喉に引っかかっていた小骨が取れたような、そんな爽快感を味わっていた。

 得られたの話題となっていた使徒の事でも悪魔の事でもなく、この世界の人間の価値観だ。

 これまで幾人かの人間と幾人もの亜人・獣人と言葉を交わしてきても、こういった『ものの価値観』というのには気付かなかった。
 何せ比較するものが無かったし、そのどれもがあやふやだったからだ。けれどようやくその一端を知る事が出来た。 

 亜人や獣人にどんな非道を敷いていようと彼らには何の罪悪感もない。だけど同じ人間ましてや勇者と持て囃されてる連中には感情が突き動かされる。

 困っている人を見れば助けようとする。
 人の不幸を聞けば同情する。
 誰かの危機を知れば心配する。

 そのどれもがとても人間らしい行動であり、感情だ。

 だけどその『感情』が動かされるのは同じ人間だけだ。

 きっとこの世界の人間(かれら)にとって自分たち以外の種族は等しくどうでもいい種族なんだろう。
 そうじゃなければこんな養殖場なんて呼ばれる施設は作らないし、使徒の一人が行方知らずと聞いて同情なんてしない。

 人間種以外に向けられる感情はゲージの中に入ったモルモット程度でしかない故に彼らはどんな事でも出来てしまう……本当に腐った存在だ。
 俺も元とはいえそんな腐った連中と同じ種族だったと考えるだけで反吐が出そうだ。

「パパ……?」

 その問いかけにハッとなって我に返るとミリナが心配そうに見上げてきていた。

「悪い、少し考え事してた。連中は……もう行ったのか、仕方ねぇ。俺たちも行こう」

 俺は先ほどまでの思考を一旦止めていつの間にか去っていった二人組を確認して動こうとするが、それをミリナが心配そうな声で静止してきた。

「うん……パパだいじょうぶ?」
「ん?」

 質問の意図が分からず聞き返しながら見やると眉を八の字にして心配するような、困ったような表情のミリナが見つめてきていた。

「あ……」

 そこでようやく気づいた。二人組が話していた話題で上がった行方不明の使徒についてだ。
 ミリナには俺が地球という別の世界から召喚された使徒の一人だと教えている。そのことを心配してくれてるのだろう。

 ただ正直いうと俺にとってクラスの奴らは等しくどうでもいい存在だ。ぶっちゃけ他人と変わらん。
 俺にとってあのクラスで大切なのは菜倉と庄吾以外には……いたな、一人。というか二人くらい。

 転移したての頃に一緒にグロウウルフを狩りにいった間宮 結奈とその友人の枢木 飛鳥だ。

 まぁ枢木の方はどっちでもいいんだが、アイツは物事を公平に見れる珍しい奴だったし芯の通ったいい女だったしな。
 こっちに来てから、そんで俺が出て行ってからどうなったかは知らんが、アキラの暴走を止める歯止め役……所謂苦労人を続けてそうな気はするな。

 結奈に関しては……んー、ちょっと気がかりではあるな。
 別に惚れた晴れた云々じゃなく単純に気になっただけだ。
 短い付き合いだったし、会話もそれほどじゃなかったが、心配なところがあったからな。うーん。

 まぁいっか、ここを潰したら寄り道がてら東の森だかに行って探すとしよう。骸骨王への報告はそのあとでいいはずだ。

 なのでミリナには「これが終わったら寄り道するぞ」とだけ言って返事を聞かずにサクサク歩いて行った。








  養殖場エリアは一言で言うとちょっとした倉庫街のような場所だった。
 港町とかでもありそうな巨大な倉庫が三つ。それ以外にも一回り程小さくした倉庫が二つ並んだ場所だった。

 従業員なのか、巡回してる兵士なのか、定期的に倉庫から出入りしてきてるが、必ずと言っていいほど手には鎖とその鎖に繋がれた獣人の女・子供が連れまわされていた。
 中には木箱の詰まった荷車を四つん這いの状態で引かせている姿も見え、それを容赦なく鞭で叩いていく人間の姿はさも当然と言わんばかりの光景だった。
 
 身につけている衣服も獣人には与えられておらず、裸同然で過ごさせ、人間との混血児には麻袋に穴を開けた貫頭衣のような物を着せているだけだった。

「チッ……胸糞悪ぃな」 
「うん」

 物陰からその様子を見ていて言葉を漏らすとミリナからもハッキリとした殺意の篭った返事がきた。
 予想はしていた光景だったが、それでも怒りが込み上げてくる。
 
 このまますぐにでも全てを壊してやりたい衝動に駆られるが、同じ獣人だったミリナが堪えているのに先走って暴れるわけにもいかないので理性で押し殺して先へと進んだ。

 予想はしていても見ていて気分のいいものはなかった為か既に苛立ちが最高潮にまで来ている。
 短気なのは自覚してはいるが、少しの間とはいえ我慢している自分を褒めてやりたい。

 そんな事を思いながら俺たちは暗闇の中を駆けて、倉庫の裏手側へと向かっていく。
 途中でまるでこれより先は立ち入り禁止だと言わんばかりのちょっとした門と、その門番らしき二人組の兵士がいたが、気が緩みきっているのか眠気を堪えるように欠伸をしたり、駄弁って時間を潰しているようだったので城壁の壁を蹴って気づかれる事なく通り過ぎていった。

 ただ隔離されてるだけあってか、門を通り越すと一気に空気が変わった。
 感覚的にというわけではなく物理的にだ。
 まず門を通り越した瞬間から鼻が捻じ曲がるのではと思えるほどの悪臭が鼻をつき、空気も湿度が篭った嫌な湿り気を帯びている。

 俺よりも鼻がいいミリナはあまりの匂いに目に涙を浮かべていたが、流石は元銀クラスというべきか。
 以前の記憶があるからか、それとも本能か経験則かは分からないが、手で鼻をつまむような事はせず匂いに慣れる為に我慢している。

 戦闘になった際に最初からこうした悪臭に慣れているか否かで大きく変わるからだ。
 
 俺もミリナを見習って数度深呼吸をして覚悟を決めると止めていた足を再び歩みだした。
 
「…………」
「…………」

 会話はない。
 この先に何があるのか、それが分かっているだけあって何も話せないのだ。
 
 臭いの元に近づいていき、角を曲がった先にあったのは。

「チッ……」
「っ」

 思わず息を飲むほどの夥しい数の死体の山々だった。
 柵で囲むように直径十メートル程の大穴からは、収まり切らずに高くまで積まれた無残な姿をした獣人の死体。

 殴打された男の死体。首に手形の痣を残した女の死体。
 全ての歯を引き抜かれた少年の死体。手足が切り落とされた少女の死体。
 腐って頭蓋が半分剥き出しになった赤子の死体。

 それら全てが獣人のもので、長らく放置されているからか、それとも別の理由からか不自然に体の一部が膨れ上がった死体ばかりだった。

(……変だな)

 獣人族の成長は人間に比べてかなり早いというのはアグニスタにいた頃からミリナに聞かされていた。
 その分成長が早いだけ短命であるのでも有名らしいが、中には長命な種族もあるので一概にはいえないらしいが……それにしても死体の数や形態が不自然に感じた。

 アグニスタに通じるトンネルが開通してから正確にどれほどの期間が経っているのかは知らないが、それにしても死体の数が多い。
 何より死体の形態……腐敗が早すぎるように感じたのだ。
 詳しい事は庄吾の奴に聞かないと分からないが、生物が死んでから腐敗が始まるのは凡そ十数分で始まるらしい。

 そこから腐って白骨化するまでは環境にもよるが、今は春先のようなやや肌寒さを感じるくらいの気候なので最低でも数ヶ月はかかるだろう。

 ひょっとしたら腐敗を早める薬品でも使われてるかもしれないから一概にはいえないが……。

「……それでも死体が膨張するのはおかしいよな」
「パパ」
「どうした?」

 黙考しながら一人で呟きを漏らしていると、死体を見つめていたミリナが何かに気づいたようにそのうちの一つの死体を指差した。

 それは腹部から膨張して口を大きく開いた少年の死体だった。
 だらりと垂れ下がった舌べろは変色して紫とも緑色とも見える色に変色しており、苦痛の中で死に絶えたのが一目で分かるものだった。

「パパ。この子、たぶん『成魔薬』を飲まされてた」
「成魔薬?なんだ、それ」
「魔獣の血液とかを薄めて作ったお薬で、成長する速度を早めてくれるの。でもすっごく危ないからどこのお国でも持ってるだけで重罪なの」
「なるほど……つまりコイツらは」
「うん、みんなその副作用に耐えれなくなっちゃったんだと思うの」
「チッ胸糞悪さが格段にあがったな……もういい。全部終わらせるぞ。スキルを使うからミリナは離れてろ」

 地球でもどっかの国じゃ成長速度を早めるよく分からん薬を使って豚を育てる養豚場があったが、まさか異世界でも同じようなものがあるとは夢にも思わなかった。

 しかも使う相手が家畜ではなく、獣人とはな。
 食うために、生きるために使うならまだしも変態どもの娯楽のために遊び殺すのに使うのは我慢なんねぇ。

 そういうわけで早速スキルを使おうと意識を集中させるが、何故かミリナが離れようとしなかった。それどころか服の袖を引っ張って見上げてくる。

「どうした?早く離れろ」
「……パパ。いなくならない?」
「?当たり前だろ」
「ほんとに?パパじゃなくならない?」

 その問いにようやくミリナが言わんとすることがわかった。
 俺の使おうとしていたスキル。
 それは端的に言えば対話をするだけの能力だ。けれどただ対話をするだけじゃない。対話の末にある危険について危惧しているのだ。

 上手く話が纏まらなかったり、相手の意識が強すぎた場合良くて廃人悪くて相手の意識に飲み込まれ身体を乗っ取られる危険があるのだ。

 実際に使うのが実質今回が初めてなので、どうなるかは分からない。けれど今回に限っては何の問題もないと思っていた。
 何せ対話の相手は嬲られ壊され殺された怨霊達だ。
 憎悪に溢れた彼らの目的と俺の目的は限りなく同じに等しい。
 だから失敗する事はないと踏んでいた。

「俺が俺以外になるもんかよ。それにもし仮に飲まれたとしても、お前が助けてくれるだろ?」
「……うんっ!パパ助ける!」

 一瞬驚いた表情を浮かべて来たが、すぐに笑顔になって大きく頷いてくれた。

「よし、それじゃなるべく遠くに離れてろよ」
「あい!」

 そう返事をした次の瞬間。どこぞの超戦士のように姿を消していった。それを見送ると、俺は再び意識を集中させる。

 このスキルはその性質上、他の戦闘系スキルとは異なりかなりの集中力が必要となるのと同時に魔力もごっそりなくなるから中途半端に使う訳にはいかない。

 そして明確で、確固とした目的と意思がないと危険性が跳ね上がるために無闇矢鱈に発動させる事が出来なかった。

 けれど今はその全ての前提条件がクリアされてる。
 色々とやり残した事はあるが、そんなものは些細な事だ。
 一秒でも早くこの地を滅ぼせるのなら俺はそれに全力を出そう。

「スキル発動……」

滅ぼす理由。滅ぼしたい理由。色々あるけど、最もシンプルな理由としてはやっぱりこれだろう。


「『怨霊(ナシ)対話(つけようや)』


 ムカついたから、ぶっ殺そう。



 その日を限りにスルグベルト公国の境界山脈付近にあった防衛施設であるグローゲン砦は文字通り、死の砦となり防衛施設の機能を失うこととなった。


















 
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