詩まとめ

谷岡藤不三也

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短慮

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短慮



人体だけでなく
建物も知らなきゃいけない
動物も知らなきゃいけない
植生も知らなきゃいけない
あらゆることに精通していなくてはいけない
絵を描くって単純に見えて総合的な技術なんですね
でもまあ、そもそも総合的でないものなんかないですよね
無知ゆえに舐めてかかってただけでした、反省します



Q:アイデアが降ってくることはありますか
A:ありますよ、というかアイデアはいつもいたるところで降りまくってますよ
それをいかに自分の頭の中に入れるかっていうのが問題で
頭動かして入れに行っても、落ちる先を読み違えて、実は動かさなければ入ってたとか
入ったと思ったらバウンドして外に出ちゃったとか、そんなのしょっちゅうありますよ
Q:アイデアって跳ねるんですか
A:跳ねます跳ねます、普通にぼよーんって、刺さる時だってありますよ、グサっと、そん時は流石に痛いですけどね、ぎゃって感じで



若い女の子を前に出して、自分は後ろで彼女たちからチューチュー栄養を吸い取って肥え太ってる虫みたいな目をしたクズ
売れなくなったら使い捨て、他にも「夢」を抱く養分たちはいくらでもいる
そんなやつがテレビ出て偉そうに何語ってんだよ
使ってる言葉、語ってる内容、どれも平凡
小手先で何も響いてこない、顔が見えてこない
偉そうに自分が第一発見者ですみたいな顔して
それっぽいだけの無価値な文字の羅列
ネームバリューだけでもてはやされてる、わかりやすいトピックを作るための広告塔
心から尊敬して響いてすごいって思ってるからってわけじゃない
さっさと引退してくれ
どうしてこう、自尊心だか自意識が肥大化したやつは人に渡せず任せられず、自分を過信したままゴミみたいなモノをすごいでしょってツラして自信満々に喋るんでしょうね

自意識が肥大化してるの、体型にも出てますよ!バレてますよ!

まあ可哀そうではあるけどな、ある意味では
何もかも押し付けられてオーバーワーク
だから一緒に仕事押し付けてる側も引退してくれ
若い子どもたちを前に立てて、その養分を吸い取って肥え太っているやつから栄養を吸い取ってガハハと笑い飛ばしているやつもいるよということですね
どっちもクズ



掛け布団
重ねれば重ねるほどあったかくなるけど
その分だけ寝返り打ちにくくなる



夢があったとして、叶いませんでしたーバッドエンドでエンディングへ
なんつーふーには終わっちゃくれないよ
続くんだから、次へ次へ行かないと
人生なんてできないの連続なんだから
その中でかろうじてできそうなところを辿っていく道が人生なのです
柔軟にいこう
夢も自分も確固たるものじゃない、変質していくものだから、流れに任せよう
人生の節目節目にやりたいこと目標があって
そこへ至るためになんか色々積み重ねて
たとえ届かずとも、別の形で別の目標へ向かう際のアドバンテージになったり、そのまま流用して達成できちゃったりするんで
何でもかんでも断捨離だなんだって捨てないで
大切にしましょう、かけた時間、やってきた自分は肯定していいと思いますよ
やってきたこと全部、己が無駄にしなければいいだけの話ですから、無駄にしない方法はたくさんあるよ
当人が閉ざさない限り、利用法はいくらでもある
これだけで気が楽にならん?よっしゃやるかって思えません?



努力だの頑張りだのは好きじゃない
限界あるから、何かを犠牲にして行うものだから
好きも錯覚してる場合があるから的確でない、思い込みは気づけないんだよねほんとに
なんも考えず、特別な感情も何もないまま、フラットに冷静に考えて、積み重ねていける状態がベスト
そこに情熱はないかと言われたら、あるに決まっていて
ただ、好きだからとか、頑張らなきゃとか
そうやって何か理由づけをして、理由を探して己を鼓舞しようとしている時点で無理してるじゃんってことね
無理は続かないし、結果に結び付かなかった時の後悔、時間を無駄にした感覚がより強くなっちゃうから
見返りを求めてるから頑張るわけで、見返りがなかったら成立しない話で、しかも見返りなんて時の運次第でなんとでもなってしまうもので
確かでないことのために今を犠牲にして頑張るのは実は尋常じゃない
だからこそスペシャルではあるわけだけど
ほんとなら、そんな不利な駆け引きしない方がいいわけで
見返りを求めなくていい、結果を求めるよりも、ただその行為をしている過程そのものが楽しくて、無理なく続けられて
その結果としてなんか結果に結びついたけど、でもまあ別にどうでもいいけどねって、また過程の中へ行ける強さがあって欲しい
結果があってもゴールにはならない、中間セーブくらいの安心感と価値
ゴールにはなり得ないけれど、節目ではあるし、今までの行為の肯定ではあるってくらいで
そうすりゃどんどん前に進める
ぶっちゃけ先なんて見るもんじゃない、今を積み重ねるしかない、足元ずっと見てブロック積み上げていきゃいいんだよ
そうしたらいつの間にか空突き抜けてるから



やっぱ人の人生観に触れる時が一番楽しい
自他問わずテンション上がるし、心に残る
寝る前にふと思い出すのは決まってこういう類のものばかり



俺のために貯金してるのいくらあるの
俺のための金なんだから知る権利あるでしょ
あてになんかしてないよ、ただ知りたいだけだっつってんだろ
しつこく高圧的な態度で接する息子さん
金金金金っていつからそんな心の痩せた人間になっちゃったんだろね
自分のこと頭いいと思ってるのかもしれないけど
少なくとも今の君の態度は醜いし、カッコ悪いよ



なんか最近じゃ、読者としても作者としても連載という形式に魅力を感じなくなってきた
一つにまとまってる方が、気持ちが途切れないし、読みやすいし、より濃い、作者のやりたいことが詰め込めるような気がする
おれのやりたいこととあってないと思うんだよね
いろんなのバンバン作りたいのに、わざわざ長ったらしく、一つで終わることを引き延ばして引き延ばして、薄ーく広げていく作業ってつまらねえなあって
終わったならとっとと別の作りたいし、余白があるのがまた良さでもあるわけで
長編だとしてもひとまとまりとして作るのがいいと思う
読者の反応を見て内容変えていくとか、担当が変わったことで内容が変わっていくとか、別に作品の一貫性どうこうってのは言う気ないけど
読者の需要にあったものは生まれてきても、そうじゃない、より熱量のこもった自己表現的なこれがやりたいんだよが詰まった作品って出てこないんだろうなーとか
そもそも、コンテンツが溢れてるこの時代においては、読者側は自分の好きなもの勝手に調べて読むから、作者側が狙いすましたところでっていう気はしなくもないと思ったり
まあ良し悪しだとは思うんで、否定する気はないけど、単に自分には合わないなって思った
アイデアの発想の仕方も読み切り寄りだし、長いのだって読み切りとして描く方が楽しいし
とにかくルーティンにしたくない
長くなるとどうしても人なので飽きてくるし、まあ仕事してる感はあるけど
そういう意味じゃ俺は創作を仕事にしたくないのかもしれない
仕事やルーティン、義務に支配された途端、フレッシュじゃなくなる気がするんだよね
枯れていく
ただアドリブ的に広げた物語を完結するために詰めていく作業みたいな
それを毎日やってるみたいなさ
なんか本当に楽しそうに見えない、魅力的に見えない
終わりの見えない作業が嫌いだというのは多分一番だし、それと何かに追われてものを作るのが嫌だってのも同率一位かもしんない
創作するときは気持ち的に窮屈でありたくないんだよね
発想なんてやろうと思ってもできないものだから
俺の手が及ばない場所だってわかってるから
ただ待つ以外になくて、それなのに時間に追われて、やらなきゃやらなきゃってなるのは、自然な流れじゃないと思うので、嫌だなーとやっぱり思う
ゲームだとか映画だとか小説だとかの、一本にまとまってる方がやはり好きなので、漫画で言えば、短編集が結構好きかも
漫画を作ってはいるけど、だからって多くがやってる連載方式に迎合するのではなく、自分の好きな形式、読み切りの方をたくさん作って行けたらいいなーと思う
読み切りといってもページ数はまちまちですから

アイデアも、やっぱり連載でやる前提ではなく、読み切りとしてのアイデアとして考えついてるから、無理に連載形式に持っていくと変なふうになっちゃう
やっぱり思いついたままの、アイデアにふさわしい形式があると思ってるので、それが俺は読み切りに多いというだけであって、まあそういうこと
読み切りが面白かったのに、連載にしたらイマイチなんてのをたくさん見てきて感じたことでした
アイデアにはそれを物語る上でふさわしい形式があるから、それを見極めず、恣意的にあてはめようとすると、当然うまく行かないよってことね
読み切りでアンケートが良かったから、じゃあ連載でってのは
連載の広がりを想定していたものか、そうでないかに関わらず、全く別のものとして連載用に改めて作り直すべきだと思う、設定もキャラも何もかも
じゃないとやはり中途半端な結果にしかならない
読み切りの方が面白かったって言われちゃう

商業誌でも連載以外の形式なんかがあってもいいのになーとか思う
それこそ映画を作るみたいに一本の読み切り長編だとか
バラエティがなくてつまらないから、雑誌買うのやめたし、完結済みの作品を買って読むのが主になった

続きものばかりで面白くない誌面が
そりゃ利益的にはその方がいいだろうけど、継続性があるから
でもやっぱり別の形のちゃんとグッと濃い面白いもの読みたいですよ誌面でもね
書き下ろしっていうの?そういうのとか、もっと幅があってもいいのになと思う



映画を観るのが苦手でした
まるっと時間をとられるから
飽きてても最後まで一気に観なきゃいけないから
他にやりたいことがあるのに映画を観るだけで時間が大きく削れてしまうから、やりたい作業に取りかかれない
というのが映画を遠ざける、ハードルを上げる理由になってた
でも、飽きたらその場で一時停止して、観るのやめちゃえばいいんだよね
それで気が向いたらまた続き見てと
これやっていいんだってわかった瞬間
よしみるぞって意気込んで怒り肩になってた肩の荷が降りたし
ほんの少し映画のこと好きになった
運指練習もできるし、今じゃ結構好きです映画



全ては相対的で絶対的なものではない
とある一つの個性も、あるところでは輝きあるところでは翳る
全てがそう
視点を変えれば見え方が違う
そしてそれぞれ全てが真実であるし嘘でもある
これもまた受け取り手の視点の違いによる

物語はより多くの人が共感できるだけであって、その語り手の視点が全てではない
正しいわけではない
そもそも原理的に正しいなんてことは何にもなくて
正しさなんてこの世に存在しない
とある視点からの見え方を正しいという
正しさは真実と同様に人の数だけある
常識や不文律、空気雰囲気、法律その他規則に思考をロックされてるから
同一性、絶対的なものがあると思い込んでるんだけどそんなことはない

別にアナーキーは好きじゃない、物騒だし
完全な無秩序よりも、秩序の中にあってそこから少し押し広げて
他の奴らよりも少し自由っていう状態が俺は好きです



人は何を期待して髪を染めるのだろう
鏡を見て楽しむのか
周囲の反応を見て、対応の変化を見て楽しむのか
自分の髪が痛むのを感じて楽しむのか
あるいは未知への期待
髪を染めれば何かが劇的に変わるんじゃないかという淡い期待
現状では届き得ない、理想への飛躍の一助となると期待して染めるのだろうか
イメチェンというのも大概、元々の自分へのイメージに満足していないか、あるいは飽きたか、欲望が肥大化したかというような欲求の表れだろうし
単に変なことしてるでしょって自分で楽しんでる場合もあるか

まあでも、さまざまな理由があるにしろ、楽しいのは一瞬で、やがて日常化して飽きるし
周りの反応も、目新しいのは最初の一人二人で、後のは人が入れ替わるだけで大概同じ反応の繰り返しになって鬱陶しくなるだろうし、同じようなことを言われ、同じようなことを返すのはめんどくさいっすよ
理想なんてものは思っている時が一番近くて
そのために何か一つでも行ったらその距離の遠さに愕然とする
何か変えるつもりで染めたけど何も変わらなかったことに愕然とするだけで、あとは後悔、煩わしさ、面倒臭さが残るだけ
学生生活と似たようなもので、楽しいのは2割で、残り8割はめんどくさいつまらないものの連続
企画してる時が一番楽しくて
実際に行ってみると、あれだけ膨張していた想像が
一つのまとまったものに収斂していく、こんなもんか感
気体から固体への状態変化
非常に、がキーワードだったんだっけ理科の先生

何やっても想像は超えていかないよね、中々
何に期待してるんだろうか
やっぱり人って繰り返しや飽きに耐えられない生き物なんだろうね
耐えられないから、見えないストレスが溜まってるから
たまに爆発して何だかよくわからんことを衝動的に行ってしまう
理性があるのが人の良さ
でもその理性があるから歪みができて
一方では優しくあれて、社会的であれて
でもその一方でその歪みの分だけもとに戻ろうとして、ときたまおかしくなっちゃう
まさにあの人がそんなことするとはゆめにも…現象
理性的合理的な動物だと人は自分たちのこと思ってるみたいだし
本能を忌避してるきらいもあるけれど
理性的合理的は人からはちゃんと遠いですね
変に頭が発達してるから、自分たちはその辺のとは違うって思ってるみたいだけど
本能的行為に、お得意の意味や解釈をつけて、他の動物たちとは区別してるってだけで
同じ穴の狢というか
赤点だったわーとかって騒いでるクラス連中を冷ややかな目で見下してる最低偏差値の学校の学年一位みたいな滑稽さがありますよね



なんかうまいこといい皮肉が思い浮かばんかった
もっとエッジの効いた喩え思いつくようになりたいねー
就職浪人を笑う無職とか?
ニートを笑う夢追い人(笑)とか?



髪を染めたところで、自分の肉体も精神も飛び出せないことを知る



やっぱ新しい刺激を入れた分だけ返ってくるもんだね
跳ね返ってくるように思いつく



言葉に出すとスッキリするねえ
書き出すとスッキリするねえ



まず初めに意識することは、書くつもりがないという気持ちで書き始めること
適当に思いつくままを箇条書きでいいからやる
それだけでもう進んでる
最初から完璧を求めて、あれこれ頭の中だけで思考するだけで、何も進んでないよりも先に行ってる
頭だけじゃなく手を動かして思考しなきゃ



なんかドラマうるさくね?気のせいか?
大声で大声に返して
心情を吐露して
「でも!」で切り替えして
何かしらの核心的な発言をして相手に感銘を与えるみたいな
そーゆー盛り上げ方って、音にした途端過剰に聞こえることってあるよね
特に物語開始早々大声出されると、まだそこまで気持ち乗ってませんからって、引いちゃう
映像の芝居と舞台の芝居は違うってやつ?
アニメの演技は、ずっと末尾に「!!」が付いてるみたいな話をちらっと聞いたことあるけど
いや芝居のプランってより、演出の仕方か
まあとにかく、引き込まれる芝居って
得てして「大声で感情や葛藤を叫ぶ系」ではないなあと思いました



人と会う時はこうなります
はきはき答えて笑顔でユーモアあり
でもひとりだと違う感じになります
そういえばから始まる、あれこれの疑問や文句や偏見その他



二面性どころか無限面性的に、相対する人によってキャラが切り替わる
同じ人でも、場所によっても態度が変わる
例えば親に対する態度は、家の中と外ではやはり違う顔
そしてそれを演じてることに、若干の気恥ずかしさを覚える
演じてるということに自覚的になればなるほど自意識が辱める



人間的成長が見込めるというか、露骨に自分のできなさ加減、欠点も傲りもわかるから
一人暮らしはおすすめです
失敗してもいいから
家賃は勉強料です



なんでこんなことしないといけねえんだよ!
と過去自分に今自分がキレております。



アーティストのライブを配信で見ることの何がいいって
クローズドな空間を覗き見してる感覚
配信でご覧になってる皆さんとかいらん
話題に上らなければ上らないほど楽しめる



左目に抜けまつ毛が入ってる
すぐに取れない状況
でも瞬きしたい
そんな時は意識的に右目で瞬きする
何度かすると左目瞬き欲求が消える



自分で自分のこと率先して馬鹿にするのは
ワクチンみたいなもので
その後、芯食ったこと言われても踏ん張りがきくようになる



歌詞がひたすら聞こえのいい、慰撫してくれるようなものばっかりなのは、無責任だから
純粋なリスナーがそれに影響されて決断して何かに失敗したとしても、アーティスト側にはなんら責任ないから
だから大多数が言って欲しい言葉ばかり無責任に並べる
正しいんだからそうしろよって、無責任に言って
そうだよなって言われて人気取る
最低だ

だとしたら歌って一体なんのために歌うのだろう
都合のいい言葉を吐くためでないのなら、何を歌うべきなのだろうか



聞いたことを反復してるだけだから、話者も内容理解してないんで、そりゃ伝わらない
言葉を暗記してるに過ぎない
文字の羅列で、音の連続で、そこに意味が乗っていないから伝わってこない



ドラマで顔の接写連発されると
うおー、やめてくれーってなる



顔がカッコ良くても体がカッコ良くない
体が可愛くても顔が可愛くない
声がカッコ可愛くても…?



なんか何にもしたくないって時はゲームする
能動的だし程よい達成感もある
なんかやってる感が出るのがいい
電源切ったら虚無だけどね
落差で余計に落ち込むこともまあある



リアルに想像できるくらいのが一番気分悪くなる
いつもは出すために使ってる穴に管を無理やり挿入する話とか
痛い痛いってより、気分悪いのが、その患部を中心にぐわーって広がって行く感じ



絵を描くのは楽しいが、漫画を描くのはあんまり楽しくないかも
話を作るのは楽しいけど、漫画を作るのは楽しくないかも
漫画形式で話を作ることには慣れてるが、それを実際の形に起こすのは辛い



一人で漫画をたくさん作る能力が俺にはないとわかった
悲しい
けど胃の張りは取れた



漫画を描くのは嫌いじゃないのに描くのがつらくなってたのは
数作らなきゃとか早く描かなきゃとか
そういう焦りに知らず知らずのうちに蝕まれてたからだとわかった
そういう焦りの一つ一つを解きほぐしていったら
また漫画を描くことに対して前向きになれた
辛いけど辞めたくなかったからよかった、いいところに落ち着いたと思う
同じ一つの行為でも、考え方の角度次第で如何様にも感じ方が変わるなあと思った出来事でした
やりたいがやりなくない
相反する二つの欲求を叶える一つの視座をあれこれ悩みながら探し出すのは
決して時間の無駄ではないと思う
どちらかを無理やり消し去って
片方にエクストリームして
挙句爆発する方がよくないだろう



当たり前だが、小説なら小説として
漫画なら漫画として
ゲームならゲームとして
それぞれプロットを組む
漫画として作ったプロットを、小説に転用しようとしてもうまくいかない
だって漫画用に作ってるから、演出とか見せ方とか内容も全部漫画だもん
それを言葉に無理やり変換したところで、ただ説明してるだけで、思い描いていたような表現はできないし、小説としての面白さは皆無になる
小説の面白さが死ぬんだ、それじゃ小説を書いてる意味がないだろ
それに気づいたら俺もつまらなくなるし手が止まる、悪循環
表現する場がそれぞれ違うし、強みも特色もそれぞれ違う
そこをちゃんと意識しとかないとダメだろ



何かをやめる時って
やーめた!って決断してやめるのではなく
あ、そういや最近やってねーかもって
気づいた時にはもうやめてたみたいなのが大多数
気持ちが自然と切れてたって場合がほとんど
そしてその方が後腐れもないし未練もないから気持ち的にはベスト



言葉はあくまでも状況を表しているだけだから
言葉自体に罪はない、善悪もない
言葉を扱う人の方に悪意があるだけ



言葉がたくさんあればあるほど、それを扱う人の感情も思考も心理も豊かになる
言葉を削って単純化すればするほど、画一的な単色の人が出来上がる



もっと細分化していい
もっと細分化していい
細かく細かく刻んで刻んで
よしやるぞ!って気合い起こさなくても
スルッと流れるように作業に移行できるくらいに細かく工程を刻もう
満を持すまで待ってられん
やらなきゃって動き出すのに必要なエネルギーはしかも、どんどん大きくなっていく
やがて身動き取れずにエネルギーを溜める時間の方が長くなる
それは嫌だ、でも進めないジレンマに苦しむことになる
少しずつ細かく進んでいこう
進んでんの?ってくらいゆっくり
自分だけが進んでると自覚できるほどのスロースピードで成長していこう
心は健康だし未来へ期待を持てる



つまらない名著を読みたくないという気持ちが漫画を作る原動力になる



理性の言葉より
本能の感覚に従え

人は何一つ決断することはできない
全て内なる意思に従っているに過ぎない
その囁きが理性なのか本能なのか
捏造なのか真実なのか
聞き分ける耳を持たねばならない
人にできるのは唯一これだけであり
この精度こそが人の人生の如何を決定することになる



どんなに適当なあたりでもいい
白紙でないことがどんなにありがたいことか



絵は決してうまくはないが、プロとしてちゃんと面白い漫画描いてる人見るとほんと元気出る、励まされてる気持ちになる



未来の手間を恐れて出し惜しみなどするんじゃない!
未来の俺が絶対何とかするから!
今の俺はできる全力ちゃんと出し切れ!



つまらない本を面白くない!と言って読み捨てられる贅沢さ



何でもいいから定期的に新しい刺激を入れていかないと筋肉と同じで心も下向いてっちゃう
やる気も起きなければ前向きにもなれない
慣れに日常に心がすり減っていく
流されるままの方が実は精神的にはしんどかったりして
決断という行為自体に、能動的な行動自体に喜びを感じる
結果はどうでもよくて、その行為の中にいる時が楽しい



無知ほどよく喋りたがる
無知ほどよく感動したがる
自分の中で勝手なドラマを作り上げて、きっとそうだと感動したがる



無意味なやりとりが見たいんで
創作に対する葛藤や心構えだとか
本格演奏パートとかいらん
そこまでは楽しかったのに、本格ライブパートとかになると途端につまらなくなるから飛ばす



無意味に価値がある
意味を持たせようとしたら無価値になる



やっぱり傍目から見たら変な部分ってあるんだね
ちょっとおかしいっちゅーか、そんなこと平気でやっちゃうのっていう
でも作家なんて変な方がいいんだから
直す気無いよ、もっともっと鋭いヘンテコになろう



覚えておこうということにエネルギーを使うくらいなら
いっそのこと大胆に忘れてしまえ
そうしないと新しいアイデアが生まれてくる余白が生まれない
既存のアイデアがいつだって良いなんてことはないだろ、まあ逆も然りだが
それを忠実に再現する必要はどこにも無いのだ



普通と言われたら傷つく
変と言われたら嬉しい
あべこべな世界に私はいます



よかったね!
明日起きる意味ができたよ!



意味があると思えることをやれてる毎日は楽しい
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