詩まとめ

谷岡藤不三也

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2章

考慮

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考慮



ものを作る以上の喜びはない



インプットもなんならストレスで
できることならアウトプットだけをしていたい
というかそうする



心の安寧を保つためには
卑しくも見下す対象が不可欠である

願いを叶えた達成感と他者を見下す愉悦感
そして一生を賭けられるだけの夢へ向かって走っていく心地よい疲れ
これらがあれば人生は満たされる
幸福だと感じられる



ストーリーに感動することは未だにたくさんあるけれど
ストーリーの続きが気になるとかいう動機はもはやない



発売日を心待ちにするけれど
買ってしまえばもう飽きた



最初っからたった一つに絞って
他に生えてくる芽たちを雑草と決めつけて除草剤撒くなんて
色んなことをやることで発見がある
その発見が相互に作用して相乗効果で向上していく
たとえこれだけを育てようと種を植えても
風に乗ってどこからか別の種は飛んでくる
どっからともなく飛んでくる
どうせコントロールできないんだから
生かしちゃった方が楽ってもんじゃない



他人から見た自分を自分だと思い込まなくていい
自分から見た自分を自分だと思い込みすぎない方がいい
たった一つに縛られることで簡単に盲目になる



体験したことなんでも話にしようってアンテナの張り巡らせ方
いいよね
無駄のない人生SDGs
どんなに些細なことでもワンアイデアさえあれば物語ることができる



音楽は魔法



上手さで勝負すると上限ないし
比較してすぐ心折れるから
オリジナリティに逃げる
自分らしさってやつを探しに出かける



ちょんちょんと小突いてみたり
刺激を与えたりすると
アイデアがドバドバ溢れてくる
気分が良い
ワクワクも同時に湧いてくる



いつまでも過去の遺物に囚われてやることはない
時には音楽爆音で流して頭止めて
豪快に破き捨てることも必要だ
そうして前へ進むんだ



過去に戻りたいとは思わない
思い出を今にしてしまったら
それはもはや気持ちいいだけの思い出ではないから
今にしてしまったらなんでもつまらない

思い出は、濾過して磨いて美化したもの
気持ちいい形に整えた過去
事実そのものじゃない

よくできた思い出以上に気持ちのいいものはない
今が無味だったとしても、その思い出の味だけで十分生きていける



言伝頼まれるの苦手だ
自分きっかけで話したくもないこと話さなきゃいけないから
話しかけるのにエネルギー使う
自分にとって不自然なことやるのは本当にしんどい



昔は持ってる漫画の数が自慢だった



仕事をするということは痛みを獲得するということ



行こうと思った時点でもう行ってる
気持ちが飛べば気は済むので
わざわざ肉体と一緒に向かうことはない



芝居は内に溜める行為
創作は外へ発散する行為
役者が内に溜めすぎてたまに爆発する様を見るけれど
うまーくガス抜きしてバランス取らないといけないよね
大変だあ



好きなクリエイターのインタビュー動画見るの好きなんだけど
見終わった後必ずテンションガクッと落ちる
こういうこだわってモノづくりしてる人たちから供給される質の高いものを
ずっと与えられ続けるだけの人生でいいんじゃないかと思うから
俺はなんでこんなくだらないことしてんだろうってベコベコに心が押し潰される
まあやるんだけどさ、他にやることもないし
何にもしないでぼーっと過ごすには長すぎるからね



恋人に求めるのは見た目ですか?中身ですか?
って
両方に決まってんだろ
両方とも好みじゃなかったら一緒にいたいとは思えないよ普通に
政略結婚でもない限りはこちらにも選ぶ権利断る権利あるので
まあそのチャンスが何回巡ってくるかはわからないけどね
だからどこかで勝手に妥協点作るんだろうけど
でも割とチャンスはそのあともやってくるので
そこで素直に飛びついてしまうと
社会的逸脱になってしまうんだよね悲しいことに
ただキャリアアップステップアップしようとしただけなのにね
転職のように、自分の求める方へ行っただけなのにね
皮肉なことで



一度生まれた繋がりは良くも悪くも行動を制限してくる
それが自分の底にある感情に反していても
それを曲げられるだけの力がそこにはある
社会的に、倫理的に
体裁、常識、相手の気持ち、変わらないことの思考停止の無感情
でも同時に自分の気持ちを抑圧することでもある

無感情は楽とは違うよ
鈍くなるだけで
そこにはちゃんと歪みが生まれて
力が生まれてる、反発の力が
どっかで限界がきて
ぶっ壊すか
ぶっ壊れるか
そのことにだって気づけない
自分の中で起こっている異変にだって気づけなくなる
それは楽かい?
楽じゃないから全部終わらせようとしてしまうんじゃないのかい?



本を読む中で
その内容の8割は理解できないわからないものである
でもたまになるほどと思えるものがあったり、なぜか簡単に理解共感できるものがある
でも大半は理解できないまま終わる
そんなもんだと思う
全部を100理解できるわけないし、理解しようとする姿勢は大切だが
わからないことを無理に自分のわかる範疇へと押し込めてしまうのはよろしくない
それこそ理解したつもりになるだけ
わからないことはわからないまま頭の隅にでも留めておくのが良い
きっとどこかで繋がるから



わからないは怖いけど
同時に新たなワクワクへのスタートでもある
やってみなきゃわからない
自分の頭の中が全てではない
現実にあるそこへ実際に飛び込まなければ
自分の頭の中を突破できない



離れるということを覚えてから人間関係が楽になったように思う
ついつい固執して状況を変えてやろうと居着いてしまうけれど
他人や環境なんてそうそう変わらないので
ささっと離れて見える景色変えた方が早いし楽だしストレスない
逃げるが勝ちというか
負けるが勝ちというか
土俵に上がらないって大切なんだなと
言葉では見聞きしていたけれど実感としてようやく身についてきた感触



ゲームの体験版をたくさんダウンロードした
これで出たとこ勝負の博打は打たずに済みそう



本をゲームを最後まで見れずに断念してしまうたびに
自分はなんて退屈で継続性のない人間なんだと落ち込む
作家を自称してるくせにこれじゃあ落第だあ

インプットはたくさんやればいいってもんじゃないと言う人は
得てしてちゃんとたくさん学んでるもんです
実績ある人の甘い声に従わず
その姿勢こそを見習わねばならぬ



何にもやりたくないという状況は
何でもできるという状態でもある



意味はない
感覚で言ってるだけ
考えても考えなくても出てくるものは一緒なんだもん
諦めたよ



一冊の本を一気に読むことはできないが
数冊の本を数ページずつ並行して読むのは比較的得意である
なんでだろう
一つの内容を理解しようとしたときに、どこかで限界が来て読めなくなる
けれど、その内容を変えるとまだ少し読める
内容ごとに理解回路があり、許容範囲があるような気がする
でもそれらの回路も有限で、たくさん読もうとした瞬間に全てが雑になってしまう
はじめっからたくさん読もうと欲を出すと途端に崩れ去る
基本は一冊だけ読もうねというスタンスの方がどうやらよさそうだ

ものづくりに関しては違っていて
一つのものを終わるまで、少なくとも自分の区切りまではやり切りたい
頭の切り替えにはエネルギーが必要なので、たくさんやるとどこかで機能停止してしまう
中途半端なまま残すので、その情報を覚えたまま別のことをしなければならない
常に気が散っているような状態
かなりストレスになる
あれもやらなきゃこれもやらなきゃって思うと集中できなくなる

ただ、両者に共通しているのは
スロースタート
頭から全力でやろうとしないこと、急ぎすぎないこと
まだその内容に頭が慣れていないから、急ごうとしても空転するだけ
急いでも急がなくても、やれる量は結果的には同じになる
慣れてゆけば必然的に作業効率も上がり、ペースも上がる
それを待てば良い
最初から急いでも意味ない
準備できてから、体を温めてから
スパートかけていけばいい
だから一日何ページやれば、とかいう計画は実体を伴っていない
グラデーションをもってペース配分は考えていきたいところだ



一日に一冊本を読めればどれだけ心が充実するだろうか
一日に映画を一本観ればどれだけ心が充実するだろうか
僕にはそういう癖がないから、できる人たちが羨ましい



大昔に描いた漫画を作り直そうと思ってたけど
できなかった
あれはあれでもう完成してるものだから
どれだけ話がメチャクチャだろうが
どれだけ絵が下手だろうが
あれはあれとしてもう完成している
手の入れようがない完品
二度と作ることができない
その時にしかできなかった唯一のもの
その時にしかできないかけがえのないものを作る
それが楽しみでありやり甲斐であり意味である



座って長いこと作業するのは
体力的には楽だけど
身体的には楽じゃない



できないことをやっていく中で
それを理解しようとする回路が
それをできるようにする回路が
だんだん出来上がっていく、頭の中で開発されていく感覚が楽しい



ものづくりをする者であっても
読書は娯楽であって欲しい
インプットとか言って卑しくも
何かを学び取ろう
摂取しよう
作品へ活かせるネタはないかと舌舐めずりする
そういう姿勢は嫌いだ

楽しんできたもの
心に残っている思い出
身体を動かして得た経験、感覚
打算的でない、自然の流れの中で受け取ってきた、感じ取ってきたあらゆるものが集約しているのが自分で
そんな自分の中から金鉱を掘り当てるように
何かはわからないが、価値があることだけはわかっている形のないものを求めて
自分の心の中を掘り進めていく
それがものづくりだと思っている

だから、昨日今日表面のみを知ったばかりの
身に付いていない知識なんかは
土台使えるわけがないんですよ



声に出すとそれはそれで全く違った意味を持つようになる
文字は文字として、それ自体でもう完成している
それを読み上げるのは言葉は同じでも全く別の行いである



柔軟は身体との対話だ



どこかが痛い!
と思ったら患部ではなく
その周りこそをほぐそう
身体は繋がっている



ゲームってストーリーがつまらなくても手が止まるし
ゲーム性がつまらなくても手が止まるし
膨大な拘束時間に照らして、
簡単にやめるって選択をできてしまうから
難しいメディアだなあと思った

どんなに名作と評価されている作品でも
お話やキャラは面白くてもゲーム性が合わなくて足引っ張ってやめてしまうみたいな人は
ゲームは特に多いと思う
それで名作なのに楽しめないのかってもやもやするというか
出回ってる動画を見て何となく感動するくらいしかできない歯痒さ
コメントで書かれているような言葉、プレイヤーの言葉に共感できない自分が悔しいみたいな気持ちによくなる



学のない人間はこれだから困る
新しくも珍しくもないなんてことないことを
気にならねって新しくねって嬉々として喋る
無学なだけだろう
悪気はないからタチが悪い



「私も気になる。期待してるよ」
期待されてるからって言ってちょっと嬉しそうに張り切って卒論書いてる友達がいたなあ
教師は上司で
学生のモチベ管理までしなきゃいけないの大変ですね



成人向け漫画には隠しきれないフェチが出る
綺麗すぎてはダメ、多少崩してでも肉感的な、魅惑的な絵にならなければいけない
絵柄と構図とシチュエーション、本番へ持っていくまでの構成の仕方
問われるのは技術のみである
好みは千差万別、考えるだけ無駄である
自分のフェチを裸になって曝け出して
圧倒的技術で描き上げる
それが成人向け漫画である



小6の頃、中学受験をするという友達に
中学受験と高校受験は違うからねと言って
その次のどう違うのかという問いに答えられなかったことをふと思い出した
あの時はただ関係が受験によって希薄になってしまうのではないかという不安から
何とか止まらせられないかと思って発した言葉だったわけだが
後のことを思ってみると
受験してようがしてなかろうが、どちらにせよ環境は変わってしまうし
同じクラスや部活にならなければ
同じ学校であっても関係は結局希薄になっていただろうと思う
強く繋ぎ止めようと思わない限りは
環境変化の力学には抗えない
環境や時節によって、ちゃんと崩れてほぐれて解けて後腐れなく消えていく
自然となくなっていく
儚いものだなと思ったものである



物語にテーマはいらない
テーマに沿って考えようとした時、一番いらないのは物語だからである
一言で済むようなことをひたすら薄めていくだけの作業が果たして楽しいと言えるだろうか



主張は物語のノイズになる
キャラは君の考えを言わせる機械じゃない
言いたいことあるなら自分の言葉で喋れば良い
物語はその世界、キャラの中にある自然に沿って描かれるのが一番いい
キャラはその世界の中に確かに生きているのだから、それを伝える語り部がくだらない自己主張のために歪めてはならない
つーかそれやるとガクッとつまらなくなる
いつも耳を傾けるようにしよう
謙って頭低くいきましょう

滲み出てくるものはいい
だが、意識的に語ろうとする卑しき傲慢さは撲滅せねばならない



イラストは模写だ



嫌なところあったら
指摘して直させようとするのではなく
なるべく目に、視界に入らないようにする
これもまた解決
こんなもんだろ人間関係って



────花の大学生活という言葉を聞いたことがあるだろうか

大学生となり、社会人というステージに限りなく近くなった子供たちが
受験というプレッシャーから解放され、数年後にまた来る就職という残酷な現実から逃避するかのように
今を楽しむという名目のもと、社会に出ていくための貴重な4年間を食い潰すことをいう

その行為は多岐に渡る
致死量の喫煙や飲酒をしてみたり
頭空っぽにして手当たり次第に性行為に励んでみたり
常識的に考えて非常識な迷惑行為をして世間様からの厳しい風を浴びて革命ごっこしてみたり

「大学は楽しいよ、一番楽しかったかも」
親戚一同、教師一同、口を揃えて言われたもんだけれど

ほんとにそうかな

「ごめんなさい!」
「奥までつめてくださーい」
「ドアが閉まります。手荷物など中に入れてください!」
目の前で、ぎゅうぎゅうになりながら電車に乗り込んでいる人たちを冷めた目で見る

誰もが楽しいらしい大学生活
思ってたよりも退屈だ
何をやっても、それなりにつまらない

毎日毎日、指定された時間通りに駅へ行き、物言わぬ鉄の箱に揺られ運ばれ
人の群れに導かれて大学へ辿り着き、90分間ずっと喋らず喋らされ座り続ける拷問を数回受けて
そしてまた鉄の箱に揺られ運ばれ、帰宅する

友達はいるよ
90分間、場を持たせるためだけに無意味な会話をする友達

サークル活動は、その場の調子に合わせた意味のない無責任な言動の連続でしたよ

スマホを開けば
大学の自由な風に吹かれて、新たな仲間を作っては騒ぎあって
髪も雰囲気も、浮ついた色に染まって、さも人生を満喫しているかのような投稿をしている
あの当時の面影を全く感じさせないかつての友人たちの変わり果てた姿を見ないことはない

それってほんとうに楽しいの

「まもなく電車が参ります。黄色い線の内側にお下がりください」

……なーんか最近ぼーっとしてる気がする
なんかふわふわしてる、現実感がねえっつーか…

プアアアアアアン!

遠くで警笛が鳴る

「……今日学校行くの、やめようかな」 

プアアアアアアン!

─────遠くで警笛が鳴る。
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