5 / 6
5話 二兎を追う方法
しおりを挟む
5話 二兎を追う方法
青山の子どもの件から数日後、ひろみがネット通販で購入した撮影セットが無事届いた。ひろみは、幼稚園に陳情しにいった時から、絵里のことを見るたびに常にイライラし、それを表に出さないように必死だった。だが、今自分の手元には、インフルエンサーとしてのスタートを切ることができる材料が揃った。美容系のインフルエンサー達に埋もれることなく、さらに絵里より有名になるためには、何一つとして努力を怠ることはしなかった。
そして、ひろみの記念すべき初投稿。動画を作成するところまではいけなかったが、機材を駆使して写真を撮り、自身が使っている美容液や化粧水を紹介、さらに検索されやすいように、タグまで付け、準備を万端にして投稿した。
(きっと、始めはみんな見ないのよね…。これを、コツコツ積み上げることが大事。一回の投稿で見られなかったからって、諦めないわ。これからどんどん上げてやるんだから。)
ひろみは、たった数枚の写真を撮ることに没頭した。夫と弘明の出発を見送ってから、昼食を取ることも忘れるほどで、気がついたら弘明のお迎えの時間になっていた。
(ちょうどよかったわ。メイクもちゃんとしてあるし、このまま外に出ても大丈夫。弘明のお迎えにいかなきゃ。)
車のキーと手荷物を持って、幼稚園へ向かうと、絵里と成川がすでに到着して話し込んでいた。また絵里の投稿話で持ちきりなのか…、と思いきや、ひろみを見るなり絵里と成川はまるで芸能人にでも会ったかのように近寄ってきた。
「岡田さん、すごいわね!SNS見たわ。前から、岡田さんの肌綺麗だなぁって思ってたのよ。」
「ほら見て!もうこんなに注目されてるのよ!」
ひろみはまた、絵里のいい子ぶった持て囃しだろうと思っていたが、絵里のスマートフォンには、ひろみが投稿した記事にはたくさんのコメント、評価がついている画面が表示されていた。
(嘘!?私が投稿した時にはそんなことなかったのに…)
絵里の見せる画像が信じられず、自分のスマートフォンから投稿した記事を見てみると、確かに同じ画面が写っていた。
「一回の投稿でこんな注目されるなんて、すごいじゃない!こんな綺麗な30代いないもの、みんな見るわよねぇ。」
「私は手芸の作品を投稿するだけだから、最初の頃は全然見てもらえなかったけど…、岡田さんすごいわ。これから投稿するたびに、どんどん注目されるようになるわね。」
2人の賞賛に、ひろみの気分は有頂天になっていた。
(ほらみなさい。私が本気を出せば、あんたなんか余裕で越えられるのよ。フォロワー数も、あんたより倍以上の数取ってやるんだから。)
「大したことしてないのよー、旦那がね、私が毎日使ってる化粧品や美容液のことについて、何にも知らなかったから、意外と知られてないのかもと思って、軽い気持ちで投稿してみたのよ。まさか、こんなに注目されるとは思ってなかったわー。」
2人の前ではそう話すひろみだが、今回の投稿で使った写真には撮影に何時間もかけ、昼ごはんを食べることも忘れるほど没頭した結果である。そこに清水も加わると、すでに投稿を見ていたのか、またひろみに対してすごいすごい、と賞賛しはじめた。
子どもを迎えた4人はそれぞれ帰路につき、ひろみは今日の3人の様子を思い出しては、いい気分の余韻に浸っていた。
「ママ、また嬉しそう!」
「そうよ、すごくいいことがあったの。弘明は今日、幼稚園でどうだった?」
「楽しかったよ!お絵描きしたり、お外で鬼ごっこした!」
「それはよかったわねぇ。怪我とかしなかった?」
「うん!大丈夫だよ!」
親子の会話を楽しみつつ、余韻が抜けきらないままひろみはリビングでひたすら今日投稿した記事へついたコメントに返信を始めた。
(すごいわ、幼稚園で見た時より、コメント数が増えていってる!次の投稿のことも考えなきゃね。次の投稿で見てくれる人が離れていったら、本末転倒だわ。)
「ママー、今日のお勉強は?」
「え?ああ…、昨日覚えた漢字を練習してて。漢字が書けたら、ひらがなとカタカナの練習もね。」
「僕1人でー?」
「ごめんね、ママ、今日忙しくて…。明日は、一緒にお勉強しましょう。」
「うん、わかったー。」
弘明は、聞き分けよく子ども部屋に戻り、ひたすら画用紙に漢字「田」の練習と、五十音順にひらがなとカタカナの練習を始めた。
(まぁ、1日くらいいいわよね。敏明さんも、勉強はゆっくりでいいって言ってたし…)
コメント返しが終わった頃には、敏明が帰ってくる時間と夕飯が出来上がる時間ギリギリの状態だった。ひろみは敏明との約束である、家事を疎かにしないという条件を果たすため、大急ぎで夕飯を作り、なんとか敏明の帰宅に間に合わせた。
「ただいまー」
「おかえり!パパー!」
「おかえりなさい、あなた。」
ひろみは、何とか敏明の帰宅に夕飯が間に合ったことに、内心ほっとしていた。
(せっかく初投稿でしっかり注目を集められて、ロケットスタートを切れたのに、投稿を止めるように言われたらやりにくくなるものね…。)
「今日は、何の勉強をしたんだ?」
「今日はね、漢字の練習とひらがなとカタカナの練習!」
「練習…?」
「ほら、漢字はこれからもずっと使っていくものでしょ。今日は復習を中心に勉強してもらったのよ。」
「ああ、なるほどね。」
ひろみは、弘明への教育を疎かにしていないことをアピールするために、何とか言い訳で凌いだ。表情にこそ出さないが、内心は敏明に勉強に付き合わなかった理由を悟られたくない、と必死になっていた。
夫が帰宅してからの日課を終えると、ひろみは早速、SNSの注目度を敏明に意気揚々と報告した。
「すごいなぁ、初めての投稿で、ここまで注目されるなんて…。」
「そうなのよ、私もびっくりしちゃった。この調子でいけば、企業からの依頼がくる日もそう遠くないわ。そうなれば、家にいても家計の足しにもできるし、どんどん投稿しないと。」
「でも、あまり無理はしないようにね。僕はいいけど、弘明の勉強、練習1人でしてたって聞いたよ。ちょっと寂しそうだった。それに、絵画教室にも行きたいって弘明が話してたよ。僕が職場の先輩から聞いた教室に、見学には行った?」
弘明への教育に関する熱意が、いつの間にかSNSに傾いていて、絵画教室のこともひろみの頭からすっぽり抜け落ちていた。
「…行って、ないわね。ごめんなさい。」
「僕はいいよ。でも、弘明を蔑ろにすることだけはやめてやってくれ。」
「ええ、約束する。」
ひろみは、改めて弘明のことと自身のインフルエンサーとしての活動をどう両立させるか、寝室に入った後も考え続けた。
(何も、投稿は毎日しなきゃいけないわけじゃない…。撮影や投稿のチャンスは、弘明が幼稚園に行っている間がベストね。弘明が帰ってきた時には、ちゃんと勉強も見てあげて、家事もしっかりしなきゃ…。)
次の日、弘明を幼稚園に送った後、いつもの4人で井戸端会議が始まった。
「そういえば、青山さんとこ、退園するって聞いたわ。」
「あー!私も聞いた!何でも、おもちゃを他の子にぶつけて、思いっきり怪我させたそうよ。お母さんを呼び出したんだけど返事もないし、お子さんは暴れるしで滅茶苦茶だったって聞いたわ。」
「そうそう、お母さんに連絡が繋がらないから、緊急連絡先にかけたそうよ。そしたら旦那さんが出て、可哀想に会社を早退して幼稚園に直行して、怪我させたお子さんと親御さんにひたすら謝ってたって。」
「それで、そのまま退園?」
「しばらくお子さんは登園してなかったみたいだし、夫婦で話し合ったんじゃない?で、退園させるって決まったんじゃないかなぁ。」
「まぁ何にしても、一安心よね。危ない子だったし…。」
「本当よ!次の幼稚園か、保育園か知らないけど、園の人が可哀想だわー…。」
主婦達の噂話はどこどこまでも広がっていき、留まるところを知らない。4人の中では、一先ずこれ以上被害が出なくなるからよかった、という結論に落ち着いた。
「そういえば、岡田さん昨日は投稿してなかったのね。」
「私、次の投稿楽しみにしてたのにー。」
「今日投稿するつもりなの。投稿する材料を溜めておかないと、投稿したくてもできなくなっちゃうもの。」
「でも、岡田さん程の注目度なら、毎日投稿するぐらいの方がいいかもしれないわね。」
そう切り出したのは、絵里だった。
「って言うのも、駆け出しの人って最初は物珍しさで注目されるんだけど、投稿数が減っていくと、見る人もどんどん減っていっちゃうのよ。私がそうだったから…」
「先輩インフルエンサーの助言ね、説得力あるわー。」
「あなた、何も投稿してないじゃない。」
「でも事実でしょう。絵里さんはずーっと注目され続けてるんだし。」
ひろみは、3人の会話を聞きながら、余裕を見せながらも内心焦りが出てきた。
(確かに、テレビでも一発屋みたいな芸人や芸能人はたくさんいる…。今、私がまさにその状態ってこと?…だめよ、一発屋で終わっちゃ。これからもずっと注目され続けなきゃいけないんだから。)
ひろみは、井戸端会議を早めに離脱し、急いで家に帰った。昨日の夜考えていたように、ひろみがSNSに張り付けるのは弘明が幼稚園に預けられている「今」しかない。家に着くと、ひとまず心を落ち着け、何を投稿するかじっくり考え、文面まで考え尽くして投稿した。
(これでよし…、と。一発屋で終わらせるなんて、冗談じゃないわ。まだ、幼稚園のお迎えまで時間がある…。次の投稿内容考えなきゃ。次は動画にしてみようかしら…?)
そうこう考えているうちに、2回目の投稿にも多くのコメント、評価がついていた。ひろみは一人一人丁寧に、コメントを返していく。
(今見てくれている人は大事にしないと…、ファンが離れていったら、元も子もないものね。)
ひろみは、幼稚園の迎えの時間までSNSに張り付きっぱなしの状況となっていった。
_________________________
(!…2回目の投稿、か。)
スマートフォンには、化粧品や美容液を画像に写し、つける前と付けた後の自身の写真を上げている記事を見て、ふふっと笑いが込み上げた。
記事を見た本人は、チャットを立ち上げ、とある人に連絡を送る。
『2回目の投稿が来ました。コメント、評価、お願いします。』
すると数分経たずに、送った先から返信がきた。
『了解しました。この前と同じでよろしいですか。』
『少し、評価を多めにしてください。』
『了解しました。終了次第、報告します。』
そのメッセージを見て、不敵な笑みを浮かべる。
(さて、これであの人はどうなるかしらね…)
時計を見ると、幼稚園への迎えの時間が迫っていたため、必要なものを持って自分の子どもを迎えに車を走らせた。
________________________
ひろみは、車を大急ぎで幼稚園に向かわせていた。2回目の投稿も、大量の評価とコメントがつき、それを返している間に、すっかり幼稚園へのお迎えの時間を過ぎてしまっていた。時間が過ぎていることに気がついたのも、幼稚園からの連絡がきっかけだった。
弘明を拾い、車を走らせている途中にも、敏明への言い訳を考え続けたが、なかなか筋の通った言い訳が思いつかない。
(敏明さんにはバレないようにしたいけど…。弘明は素直な子だから、喋っちゃうわよね。私がなかなか迎えにこないのが不安だったのか、幼稚園で拾った時も泣きそうになってたし…。)
ひろみは意を決して、車を家に向かう道から日々の食材を買うスーパーに方向を変えた。
「弘明、今日はごめんね。ママが来なくて不安だったよね。」
「ううん、僕平気だよ。泣かずに待てたよ。」
「偉いわ、弘明。そんな偉かった弘明に、ご褒美買ってあげる。夕飯の買い物もしないといけないから。」
「ごほーび!?」
「ええ、弘明の大好きなお菓子、買っていいわよ。」
「やったぁ!お菓子!お菓子!」
弘明は無邪気に喜ぶ一方で、ひろみは敏明に素直に謝り、罪滅ぼしとして弘明にはお菓子を与えることにした。
敏明は、弘明が優秀かどうかと言うことより、幼い弘明に辛い思いや悲しい思いをさせたくない、という思考を強く持っていることをひろみは知っている。幼稚園のお迎えに遅れてしまったことは、もう事実として変えようがない。であれば、迎えに遅れたことで不安がらせてしまったことへのフォローはお菓子で補い、敏明には素直に謝罪することが今後もSNS上で活動を続ける上で最善の解決策である、とひろみは決心した。
(今一番怖いのは、下手に隠して嘘がバレて、SNSを取り上げられること。それだけは避けないと…)
夕飯の買い物のために寄ったスーパーでは、弘明は好きなお菓子を二つ選び、それを含めて会計を済ませ、また大急ぎで自宅へ向かった。帰宅すると、不幸中の幸いか敏明はまだ帰っておらず、弘明に買い与えたお菓子は「夕飯後の楽しみにする」といったん預かり、夕飯の準備に取り掛かった。あともう少しで夕飯が出来上がる、というタイミングで、敏明が帰宅した。弘明は素直にひろみが幼稚園の迎えが遅れたこと、その不安に耐えたご褒美にお菓子を買ってもらったことを無邪気に暴露しており、その声はしっかりひろみにも聞こえていた。
(…敏明さん、怒ってるかしら…。)
弘明を抱えてリビングに入ってきた敏明は、息子に子供部屋で夕飯を待つよう言い渡し、ひろみをまっすぐ見据えて対峙した。
「…弘明から聞いた。理由があるなら聞くよ。」
「ごめんなさい!…今日、SNSに投稿したの。そしたら、コメントがたくさんついて…。その返信をしてたら、幼稚園のお迎えの時間を過ぎてしまってて…。」
「…僕と約束したよね?弘明のことや家事を疎かにしないって。」
「…言い訳の余地もないわ。本当にごめんなさい。」
敏明は、言い訳もせず、ひたすら謝罪の言葉を繰り返しながら頭を下げるひろみを見て、意外に思っていた。ひろみの悪癖として、自身の非を認めない部分があり、何かある度に自身を正当化するために言い訳をひたすら並べ立てるところが玉に瑕だったが、今回はしっかり自分の非を認めて謝っている。
(…子どもができて、ひろみも変わったってことなのかな。僕も家のことはひろみに任せっきりだし…。)
「君がちゃんと反省しているのはわかったよ。SNSで注目を集めて、その、インフルエンサー?になれるところまできてるって考えたら、夢中になる気持ちもわかるから、投稿は止めて、とも言わない。けど、家庭のこととSNSのことを両立できる方法もちゃんと考えてほしい。…改めて、約束してくれるかい?」
「…ええ、約束する。ちゃんと、両立するようにする。本当に、ごめんなさい。」
「もう謝らなくていいよ。君が心から反省していることはわかったから。…今日の夕飯は、グラタン?」
「…ええ、貴方へもお詫びにと思って。」
「君のグラタンは絶品だからね。楽しみにしてるよ。」
敏明は優しい微笑みで、仕事着から部屋着に着替えるために寝室へ入っていった。ひろみは、何とか敏明を説得できたことに、腰から力が抜けるような思いで安堵した。
(SNSと家庭を両立する方法、か…。今後もコメントがたくさん来ることを考えると、幼稚園に預けてる間の時間では足りないのよね…。何か、策を考えないと。)
ひろみはともかく、敏明に振る舞うためのグラタンを綿密に作り込み、他にも副菜を何品か作って夕飯に振る舞った。グラタンは親子ともに好物で、特に弘明は大好きなグラタンを食べた後に、大好きなお菓子が食べられるということが嬉しくてたまらないのか、終始楽しそうに笑っていた。
何とか危機を脱したひろみは、いつものように寝室で寝息を立てる2人をよそに、SNSと家事を両立する方法を見出すため、ひたすら考えを巡らせていた。まだ2回しか投稿していないアカウントであるが、SNSで注目を浴びる、羨望の目を向けられる快感を知ってしまったひろみには、投稿をやめる、という考えはなかった。
青山の子どもの件から数日後、ひろみがネット通販で購入した撮影セットが無事届いた。ひろみは、幼稚園に陳情しにいった時から、絵里のことを見るたびに常にイライラし、それを表に出さないように必死だった。だが、今自分の手元には、インフルエンサーとしてのスタートを切ることができる材料が揃った。美容系のインフルエンサー達に埋もれることなく、さらに絵里より有名になるためには、何一つとして努力を怠ることはしなかった。
そして、ひろみの記念すべき初投稿。動画を作成するところまではいけなかったが、機材を駆使して写真を撮り、自身が使っている美容液や化粧水を紹介、さらに検索されやすいように、タグまで付け、準備を万端にして投稿した。
(きっと、始めはみんな見ないのよね…。これを、コツコツ積み上げることが大事。一回の投稿で見られなかったからって、諦めないわ。これからどんどん上げてやるんだから。)
ひろみは、たった数枚の写真を撮ることに没頭した。夫と弘明の出発を見送ってから、昼食を取ることも忘れるほどで、気がついたら弘明のお迎えの時間になっていた。
(ちょうどよかったわ。メイクもちゃんとしてあるし、このまま外に出ても大丈夫。弘明のお迎えにいかなきゃ。)
車のキーと手荷物を持って、幼稚園へ向かうと、絵里と成川がすでに到着して話し込んでいた。また絵里の投稿話で持ちきりなのか…、と思いきや、ひろみを見るなり絵里と成川はまるで芸能人にでも会ったかのように近寄ってきた。
「岡田さん、すごいわね!SNS見たわ。前から、岡田さんの肌綺麗だなぁって思ってたのよ。」
「ほら見て!もうこんなに注目されてるのよ!」
ひろみはまた、絵里のいい子ぶった持て囃しだろうと思っていたが、絵里のスマートフォンには、ひろみが投稿した記事にはたくさんのコメント、評価がついている画面が表示されていた。
(嘘!?私が投稿した時にはそんなことなかったのに…)
絵里の見せる画像が信じられず、自分のスマートフォンから投稿した記事を見てみると、確かに同じ画面が写っていた。
「一回の投稿でこんな注目されるなんて、すごいじゃない!こんな綺麗な30代いないもの、みんな見るわよねぇ。」
「私は手芸の作品を投稿するだけだから、最初の頃は全然見てもらえなかったけど…、岡田さんすごいわ。これから投稿するたびに、どんどん注目されるようになるわね。」
2人の賞賛に、ひろみの気分は有頂天になっていた。
(ほらみなさい。私が本気を出せば、あんたなんか余裕で越えられるのよ。フォロワー数も、あんたより倍以上の数取ってやるんだから。)
「大したことしてないのよー、旦那がね、私が毎日使ってる化粧品や美容液のことについて、何にも知らなかったから、意外と知られてないのかもと思って、軽い気持ちで投稿してみたのよ。まさか、こんなに注目されるとは思ってなかったわー。」
2人の前ではそう話すひろみだが、今回の投稿で使った写真には撮影に何時間もかけ、昼ごはんを食べることも忘れるほど没頭した結果である。そこに清水も加わると、すでに投稿を見ていたのか、またひろみに対してすごいすごい、と賞賛しはじめた。
子どもを迎えた4人はそれぞれ帰路につき、ひろみは今日の3人の様子を思い出しては、いい気分の余韻に浸っていた。
「ママ、また嬉しそう!」
「そうよ、すごくいいことがあったの。弘明は今日、幼稚園でどうだった?」
「楽しかったよ!お絵描きしたり、お外で鬼ごっこした!」
「それはよかったわねぇ。怪我とかしなかった?」
「うん!大丈夫だよ!」
親子の会話を楽しみつつ、余韻が抜けきらないままひろみはリビングでひたすら今日投稿した記事へついたコメントに返信を始めた。
(すごいわ、幼稚園で見た時より、コメント数が増えていってる!次の投稿のことも考えなきゃね。次の投稿で見てくれる人が離れていったら、本末転倒だわ。)
「ママー、今日のお勉強は?」
「え?ああ…、昨日覚えた漢字を練習してて。漢字が書けたら、ひらがなとカタカナの練習もね。」
「僕1人でー?」
「ごめんね、ママ、今日忙しくて…。明日は、一緒にお勉強しましょう。」
「うん、わかったー。」
弘明は、聞き分けよく子ども部屋に戻り、ひたすら画用紙に漢字「田」の練習と、五十音順にひらがなとカタカナの練習を始めた。
(まぁ、1日くらいいいわよね。敏明さんも、勉強はゆっくりでいいって言ってたし…)
コメント返しが終わった頃には、敏明が帰ってくる時間と夕飯が出来上がる時間ギリギリの状態だった。ひろみは敏明との約束である、家事を疎かにしないという条件を果たすため、大急ぎで夕飯を作り、なんとか敏明の帰宅に間に合わせた。
「ただいまー」
「おかえり!パパー!」
「おかえりなさい、あなた。」
ひろみは、何とか敏明の帰宅に夕飯が間に合ったことに、内心ほっとしていた。
(せっかく初投稿でしっかり注目を集められて、ロケットスタートを切れたのに、投稿を止めるように言われたらやりにくくなるものね…。)
「今日は、何の勉強をしたんだ?」
「今日はね、漢字の練習とひらがなとカタカナの練習!」
「練習…?」
「ほら、漢字はこれからもずっと使っていくものでしょ。今日は復習を中心に勉強してもらったのよ。」
「ああ、なるほどね。」
ひろみは、弘明への教育を疎かにしていないことをアピールするために、何とか言い訳で凌いだ。表情にこそ出さないが、内心は敏明に勉強に付き合わなかった理由を悟られたくない、と必死になっていた。
夫が帰宅してからの日課を終えると、ひろみは早速、SNSの注目度を敏明に意気揚々と報告した。
「すごいなぁ、初めての投稿で、ここまで注目されるなんて…。」
「そうなのよ、私もびっくりしちゃった。この調子でいけば、企業からの依頼がくる日もそう遠くないわ。そうなれば、家にいても家計の足しにもできるし、どんどん投稿しないと。」
「でも、あまり無理はしないようにね。僕はいいけど、弘明の勉強、練習1人でしてたって聞いたよ。ちょっと寂しそうだった。それに、絵画教室にも行きたいって弘明が話してたよ。僕が職場の先輩から聞いた教室に、見学には行った?」
弘明への教育に関する熱意が、いつの間にかSNSに傾いていて、絵画教室のこともひろみの頭からすっぽり抜け落ちていた。
「…行って、ないわね。ごめんなさい。」
「僕はいいよ。でも、弘明を蔑ろにすることだけはやめてやってくれ。」
「ええ、約束する。」
ひろみは、改めて弘明のことと自身のインフルエンサーとしての活動をどう両立させるか、寝室に入った後も考え続けた。
(何も、投稿は毎日しなきゃいけないわけじゃない…。撮影や投稿のチャンスは、弘明が幼稚園に行っている間がベストね。弘明が帰ってきた時には、ちゃんと勉強も見てあげて、家事もしっかりしなきゃ…。)
次の日、弘明を幼稚園に送った後、いつもの4人で井戸端会議が始まった。
「そういえば、青山さんとこ、退園するって聞いたわ。」
「あー!私も聞いた!何でも、おもちゃを他の子にぶつけて、思いっきり怪我させたそうよ。お母さんを呼び出したんだけど返事もないし、お子さんは暴れるしで滅茶苦茶だったって聞いたわ。」
「そうそう、お母さんに連絡が繋がらないから、緊急連絡先にかけたそうよ。そしたら旦那さんが出て、可哀想に会社を早退して幼稚園に直行して、怪我させたお子さんと親御さんにひたすら謝ってたって。」
「それで、そのまま退園?」
「しばらくお子さんは登園してなかったみたいだし、夫婦で話し合ったんじゃない?で、退園させるって決まったんじゃないかなぁ。」
「まぁ何にしても、一安心よね。危ない子だったし…。」
「本当よ!次の幼稚園か、保育園か知らないけど、園の人が可哀想だわー…。」
主婦達の噂話はどこどこまでも広がっていき、留まるところを知らない。4人の中では、一先ずこれ以上被害が出なくなるからよかった、という結論に落ち着いた。
「そういえば、岡田さん昨日は投稿してなかったのね。」
「私、次の投稿楽しみにしてたのにー。」
「今日投稿するつもりなの。投稿する材料を溜めておかないと、投稿したくてもできなくなっちゃうもの。」
「でも、岡田さん程の注目度なら、毎日投稿するぐらいの方がいいかもしれないわね。」
そう切り出したのは、絵里だった。
「って言うのも、駆け出しの人って最初は物珍しさで注目されるんだけど、投稿数が減っていくと、見る人もどんどん減っていっちゃうのよ。私がそうだったから…」
「先輩インフルエンサーの助言ね、説得力あるわー。」
「あなた、何も投稿してないじゃない。」
「でも事実でしょう。絵里さんはずーっと注目され続けてるんだし。」
ひろみは、3人の会話を聞きながら、余裕を見せながらも内心焦りが出てきた。
(確かに、テレビでも一発屋みたいな芸人や芸能人はたくさんいる…。今、私がまさにその状態ってこと?…だめよ、一発屋で終わっちゃ。これからもずっと注目され続けなきゃいけないんだから。)
ひろみは、井戸端会議を早めに離脱し、急いで家に帰った。昨日の夜考えていたように、ひろみがSNSに張り付けるのは弘明が幼稚園に預けられている「今」しかない。家に着くと、ひとまず心を落ち着け、何を投稿するかじっくり考え、文面まで考え尽くして投稿した。
(これでよし…、と。一発屋で終わらせるなんて、冗談じゃないわ。まだ、幼稚園のお迎えまで時間がある…。次の投稿内容考えなきゃ。次は動画にしてみようかしら…?)
そうこう考えているうちに、2回目の投稿にも多くのコメント、評価がついていた。ひろみは一人一人丁寧に、コメントを返していく。
(今見てくれている人は大事にしないと…、ファンが離れていったら、元も子もないものね。)
ひろみは、幼稚園の迎えの時間までSNSに張り付きっぱなしの状況となっていった。
_________________________
(!…2回目の投稿、か。)
スマートフォンには、化粧品や美容液を画像に写し、つける前と付けた後の自身の写真を上げている記事を見て、ふふっと笑いが込み上げた。
記事を見た本人は、チャットを立ち上げ、とある人に連絡を送る。
『2回目の投稿が来ました。コメント、評価、お願いします。』
すると数分経たずに、送った先から返信がきた。
『了解しました。この前と同じでよろしいですか。』
『少し、評価を多めにしてください。』
『了解しました。終了次第、報告します。』
そのメッセージを見て、不敵な笑みを浮かべる。
(さて、これであの人はどうなるかしらね…)
時計を見ると、幼稚園への迎えの時間が迫っていたため、必要なものを持って自分の子どもを迎えに車を走らせた。
________________________
ひろみは、車を大急ぎで幼稚園に向かわせていた。2回目の投稿も、大量の評価とコメントがつき、それを返している間に、すっかり幼稚園へのお迎えの時間を過ぎてしまっていた。時間が過ぎていることに気がついたのも、幼稚園からの連絡がきっかけだった。
弘明を拾い、車を走らせている途中にも、敏明への言い訳を考え続けたが、なかなか筋の通った言い訳が思いつかない。
(敏明さんにはバレないようにしたいけど…。弘明は素直な子だから、喋っちゃうわよね。私がなかなか迎えにこないのが不安だったのか、幼稚園で拾った時も泣きそうになってたし…。)
ひろみは意を決して、車を家に向かう道から日々の食材を買うスーパーに方向を変えた。
「弘明、今日はごめんね。ママが来なくて不安だったよね。」
「ううん、僕平気だよ。泣かずに待てたよ。」
「偉いわ、弘明。そんな偉かった弘明に、ご褒美買ってあげる。夕飯の買い物もしないといけないから。」
「ごほーび!?」
「ええ、弘明の大好きなお菓子、買っていいわよ。」
「やったぁ!お菓子!お菓子!」
弘明は無邪気に喜ぶ一方で、ひろみは敏明に素直に謝り、罪滅ぼしとして弘明にはお菓子を与えることにした。
敏明は、弘明が優秀かどうかと言うことより、幼い弘明に辛い思いや悲しい思いをさせたくない、という思考を強く持っていることをひろみは知っている。幼稚園のお迎えに遅れてしまったことは、もう事実として変えようがない。であれば、迎えに遅れたことで不安がらせてしまったことへのフォローはお菓子で補い、敏明には素直に謝罪することが今後もSNS上で活動を続ける上で最善の解決策である、とひろみは決心した。
(今一番怖いのは、下手に隠して嘘がバレて、SNSを取り上げられること。それだけは避けないと…)
夕飯の買い物のために寄ったスーパーでは、弘明は好きなお菓子を二つ選び、それを含めて会計を済ませ、また大急ぎで自宅へ向かった。帰宅すると、不幸中の幸いか敏明はまだ帰っておらず、弘明に買い与えたお菓子は「夕飯後の楽しみにする」といったん預かり、夕飯の準備に取り掛かった。あともう少しで夕飯が出来上がる、というタイミングで、敏明が帰宅した。弘明は素直にひろみが幼稚園の迎えが遅れたこと、その不安に耐えたご褒美にお菓子を買ってもらったことを無邪気に暴露しており、その声はしっかりひろみにも聞こえていた。
(…敏明さん、怒ってるかしら…。)
弘明を抱えてリビングに入ってきた敏明は、息子に子供部屋で夕飯を待つよう言い渡し、ひろみをまっすぐ見据えて対峙した。
「…弘明から聞いた。理由があるなら聞くよ。」
「ごめんなさい!…今日、SNSに投稿したの。そしたら、コメントがたくさんついて…。その返信をしてたら、幼稚園のお迎えの時間を過ぎてしまってて…。」
「…僕と約束したよね?弘明のことや家事を疎かにしないって。」
「…言い訳の余地もないわ。本当にごめんなさい。」
敏明は、言い訳もせず、ひたすら謝罪の言葉を繰り返しながら頭を下げるひろみを見て、意外に思っていた。ひろみの悪癖として、自身の非を認めない部分があり、何かある度に自身を正当化するために言い訳をひたすら並べ立てるところが玉に瑕だったが、今回はしっかり自分の非を認めて謝っている。
(…子どもができて、ひろみも変わったってことなのかな。僕も家のことはひろみに任せっきりだし…。)
「君がちゃんと反省しているのはわかったよ。SNSで注目を集めて、その、インフルエンサー?になれるところまできてるって考えたら、夢中になる気持ちもわかるから、投稿は止めて、とも言わない。けど、家庭のこととSNSのことを両立できる方法もちゃんと考えてほしい。…改めて、約束してくれるかい?」
「…ええ、約束する。ちゃんと、両立するようにする。本当に、ごめんなさい。」
「もう謝らなくていいよ。君が心から反省していることはわかったから。…今日の夕飯は、グラタン?」
「…ええ、貴方へもお詫びにと思って。」
「君のグラタンは絶品だからね。楽しみにしてるよ。」
敏明は優しい微笑みで、仕事着から部屋着に着替えるために寝室へ入っていった。ひろみは、何とか敏明を説得できたことに、腰から力が抜けるような思いで安堵した。
(SNSと家庭を両立する方法、か…。今後もコメントがたくさん来ることを考えると、幼稚園に預けてる間の時間では足りないのよね…。何か、策を考えないと。)
ひろみはともかく、敏明に振る舞うためのグラタンを綿密に作り込み、他にも副菜を何品か作って夕飯に振る舞った。グラタンは親子ともに好物で、特に弘明は大好きなグラタンを食べた後に、大好きなお菓子が食べられるということが嬉しくてたまらないのか、終始楽しそうに笑っていた。
何とか危機を脱したひろみは、いつものように寝室で寝息を立てる2人をよそに、SNSと家事を両立する方法を見出すため、ひたすら考えを巡らせていた。まだ2回しか投稿していないアカウントであるが、SNSで注目を浴びる、羨望の目を向けられる快感を知ってしまったひろみには、投稿をやめる、という考えはなかった。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説

共生
ひなこ
ミステリー
高校生の少女・三崎有紗(みさき・ありさ)はアナウンサーである母・優子(ゆうこ)が若い頃に歌手だったことを封印し、また歌うことも嫌うのを不審に思っていた。
ある日有紗の歌声のせいで、優子に異変が起こる。
隠された母の過去が、二十年の時を経て明らかになる?
夜の動物園の異変 ~見えない来園者~
メイナ
ミステリー
夜の動物園で起こる不可解な事件。
飼育員・えまは「動物の声を聞く力」を持っていた。
ある夜、動物たちが一斉に怯え、こう囁いた——
「そこに、"何か"がいる……。」
科学者・水原透子と共に、"見えざる来園者"の正体を探る。
これは幽霊なのか、それとも——?
強制憑依アプリを使ってみた。
本田 壱好
ミステリー
十八年間モテた試しが無かった俺こと童定春はある日、幼馴染の藍良舞に告白される。
校内一の人気を誇る藍良が俺に告白⁈
これは何かのドッキリか?突然のことに俺は返事が出来なかった。
不幸は続くと言うが、その日は不幸の始まりとなるキッカケが多くあったのだと今となっては思う。
その日の夜、小学生の頃の友人、鴨居常叶から当然連絡が掛かってきたのも、そのキッカケの一つだ。
話の内容は、強制憑依アプリという怪しげなアプリの話であり、それをインストールして欲しいと言われる。
頼まれたら断れない性格の俺は、送られてきたサイトに飛んで、その強制憑依アプリをインストールした。
まさかそれが、運命を大きく変える出来事に発展するなんて‥。当時の俺は、まだ知る由もなかった。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
Amnesia(アムネシア)~カフェ「時遊館」に現れた美しい青年は記憶を失っていた~
紫紺
ミステリー
郊外の人気カフェ、『時游館』のマスター航留は、ある日美しい青年と出会う。彼は自分が誰かも全て忘れてしまう記憶喪失を患っていた。
行きがかり上、面倒を見ることになったのが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる