オオカミ少女と呼ばないで

柳律斗

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8 なくした方がいいもの

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「わぁ……いい匂い……!」
 思わず声を漏らしながら、きょろきょろと辺りを見渡してしまう。
 すると、エプロンをした男の人が、私たちの方へとやってきた。
 大学生くらいかな。
 この人も、大神くんみたいに頭に耳が生えていた。
 白くてきれいなふさふさの耳。
 まるでキツネの耳みたい!
「良くんが誰か連れてくるなんて珍しいね」
 良くんって……大神くん?
 エプロンの人が目を細めて、私の方を見る。
 周りの空気は、ほんのり紺色に色づいていた。
 この色……大神くんの周りの空気もこんな色になってたっけ。
 大神くんが、私のことを知ろうとしたときの色?
「わ、私……大神くんのクラスメイトで、結城さくらって言います」
「待って。さくらさんって……」
 紺色の空気が、少し濃くなった。
 もう知ろうとしているってレベルじゃないのかもしれない。
 その空気に流されるようにして、口を開く。
「そ、その……人間です! でも人外の要素もあるっていうか……み、見えます」
 エプロンの人の頭に目を向ける。
「見えるって……これ?」
 エプロンの人は、指を差しながら、ふさふさの耳をピクピク動かしてみせた。
「は、はい……」
「でも、人間だね。どういうこと?」
 どういうことかは、私が聞きたいんだけど……。
 つい大神くんに目を向けてしまう。
「すみません、シロさん。人間じゃないと思ったんで、連れて来ちゃいました。来る途中、話しているうちにちょっと違うってわかったんですけど……」
 シロさんってのが、このエプロンの人のことみたい。
 大神くんが状況を説明していると、少し離れた場所から別の子が口を挟んできた。
「わかった時点で、なんで引き返さねぇんだよ。おかしいだろ」
 強い口調で言ったのは、私たちと同い年くらいの男の子。
 私と大神くんを、鋭い目つきでにらみつける。
 周りの空気は赤い。
 でも、空気の色なんて見なくても、よくわかった。
 この子、私や大神くんに対して、怒ってるんだ。
「ご、ごめんなさい」
 思わず謝る私を止めるように、大神くんが前に出る。
「見えるんだから、人間だけど人間じゃない。結城さんがこうなった原因について、わかるのはここにいる人たちだけだって思ったから」
「先に連絡するとか、もっとやりようがあんだろ」
「それは……そうだけど……」
 ひるんでしまった大神くんの前に、今度は1人、高校生くらいの女の子が現れた。
「まあまあ、落ち着いて? レイちゃんが怒ると部屋が寒くなっちゃう」
 ふんわり広がるスカート、レースのエプロン。
 緩く編んだみつあみが、優しい雰囲気を作り出しているみたい。
 そして頭には、大神くんとそっくりな三角の耳……!
「かわいい……!」
 思わず声に出してしまう。
「さくらちゃん……だっけ? ありがとう」
 にっこり笑う姿は、まるで天使みたい。
 オオカミ耳の天使なんて、さすがにちょっとおかしいかもしれないけど。
「良ちゃんは、さくらちゃんをアタシたちに紹介してくれようとしたのよね?」
「……最初は、仲間だと思ったから」
「でも、実は仲間じゃなかった……さくらちゃんは人間。それなのに人間には正しく見えるはずのない子の場所や、人外の特徴が見えちゃってるってわけね?」
 自分でもよくわかってないんだけど……。
「たぶんそういうことなんだと思います」
「あ! 敬語なんて使わなくていいから、ね? 良ちゃんのお友達でしょ!」
「え、えっと、お友達っていうか……」
「自己紹介がまだだったね。銀子っていいます。良ちゃんのお姉さんです」
「やっぱり……!」
「やっぱり?」
「大神くんと耳がそっくりだから……」
 銀子さんは、どこか納得したようにうなずいて、シロさんの方を見た。
「シロさん、本当にさくらちゃんは人間なの?」
「うーん……これまでボクがわからなかったことはないからね」
「ただ気づいてねぇだけじゃねぇの?」
 少しからかう様子のレイくんを見て、にっこり笑うシロさん。
「そういうこともありえるけど、もしそうなら、少なくとも、さくらさんはレイくんより隠すのがうまい子なんだろうね」
「お、俺は隠そうと思えばもっと隠せるし……!」
「見た目は人間でも、オーラが違うもん。無理だよ」
「う……」
 シロさん……優しそうだけど、結構はっきり言う人みたい。
「まあ、それだけ能力が強いってことだけど。それよりいまは、さくらさんだよ。原因について、心当たりは?」
 シロさんが私に尋ねる。
「さっき、大神くんとも話してたんですけど、少し前に、黒い翼の男の子と会ったんです。その子に助けてもらったんですけど、かわりに大事なものをもらうよって言われて……」
「奪われてから、見えるようになったの?」
「はい。黒い翼も最初は見えなくて……あ、あと、そのときから、たまに空気の色が見えるようになりました。ずっと見えるわけじゃないんですけど」
「空気の色か……。会ったのってどのあたり? 地形とか」
「すぐ近くの山で会いました。学校の野外学習で行ったときに……」
「山……黒い翼……それに、空気の色が見えるってことは……カラスくんか」
 どうやらすぐに思い当たったみたい。
 カラスくんって……あの鳥のカラス?
 首をひねる私に気づいてか、銀子さんが答えてくれる。
「カラスくんってのは、カラス天狗の男の子なんだけど、名前がないから、シロさんやアタシは、カラスくんとかカラスちゃんって呼んでるの。昔は、ここに来ることもあったんだけど……良ちゃんは、会ったことなかったかも」
「あの子がカラス天狗……。そういえば、山の神とも言ってました!」
「まあ、ああ見えて結構、偉い存在だからね。天狗のことを神だって言う人間もいるし、本人もまんざらじゃないのかな」
 正直、カラス天狗がなんなのかよくわからないけど、たぶんオオカミ男みたいに、人外なんだろう。
「奪ったり企んだり、カラスくんならやりかねないか。彼はすごく目がよくて、はっきりと空気の色が見えるらしい。さくらさんの目にも、そういった細工をしたのかもしれないね」
 シロさんがじっと私の目を覗き込む。
 カラスくんになにかされた覚えはないけど、そういえばいきなり視界が真っ白になったっけ。
 私の目、どうにかなっちゃったのかな。
 いまのところ見えるのは、大神くんたちの耳や、この喫茶店。
 あとは空気の色。
 怖いものは見えていないし、そこまで悪くないのかもしれないけど……。
「シロさん。そのカラスくんに会えば、結城さんを元に戻せるってことですか?」
 大神くんが、シロさんに聞いてくれる。
「会ってすぐ戻してくれるとは限らないけど、会わないことには戻らないね」
「それじゃあ、会いに行こう」
 こっちを見る大神くんの目は、真剣そのものだった。
 なんとなく勢いに押されて、うなずいてしまう。
「うん。でも……」
 これって、なくした方がいいものなのかな。
 空気の色……とくに由梨ちゃんが出してる嫌悪の色は怖いけど、おかげで警戒することができる。
 大神くんの耳も、銀子さんの耳も、眺めていたくなるほどかわいい。
 あってもいいもののような気がするけど、大神くんにとっては、人間に弱みを握られてる状態だし、やっぱり嫌……かな。
「さくらちゃん? なにか気になることでもあった?」
 そう銀子さんが私を気にかけてくれる。
「な、なんでもない。大丈夫」
 そう答えるしかないよね。
「それじゃあ次の休みにでも……土曜日、空いてる?」
「え……もしかして、大神くんも一緒に行ってくれるの?」
「結城さん、こっちの事情とか全然わかってないみたいだし、立ち会うよ」
 大神くんが一緒に来てくれるのは嬉しいけど……。
「その、実は立ち入り禁止の場所なの。ハイキングコースから少し外れたとこ」
「なんでそんなとこに……」
「それにはいろいろ事情があるんだけど、危険な場所だから……」
 大神くんを付き合わせるわけにはいかない。
 私がそう言う前に、銀子さんが口を挟む。
「だったらなおさら、良ちゃん、ついてってあげないと」
「うん」
「あ、危ないよ」
「平気。人間じゃないから」
 そういえば、大神くんはオオカミ男だ。
 もしかしたら、山道とかそういった場所も、余裕だったりするのかな。
「ありがとう」
「でも2人きりなんて、まるでデートね」
 銀子さんが嬉しそうに漏らす。
「なっ……そんなんじゃないって、わかってるだろ」
「似たようなものじゃない?」
 で、デートだなんて……!
 もちろん、違うってわかってる。
 大神くんも否定してるし。
 元の自分に戻るため、大事な話をしに行くんだけど……。
 なんか、ちょっと緊張しちゃうかも。
 意識しないようにしよう。



 その後、大神くんが家の近くまで送ってくれることになった。
 初めて来た場所だし、帰り道が不安だったんだけど、銀子さんが提案してくれて、大神くんも嫌がることなく付き合ってくれる。
「ありがとう、大神くん。ステキな場所に連れてってくれて。クッキーまで!」
 お土産にって、銀子さんが持たせてくれたんだよね。
「ねーさん、そういうの作るの好きだから」
「あと、耳が見えるって、わかってくれる人と会えたのも嬉しかったし……!」
 大神くんは、隣で大きくうなずく。
「結城さんや僕にとっては本当のことだけど、クラスじゃ誰も理解してくれないからね」
 喫茶店の人たちは、誰も私をオオカミ少女だなんて言わない。
「ありがとう」
 私は改めて、大神くんにお礼の言葉を伝えた。
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