オオカミ少女と呼ばないで

柳律斗

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 月を覆っていた雲が、流れていく。
 座ったまま振り返ると、そこには中学生くらいの男の子が立っていた。
 はっきり見えるわけじゃないけれど、月が出てきてくれたおかげでなんとか確認できる。
 和服っぽい格好で、珍しいかも。
「キミさ~、こんなところで声あげても、普通、誰も気づかないよ?」
 こんな暗い山の中だっていうのに、すごく軽いノリ。
 男の子は、腰を曲げて私を見下ろた。
「ああ、ヒザ、ケガしてるね」
 さっきから、ヒザがヒリヒリすると思ってたけど、どうやら擦りむいてしまったみたい。
 とりあえず、我慢できないほどじゃない。
 それより、あまりにも突然でびっくりしたけど、誰か話せる人がいてくれたことに少しホッとする。
「さっき、ヒザついちゃったから……でも、大丈夫そうです」
「めちゃくちゃ不安そうだったけど?」
「声かけてもらえて、少し落ち着きました」
「そう? まあ、言ってることはウソじゃないみたいだね」
 この子、私を怒るわけでもないし、いったいどういうつもりなんだろう。
「あの……施設の人ですか? 同級生じゃないですよね」
 私たちはみんな、学校指定のジャージやハーフパンツ、体操服を着ている。
 でも、この子は和服みたいだし、私たちより少し年上に見えた。
「施設の人でも、キミの同級生でもないよ。しいて言うなら、この山の……神?」
 山の神……。
 ちょっとよくわからないけど、冗談かな。
「施設ならあっちだよ。ほら、向こう明るいの、見えない?」
 男の子が、私の右側を指差す。
 さっきまで気づかなかったけど、風で揺れる木の隙間から、ほんの少しだけ零れる光が確認できた。
「よかった……! で、でも……道が……」
 いまいるのはロープの外。
 どこを通ればロープの中に戻れるんだろう。
 月明かりじゃロープまでは確認できない。
 月が隠れたら、また暗闇になってしまう。
 その前に、由梨ちゃん……!
「あ、あの! もう1人女の子、見ませんでした? ウェーブがかった髪の女の子……」
 言いかけて気づく。
 近くにいた私が見失ってるくらいだし、こんな暗い中、この子が見ているはずがない。
 そう思ったんだけど……。
「見たよ。懐中電灯持ってた子でしょ」
 男の子は、なぜか少しつまらなそうに、そう答えた。
「由梨ちゃんだ……。ど、どこ? 探さないと……!」
「探さなくていいと思うな」
 探さなくていい?
 どういうこと?
「私、ここへは由梨ちゃんと一緒に来たんです。探し物をしてて……でも、はぐれちゃって……」
「その子、1人で施設の方、向かったから」
「え……?」
 施設の方に向かった?
「誰か呼びに戻ったのかな」
 私がつぶやくと、目の前の男の子は、大きくため息を漏らした。
「キミさぁ、気づかないフリしてる? それともまさか本気で気づいてない?」
 なに?
 どういうこと?
「もしかして、どこかに由梨ちゃんが……」
「そうじゃなくて。なにか探してたんだよね?」
「う、うん。由梨ちゃん、時計を落としちゃったみたいで……あの、先生には言わないでください。バレたら大変だし、由梨ちゃんにも内緒だって言われてて……」
 会ったばっかだけど、学校とは関係のない人みたいだし、これくらい話しても大丈夫だよね?
「由梨ちゃんって子、本当に時計落としたの?」
「え……」
 そんなの、疑いもしなかった。
「本人がそう言ってたし、落としたんだと思うけど……」
「こんな場所に? それにしても夜、探しに来る必要ある?」
「それは今日、雨が降っちゃうかもしれないから……」
「だったらその子、1人で探せばいいよね?」
「由梨ちゃんは1人で行くって言ってたんだけど、そんな話、聞いちゃったら、さすがに1人で行かせられないし……」
 私を見下ろしていた男の子は、今度はしゃがみ込んで、目線を合わせてくれた。
「由梨ちゃんは、なんでわざわざキミに伝えたんだろうね。友達?」
「友達……ってわけじゃないけど、私がクラス委員だから……?」
「内緒にしておいて欲しい、でも、クラス代表だからキミには伝えておくって? なんかおかしいと思わない?」
 私も、少し引っかかっていた。
 そんなに仲がいいわけじゃないのに、なんで私にだけ言ってくれるんだろうって。
 もし、このタイミングで人数確認するなら、ごまかしてほしい……とか?
「本当に内緒にしたいなら、誰にも伝えず探せばいいじゃん?」
「それは、クラス代表の私が、由梨ちゃんがいないって騒いだりしたら大変だから……かな」
「もっと他に気づいたこと、ない? おかしなこと、なかった?」
 男の子が、ジッと私の目を見つめる。
 暗いせいか、吸い込まれそうなくらい、瞳が真っ黒に見えた。
「そういえば……由梨ちゃん、私も行くって言ったとき、そう言ってくれると思ったって言ってたような……」
 まるで最初から、わかってたみたいに。
「ほら、最初から、キミに手伝わせる気だったんだよ」
「手伝って欲しいって、言い出しにくかったのかな」
 目の前の男の子は、呆れたように首を傾げた。
「……あーあ。なにもわかってない。全然、わかってない」
「わかってないって……?」
 男の子は結論だと言うように、はっきりとした言葉で告げる。
「キミ、いじめられてるよ」
 いじめられてる。
 私が由梨ちゃんに?
「そんなこと……」
 そりゃあ、どちらかといえば嫌われてるって思ってたけど。
「私からやるって言い出したことだし、由梨ちゃんも一緒だし……」
「でも実際、ここにその由梨ちゃんはいないよね? キミを危険な場所に置いて、懐中電灯も照らさず1人で帰っちゃったんだよね?」
 男の子の言葉が突き刺さる。
 なんだろう。
 嫌な予感が、どんどん的中していく感じ。
 私は、なんとか否定できる材料を探し出す。
「懐中電灯の電池が切れちゃって、誰か呼びに行ってくれたのかも……」
「なにも言わずに? 誰かって? 先生だったらどうすんの? 止めたのに、キミが1人で山に向かった、なんて言われたら、ルールを守らなかったキミが怒られるよね」
「さすがにそんなこと……」
「ありえるよ。彼女、そういう色をしていたから。キミに対する嫌悪の色」
 嫌悪の色?
 どういうこと?
「電池が切れたんじゃない。電源をオフにしただけ」
「そんな風に決めつけるの、よくないと思います。考えすぎじゃ……」
「キミは考えてなさすぎ。下手すれば足を滑らせて、キミはすぐ近くの坂から滑り落ちてたかもしれない。打ち所が悪ければ大ケガだ。これってかなりタチの悪い嫌がらせだよ」
 薄暗い中、少し先の方へと目を向ける。
 男の子が言った通り、なだらかではあるけれど、そこは少し坂になっているみたいだった。
 でも――
「なんで……」
 なんでそんな悪い方にばかり考えるの?
「由梨ちゃんのこと、知らないですよね?」
「知らないけど、たぶんキミよりはわかってる」
 ずいっと、さらに距離を詰められる。
 見つめられて、目が離せなくなった。
「いいよね、鈍感で羨ましい。でもさすがに自覚した方がいいと思うよ」
 自覚ってなに?
 もしかして、いじめられてるってこと?
「そんなんじゃ……」
 ない。
 私が認めさえしなければ、これはいじめでも嫌がらせでもないんだ。
「ま、いいけど。施設に戻りたいんだよね?」
「でもまだ時計が……」
「こんな暗い中、人間の目で、懐中電灯もないのに探せると思う?」
 たしかにこの状況じゃ、見つけられそうにない。
 いまは、早く施設に戻った方がいいのかも。
「助けてあげようか」
「え……」
「足、ケガしてるでしょ。1人でこんな暗い中、歩いて戻れる?」
 立とうとしてみたけれど、ちょっと痛い。
 ここからロープの中に戻れても、何の支えもない中、ハイキングコースを進まなくちゃならないんだ。
 ある程度、整備されているとはいえ、少しはデコボコしているし、ゆっくり慎重に歩いてたら、8時なんてすぐに過ぎてしまう。
 助けてもらった方がいいのかな……。
「ああ、でも、もちろんタダじゃないからね」
 私が助けを求めようとした瞬間、先に告げられる。
「ど、どうすれば……」
「もらうよ。キミの大事なもの」
 大事なもの?
「前から興味あったんだ。ついでにキミはもう少し、いろんなものを見たらいい」
 男の子の手が、私のヒザに触れる。
 直後、眩しい光が私の視界を奪った。
 すべて真っ白。
 ゆっくり戻ってきた私の目に映り込んだのは――
「翼……?」
 真っ黒い翼。
 男の子背中から、まるで大きな黒い翼が生えているみたい。
 まさかそんなはずない。
 でも、さっきまでなかったはずの翼が見える。
「契約完了。おいで」
 腕を引かれたかと思うと、ふわりと体が浮いた。
「あ、あれ……」
 いま私……抱きかかえられてる?
 まさかとは思うけど、その黒い翼で飛んでるなんてこと……。
「ああ、あの! 私……!」
「しー……静かに。暴れないでくれる?」
「う、うん……」
 浮いてるよね?
 男の子に抱えられたまま、木の間をすり抜けているみたい。
「ここでしょ、施設って」
「あ……ありがとうございます」
 あっという間だった。
 施設の外にある手洗い場へと降ろされた私は、いま起こった出来事が、まったく理解できないでいた。
 飛んできたような……気がするんだけど。
「あの……」
「まずはそのヒザ、洗った方がいい」
「う、うん……」
 勢いに押されるようにして、私はケガをした左足の靴と靴下を脱ぐと、手ですくった水を、ヒザにかける。
「つぅ……」
 水がしみて痛いけど、なんとか汚れを洗い流した後、男の子はしゃがみこんで黒い布を巻いてくれた。
「え、えっと……!」
「返さなくていいよ。オレも返さない」
「ど、どういう……」
「あと、キミは本当に鈍感だから、もう1つ教えてあげる。オレはイイ人じゃない。キミが持ってるものが欲しくて、都合がいいから助けただけ」
 そう笑顔を向けると、男の子は、どこからか取り出したメガネをかけてみせる。
「うん、見にくいなぁ」
 そんなことを言いながら、くるりと向きを変えた男の子の背中には、やっぱり翼が生えていた。
 黒くて大きな翼。
「歩ける?」
「う、うん。ありがとうございます」
「いいよ。それじゃ、ありがとう」
 男の子はそう言ったかと思うと、少し周りをうかがいながら、翼をはばたかせて飛んでいく。
「えええ……なに、あれ……」
 わけがわからなすぎて、言葉も出てこない。
 でも、たぶんあれで私を運んでくれたんだ。
「やっぱり、イイ人……?」
 私が持ってるものが欲しくて、助けたなんて言ってたけど、悪い人だったら、一方的に奪ってくよね?
 結局、なにを奪われたのか、よくわかんないけど。
 男の子が向かった先へと、一歩、踏み出したところで、足の痛みを思い出す。
 男の子との出会いが衝撃すぎて忘れちゃってたけど、私、由梨ちゃんと、時計を探しに来てたんだった!
 見つけられてないけど、とりあえず、由梨ちゃんを探さないと。
 もし外にいるなら心配だし、さすがに先生に伝えた方がいいかもしれない。
 でも、あの黒い翼の子が言ったように、施設に戻ってたら?
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