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高3

八木橋くんとカナデさん(6)

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「大丈夫?」
 亜姫がぐったりしながらベンチに座ると、八木橋はペットボトルを手渡した。
 
 亜姫はそれを少しずつ口に入れていく。想像以上に気を張っていたようで、喉がカラカラだ。
 砂漠のように乾ききっていた喉が潤ってくると、息が吸いやすくなる。亜姫はホウッと息をつき、ようやく肩の力を抜いた。
 
「ごめんね。余計な時間使わせちゃって……」
「別に気にしてないよ。橘さん、人に気を使いすぎって言われない? そうやってすぐ謝るのは癖なの?」
「あー、そうかも……。でも、自分ではワガママな方だと思ってるから謝りたくなっちゃう」
 
 すると、ブハッと八木橋が噴き出した。突然、しかも意外な姿に亜姫は目を瞬かせる。

 すぐにいつもの様子に戻った彼は、そんなわけ無いでしょうと言いながらくすくすと笑う。
 
「そうやってよく笑われるんだけど、自分じゃ理由がわからない………」
「そう? 僕にはよくわかるけど」
 
 そう言ったあと、八木橋は空気を変えるように大きく息を吐き、笑うのを止めた。
 
「……橘さんって、いつも笑ってるなと思ってた」
「え?」
「僕は二年になってからの橘さんしか知らないけど。楽しそうだったよね、いつも」
「毎日、楽しいと思ってたもの」  
 少し小さな声で、そして過去形で紡がれた亜姫の言葉。

 八木橋はしばらく黙っていた。
 
「去年の終わり頃かな。ある時から、あまり笑わなくなったと思ってた。
 ……苦手になったのは、その頃から……かな?」
 八木橋は聞くのを躊躇している様子で、亜姫の方ではなく自分の手元を見つめている。
 
 亜姫もどう答えるべきか迷い、俯きがちに小さな頷きを返した。
 
「無理して話さなくていい。僕と仕事するのは無理だと思ったら、誰かと代わればいいだけの話。今すぐその結論を出したって構わない。
 橘さんから見て僕が男だというのは変わらない事実だし、理屈じゃどうにもならないことって……あると思うんだ。
 大事なのは、文化祭の準備は楽しむべきだってこと。
 たとえ何を聞いても、逆に何も聞かされないまま終わったとしても。僕は橘さんに嫌な感情は抱かないし、この話を誰かにすることも絶対にしない。
 それだけは最初に約束しておくよ」
 
 静かな声でそう告げると、八木橋は顔を上げて亜姫に柔らかく微笑んだ。
 
 その言葉に背中を押され、亜姫はポツポツと話をしていった。
 
 何が苦手で何が大丈夫なのか。
 時には休まければならないが、楽しみたいと思っていること。
 迷惑をかけるかもしれないが、一緒にやらせてほしいこと。
 できれば、気遣われるのではなくありのままを受け止めてもらいたいこと。
 こんな状況だけれど、自分の仕事は最後まで責任持ってやり遂げたいこと。
 
 その全てを八木橋は聞き入れ、頷いてくれた。
 
「じゃあ……大事な秘密を教えてくれた代わりに、僕も秘密を教えようかな。
 ……橘さんには、伝えておいたほうが良さそうだ」
「いいよそんなの。私のワガママを聞いてもらっただけで充分……」
「男」
「えっ?」

 意味がわからず、亜姫は目を丸くした。

 その顔を見た八木橋は一瞬クスッと笑う。それから、ほんの少し緊張を滲ませた。
 亜姫の視線から逃れるように少しだけ目を逸らし、先程までとは違い、固さを乗せた声で続ける。
 
「僕、好きになるのは……昔から男の人なんだ。
 それだけじゃない。僕の心……女の子なんだよね」
「そ、れは……体と心が別っていう、あの?」
「うん、そう」
「じゃあ、八木橋君は女の子ってこと……?」
「そう、だね。少なくとも僕の中では。外見は残念ながら男だから、大きな声では言えないけれど。
 でも、いつか体も女の子になれたらと思って……ずっと、お金を貯めてる」
 
 そこまで言って、ゆっくり亜姫へ視線を戻すと。

 そこには──八木橋の予想とは似ても似つかない──キラキラと目を輝かせた亜姫の笑顔があった。
 
 嫌悪されることも覚悟していた八木橋は、その顔に驚いて言葉を失う。
 
 しかし亜姫はそんな様子も気にせず、嬉しそうに話しかけた。
「今でも全然いけると思う」
「えっ……」
「だって、八木橋君、顔も見た目も可愛いもん。あっ、男の子にそんなこと思うなんて失礼かなって思ってたんだけど……大丈夫かな? これは褒め言葉なんだけど、ちゃんと伝わってる?」
「あっ、うん……」
「よかった! 実は隣の席になった時に思ってたんだ、髪も肌もつやつやで爪も綺麗だなぁって。雰囲気や所作とか、いつ見ても可愛いなって!
 私、色々雑すぎるみたいで怒られてばっかり。私なんかより、八木橋君のほうが断然女子力高いよ!
 私は自分のことよりも、可愛い女の子とか色気ある女性とかいわゆる女の子! ってモノを見るのが好きで、特におっぱいなんて……」
「ちょ、っと待って、橘さん、っ」
「八木橋くんが今持ってるその文房具もだけど、小物もいつも可愛いの持ってるよね。前に見かけたアレも実は気になっ……」
「待って、ストップ、ストップ!」
 両手を亜姫の顔の前に出して、八木橋が必死で止める。

「あっ……ごめん! 興奮すると止まらなくなっちゃうの。いつも麗華達に怒られてるんだった」
「いや、そうじゃなくて……あの……なんとも思わないの? 僕の話聞いても……?」
「え? 何が? 八木橋君は女の子だから怖がらなくていいよって話だよね? 逆にごめんね? 男の子だと思って怖がるなんて、すごく嫌な気持ちになったんじゃない……?」
 申し訳無さそうな顔で亜姫は謝る。
 
 八木橋はその顔を呆然と眺めていたが、しばらくすると声を上げて笑い出した。
「嘘だろ……。橘さん、きみ……最高!」

 お腹を抱えて笑う八木橋に、今度は亜姫がぽかんとする。

「……だから、なんで笑ってるの………?」
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