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高3
定食屋(1)
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夏祭りの数日後。
和泉と亜姫は、約束どおり定食屋へ赴いた。圭介は部活でおらず、間に合えばあとから合流するという。
年季の入った看板と和風な作りの店構え。それがなんとも温かそうな雰囲気で、亜姫はワクワクしながら中へ入った。
入った途端に飛んでくる、威勢のいいおじさんと明るいおばさんの声。自然と顔が綻ぶ。
「こんにちは。先日はご馳走様でした」
「楽しみにしてたのよ。さあさあ、好きなところに座って」
嬉しそうなおばさんの声を遮るように、おじさんが声を上げた。
「カイ、ここ」
指差したのは、厨房と向かい合うように設置されたカウンター席。
和泉は一瞬時計を見た。少し考える様子を見せたあと、亜姫をカウンターの端へ座らせる。そして、自身も慣れた様子で隣に腰掛けた。
仕込みの途中なのだろう、おじさんはニカッと笑いかけると慌ただしく厨房で作業していた。
亜姫は、ぐるりと店内を見渡した。
さほど大きくない空間。テーブル席とカウンター席が数個ずつ。焦げ茶色の梁がむき出しになった壁に、墨文字で書かれた品書きの木札が沢山掛かっている。よく磨かれた室内の綺麗さと店内を柔らかく包み込む温かな雰囲気は居心地が良かった。
「素敵なお店………」
思わず呟くと、おしぼりを差し出したおばさんが嬉しそうに笑う。
「あら、そう思ってもらえるのは嬉しいねぇ。親の代から大事にしてるお店なのよ。お陰様で贔屓にして下さる方が多くてね。
来てくれたお客様には、自宅にいるような気持ちでリラックスしてもらいたいと思ってるんだよ。亜姫ちゃんも、沢山食べて楽しんで帰ってね」
亜姫が嬉しそうに頷き差し出されたメニュー表を受け取ろうとしたら、和泉がいらないと断った。それを見たおばさんはカラカラと笑う。
「この子の体、半分はうちのご飯で出来てるからね。カイの方がメニュー表より詳しいよ」
亜姫が和泉を見ると、彼は同意するように頷いた。
まだ外は明るい。夕飯には早い時間だからか、店の中には誰もいない。
それでも、和泉は亜姫の腰から手を外さなかった。恥ずかしいと小声で言ってみたものの、どこ吹く風の和泉。それを見て優しそうに笑うおばさん達に、いつしか亜姫も慣れてしまった。
「おっちゃん、とりあえずジャガバター」
「あいよ!」
「ここ、一品料理の数がすごいだろ。亜姫、何か食べたいものはある?」
「どれも美味しそうで……選べないぃ……」
亜姫は先程から壁の木札にくぎづけだ。
言葉尻が少し伸びるのは、亜姫が何かに気を取られている時の癖。
動揺してパニックを起こしかけている時は、もう少し長く伸びて吃りがちになる。
興味を惹かれたものに集中している時は、口をぽかりと半開きにして、その対象を穴が開きそうなほど見つめながら語尾を伸ばす。今はまさに後者だ。
周りが見えなくなるほど木札に夢中になっている姿は面白く、またこういうところが可愛くてたまらない。和泉は声を上げて笑った。
すると、こんな和泉を初めて見たおじさんとおばさんが信じられないものを見たと動きを止めた。
二人で顔を見合わせ、再度和泉を見る。
そこには、楽しそうに会話をして笑い続ける和泉がいた。
二人は時が止まったようにしばらく固まっていた。
「亜姫、落ちちゃうよ」
次第に前のめりになる亜姫を引くと、ポスっと音を立てて懐へ入ってくる。その頭にチュッと口づけるも、亜姫は木札に気を取られて気づかない。和泉は笑いをこぼしながら、椅子にきちんと座らせた。
「まず、俺が食べてるのを頼む? 一皿ずつ頼んで半分にすれば、沢山食べられるだろ?」
「それは嬉しい」
「おっちゃん、いつもの出して」
と、そこでおじさん達はようやく我に返る。
目をパチパチさせて、気を取り直したように慌てて動き出した。
二人が知るカイは、酔っ払った親の一人が『生きたマネキン』と称したとおりで。
小さな頃から飛び抜けた容姿に恵まれていたが、感情も表情も無く、口を開くことも滅多にない。
反抗やワガママも無く、身勝手な行動もしない。手のかからない子ではあったが、逆に生きてるのかと疑うほど無気力で無関心で、自ら動き出すことなど殆ど無い子だった。
しかし誘われれば断ることもなく、動けばスポーツ万能で頭もいい。ただ、何をしていても常につまらなそうだった。
何でも簡単にこなせてしまうので、逆に刺激が無かったのかもしれない。とにかく、楽しそうに笑う姿なんて見たことがない。
話を聞いてなさそうだが、いざ話しかければ面倒くさそうに一言、もしくは小さな頷きを返してくる。
一人が好きなのかと思えば、人を選り好みしたり避けたりするわけでもなく、誰かと共にいたりする。
何も考えてないように見えるけれど、誰かに何かがあると、いつの間にかその子の隣にいたりする子であった。
といっても、何を言うわけでもなく本当にただ「いるだけ」なのだが。
カイが近づいているのか、周りがカイのそばへ行くのか……それすらよくわからないが、そんな光景は度々見られた。
二人はそんなカイしか見たことがなかった。
だから、圭介達から「キレたカイを見た」「亜姫の前だとすごく喋る」「自分から動きまくってる」と聞かされても想像など出来ない。
聞かされた者は誰一人信じることはなく、「嘘だ」と激しい言い合いになってしまったほどだ。
なので麻美にブチ切れたのを見た時、全員引っくり返るほど驚いた。だが、今の衝撃はそれを遥かに上回っていた。
和泉と亜姫は、約束どおり定食屋へ赴いた。圭介は部活でおらず、間に合えばあとから合流するという。
年季の入った看板と和風な作りの店構え。それがなんとも温かそうな雰囲気で、亜姫はワクワクしながら中へ入った。
入った途端に飛んでくる、威勢のいいおじさんと明るいおばさんの声。自然と顔が綻ぶ。
「こんにちは。先日はご馳走様でした」
「楽しみにしてたのよ。さあさあ、好きなところに座って」
嬉しそうなおばさんの声を遮るように、おじさんが声を上げた。
「カイ、ここ」
指差したのは、厨房と向かい合うように設置されたカウンター席。
和泉は一瞬時計を見た。少し考える様子を見せたあと、亜姫をカウンターの端へ座らせる。そして、自身も慣れた様子で隣に腰掛けた。
仕込みの途中なのだろう、おじさんはニカッと笑いかけると慌ただしく厨房で作業していた。
亜姫は、ぐるりと店内を見渡した。
さほど大きくない空間。テーブル席とカウンター席が数個ずつ。焦げ茶色の梁がむき出しになった壁に、墨文字で書かれた品書きの木札が沢山掛かっている。よく磨かれた室内の綺麗さと店内を柔らかく包み込む温かな雰囲気は居心地が良かった。
「素敵なお店………」
思わず呟くと、おしぼりを差し出したおばさんが嬉しそうに笑う。
「あら、そう思ってもらえるのは嬉しいねぇ。親の代から大事にしてるお店なのよ。お陰様で贔屓にして下さる方が多くてね。
来てくれたお客様には、自宅にいるような気持ちでリラックスしてもらいたいと思ってるんだよ。亜姫ちゃんも、沢山食べて楽しんで帰ってね」
亜姫が嬉しそうに頷き差し出されたメニュー表を受け取ろうとしたら、和泉がいらないと断った。それを見たおばさんはカラカラと笑う。
「この子の体、半分はうちのご飯で出来てるからね。カイの方がメニュー表より詳しいよ」
亜姫が和泉を見ると、彼は同意するように頷いた。
まだ外は明るい。夕飯には早い時間だからか、店の中には誰もいない。
それでも、和泉は亜姫の腰から手を外さなかった。恥ずかしいと小声で言ってみたものの、どこ吹く風の和泉。それを見て優しそうに笑うおばさん達に、いつしか亜姫も慣れてしまった。
「おっちゃん、とりあえずジャガバター」
「あいよ!」
「ここ、一品料理の数がすごいだろ。亜姫、何か食べたいものはある?」
「どれも美味しそうで……選べないぃ……」
亜姫は先程から壁の木札にくぎづけだ。
言葉尻が少し伸びるのは、亜姫が何かに気を取られている時の癖。
動揺してパニックを起こしかけている時は、もう少し長く伸びて吃りがちになる。
興味を惹かれたものに集中している時は、口をぽかりと半開きにして、その対象を穴が開きそうなほど見つめながら語尾を伸ばす。今はまさに後者だ。
周りが見えなくなるほど木札に夢中になっている姿は面白く、またこういうところが可愛くてたまらない。和泉は声を上げて笑った。
すると、こんな和泉を初めて見たおじさんとおばさんが信じられないものを見たと動きを止めた。
二人で顔を見合わせ、再度和泉を見る。
そこには、楽しそうに会話をして笑い続ける和泉がいた。
二人は時が止まったようにしばらく固まっていた。
「亜姫、落ちちゃうよ」
次第に前のめりになる亜姫を引くと、ポスっと音を立てて懐へ入ってくる。その頭にチュッと口づけるも、亜姫は木札に気を取られて気づかない。和泉は笑いをこぼしながら、椅子にきちんと座らせた。
「まず、俺が食べてるのを頼む? 一皿ずつ頼んで半分にすれば、沢山食べられるだろ?」
「それは嬉しい」
「おっちゃん、いつもの出して」
と、そこでおじさん達はようやく我に返る。
目をパチパチさせて、気を取り直したように慌てて動き出した。
二人が知るカイは、酔っ払った親の一人が『生きたマネキン』と称したとおりで。
小さな頃から飛び抜けた容姿に恵まれていたが、感情も表情も無く、口を開くことも滅多にない。
反抗やワガママも無く、身勝手な行動もしない。手のかからない子ではあったが、逆に生きてるのかと疑うほど無気力で無関心で、自ら動き出すことなど殆ど無い子だった。
しかし誘われれば断ることもなく、動けばスポーツ万能で頭もいい。ただ、何をしていても常につまらなそうだった。
何でも簡単にこなせてしまうので、逆に刺激が無かったのかもしれない。とにかく、楽しそうに笑う姿なんて見たことがない。
話を聞いてなさそうだが、いざ話しかければ面倒くさそうに一言、もしくは小さな頷きを返してくる。
一人が好きなのかと思えば、人を選り好みしたり避けたりするわけでもなく、誰かと共にいたりする。
何も考えてないように見えるけれど、誰かに何かがあると、いつの間にかその子の隣にいたりする子であった。
といっても、何を言うわけでもなく本当にただ「いるだけ」なのだが。
カイが近づいているのか、周りがカイのそばへ行くのか……それすらよくわからないが、そんな光景は度々見られた。
二人はそんなカイしか見たことがなかった。
だから、圭介達から「キレたカイを見た」「亜姫の前だとすごく喋る」「自分から動きまくってる」と聞かされても想像など出来ない。
聞かされた者は誰一人信じることはなく、「嘘だ」と激しい言い合いになってしまったほどだ。
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