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高3

忘れるなんて無理(4)

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「亜姫!!」 
 崩れ落ちそうな体を、間一髪で支える。
 それすら跳ね除けようとする亜姫をどうにか抱え込み、外へと連れ出した。
 
 声を聞いた麗華達が廊下に飛び出してくる。
 
 和泉は暴れる亜姫を抱えながら叫んだ。
「発作! 何かおかしい!」
 
 戸塚とヒロが山本を呼びに走り出した。
 和泉は教室へ入り、床の上に亜姫を抱えて座り込む。麗華もそばに座り込んだ。
 
 亜姫は錯乱して暴れ、逃げようとし続けた。
 怯え、震え、泣きじゃくっている亜姫には言葉が全く届かない。
 
 あの日と同じだ……。
 
 目の前にいる亜姫が、倉庫で見た姿と重なっていく。
 あの場に引き戻されそうになるのを振り払い、和泉は亜姫を抱えこんだ。大声で叫びたい気持ちを抑えて、できるだけ落ち着いた声でひたすら声をかけ続ける。
 
 亜姫は徐々に大人しくなったが、代わりに首や口元へ強い不快を示し、自らを傷つけた。
 ネイルをしたいと伸ばし始めた綺麗な爪が、肌を深く傷つけていく。その片手を掴んで止め、体を抱き込みながらもう片方も腕で押さえつけた。
 
「麗華、その手掴んでて。絶対離すなよ」
 麗華は半泣きになりながら、掴んだその手を両手で強く握りしめた。
 
 抱きつくような態勢で動けなくなった亜姫の背中を、和泉は「大丈夫、大丈夫」と囁きながら優しくさする。そうしているうちに、強張った亜姫の体から少しずつ力が抜けていった。
 
 崩れ落ちそうになりながら、亜姫はグッタリと和泉にもたれかかる。その口元や首周りには多数の傷が出来ていて、あちこちから出血していた。
 どれだけ強い力だったのか、数カ所は深くえぐれている。
 
 麗華は声を殺して泣いていた。
「亜姫……」
 麗華は掴んだ亜姫の手をギュッと握りしめ、持っていたハンカチでそっと顔の血を拭う。拭いても滲み出てくるそれらを何度も拭い続けた。
 
「れ、いか……?」
 触れられたことで痛みを感じたのか、亜姫が薄く目を開けた。だが一瞬麗華を見て、すぐに目を閉じる。
「亜姫……痛いでしょ? 保健室、行こ……」
 麗華は亜姫の手を軽く引いたが、その手に力はない。
 麗華は手を震わせながら、また傷口にハンカチをそっとあてた。   
 
「れ……か、ごめんね……ごめんなさい……」
「どうして謝るの。亜姫が謝ることなんて」
「約束、守れなくてごめんね。来年も行こうねって……約束……してたのに」
 
 毎年プールへ行く度、約束するのだ。来年もまた行こうと。
 
「そんなこと気にしなくていい。いつでも行けるでしょ?」 
 だが、亜姫は目を閉じたまま小さく首を振る。
 
 その動きも発する声も、今にも消えそうなほど弱々しく。山本と綾子を連れて戻ったヒロ達も、その異様な様子に何も言えず立ち尽くしていた。
 
 亜姫は彼らが入ってきたことにすら気づかず、麗華に話しかけているのか独り言なのかわからないまま言葉を吐き出していく。
「行きたかった、プール……行きたかったの。
 行けるわけないのに。なんで、行けるなんて思ったんだろ……」
「亜姫……?」 
 麗華の声には反応せず、亜姫は和泉の体から離れようと軽く藻掻く。
 
 和泉はそれをしっかりと抑え込み、麗華にも「手、絶対離すなよ」と念押しする。
 
 亜姫は少しの間藻掻いていたが、徐々に体の力を抜くとまた和泉にもたれかかった。目は瞑ったまま、吸いづらそうに大きく息を吸う。そして息と共に言葉も吐き出した。
「忘れてたの……本当に、あのこと忘れちゃってた。旅行、楽しくて。少しの間、忘れられて………。
 そうだ……忘れちゃえば、いいんだ……そしたら、なかったことに出来るんだ、って。
 楽しいことだけ考えて、全部……忘れちゃえばいい、って……。
 そしたら、プールに行けたら、私……元の生活に戻れるって思った……。
 どうして、忘れたなんて思ってたんだろ。忘れられるわけ、ないのに……忘れてなんか、いないのに……。
 だって私、全部覚えてる。こんなにはっきり、覚えて、たのに……」
 
 閉じた目からつぅ……と涙が伝う。体が小さく震え、和泉がその背を優しく撫でた。
 
「そう、だよ。まともなんて、私にはないの。
 普通になんて、無理なの……。
 忘れてなかったことに、なんて……出来ないのに。
 バカだよ、私。何もできない、迷惑だけ。
 皆に……ごめんなさい……ごめ、なさ……ごめ……」
 言い終える前に眠りに落ちたのか、亜姫はそのまま意識を失った。
 
 和泉は、力なくもたれかかる体を支えたまま動けなかった。麗華も身動き一つせず泣いている。
 
 眉間にシワを寄せたまま動かない和泉に、山本がそっと声をかけた。
「教官室で休ませよう。和泉……行くぞ」
 
 和泉は亜姫を抱き上げ、無言のまま山本に続いた。
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