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高2

石橋(1)

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「おい」
 
 それは突然だった。
 
 昼休みになり、亜姫は麗華と二人で購買へ向かっていた。
 いつもと変わらない日常。その中に入ってきた、聞き慣れない太い声。最初、自分が呼ばれているとは思わなかった。
 
「おい、お前だよ。タチバナアキ!」
「え?」 
 いきなり呼ばれた自分の名。思わず振り返る。 
 すると、廊下の床に座った男子と目が合った。知らない顔だった。
 
「……私、ですか?」
 誰だっけ? 考えてみるが、やはり思い当たらない。
 
「橘亜姫ってお前だろ? 和泉の女」
「はい、私です。……和泉の、お友達ですか?」
 
 すると、その人は大声で笑った。両隣にいた男子らと共に。
「そうそう! 俺ら、和泉の友達」
 
 亜姫は、目の前のその人を観察する。
 日常的にスポーツをしているであろう、鍛えられた体つき。座った状態だが背は高そうだ。
 茶色に染められた長めの髪。
 意志の強そうな眉と一重で切れ長の瞳が印象深い。
 獰猛そうな目つきとしっかりついた筋肉。
 服の上からでもわかるゴツゴツした骨格が、野生味のある男らしさを感じさせる。
 
 ライオンみたいだな……と、不意に思った。サバンナの中を悠々と歩く雄ライオンを、つい最近テレビで観た。あれに似ている。
 和泉も男っぽいけど、どっちかっていうとチーターとか豹って感じ…… 
「おい、聞いてんの?」

 突然グイッと引っ張られて、飛んでた亜姫の意識が戻ってきた。 
 すると、目の前にライオンの顔。
「……っ?」 

 手を引っ張られ引き寄せられたのだと、動かない左手を見て理解した。 

「……っ、離して……っ」
 振りほどこうと手を動かすが、ビクともしない。
 
 購買へ来た生徒達が、廊下の真ん中に座り込む亜姫にざわつき始める。 
 そんな空気をものともせず、目の前のライオンは亜姫の頬をするりと撫でる。和泉とは全然違う、ザラザラした手触り。
 
「……ふうん? これは想像以上……」 
 目の前からそんな声が聞こえ、頬を撫でた手が後頭部へまわる。
 
 なんか、嫌だ。
 そう思い、亜姫が手を振り払おうとした時。
「その手を離してもらえますか? 石橋先輩」 
 後ろから、凜とした女性の声。

 亜姫が振り向くと、怒りのオーラを纏った麗華が彼を睨みつけていた。
 
「あれ、俺のこと知ってるんだ?」
 彼は意外そうに麗華を見ると手を離した。 
 その隙に、亜姫は急いで麗華の横へ移動する。 

「お相手には困ってないと思いますが。他をあたってもらえます?」
「じゃあ、代わりに君が遊んでくれる?」
「お断りします」
 厳しい口調でピシャリと告げると、麗華は亜姫の手を掴んで来た道を戻りはじめた。
 
 麗華が和泉以外にこんな怒りを表すことも、こんなに強く不快感を示すことも珍しい。 
「れ、麗華? どうしたの? あの人、知り合い?
 ねぇ、まだご飯買ってないよ? お昼は?どうするの?」
「うるさい。黙ってついてきて。お昼はあとでいい」
「え、あとでって……、売り切れちゃう前に急いで買いに来たのに……?」 
 麗華は無言のままグイグイと亜姫を引っ張り、そのまま教室へ戻った。
 
 教室に入り、麗華はまっすぐ和泉の元へ向かう。
「早いな、もう買えたの?」とヒロがのんびり言うのを無視して、亜姫を和泉へと押しつけた。
 
 亜姫達が何かを言う暇もなく、麗華は怒りのオーラを纏ったまま和泉に言う。
「あんた、何やらかした?」
「はぁ? なんだよ急に」
「亜姫。石橋に目をつけられたわよ」
 
 麗華が今起きたことを話すと、和泉達の目の色が変わる。
 
 まずは落ちついて話そう、と揃って教室を出る。再び購買へ向かい、お昼を買ってから屋上へ上がった。もう、彼らはいなかった。
 
 
 石橋先輩。麗華がそう呼んだ、ライオンみたいな彼は三年生。一緒にいた2人も同じ三年で、有名らしい……悪い意味で。
 
 サッカーが上手く将来有望だった石橋。「だった」のは、二年の途中で突然退部してしまったから。
 なぜ辞めたのかは不明だが、それを機に生活が荒れ始め、同じように部活を辞めた加藤、安達とつるみ、よくない話を聞くようになった。時々警察のお世話になっているという噂がある。
 
 石橋は、特に女関係の噂が多い。
 気に入った子を捕まえては体の関係を持ち、飽きたら捨てるを繰り返しているのだとか。しかし恵まれた容姿の石橋は気に入っている間は彼女として優しく扱うと人気があり、女が途切れることはないらしい。
 
「どこかで似たような話を聞いたような……」
 隣を見ながら亜姫が呟くと、和泉が心底嫌そうな顔をする。
 
 すると横から戸塚とヒロが言う。
「そう、それ。石橋は、やってることは同じなのに……って、自分より目立つ和泉が気にいらないらしい。
 まぁ、和泉に限らずあちこちで色んな奴に突っかかってるみたいだけど」
「でも完全な言いがかりなんだよ。なのに会う度ちょいちょい煽ってくるんだよな。面倒くさがって和泉は相手してないけど」
 
 だが、和泉の方から突っかかったり彼を刺激するようなことは一切していない。和泉が何かしでかしてるとは思えないと彼らは言う。
「それに、最近は殆ど絡んでないはずだけど?」
 
 皆、首を傾げる。
 
「でも、明らかに亜姫に狙いを定めてた」
 麗華の言葉に、和泉達は難しい顔で黙り込んだ。
 
 よくない傾向だ。石橋が気に入った子を強引な手段で手に入れるのは有名だ。寝取られたという話も珍しくない。
 まぁ、亜姫に限ってそんなことはないだろうが。
 
 最近ではレイプを繰り返しているのではという噂が密かに広がりつつあった。真偽は不明だが、彼らの様子を見るに事実でもおかしくはない。
 男絡みになるとやたら鈍く危なっかしい亜姫には注意させないと。そう思い、和泉が亜姫に声をかける。
 
 が、返事がない。 
 見ると、嬉しそうな顔でお気に入りのパンを頬張っていた。 
「亜姫。お前の話をしてんだぞ。ボケっとすんな」
「え? あ、ごめん。このパン大好きなんだけど、最近ずっと売り切れで買えなかったの。今日、久々に買えたんだよ。まさかあの時間でも残っていたとは……! やっぱり、いつ食べてもおいしいよねぇ」
「お前なぁ……今は石橋の話をしてんだよ。ちゃんと聞いとけって」
「あぁ、あの人。ライオンみたいだったねぇ」
 
 全員が呆気にとられた。
「ライオン?」
「うん」
 変わらずモグモグしながら亜姫が言う。
「髪型と、顔つき? いや、雰囲気かなぁ? この間、テレビで観たライオンに似てるなって……」 
 のんびり言う亜姫に呆れたヒロがツッコむ。
「お前……そのライオンに餌認定された自覚、あるか?」
「何それ? そういえば、和泉の友達だって言ってたけど?」 
 和泉は、これまた嫌そうな顔で否定する。
 
「そっか。なんていうか、ちょっと変な感じだったんだよね。麗華があんな態度とるのも珍しいし……うん、大丈夫。近づかないようにする。そしたら何も起こりようがないもんね!」 
 和泉達の心配をよそに、軽い返事をする亜姫。
 麗華が頭を抱え、戸塚が「騙されてすぐ近づきそう」と呟いた。
 
 二人が亜姫に説教を始める横で、ヒロと和泉は深刻な顔で言葉を交わしていた。
「目的はなんだろうな。和泉、目ぇ離すなよ」
「……わかってる」
 
 亜姫がいつも通り楽しそうに笑うのを見ながら、和泉は嫌な影が忍び寄る気配を感じていた。
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