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高1
3月(3)
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逃げ出した和泉は、屋上の片隅で小さくなっていた。
ヒロがその前に仁王立ちして叱りつける。
「なんであんな態度を取るんだよ、話せるチャンスだったのに」
「あんなの、無理に決まってるだろ……」
和泉は突然近づいてきた『あの子』に耐えられず、あの場から逃げだした。
「情けねぇな。物ひとつ、渡すだけだろーが」
「いきなり逃げ出すな。あれじゃ逆に印象が悪い」
「せめて、ちゃんと受け取れたか確認してから行けよ。投げ捨てるみたいな渡し方しやがって」
次々飛んでくる詰りの言葉に言い返すことも出来ず、和泉はますます小さくなっていく。
見かけることすら滅多に無かった。なのに、いきなり至近距離で会うなんて。そんなこと、考えもしなかった。
その上、こんな事が起こるとは。
あの子の……亜姫のだとわかる物を、手に取るだけで震えた。
いつか……と夢には見たものの、実際に亜姫と関わることなんて起こり得ないと思っていた。
ただ単に、そんな想像をする余裕が無かっただけかもしれないが。なんにせよ、会う覚悟も心の準備もまるで出来ていなかった。
なのに、目前に迫りくる亜姫。
手元だけを見て走る様子が初めて見た姿と重なり、あの時と同じように亜姫しか見えなくなった。
目の前に立ち、声を上げている。その動きを妙にゆっくりとした映像として見ていたが、その亜姫が顔を上げようとした瞬間、一気に現実へと引き戻された。
気がついたら逃げだしていた。
また、あの軽蔑の眼差しを向けられたら。
亜姫の顔に、嫌悪感が浮かんだら。
そうなるのが怖くて、目を合わせることは出来なかった。
それと。
現実の亜姫を間近に見たら、想いが溢れ出た。その想いが自覚していたより遥かに大きくて、自分のことなのにその感情に怖じ気づいてしまった。
「……好きすぎる。なんかやたらいい匂いがしたし……。
あんな間近で顔見るなんて出来ねぇよ。そんな事したら死ぬ」
頭を抱えて情けないことを言う和泉。
二人は呆れる。
「香水臭い女、散々食ってきただろ。今さら匂いがなんだっつーんだよ」
「童貞か」
そんなんじゃ亜姫を手に入れる日なんて一生来ねーぞ! と叱責されるも、和泉は先ほどの亜姫で頭がいっぱい。話を聞く余裕などなく、全て聞き流していた。
「お前、可能性あると思う」
不意に落ち着いた声が聞こえて、和泉は顔を上げた。
「……え?」
「亜姫、お前のこと嫌ってないと思う」
それから、先ほどの話を聞かされた。
亜姫の反応は和泉にとっても衝撃的だった。だからといって、過去の「あれ」を無かったことに出来るほど前向きにはなれなかったが。
亜姫からのお礼や自分への興味を知り、ようやくこれは夢ではないと実感する。
どこか夢見心地だった存在が、本当に現実のものとして目の前に現れた。
そのことに理解が追いつかず、ますます怖じ気づき逃げたくなる。
ヒロと戸塚は良かったなと言うが、急に天地がひっくり返ったような気がした。ますますどうしたらいいかわからなくなり、和泉は混乱を極めた。
◇
「和泉」
熊澤が歩く和泉を呼び止めた。こっちへ来いと手招きされ、和泉は大人しく彼の隣へ腰を下ろす。
「お前、最近いい顔になった」
柔らかい声で熊澤が言った。
裏庭で会った時、自分はそんなに酷い顔をしていたのだろうか。
「あんたのおかげでだいぶスッキリした。感謝してる」
「俺はなんもしてねーよ。話してるうちに、自分で整理したんだろ?」
そう言って笑う熊澤はやはりかっこいい。見た目の男らしさもだが、内側から滲み出る良さがある。同じ男だが、つい横顔に見惚れていると。
「女だろ」
不意に、熊澤が和泉を見た。
「………え?」
「和泉が手に入れたいもの。……女だろ?」
「……なんで」
「俺さ、前から和泉のことはよく見かけてたんだよ。
お前はいつ見てもつまらなそうだった。なんつーか、なんも見てない奴だなって思ってた。
実際、お前は何も見てなかったんじゃない? 何をしてても投げやりっつーか……しょうがなく呼吸だけしてる、って感じだった。
そんなお前がある日突然女を避けるようになって生活一変させて、見る度目に力が宿っていってさ。
和泉、自分で気づいてる? 今までのお前は、人と目を合わせることすらロクにしなかった。なのに、今はこうしてちゃんと相手を見てる。
あの日偶然会っただけの俺に自ら問いかけるなんて、以前のお前だったら有り得ない。だって、お前は自分のことすら興味無いって感じだったんだから。
そんなお前がそこまでしても欲しい物なんて、惚れた女以外考えられないだろ」
スルッと心の中へ入り込む熊澤。和泉が驚きを隠せず唖然としていると、
「で? 手に入りそうか?」
と、更に踏み込まれた。
和泉は返事に詰まる。
すると熊澤は笑う。
「何やってんだよ。あれだけ明確な答えが出てたのに、まだ動いてないの?」
「そんな簡単な話じゃねーし……」
「好きな女って誰だよ? ここの生徒?」
前と同じく熊澤のペースに乗せられ、和泉は色々と吐き出してしまった。
自分の過去のこと。
好きな女とは亜姫のことで、嫌われてたこと。
つい最近、それは違うんじゃないかと聞かされたこと。
だとしても、動く勇気は出ないこと。
自分の気持ちにも現実に起きてることにも、怖じ気づいていること。
「でも一番悩むのは……やっぱり、自分に自信がない。俺の過去は、恋愛には致命的だし……」
「まぁ、な」
熊澤に肯定されてしまうと、過去の事実が一段と重くのしかかる。
「でも、亜姫だからなぁ」
「どーゆー意味?」
「亜姫は、くだらない事は気にしない」
「くだらない事?」
「亜姫にとって、過去は過去でしかない。あいつは前しか見ないから」
「どーゆーこと?」
「超ポジティブってこと」
「ぜんっぜん、分かんねぇ」
頭を掻きながら不貞腐れる和泉を見て、熊澤は愉快そうに笑う。
「亜姫はな、人のいいとこを見るんだよ。逆に言えば、良いとこしか見ない。
悪いとこなんてその人のほんの一部分でしかないし、気持ち一つで変えられるもんだと信じて疑わない。
基本、人には良いところしかないと思って生きてる。まぁ、おめでたい奴ってことだな」
だから、そんな過去を持ったお前にもチャンスは充分ある。と熊澤は言った。
「じゃあ、俺はこれからどうすればいい?」
和泉は思わず縋ってしまったが。
「考えろって言っただろ? 俺が教えられんのはここまでだよ。
どうしたら良いかわかんないなら、また裏庭に行け」
そう言って、彼はまた笑った。
まだ、亜姫と関わる勇気はない。
急激に変わっていく日々に怖じ気づく、その気持ちからはやっぱり逃げ出したい。
だが、もっと変わらなくては。
変化を恐れるな。
現実をありのまま受け止めよう。
そう出来るように強くなろう。
いつか、笑いかけてもらえるように。
和泉はそう決めて、また日々を過ごしていった。
この時、和泉は自身の気持ちに向き合うことで精一杯だった。この間のように、急に状況が変わる可能性を完全に失念していた。
近々、全てが大きく変わることになるなんて……想像すらしていなかった。
ヒロがその前に仁王立ちして叱りつける。
「なんであんな態度を取るんだよ、話せるチャンスだったのに」
「あんなの、無理に決まってるだろ……」
和泉は突然近づいてきた『あの子』に耐えられず、あの場から逃げだした。
「情けねぇな。物ひとつ、渡すだけだろーが」
「いきなり逃げ出すな。あれじゃ逆に印象が悪い」
「せめて、ちゃんと受け取れたか確認してから行けよ。投げ捨てるみたいな渡し方しやがって」
次々飛んでくる詰りの言葉に言い返すことも出来ず、和泉はますます小さくなっていく。
見かけることすら滅多に無かった。なのに、いきなり至近距離で会うなんて。そんなこと、考えもしなかった。
その上、こんな事が起こるとは。
あの子の……亜姫のだとわかる物を、手に取るだけで震えた。
いつか……と夢には見たものの、実際に亜姫と関わることなんて起こり得ないと思っていた。
ただ単に、そんな想像をする余裕が無かっただけかもしれないが。なんにせよ、会う覚悟も心の準備もまるで出来ていなかった。
なのに、目前に迫りくる亜姫。
手元だけを見て走る様子が初めて見た姿と重なり、あの時と同じように亜姫しか見えなくなった。
目の前に立ち、声を上げている。その動きを妙にゆっくりとした映像として見ていたが、その亜姫が顔を上げようとした瞬間、一気に現実へと引き戻された。
気がついたら逃げだしていた。
また、あの軽蔑の眼差しを向けられたら。
亜姫の顔に、嫌悪感が浮かんだら。
そうなるのが怖くて、目を合わせることは出来なかった。
それと。
現実の亜姫を間近に見たら、想いが溢れ出た。その想いが自覚していたより遥かに大きくて、自分のことなのにその感情に怖じ気づいてしまった。
「……好きすぎる。なんかやたらいい匂いがしたし……。
あんな間近で顔見るなんて出来ねぇよ。そんな事したら死ぬ」
頭を抱えて情けないことを言う和泉。
二人は呆れる。
「香水臭い女、散々食ってきただろ。今さら匂いがなんだっつーんだよ」
「童貞か」
そんなんじゃ亜姫を手に入れる日なんて一生来ねーぞ! と叱責されるも、和泉は先ほどの亜姫で頭がいっぱい。話を聞く余裕などなく、全て聞き流していた。
「お前、可能性あると思う」
不意に落ち着いた声が聞こえて、和泉は顔を上げた。
「……え?」
「亜姫、お前のこと嫌ってないと思う」
それから、先ほどの話を聞かされた。
亜姫の反応は和泉にとっても衝撃的だった。だからといって、過去の「あれ」を無かったことに出来るほど前向きにはなれなかったが。
亜姫からのお礼や自分への興味を知り、ようやくこれは夢ではないと実感する。
どこか夢見心地だった存在が、本当に現実のものとして目の前に現れた。
そのことに理解が追いつかず、ますます怖じ気づき逃げたくなる。
ヒロと戸塚は良かったなと言うが、急に天地がひっくり返ったような気がした。ますますどうしたらいいかわからなくなり、和泉は混乱を極めた。
◇
「和泉」
熊澤が歩く和泉を呼び止めた。こっちへ来いと手招きされ、和泉は大人しく彼の隣へ腰を下ろす。
「お前、最近いい顔になった」
柔らかい声で熊澤が言った。
裏庭で会った時、自分はそんなに酷い顔をしていたのだろうか。
「あんたのおかげでだいぶスッキリした。感謝してる」
「俺はなんもしてねーよ。話してるうちに、自分で整理したんだろ?」
そう言って笑う熊澤はやはりかっこいい。見た目の男らしさもだが、内側から滲み出る良さがある。同じ男だが、つい横顔に見惚れていると。
「女だろ」
不意に、熊澤が和泉を見た。
「………え?」
「和泉が手に入れたいもの。……女だろ?」
「……なんで」
「俺さ、前から和泉のことはよく見かけてたんだよ。
お前はいつ見てもつまらなそうだった。なんつーか、なんも見てない奴だなって思ってた。
実際、お前は何も見てなかったんじゃない? 何をしてても投げやりっつーか……しょうがなく呼吸だけしてる、って感じだった。
そんなお前がある日突然女を避けるようになって生活一変させて、見る度目に力が宿っていってさ。
和泉、自分で気づいてる? 今までのお前は、人と目を合わせることすらロクにしなかった。なのに、今はこうしてちゃんと相手を見てる。
あの日偶然会っただけの俺に自ら問いかけるなんて、以前のお前だったら有り得ない。だって、お前は自分のことすら興味無いって感じだったんだから。
そんなお前がそこまでしても欲しい物なんて、惚れた女以外考えられないだろ」
スルッと心の中へ入り込む熊澤。和泉が驚きを隠せず唖然としていると、
「で? 手に入りそうか?」
と、更に踏み込まれた。
和泉は返事に詰まる。
すると熊澤は笑う。
「何やってんだよ。あれだけ明確な答えが出てたのに、まだ動いてないの?」
「そんな簡単な話じゃねーし……」
「好きな女って誰だよ? ここの生徒?」
前と同じく熊澤のペースに乗せられ、和泉は色々と吐き出してしまった。
自分の過去のこと。
好きな女とは亜姫のことで、嫌われてたこと。
つい最近、それは違うんじゃないかと聞かされたこと。
だとしても、動く勇気は出ないこと。
自分の気持ちにも現実に起きてることにも、怖じ気づいていること。
「でも一番悩むのは……やっぱり、自分に自信がない。俺の過去は、恋愛には致命的だし……」
「まぁ、な」
熊澤に肯定されてしまうと、過去の事実が一段と重くのしかかる。
「でも、亜姫だからなぁ」
「どーゆー意味?」
「亜姫は、くだらない事は気にしない」
「くだらない事?」
「亜姫にとって、過去は過去でしかない。あいつは前しか見ないから」
「どーゆーこと?」
「超ポジティブってこと」
「ぜんっぜん、分かんねぇ」
頭を掻きながら不貞腐れる和泉を見て、熊澤は愉快そうに笑う。
「亜姫はな、人のいいとこを見るんだよ。逆に言えば、良いとこしか見ない。
悪いとこなんてその人のほんの一部分でしかないし、気持ち一つで変えられるもんだと信じて疑わない。
基本、人には良いところしかないと思って生きてる。まぁ、おめでたい奴ってことだな」
だから、そんな過去を持ったお前にもチャンスは充分ある。と熊澤は言った。
「じゃあ、俺はこれからどうすればいい?」
和泉は思わず縋ってしまったが。
「考えろって言っただろ? 俺が教えられんのはここまでだよ。
どうしたら良いかわかんないなら、また裏庭に行け」
そう言って、彼はまた笑った。
まだ、亜姫と関わる勇気はない。
急激に変わっていく日々に怖じ気づく、その気持ちからはやっぱり逃げ出したい。
だが、もっと変わらなくては。
変化を恐れるな。
現実をありのまま受け止めよう。
そう出来るように強くなろう。
いつか、笑いかけてもらえるように。
和泉はそう決めて、また日々を過ごしていった。
この時、和泉は自身の気持ちに向き合うことで精一杯だった。この間のように、急に状況が変わる可能性を完全に失念していた。
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