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高1

2月(3)

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 学校の最奥にある小さな裏庭。和泉はそこにいた。
 
 古びた石の長椅子が一つだけ置いてあるそこは、立入禁止の場所で人が来ない。和泉は一人になりたい時、そこを使っていた。

 長椅子の上で力なく寝そべり、視界を遮断するように腕を乗せる。
 
 久々に授業サボったな。ここに来るの、随分久し振りだ。
 ここ、こんなに寂しい場所だったっけ……?
 
 今は五時間目。和泉は全てから逃れるようにここへ来た。
 
 
 あー駄目だ、思ったよりダメージあるかも……。
 
 一番キツかったのは昨日だ。熊澤って男とあの子の話。頭を硬い棒で殴られたような衝撃を受けた。
 ついさっき、それが誤解だったとわかり……脱力するほどホッとしている自分に腹が立つ。
 
 資格ねぇって言ってるだろ。
 ヒロ達にあんなこと言ったけど、全然割り切れてねーじゃん。諦め悪いな、俺……。
 
 自分が隣にいない想像はしていた。それは割り切れていたはずだった。
 でも、あの子の隣に誰かが立つ想像は一度もしたことがなかった。
 
 そんな事は起きないと勝手に思っていたのか、まだどこかで望んでいたのか。
 そんな自分にうんざりする。
 もしも、過去がやり直せたなら……。
 
「おい」
 
 突然間近で声が聞こえ、思考が途切れた。だが人が来ると思っていなかったせいか、頭がうまく切り替わらない。和泉はしばしボーッとする。
 
「おい、具合が悪いのか? 手助け、必要?」 
 顔に乗せた腕をグイッと引かれ、一気に視界が明るくなった。
「いや、大丈夫……」
 和泉は気怠そうに体を起こすと、声の主を見た。
 
 目の前に立つ、屈強そうなガタイのいい男。見た目は厳ついが声が優しかった。
 
「ふーん? あんまり大丈夫そうには見えねーけどな?」
 彼はそう言うと、迷いなく隣に腰かけた。 
「……え? ここに座んのかよ?」
 和泉が驚くと、彼は飄々と言った。
「ここ、俺の隠れ家。誰にも会ったことなかったのに先客がいて驚いた。
 休みたくて来たんだよ。椅子はこれしかねーんだから俺にも座らせろ」
「別にいーけど。俺も、ここで人に会ったのは初めて」 
 彼があまりにも普通に接してくるので、和泉もつい同じように話してしまう。初めて見る相手に変な感覚だったが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
 
「あんた、なんかスポーツやってんの?」
「なんで?」
「や、体格良すぎだし……」
 あぁ、と彼は笑った。
「柔道。小さい頃からずっとやってる」
「ああ、そんな感じする。すごく強そう」
 すると、彼はハハッと笑った。
「そうでもねーよ? どんだけ頑張っても、必ずもっと強い奴がいてさ。けっこう負ける」
「負けたらどーすんの?」
「悔しがる」
 
 和泉は思わず笑ってしまった。
 見るからに強そうな男が軽い口調で言う言葉。とてもじゃないが言葉通りには受け取れない。
 
「なんで笑うんだよ」
 彼は文句を言うでもなく、軽い口調で続ける。和泉はまた笑った。
「悔しがるところ、全然想像できない」
「なんでだよ。負けたら悔しい。当たり前のことだろ? 勝ちたいと思って勝負に出てんだから」
「あー……だな。悪い、馬鹿にするつもりはなかったんだけど」 
 口調は淡々としているが、真っ直ぐな彼の目に真剣さを感じる。なので、和泉は素直に謝った。 
「別に謝ることじゃねーけど。お前は? ないの? 負けたくないとか悔しいって思うこと」
  
 不意に聞かれて和泉は戸惑う。
「俺は……何も考えずに生きてきたから。……よくわかんねぇ」
「じゃあ、今考えてみろよ」 
「……え?」
 和泉は、動きを止めて彼を見た。
 
 真っ直ぐ向けられた視線が、軽い口調で放たれた言葉と共に和泉へ突き刺さる。
 
「わざわざ授業サボってここにいるって事は。考えたくない事か、逆に考えすぎてる事があるんじゃねーの?
 俺はそーいう時にここへ来るんだけど。お前は違うの?」
  
「あんたは? なんでここに来たの?」
 和泉は返事をせず、逆に問い返した。 
「俺? 俺は……さっきの話じゃねぇけどさ。
 叶えたい夢があんだよ。でも、勝てない相手がいる。
 試合のことだけじゃねぇよ? もちろん相手についてもだけど、なんつーか……自分が乗り越えなきゃいけないもの? プレッシャーだったり、やりたくない事だったり……逆に、やりたいのにどうしても出来ない事だったり。そもそも何をしたらいいかわからなくなる時とか。
 そーゆーのに心が折れそうになったり諦めたりしたくなると、ここへ来るんだ」
「来て、どーすんの?」
「整理する。自分の頭ん中。あと……気持ち?
 何がしたいか、何をすべきか。何が嫌なのか、とか。
 ひたすら考えて、結局俺はどーしたいのか。そこに行き着くまで考えるかな」
「答えが出ない時はどーすんの?」
「考えんのやめる」
「は?」
「ここで答えが出ない時は、迷ってる時だから。
 何に迷ってるかだけ見つけて、しばらく気の向くまま動く。そしたら、だいたい答えが見つかる。俺の場合はね」
「へぇ……」
「お前は? なんで来たの?」
 
 いつの間にか和泉は心を開いていた。考えろと言われるまま、素直に考えてしまっている。だがそんな自分に気づかず、和泉は思うまま言葉にした。 
「逃げたかった……から、かな……」
「何から?」
「…………叶わないとわかってることを……望む自分から? って、そんなの無理か、自分から逃げるなんて」
「いや、俺も逃げたくなる時あるよ」
「あんたも? そんな時があんの?」
「試合が始まる前、よく思う」
「へぇ……」
「俺がもっと強かったら勝てるのに、とか。相手がもっと弱い奴ならよかったのに、とか。相手が強ければ強いほど、一度は現実逃避する」
「そのあとはどーすんの?」
「なんで逃げたくなるんだと思う?」
 
 逆に問い返された。和泉は考えてみる。
 
「自分に、自信が無いから……?」
「そう、当たり。それなんだよな。
 手に入れたいものは決まってる。でも、手に入れる自信が無い。
 だったら自信がつくように努力すればいい。それまでは、いま出来ることを必死でやるしかない。
 結局、そこに行き着くんだよ」 
 その繰り返しだよ、いつも。
 そう言って彼は笑った。
 
「いつまでも自信がつかない場合は? もしくは……そんなこと考えられないぐらい、絶対叶わないとわかってることだったら?」 
 気づけば、そんな問いが和泉の口から勝手に出ていた。
 思わず顔を上げると、興味深そうに眺める彼と目が合った。
 
「絶対ムリだと、わかったとして。諦められんの、それ?」
「……………無理」
「なら。何をすれば叶うのか、ひたすら考えるしかねーよ。
 だって、お前の気持ちはもう固まってる」
「え?」 
 和泉の目を見て、彼はきっぱりと言った。 
「答え、もう出てるじゃん。
 お前はそれを手に入れたいんだよ。何を手に入れたいのか知らねーけど。
 お前にとって、それが『他の奴に負けたくない、取られたら悔しい』と思うもんだってことだ」
 
 そして、彼は声を出して笑った。
「そもそもさ、逃げてどーにかなる事ならこんなとこまで来ないんだよ。俺もお前も」
 
 ポカンとする和泉を見て、彼は面白い物を見つけたような顔をする。そのまましばらく眺めていたが、和泉がいつまでも固まったままなのでとうとう笑い出した。 
「はー、まったく。お前と話してたら答えが出ちゃったじゃねーか。考えながらのんびりするつもりだったのに。
 ほら、お前も結論出たんだろ? 帰るぞ。今なら次の授業に間に合うだろ」

 そう言って立ち上がる彼につられて、和泉も歩き出した。
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