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第1章
起きるもの
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貴族の朝というのは総じて遅い。
そう一般的には言うそうなのだが、彼女は朝の遅い貴族を知らない。
古い記憶にある彼女の父も兄姉も──母でさえも、夜明けを知らせる鐘が鳴る前に起きるような人々であった。母以外は模擬剣を片手に庭へ。母は彼女をあやしながら、得意の歌を口ずさみ、使用人の手を借りずに支度を整え始める。
日に4回鳴る鐘は、その昔。まだ時計が今のように普及していなかった頃に時を知らせる役目を担っていた名残だと聞く。
ぼんやりと見慣れぬ天蓋を眺めながら、そういえばここは慣れ親しんだ屋敷ではないことを思い出す。
起き上がって人を呼ぼうとベルに手を伸ばした瞬間、遠い記憶にある母の言葉が蘇った。
──いいですか。2度目の『エアルの鐘』が鳴るまでは、皆を休ませるのですよ。
毎日クタクタになって仕事をしている彼らに、しっかりとした夜の安らぎを与えることも、貴族としての当たり前の一つだと母は言っていた。世話をされる私達よりも、世話をする人々の最低限の安寧を妨げることはあってはならないのだと。
ぽふんっと寝台へ戻り、ぼんやりと時を知らせる鐘のことを思い浮かべる。
夜明けに鳴る『ティリアの鐘』
朝、仕事の始まりを告げる『エアルの鐘』
お昼を告げる『ジェナの鐘』
夕暮れを告げる『リコフォスの鐘』
国が正教として扱っている宗教に登場する聖人達の名をそのまま鐘の名にしたのだと、教えてもらった記憶がある。屋敷に一人でいるようになってからも、子供向けの絵本には同じことが書かれていたので、間違ってはない。
そして、鐘の名前はそのままこの国に現存する権力者の家名である。
もぞりと彼女は寝返りをうち、エアルの鐘が鳴るまで、自分の朱い髪をいじった。
一人だったらいつ起きてようが構わなかったが、一度ティリアの鐘が鳴る前に支度を整えて読書をしていたら、エアルの鐘がなってすぐに入室してきたリオーネが目を細めて遠回しにもう少し寝ていてほしいと告げられたのだ。
それで、彼女も幼いときに母から言われていた言葉を思い出したということだ。
初日に案内されたのは客室だったようで、そのままでも構わなかったのだが、あの男がそれを望んだということで、翌日には別室に案内された。
いい機会だと彼女はこっそり天幕を捲って、部屋の中を観察する。
落ち着いた色合いで統一された部屋には廊下に続く扉と、寝台がある場所から見て反対側の右奥には応接室への扉。そして、応接室の扉の反対側は衣装部屋へと続く扉と、3つの扉がある。どれも扉は職人が手掛けたのだろう品の良い蔓と花の装飾が刻まれており、部屋の上品さを上げていた。
寝台の右側にはドレッサーと姿見が置かれている。きっと同じ職人が作ったのであろう扉と同じ色合いのドレッサーや姿見には扉と同じ蔓と花、加えて小鳥が刻まれており、どちらとも鏡の部分に薄い布がかけられていた。
部屋の中央には程よく小さなテーブルが置かれており、1人分の椅子が設置されている。
観察している間にエアルの鐘が聞こえて、彼女はさっと天幕から手を離して寝台に横たわった。
「おはようございます。お嬢様」
「おはようございます。リオーネ」
しばらくして、ノックの後に入室許可を求めたリオーネが入室してきて、今起きましたと言わんばかりにゆったりと彼女は起き上がる。貴族というものも面倒なものだ。
身支度を整えて、リオーネの先導で食堂へ行けば、すでにあの男は上座に座って待っていた。
「おはようございます」
「あぁ、おはよう」
スッと一礼した後にリオーネのエスコートで着席すれば、男のそばにいたルーンウルフが甘えるように彼女に鼻先を押し付ける。
「行儀が悪い」
じろりと男が睨んでも、ルーンウルフはどこ吹く風で彼女に甘えるような仕草をしてくる。
「貴方も、おはようございます」
【あぁ、良き眠りだったようで何よりだ】
彼女はくすりと笑って鼻先をなでてやれば、それで満足したのか彼女の右側に陣取った。
男がため息を吐いてる間に朝食が運ばれる。
食事の祈りもそこそこに食べ始めていると、男から話しかけてきた。
「今日は何をするつもりなんだ?」
「そう、ですね。庭の散策でも」
ここ数日共に朝食を摂ること、そしてその日何をするのか聞かれるのが日課だ。
とはいえ、彼女の行動範囲はとても狭い。自室と庭を歩き回る程度。しかし、幼少期以降運動というものをしていない体に無理はできず、ルーンウルフやリオーネ達に手伝ってもらいながら体力をつけるように男から指示があったくらいだ。
体は健康であるものの、本来必要とされる筋肉量が足りていないそうだ。
確かに、病人と変わらない生活を10年ほども続けていれば、まずは体力をつけるところから始めなければなにもできまい。
「そうか」
男はそう返して、食事を再開する。
彼はお喋りな訳ではなかったが、悪い空気にすることはない。
彼女にとって、程よい距離感であった。
そう一般的には言うそうなのだが、彼女は朝の遅い貴族を知らない。
古い記憶にある彼女の父も兄姉も──母でさえも、夜明けを知らせる鐘が鳴る前に起きるような人々であった。母以外は模擬剣を片手に庭へ。母は彼女をあやしながら、得意の歌を口ずさみ、使用人の手を借りずに支度を整え始める。
日に4回鳴る鐘は、その昔。まだ時計が今のように普及していなかった頃に時を知らせる役目を担っていた名残だと聞く。
ぼんやりと見慣れぬ天蓋を眺めながら、そういえばここは慣れ親しんだ屋敷ではないことを思い出す。
起き上がって人を呼ぼうとベルに手を伸ばした瞬間、遠い記憶にある母の言葉が蘇った。
──いいですか。2度目の『エアルの鐘』が鳴るまでは、皆を休ませるのですよ。
毎日クタクタになって仕事をしている彼らに、しっかりとした夜の安らぎを与えることも、貴族としての当たり前の一つだと母は言っていた。世話をされる私達よりも、世話をする人々の最低限の安寧を妨げることはあってはならないのだと。
ぽふんっと寝台へ戻り、ぼんやりと時を知らせる鐘のことを思い浮かべる。
夜明けに鳴る『ティリアの鐘』
朝、仕事の始まりを告げる『エアルの鐘』
お昼を告げる『ジェナの鐘』
夕暮れを告げる『リコフォスの鐘』
国が正教として扱っている宗教に登場する聖人達の名をそのまま鐘の名にしたのだと、教えてもらった記憶がある。屋敷に一人でいるようになってからも、子供向けの絵本には同じことが書かれていたので、間違ってはない。
そして、鐘の名前はそのままこの国に現存する権力者の家名である。
もぞりと彼女は寝返りをうち、エアルの鐘が鳴るまで、自分の朱い髪をいじった。
一人だったらいつ起きてようが構わなかったが、一度ティリアの鐘が鳴る前に支度を整えて読書をしていたら、エアルの鐘がなってすぐに入室してきたリオーネが目を細めて遠回しにもう少し寝ていてほしいと告げられたのだ。
それで、彼女も幼いときに母から言われていた言葉を思い出したということだ。
初日に案内されたのは客室だったようで、そのままでも構わなかったのだが、あの男がそれを望んだということで、翌日には別室に案内された。
いい機会だと彼女はこっそり天幕を捲って、部屋の中を観察する。
落ち着いた色合いで統一された部屋には廊下に続く扉と、寝台がある場所から見て反対側の右奥には応接室への扉。そして、応接室の扉の反対側は衣装部屋へと続く扉と、3つの扉がある。どれも扉は職人が手掛けたのだろう品の良い蔓と花の装飾が刻まれており、部屋の上品さを上げていた。
寝台の右側にはドレッサーと姿見が置かれている。きっと同じ職人が作ったのであろう扉と同じ色合いのドレッサーや姿見には扉と同じ蔓と花、加えて小鳥が刻まれており、どちらとも鏡の部分に薄い布がかけられていた。
部屋の中央には程よく小さなテーブルが置かれており、1人分の椅子が設置されている。
観察している間にエアルの鐘が聞こえて、彼女はさっと天幕から手を離して寝台に横たわった。
「おはようございます。お嬢様」
「おはようございます。リオーネ」
しばらくして、ノックの後に入室許可を求めたリオーネが入室してきて、今起きましたと言わんばかりにゆったりと彼女は起き上がる。貴族というものも面倒なものだ。
身支度を整えて、リオーネの先導で食堂へ行けば、すでにあの男は上座に座って待っていた。
「おはようございます」
「あぁ、おはよう」
スッと一礼した後にリオーネのエスコートで着席すれば、男のそばにいたルーンウルフが甘えるように彼女に鼻先を押し付ける。
「行儀が悪い」
じろりと男が睨んでも、ルーンウルフはどこ吹く風で彼女に甘えるような仕草をしてくる。
「貴方も、おはようございます」
【あぁ、良き眠りだったようで何よりだ】
彼女はくすりと笑って鼻先をなでてやれば、それで満足したのか彼女の右側に陣取った。
男がため息を吐いてる間に朝食が運ばれる。
食事の祈りもそこそこに食べ始めていると、男から話しかけてきた。
「今日は何をするつもりなんだ?」
「そう、ですね。庭の散策でも」
ここ数日共に朝食を摂ること、そしてその日何をするのか聞かれるのが日課だ。
とはいえ、彼女の行動範囲はとても狭い。自室と庭を歩き回る程度。しかし、幼少期以降運動というものをしていない体に無理はできず、ルーンウルフやリオーネ達に手伝ってもらいながら体力をつけるように男から指示があったくらいだ。
体は健康であるものの、本来必要とされる筋肉量が足りていないそうだ。
確かに、病人と変わらない生活を10年ほども続けていれば、まずは体力をつけるところから始めなければなにもできまい。
「そうか」
男はそう返して、食事を再開する。
彼はお喋りな訳ではなかったが、悪い空気にすることはない。
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