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魔女さまって呼ばないで

1魔女さまの日常

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 広大な土地を保有するマリーラ王国。その南部に位置するリルという街の市場は、今日も賑わいをみせている。
 そこへ1人、フードを被った娘が背丈ほどもある杖を持って歩いていた。
 フードから溢れる長髪は黒く、肌は白に近いが黄色がかっている。病的な色ではなく、どちらかというともう少し日に焼ければ健康的に見えるだろうに中途半端な印象を与えるものであった。古ぼけた外套を羽織っている彼女はまるで陽炎のように存在感が薄く、不思議と記憶に残らない。
 市場で行き交う人々は様々な色の髪で、瞳は蒼か翡翠がほとんど。気になるところを言えば、彼女のような黒髪黒目の者がいないことくらいか。本来ならば周囲から浮くだろうに、それほどこの街に彼女自身の雰囲気が溶け込んでおらず、また逆に水のごとく浸透しているようにも見えた。

「あぁ、魔女さま。今日もうちの果実は新鮮な物が揃っていますよ!」

 果物屋の売り子が娘に声をかける。
 売り子もまた、怪しいはずの娘を受け入れている住人の1人だ。旅人も多いためか、変わった風貌程度では耐性がついてしまっているのだと、照れたように言われてしまったくらい。売り子は胆力があるらしい。

「ちょっと。魔女って呼ばないでって言ってるじゃん」

 ぷっくりと頬を膨らましたことが目元までフードを隠していてもわかった。

「あはは。つい癖で。リリムさん、今日はどうされますか」

 露骨な話題逸らしではあったが、リリムはそれ以上の追求を避けた。追求して訂正させようにも、嫌いな人物もなければ、意地悪でそう言っている訳でもない彼女にこれ以上雰囲気を悪くさせる必要はない。

「林檎とマンチェルの葉、それからクレパレスの根はある?」
「以前は1ヶ月前に買われていましたよね。そろそろ時期だと思ってご用意してましたよ。いつも通りお代は林檎1籠と合わせて15銅貨になります!」

 リリムから代金を貰った売り子は手早く注文の品を袋に積めていく。
 マンチェルとは緑色の実が房状に繋がった果物で、太陽の日差しを和らげる為に大ぶりの葉が傘のように連なっていた。
 クレパレスは真っ赤な花が咲く果物で、花が咲いた場所に実がなり、重さで地面に落ちてしまう。落ちた実が傷つかないように地面の表面に根が飛び出ており、それがクッション代わりになるのだ。
 マンチェルの葉やクレパレスの根は本来切り取って処分される部分なのだが、リリムは初めてこの店を訪れた時に少し譲ってくれないかと店主に持ちかけた。処分するにも金がかかってしまう物。それならと店主はリリムから注文の受けた分を取り置いている。
 元々廃棄処分するものであるし、お代は取らない。そう言われたが気が引ける、というリリムの押し問答の末、妥協案でほんの少しの気持ちだけ金額を支払うようになっている。

「ありがとうございました!」

 元気の良い売り子の声を背に、リリムは歩を進める。
 残暑の残る今日この頃。喉が渇いたリリムは少々行儀が悪いと思いつつ、袋の中から林檎を取り出してかぶりついた。果汁が多くても水っぽくはない濃厚な林檎に思わず頬を緩ませ、先へと進む。
 リリムの羽織っている外套は傍目から見て暑そうに見えるものだが、旅人には珍しくはない。加えて彼女が着ているものは外から見えないものの、裏地に魔法円が刺繍されており、羽織っている方が快適になるようにしてあるのだ。自作だけれども、外套は魔法効果が乗りやすいように特殊な糸で編み込まれている為、見るものが見れば高価なものだとわかってしまう。ならず者が目利きの場合、きっとリリムは絡まれることになってしまうだろう。負ける気はしないが。
 市場を歩いていると、次に声をかけてきたのは魚屋の女将だった。

「魔女さま、この間はありがとうね。まさか魚を冷やす為の箱が壊れたと思わなくってねぇ」
「もう、魔女さまって呼ばないでって言ってるじゃないですか。次壊れても直しませんよ」

 先ほどと同じようにぷりぷりしながらリリムがそういうと、しまったと大げさに肩を竦めながら、魚屋の女将は謝ってくる。

「ごめんごめん。リリムちゃん。冷凍箱って高いから、壊れてしまったら大変だし、助かったのは本当だよ」
「仕方ないですね」

 ふぅ、と訂正した女将に怒りを鎮めたリリムは、おいてある魚を見やる。
 海から馬車で2日ほど距離のあるこの街は、海から魚を運ぶのに【冷凍箱】という魔法具が必要になってくる。川魚はあっても海魚を取り扱うのは稀なので少し値段は高いが、好んで買う常連もいるらしい。この店のほとんどは干物や売り物を冷やすようの【冷蔵布】で川魚を売っている。女将の奥においてある頑丈な箱が【冷凍箱】で、その中に海魚が入れてあるのだろう。
 それなりに高価なものだが、やはり日々のメンテナンスは必要だし、時として、魔法円が摩耗して消えてしまうことだってある。修理をするには魔法関係の専門知識が必要な為、人に頼むのにも結構な費用が必要だ。
 以前困っていた女将を、たまたま通りかかったリリムが、仕入れのついでに南の海でしか採取できない魚の貴重な部分を取り寄せてもらうことを条件に修理を引き受けた。仕入れの費用は折半になったが、それでも修理を雇うよりも随分と安くついたそうだ。リリムもたまたま必要だった素材が入手できて、両者とも得をした取引になった。

「そういえば、新しく白翼様が選出されたんだってねぇ」
「新しい、白翼?」

 丁度客足も途切れたらしく、世間話を始めた女将は、リリムが鸚鵡返しにつぶやいたことに、興味を示した。

「あぁ、魔女さ……リリムちゃんは、知らなかったんだねぇ」
「今日久々に街へ着たから……。って、今魔女って言いかけませんでした?」
「気のせいじゃないかい?」

 視線を明後日の方向に向けた女将は、リリムの表情が一瞬曇ったことを見逃す。
 リリムに視線を戻した女将は、知っている情報を喋りだした。

「王都を守る黒翼。その対になる女王陛下直属の白翼騎士団。先月の始め、新たに1人選出されたから注目の的さ。緑色の髪に金色の瞳で、竜族の血を引く見目麗しい20歳の美青年らしいよぉ!」
「20歳……ね」
「おや、なんだい。魔女様も興味があるみたいだねえ」

 一部の人間以外、対人関係には希薄な部分があるリリムを見ているからか、街の人々は何かと彼女を構いたがる。平民の結婚適齢期は24歳までの為、22歳のリリムに縁談を持ち込もうという話さえあるのだ。意外なところに興味を示したと女将は気になったに違いない。にやにやとしつつリリムの様子を窺い見る女将はリリムの返答次第では街中に広める気なのだろう。
 リリムは肩を竦めてやれやれと首を振る。それは言外に余計な詮索はするなと示していた。
 その態度にがっかりした様子を隠すこと無く女将は溜息を吐く。

「なんだ。残念。リリムちゃんもそこらにいる娘っ子みたいに騎士との恋物語に憧れるのかと思ったけど、違うのかい」
「興味無いですね。どうせ此処には来ないでしょうし」

 リリムが素っ気なくそう言うと、女将もそれ以上の追求は出来ない。
 じゃあね、と手を振ったリリムが数歩進んでふと、女将は声をかけた。

「また近い内に寄っておくれよ。いい魚とっておくからさ」
「うーん。また暫く家に篭もろうと思っているんですよね」
「またかい。薬を作るのはいいけど、体には十分気をつけておくれよ」
「お気遣いありがとうございます。また来ますね」

 今度こそリリムは歩き出す。
 魚屋の女将はお喋りで有名だ。こう一言伝えておけば明日にでもリリムが家に篭もることが伝わるだろう。あの女将によってとある領主が男色だという噂が一晩で街に伝わった経歴もあるくらいだ。信用している。
 その足は、本来の目的地であるギルドへと向いた。
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