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英雄、冒険者になる

1:英雄、故郷に帰る

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 石畳で出来た王都とその周辺を馬車が走っていた頃はまだ安定したが、辺境に近づくにつれて舗装されていない悪路に馬車はひどい揺れを伴った。
 致し方ないことだろう。まだ戦争が終わってから2年しか経っていないのだ。
 王太子殿下によれば平和になったことでこの国だけではなく、大陸全土が目覚しいまでの発展を遂げていくだろうとのこと。

ーー幸せにおなり。

 出立する前、王太子殿下であるレヒト様に言われた言葉を反芻する。
 もう、この国に英雄は必要ないのだと。
 揺れる馬車の中でその意味を、ここ数日ずっと考えていた。

「幸せとは、なんでしょうか」

 呟いた言葉は、誰に届くこともなく風に乗って消えていく。
 ただ、窓の隙間から入る風が老婆のように白い私の髪を揺らすだけ。

 私はレヒト様直属の騎士だった。
 騎士とは言うものの、実際は一人の兄以外を除いた家族を失った私をレヒト様が引き取って育ててくれた。兄と親友であり、学友であったこと。そして、実家が辺境伯という地位にあったことが大きな要因だと思う。
 引き取られた私は騎士となるように育てられた。
 レヒト様の功績になるならばと、大人でも怯むような過酷な訓練に耐えてきた。
 それなのに。

「お嬢様、辺境伯領都に入ります」

 ノックと共に外から従者の声がする。
 それに答えながら、ほんの少しだけ窓の外に視線をやった。
 開けられた窓の外。そこには、王都とは違う雰囲気の町並みが見える。
 白亜の町並みが広がる王都とは違って、赤い屋根の建物が特徴の辺境伯領。
 6年前まで住んでいたはずの場所であるのに、レヒト様に仕えてから一度も来ていない故郷は馴染みのない場所であった。

 6年前。
 この領都は戦火に飲み込まれた。
 多くの民と領主一家が犠牲になり、今でも建設中の建物が目立つ。
 いや、戦争が終わってようやく安全に建物を建てれるようになったから建設中の建物が多いとも言える。
 ラナンキュラの悲劇。そう呼ばれる6年前の襲撃。
 その襲撃は私の記憶と多くの感情を奪った代わりに、大きな力を私に与えた。
 今では英雄と呼ばれるほど、大きな力を。

「カディア!」

 領主邸に到着した私は、喜色を浮かべて走り寄る青年に顔を向けた。
 私みたいな老婆のように白い髪とは違って、光に反射して輝く金髪。それから端正な顔立ち。父が亡くなるまで王都で騎士をしていた為、鍛えた細身の体はそれなりにモテるだろう容姿だ。
 唯一、翠玉よりも薄い海のような色をした瞳は私と同じ。彼と私が兄妹であることを示す証でもあった。
 バルト・マルグラーフ・ラナンキュラ。
 それが、6年前より辺境伯を継いだ兄の名前だ。

「ラナンキュラ辺境伯。お久しぶりです」

 右手の指先を揃えて胸にあて、左手で旅装の裾を少しつまむ。
 左足を後ろ斜めに少し引いて腰を少しだけ落とす基本的な女性の一礼。

「よしてくれ。カディア。兄妹じゃないか」

 前回の社交界以来だろうか。
 半年ぶりに会う兄は、少し目の下にくまが出来ていた。
 まだ領主となって6年。ようやく地盤が固まってきたところで、その気苦労も耐えないことだろう。
 少なくとも、6年前は唯一生き残った妹に反応出来ないくらいには憔悴していたのだ。
 当時、兄は領主として地盤を固めつつ帝国との戦争に勝利するためにレヒト様の騎士から退いた。
 襲撃によって目の前で家族が殺されたショックにより、記憶を失った私を保護できるような余裕は兄になかったのだと今ならわかる。レヒト様が私を保護してくださらなかったら、今どうなっていたかもわからない。
 王都と辺境伯領は遠い。
 故に、社交界シーズンでしか兄妹の交流はなかった。
 兄妹間に温度差があっても不思議ではない。

「仰せのとおりに」
「相変わらずだなあ」

 くすりと笑って兄は私を抱きしめる。

「おかえり。カディア」
「……ただいま、かえりました」

 それはきっと、本来ならば感動的な再開のシーンなのだろう。
 現に私達を見守る使用人たちの中には昔より辺境伯邸に仕えていた者がいるらしく、涙ぐんでいる者もいる。
 けれど、私にとって家とはレヒト様のいる『王城』で。
 今ここで帰省の挨拶をするのは違和感を覚えた。
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