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奥書
〈アルファポリス版奥書〉
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○この作品は、2017年6月から2018年7月にかけて、小説投稿サイト「カクヨム」に掲載したものが初出。
○カクヨムでは、「歴史・時代・伝奇」という分類は用意されているものの、あまりきちんとした基準が設けられているという感じではなく、歴史ものでは参加できるコンテストもほぼ開催されていない。そこで、アルファポリスで第五回の歴史・時代小説大賞が行われる機会に、少し手直しをして参加することとなった。
○完成させてから時間が経ってみると、自分の文章がとても下手に思え、全面的に直したいような気もしたけれども、時間が足りないことと、文体だけ整えて興を殺ぐ虞れを感じたので、最小限の修整にとどめた。
○作品中、中国語の地名や人名には、主に中古音の推定音価を参考にして読みを付けた。中国語の発音は、近世以降にかなり変化しているので、現代音では昔の感じが出ない。たとえば今の北京の人に「リーベンレン」と呼ばれても日本人はピンと来ないけれども、中世の長安に行けば「ニップォンニン」乃至は「ジップォンジン」といった風の音を聞くことができたはずだ。
○しかし昔の中国語の複雑な音を、現代日本語のカナに写すというのは、なかなか難しい所がある。和式字音の呉音や漢音は、昔の日本人が実際に耳で聞いて音訳したものなので、これも参考にはしたが、それには日本語の変化も十分に理解していなければならない。音韻と音声の違いも考慮する必要がある。初出時よりは、少しは理解を進めたつもりなので、今回の掲載に当たって整理をしたものの、やはり結局は小説という括弧が付くのに甘えたことは否定しない。
○歴史を扱うことに関しては、私は大学で専攻したわけでないとはいえ、それなりに矜恃がある。その由源は、祖父から受け継いだもので、古びた謂い方をすれば家学と言っても良い。
○かつて祖父が他界した時に、蔵書がおそらく二~三百冊は遺されていた。四十九日にもならない頃、父は近所の安っぽい古本屋を呼んで、それを売り払おうとした。私は当然自分がもらうものだと思っていた(祖父との黙契による)ので、売り渡される前の晩に、棚から良さそうなものを選んで、抜き取っておいた。それが百数十冊あり、1950年代から90年頃に出版された、日本古代史に関係するものが多い。祖父は大正末年生まれなので、敗戦後の解放感にあふれた学問を、若い感性で呼吸することができた。
○この蔵書が、私には長い間の宿題になった。一つ一つ追って読んでいくと、祖父は本をつまみ食いしていたのではなくて、ある問題意識を持って買い求めていた足跡をつかむことができた。そこで私はそれをさらに追いかけて、穴のある所を埋めていかなければならなくなった。そのために足りない書籍を博捜し、読んでは考え、考えてはまた渉猟した。幸いにも近年、史料の電子化が進み、原文に触れることが容易になったおかげで、考証を深めることができた。
○特に、近代に至る文書を網羅する「維基文庫」や、古典の検索に便利な「中国哲学書電子化計画」に助けられている。
○この作品は、《三国志・魏書・東夷伝》の一部、通称“魏志倭人伝”を中心的な題材としながら、「卑弥呼」という字は、ほとんど使わなかった。これには、通俗的な印象に引かれることを避けるという目的があった。卑弥呼という名には、時には学者をも魅了するような、ロマンティックな俗説の手垢が、厚く纏わり付いている。しかし私の考証と想像は、それとは異なる人物像を導いたと思う。それに中国的慣習では、なじみの外国人には漢語風の綽名を付けるだろうから、張政を主人公にすれば姫氏王という呼称が必要でもあった。
○張政という人物は、歴史上にほとんど名前だけしか留めていない。本来なら名前さえ伝わらない所を、倭人との交渉に関わったことで記録された程度の存在に過ぎない。それで張政については、自由にその性格や人生を想像することが許されたが、これも当時の楽浪地方の人にありうる限りを逸脱しないように気を付けた。なお「帯方太守張撫夷」の古墳は実在し、時代も近いとみられるが、それが張政の墓であるかどうかは本当は分からない。
○機会があればこの作品の題材に関する「考証篇」も書いてみたい。
○表紙画像は Pixabay License のもとで公開されている写真作品『金黄海 日落(https://pixabay.com/images/id-2762553/)』を利用させていただきました。
○カクヨムでは、「歴史・時代・伝奇」という分類は用意されているものの、あまりきちんとした基準が設けられているという感じではなく、歴史ものでは参加できるコンテストもほぼ開催されていない。そこで、アルファポリスで第五回の歴史・時代小説大賞が行われる機会に、少し手直しをして参加することとなった。
○完成させてから時間が経ってみると、自分の文章がとても下手に思え、全面的に直したいような気もしたけれども、時間が足りないことと、文体だけ整えて興を殺ぐ虞れを感じたので、最小限の修整にとどめた。
○作品中、中国語の地名や人名には、主に中古音の推定音価を参考にして読みを付けた。中国語の発音は、近世以降にかなり変化しているので、現代音では昔の感じが出ない。たとえば今の北京の人に「リーベンレン」と呼ばれても日本人はピンと来ないけれども、中世の長安に行けば「ニップォンニン」乃至は「ジップォンジン」といった風の音を聞くことができたはずだ。
○しかし昔の中国語の複雑な音を、現代日本語のカナに写すというのは、なかなか難しい所がある。和式字音の呉音や漢音は、昔の日本人が実際に耳で聞いて音訳したものなので、これも参考にはしたが、それには日本語の変化も十分に理解していなければならない。音韻と音声の違いも考慮する必要がある。初出時よりは、少しは理解を進めたつもりなので、今回の掲載に当たって整理をしたものの、やはり結局は小説という括弧が付くのに甘えたことは否定しない。
○歴史を扱うことに関しては、私は大学で専攻したわけでないとはいえ、それなりに矜恃がある。その由源は、祖父から受け継いだもので、古びた謂い方をすれば家学と言っても良い。
○かつて祖父が他界した時に、蔵書がおそらく二~三百冊は遺されていた。四十九日にもならない頃、父は近所の安っぽい古本屋を呼んで、それを売り払おうとした。私は当然自分がもらうものだと思っていた(祖父との黙契による)ので、売り渡される前の晩に、棚から良さそうなものを選んで、抜き取っておいた。それが百数十冊あり、1950年代から90年頃に出版された、日本古代史に関係するものが多い。祖父は大正末年生まれなので、敗戦後の解放感にあふれた学問を、若い感性で呼吸することができた。
○この蔵書が、私には長い間の宿題になった。一つ一つ追って読んでいくと、祖父は本をつまみ食いしていたのではなくて、ある問題意識を持って買い求めていた足跡をつかむことができた。そこで私はそれをさらに追いかけて、穴のある所を埋めていかなければならなくなった。そのために足りない書籍を博捜し、読んでは考え、考えてはまた渉猟した。幸いにも近年、史料の電子化が進み、原文に触れることが容易になったおかげで、考証を深めることができた。
○特に、近代に至る文書を網羅する「維基文庫」や、古典の検索に便利な「中国哲学書電子化計画」に助けられている。
○この作品は、《三国志・魏書・東夷伝》の一部、通称“魏志倭人伝”を中心的な題材としながら、「卑弥呼」という字は、ほとんど使わなかった。これには、通俗的な印象に引かれることを避けるという目的があった。卑弥呼という名には、時には学者をも魅了するような、ロマンティックな俗説の手垢が、厚く纏わり付いている。しかし私の考証と想像は、それとは異なる人物像を導いたと思う。それに中国的慣習では、なじみの外国人には漢語風の綽名を付けるだろうから、張政を主人公にすれば姫氏王という呼称が必要でもあった。
○張政という人物は、歴史上にほとんど名前だけしか留めていない。本来なら名前さえ伝わらない所を、倭人との交渉に関わったことで記録された程度の存在に過ぎない。それで張政については、自由にその性格や人生を想像することが許されたが、これも当時の楽浪地方の人にありうる限りを逸脱しないように気を付けた。なお「帯方太守張撫夷」の古墳は実在し、時代も近いとみられるが、それが張政の墓であるかどうかは本当は分からない。
○機会があればこの作品の題材に関する「考証篇」も書いてみたい。
○表紙画像は Pixabay License のもとで公開されている写真作品『金黄海 日落(https://pixabay.com/images/id-2762553/)』を利用させていただきました。
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