三国志外伝 張政と姫氏王

敲達咖哪

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東夷の巻

死せる者と生ける者

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 舟は、再び邪馬臺やまとから北へ流れを下る。今度の水行の主人公は、難斗米なとめである。大率だいすいという、倭人の国々にはかつて無かった役目を負い、洛陽ラクイャンで賜った銀印青綬と、邪馬臺王家伝世の太刀を帯びて、緊張した顔を舳先へ向けている。岸から舟の往来を覗う庶人たちの難斗米を見る目は、以前とは違っている。今や難斗米は単なる貴種の人ではなく、一種の畏れを感じさせる存在に成っている。都市牛利としぐりは、難斗米の輔佐として諸国の交易を監督する役に就く事になっている。狗古智卑狗ここちひこは艫の方に座って、瓢箪を傾けて酒をちびちびと呑みながら、空を仰いで笑っていたかと思うと、水面を眺めて溜め息を吐いたりしている。
 これから治所とする伊都いと国に着いた難斗米の最初の仕事は、王の墓を造る事である。罪人として死を得た者の墓地としては、人気の少ない、不便な所を選ぶべきであった。伊都国のすぐ北、斯馬しま国に属する山地にそれは定められた。それと同時に、この葬礼は氏王の温情により特に許されて行われるのだというが世上に流布される。木製の棺が急ぎ調達されて、筵に包んで氷室に放り込まれていた首の無い遺体には、麻の衣が着せられる。
「夜ごと朝ごとに、夢に血の色を看る。骨を打つ響きもこの手に感じる」
 慌ただしく色々な手配をする中で、難斗米は張政に向かって述べた。
「だがそれも漸々ようよう薄らいでいる。きっともうすぐ厭な夢は観なくなりそうな気がする」
 当日、空がまだ青黒い内に、葬列は伊都のまちを出なくてはならない。難斗米と都市牛利、張政チァン・セン、狗古智卑狗の他は、力役や雑用をする下人が従うだけである。棺持ちが遺体を運んで来る。狗古智卑狗は独り遅れて怠そうに歩いて来た。酒の匂いがする様だ。
「それを持って行かれるのですか」
 都市牛利が狗古智卑狗の提げる瓢箪を見咎めて言う。
「いや、これは穢れ払いじゃ。要るだろう」
「要る物は用意をさせてあります。置いていかれた方が楽でしょう」
 狗古智卑狗は瓢箪を離そうとしない。
「持っているだけだよ! 歩きながら呑みゃあしないさ」
 王の弟君だから、難斗米も強いて異を唱えようとはしない。
 難斗米が先頭に立ち、棺持ちが後方に付く。棺の前には食器や供え物を運ぶ役が荷を頭に乗せる。棺の跡には箒持ちが道を掃きながら歩く。浮橋を渡って斯馬側に入り、しばらく平野を歩くが、距離はそう長くない。枯れ葉を踏み分け、枝を払いながら木々の間を通り、傾斜地を少し登る。低い山だが、頂上はまだまだ先という辺りに、予め穴を掘らせてある。こんな状況だから、他には何も無い。葬礼は努めて簡略に済まされる。棺を穴に下ろして土を掛けるが、必要以上に高く盛ってはならない。盛り土は足を振り下ろして踏み固める。墓前に常緑樹の枝、干し魚や母智比もちいなどを並べる。母智比というのは、米を粒のまま潰して丸め、一種のビェンの様な形にした食品で、中国でも見られない珍しい物である。この食品を一字で表せる漢字が無い。
 ここで作法としては、喪主は泣いて哀悼の言葉を述べる所である。しかし難斗米の身分は既に奴王の罪を断つ側に立たされている。難斗米は顔を険しくして、供物の前で墓に向かっている。頭上を飛び交う鴉だけがぎゃあぎゃあと物言い、人は一つも口を開かない時が過ぎて行く。難斗米はついに押し黙ったまま、もう戻るという合図をする。下人たちは供え物を運ぶ。荷物が無くなった棺持ちの一人が、そっと振り向いて、
「まっすぐにお逝きなされや」
 と呟くのを張政は聞いた。如何にも寒い野辺の送りではあった。
 さて戻ると言っても、邑にはまだ帰れない。新たに棺を埋める墓には、死せる者を迎えるが来て、時にはまだ生きるべき人をも他界に釣り込む。それを防ぐには、酒を飲み歌い舞いして一夜を明かす。これが所謂「穢れ払い」である。その為に山の麓に急拵えの室が建てられている。難斗米は壁際に付けた段に腰掛け、他の者は茣蓙に座る。下げた供え物が切り分けられ、まずは一献を酌んで飲み干す。下人たちも相伴に預かる。改めて酒と料理が運ばれ、宴となる。都市牛利が歌を謡う。
 
 野に鹿は斃れ 倒れ木は老い 生い出く若木
 若木はや 舟に宜しと 舟作り
 梢をさやに 風は吹き
 風は吹き付け 真艫を推して
 吉き舟は往け ただに逝け
 舳返りもせず しずかに行けや
 
「ああ、酒が無くなった」
 狗古智卑狗が瓶子を逆さまにしている。
「のう、難斗米、昵懇じゃ」
 難斗米は黙っている。
「のう、もう少し酒を持って来させられんかな」
 難斗米はムッとして、よたよたと歩いて来て横に座り肩に手を掛けようとした狗古智卑狗の手を払って、立ち上がった。
あなたは酒を呑みにここまで来られたのですか」
「えっ、そりゃぁ、奴王の墓に参れと……」
「それは御父上がやがて跡を継ぐ公に、今の内に諸国の事情をよく視ておけとの思し召しで、そう仰せ付けられたのでしょう」
 と、言われて狗古智卑狗も覚る所が有ってか些か顔を蒼くして、
「そ、そんな事は分かっておるわい」
 と返すなり、と声を上げて泣き始めたから、難斗米もぎょっと驚いて目を丸くする。
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