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東夷の巻

狗奴王父子

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 狗奴くな王は、年齢なりに衰えてはいるものの、骨の太そうな大きい体をしている。狗奴王が邪馬臺やまとまちに着いた時には、氏王を倭王とする冊命の儀式はすっかり終わっていた。儀式に招かれた客たちは、賜り物の一部を分け与えられ、姫氏王が倭王に冊封された事を国々に知らしめよと促されて、帰ってしまった後の事である。狗奴王は副官で末の王子である狗古智卑狗ここちひこと、巴琊斗はやとと呼ばれる近衛兵八人を伴って来た。
 狗奴王は姫氏王の父で、姫氏王の母はさきの邪馬臺王のむすめ、狗古智卑狗は姫氏王の同腹の弟である。
 かつて今より五十年程前、王氏の徳が衰えて、倭地の秩序は乱れた。そこで前の邪馬臺王は、兵甲を整えて諸国を糾合し、不弥ふみの野で奴国の軍と戦った。進んでは戦い、戦っては退き、兵を練ってはまた進み、合戦する事十数に及んだが克たなかった。さてはと邪馬臺王は南へ使いを遣わして、狗奴王に頼み、勇猛を以て知られるその精兵を借り受けた。再び北へ進んで奴国の軍を破り、ようやく前の奴王を捕らえて首を打った。
 しかし長く倭人の盟主であった奴王の権威に対する人々の思慕はまだ大きく、邪馬臺王の下風に立つ事を潔しとしない者の一部は、奔逸して東へ海を渡る動きを示した。そこで邪馬臺王は奴国の西辺の地を割いて伊都いと国とし、奴王氏の少年をここに居らせて位を継がせ、引き続き全ての倭人の王として諸国を代表する権利を持たせた。一方で邪馬臺王は狗奴王と盟約を交わし、互いにその国の王と称する事を認め、それぞれが北と南の諸国を分けて掌握する事を定めた。
 狗奴王はこの時に、派兵の酬いとして邪馬臺王の息女を得て、その家に通い、一女一男を産ませた。即ち今の姫氏王と狗古智卑狗である。
 邪馬臺の邑をめぐる土塁の一辺に開いた門で、番兵に来意を告げた狗奴王は、その中には入らず、そのまま北東の郊外へ向かった。そこはなだらかな丘陵であり、前の邪馬臺王が永遠に眠るつかが有る。そこで狗奴王は姫氏王を待った。姫氏王は大勢の兵士に守らせて、あの綺羅びやかな王服を纏い、枯れ葉に覆われた地面を踏んでそこへ向かう。狗奴王は汚れた旅装のままで、笠を縫いだ頭は白髪もまばらである。姫氏王は孫とも見える程に歳は離れている。
「父上、お疲れでしょうに。屋敷の方へお越しにはなりませんか」
 と、女王は挨拶をする。冷たい風がカサカサという音を奏でている。
「汝は今日こそ、この父をも下座に着かせるつもりであろう」
 狗奴王が何を言わんが為に来たのか、女王には分かっている。
「もう遅うございます。この寡人わたくしの名は天子にまで知られているのですから」
 女王は紫色のくみひもが付いた真新しい金印を手に輝かせる。狗奴王は眼をギョロリとさせて張政チァン・センを一瞥する。
「なぜじゃ」
 老王は、顔の皺を更に深める。
「なぜ独り天子を仰いだ。この地を二つに分け、倶に天を戴くという約束、汝が祖父公の位と共に受け継いでおるはずではないか」
「物事には、出来る時と出来ぬ時とがございます」
「今は、出来ぬ時になったと申すか。なぜじゃ」
「父上とて、東へ行った連中が国を作って、こちらを窺っているのを知らぬわけではありますまい」
「そんなものは、力を合わせれば防げよう」
「防ぐのではない」
「何と」
「防ぐのではなく、こちらから打って出ます」
「何と申す」
わたしは邪馬臺の王にして全ての倭人の王。東のまつろわぬ者どもにも知らしめなくてはなりません。全て倭人の国々は我がもとに一つにまとめ上げてみせます」
 女王は、きっぱりと言い放つ。
「フム……」
 老王は、何を思ってか、しばし白い眉を持ち上げたまま押し黙る。北からの風が、枯れ葉をどよめかせる。
わしが生きているうちは、誰の好きにもさせぬぞ」
 老王は、この話し合いを諦めて、傍らに控える王子に命じる。
「余はもう帰るが、おまえは奴王の霊を慰めてから戻れ」
 狗古智卑狗は、それまで父と姉の対話を、聞くでもなく聞かぬでもないという態で、ぼうっとしていたのが、急に声を向けられてはっと目が覚めた様な顔をする。
「えっ、おれ一人で残るんですか」
「何じゃ、不服か」
 叱られそうな気配を感じて、
「いえ、滅相もない。全て父上の仰るとおりにしますとも」
 と小さくなる。
 狗古智卑狗は、もともと邪馬臺で育てられた。狗奴王が多くの妃に生ませた何人もの王子は、この父が長生きをする間に、一人死に、二人死に、次々と世を去って、とうとう国許にはその墓が並ぶばかりとなった。そこで狗奴王は、狗古智卑狗を呼び寄せて、跡継ぎとして育てるべく副官の役目を与えたのであった。
 すぐに帰ると言った狗奴王は、結局時間の都合で一晩だけ邪馬臺の邑に泊まり、翌日の朝早く帰途に就く。姫氏王は兵士を動員して薄明かりの中で調練を行い、これを以て老父の見送りに代えた。
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