三国志外伝 張政と姫氏王

敲達咖哪

文字の大きさ
上 下
24 / 41
東夷の巻

丘の上の陣

しおりを挟む
 天子より氏王に授けられる品々には、錦や絹の生地が含まれている。それは正式に引き渡された後で、王たる者に相応しい着物に仕立てる事になっているが、勅使一行にはその為に帯方タイピァン郡から従って来た職人が含まれている。王碧フヮン・ピェクはその中の一人である。王碧の家は、漢の武帝が楽浪ラクラン郡を置いた頃、中国から移り住み、代々郡の官吏を輩出した。在地の官人層としては地位が高い方であった。しかし公孫クンスォン氏の時、父が失脚して刑死させられ、それから母は服を縫って碧を育てた。碧も幼い頃から母の仕事を手伝ったので、まだ若いのに腕の良い職人に成った。その家柄から教養も有り、良家の女子らしい気品も備えている。
 難斗米なとめ王の金印を徴収するのを待つ間、採寸でもしておけば後が滞りなくて良かろうと、張政チァン・セン投馬つま国に留まっている一行から、王碧を不弥ふみ国に呼び寄せた。張政の父母は零落した王氏を哀れに思って、よく服の仕立てなどを頼んでいたので、張政と王碧も昔から知った仲に為っている。王碧が倭人の漕ぐ川舟に乗って来るのを、張政は迎えに出た。
「王服の形式には女物というのがございませんが、こちらの女王さまには男物の王服の形でよろしいのでしょうか、それともお妃さまのようにするのでしょうか」
 不弥のまちへ向かう道で、王碧はそんな事を言った。張政はそれを今まで思いもしなかった。言われてみれば確かにそれは一つの問題かも知れない。王碧は、女性が男物を着るのも不都合だし、かといって王たる者が「お妃さま」の格好をするのもおかしいし、と考えている訳だ。しかしそれは張政にしてみれば、そう案ずる程の事でも無かろうと思われる。
あなたはまだ姫氏王の姿を見ていない。会えば自ずと見通しが立つでしょう」
 張政はそう答えた。道を行けば、田で落ち穂拾いをしている倭人の姿が目に入る。倭人の服装には男女で着こなしの違いは有っても、形式そのものには変わる所が無い。と、道を向こうから歩いてきた農夫が、張政を見ると草叢に逡巡しりごみしてうずくまる。女王の側に何度も招かれる内に、どうも随分と身分の高い人として認識されてしまっている。張政はそういう庶民の態度には知らぬ素振りをして歩く。
「賜りものの生地で失敗をしてはいけませんから、もしこちらの織物を与えていただけましたら、それで試製をさせていただきとうございます」
 王碧は姫氏王に引見されると、そう頼み事をした。姫氏王はそれをゆるした。王碧は女王の傍に出入りする許しを得た。倭人の言葉をよく話せない王碧の為に、いつも張政が会話を仲介する。しかし張政が入れない所へは、王碧が一人で行く。悧発な王碧はそれを上手くこなして、短い間に女王の気に入られたらしい。王碧は張政が知らない様な女王の消息を伝えてくれる。
「女王はこのところあまりよくお眠りにならないご様子。それで臺与とよさまも何か不安がっておられるのが可哀想です」
 姫氏王に会って休息を勧めてくれる様に、と王碧は張政に頼んだ。難斗米が今般の命令を受け、女王が不弥の邑に入ってから、已に半月程が過ぎている。ここ数日、姫氏王は朝から郊外に出て、不弥国の兵士を指揮し演習をさせている事が多い。なだらかな丘の上に幕を張って本陣としている。張政が入って行くと、姫氏王は火鉢を背にして剣をつえつき、北側の幕をわずかに開いて外を眺めている。北には遠く海を望み、冷たい風が吹き寄せる。張政は声を掛ける。
「こんな日は、兵の訓練などお休みなれてはいかがでしょう」
 女王は背を向けたまま、
「汝は狗奴くな国の巴琊斗はやとを知らないか」
 と返す。狗奴国は、邪馬臺やまと国より南に在り、大きな勢力を持つ。巴琊斗とは、勇猛を以て鳴らす狗奴王の近衛兵で、常に八十人を備え、欠員が出れば勇士を競わせて補充すると聞く。張政は狗奴国までは行った事が無い。
「巴琊斗どもは、寒ければ寒いほど鍛錬に精を出すぞ」
 と言った女王の声には、心なしか疲れが感じられる。張政は思い切って単刀直入に言う。
「王がよくお眠りにならないのではないかと気遣う声を聞きました」
 姫氏王は、、と息を吐いて呟く。
「どうせ、好い夢は観られぬからな」
 びゅうとまた冷たい風が空を吹いて往く。
泄謨觚しまこどののお着きぃ――」
 と外で番兵が声を上げる。
「御免っ」
 泄謨觚は息を切らせ、急いだ様子で姿を現す。
「動いたか」
 と呟きながら姫氏王は向き直る。
「奴王が逃げました。鍛治村の年寄りどもが連れ出したらしく見えます」
 姫氏王は落ち着いている。
「斗米はどうした」
「抜かりなく追っ手を差し向けております」
「よし」
 と姫氏王は側近を呼び寄せて、出発の準備を命じる。そこへ、
「御注進!」
 と第二報を持った使者が駆け込む。
「奴王は斯迦しかノ島へ逃げ込んだ由にございます」
 その島は伊都いと国から舟を出してそう遠くなく、奴国の北に在る。
「包囲はどうだ」
「難斗米さまの命令で舟を出して、島を取り囲んでおります」
「よろしい。張政ちゃうせいよ」
 と言った女王の声には、元の力強さが戻っている。
「奴国まで出るぞ。わしも後方より圧をかけるであろう」
 張政は、難斗米が貸し与えられた重い太刀、伊声耆いせきが持たされた塩詰めの手桶を瞼に描いた。あの哀れな老人に許された長い猶予は、今終わろうとしている。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

大江戸美人揃

沢藤南湘
歴史・時代
江戸三大美人の半生です。

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

鬼を討つ〜徳川十六将・渡辺守綱記〜

八ケ代大輔
歴史・時代
徳川家康を天下に導いた十六人の家臣「徳川十六将」。そのうちの1人「槍の半蔵」と称され、服部半蔵と共に「両半蔵」と呼ばれた渡辺半蔵守綱の一代記。彼の祖先は酒天童子を倒した源頼光四天王の筆頭で鬼を斬ったとされる渡辺綱。徳川家康と同い歳の彼の人生は徳川家康と共に歩んだものでした。渡辺半蔵守綱の生涯を通して徳川家康が天下を取るまでの道のりを描く。表紙画像・すずき孔先生。

WEAK SELF.

若松だんご
歴史・時代
かつて、一人の年若い皇子がいた。 時の帝の第三子。 容姿に優れ、文武に秀でた才ある人物。 自由闊達で、何事にも縛られない性格。 誰からも慕われ、将来を嘱望されていた。 皇子の母方の祖父は天智天皇。皇子の父は天武天皇。 皇子の名を、「大津」という。 かつて祖父が造った都、淡海大津宮。祖父は孫皇子の資質に期待し、宮号を名として授けた。 壬申の乱後、帝位に就いた父親からは、その能力故に政の扶けとなることを命じられた。 父の皇后で、実の叔母からは、その人望を異母兄の皇位継承を阻む障害として疎んじられた。 皇子は願う。自分と周りの者の平穏を。 争いたくない。普通に暮らしたいだけなんだ。幸せになりたいだけなんだ。 幼い頃に母を亡くし、父と疎遠なまま育った皇子。長じてからは、姉とも引き離され、冷たい父の元で暮らした。 愛してほしかった。愛されたかった。愛したかった。 愛を求めて、周囲から期待される「皇子」を演じた青年。 だが、彼に流れる血は、彼を望まぬ未来へと押しやっていく。 ーー父についていくとはどういうことか、覚えておけ。 壬申の乱で散った叔父、大友皇子の残した言葉。その言葉が二十歳になった大津に重く、深く突き刺さる。 遠い昔、強く弱く生きた一人の青年の物語。 ――――――― weak self=弱い自分。

大陰史記〜出雲国譲りの真相〜

桜小径
歴史・時代
古事記、日本書紀、各国風土記などに遺された神話と魏志倭人伝などの中国史書の記述をもとに邪馬台国、古代出雲、古代倭(ヤマト)の国譲りを描く。予定。序章からお読みくださいませ

岩倉具視――その幽棲の日々

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 幕末のある日、調子に乗り過ぎた岩倉具視は(主に公武合体とか和宮降嫁とか)、洛外へと追放される。 切歯扼腕するも、岩倉の家族は着々と岩倉村に住居を手に入れ、それを岩倉の幽居=「ねぐら」とする。 岩倉は宮中から追われたことを根に持ち……否、悶々とする日々を送り、気晴らしに謡曲を吟じる毎日であった。 ある日、岩倉の子どもたちが、岩倉に魚を供するため(岩倉の好物なので)、川へと釣りへ行く。 そこから――ある浪士との邂逅から、岩倉の幽棲――幽居暮らしが変わっていく。 【表紙画像】 「ぐったりにゃんこのホームページ」様より

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...