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一章 蔵座敷に棲むもの
呉服屋箱入り娘の依頼 下
しおりを挟む寝不足などという、朔の気の無い相槌に、絹代が身を乗り出して捲し立てる。
「私は女性の悲鳴を聞いたのです!
優しく商売熱心だった父母が昼間は殆ど顔を見せず、店は今やその蔵の男に任せきり! 顔色も悪く、食事もあまり喉を通らない様です。
蔵座敷では――あの男は夜な夜な悪行を行い、父母も誑かされているに違いありません!」
今や絹代は目に涙を溜めて訴えている。朔は若干嫌そうに鼻頭に小じわを寄せ、面倒臭ぇなぁという雰囲気を隠しもしない。宵は呆れた様に軽く目を見開いて話を聞いていたが、とうとう我慢しきれず――我慢していたのか、とりあえず最後まで聞いていただけだったのか疑問だが――口を開いた。
「それは女中を手込めにする変態夫婦ってだけじゃろーが」
「宵、ガキ相手にぶっちゃけ過ぎだ。俺くらいに歯に衣着せとけ」
「この節穴めッ。こんなボロ屑着せられて、歯に割く余裕なんぞないわ!」
とんだ藪蛇になった朔は肩を竦め、宵は朔に向かって騒ぎたてる。あそこで朔が藪をつつかなければ、宵が絹代を口で完膚無きまでに伸していただろう事は想像に難くないので、ある意味良かったと言える。
が、絹代が暫く――朔が三杯空けるくらいは固まり、息を吹き返したかと思うと呟いた。
「て……ご、め?」
騒いでいた宵がぴたりと言葉を止め、絹代を見る。絹代はとうとう涙を流し、二人に訴えた。
「駄目ですそんなの! いけません!
お願いします朔様、宵様! どうかあの男の悪事を暴いて下さいまし! 私あの男が怪しい界隈に赴くのも見ましたの。父様母様のお目を覚まし、人々は助けてくださいませ! 私はあの男と契りを結びたくありません!!」
「契り?」
動転している絹代を適当に宥めすかし、よくよく話を聞いてみれば、絹代は父母に一度諫言をしたのだと言う。すると、逆に諌められ夫婦話が本格的に浮上したらしい。
そもそも絹代の祖父である御隠居が、蔵の男を真っ先に見初めており、可愛い孫娘に心積もりさせる猶予を現状与えていただけのようだ。
今居る番頭を立てつつ店を回す手腕は見事としか言いようがないし、第一祖父と父が決めたものは否応なく謹んで受けるのが一人娘として当然である。
「なんだ妬心か。甲斐性が有り過ぎて嫌なんだろう」
朔は呆れ顔で言った。こうなっては何を言っても聞かないだろう。はっきり言ってやるのが親切と言うものだ。
「流石大店の箱入り娘じゃのー。初い奴よ。
なぁに、本妻は絹代で揺るがない。婿養子になりゃあ多少も落ち着こうよ」
「違います! そんなのじゃありません!
ではどうして皆の体調が優れないのですか!?」
「どっちの子か知らんが孕んだんだろ。夫妻は励み過ぎだろうな」
「お主、其奴と結ばれんと父親の種の男児が現れて、跡取りの座を追われるやも知らんぞ?
そんな気に病まずとも壮年夫婦を虜にする手錬れじゃ、安心して臨め。目眩く世界が待っておるわ」
朔は身も蓋もない事を言い、宵は宴席で管を巻いてる遠縁の親爺のような事を言って、かっかっかと笑った。
「けれど……ミツ姉が文の一つも寄越さないなんて、どう考えてもおかしいわ」
絹代は姉のように慕っていた女中がどうしても気になるようだ。
「悪阻が酷かったり、産後なら肥立ちが良くないのかもしれんぞ?」
「大体お前は、蔵での悪行がなんだと思ってたんだ?」
はっと絹代が顔を上げて気まずそうに考え込む。蔵での所業が悪い事とばかり決めつけて、内容までは頓着していなかったようである。
「……折檻……とか」
「そんなので大店の主人が出張るわけないだろ。わざわざ他ん所の女中まで引き込んで」
「いやいや、あながち外れてもおらんのでは? 新境地を開いたのかもしれんじゃろうが」
「ややこしくなるから、宵は黙っとけよ」
「何にせよその蔵の男はほんに手練れじゃのォ。
ああ! 閨の師なのかもしれんな?」
朔は好き勝手言う宵を尻目に、椀を呷りながら何の感情もない眸で絹代を眺めた。
絹代はふらふらとしながら座敷を出て行った。戻ってきた時には盆に浴衣を乗せてきた。宵は喜々として浴衣を選び、行水まで用意させて着替え、絹代の家を後にしたのだった。
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