公爵夫婦は両想い

三国つかさ

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「ピチカ・クローリーだな」

 黒髪で首元に刺青がある男が断定するように言った。相手はすでにピチカの顔を覚えてきているのだろう。

「さっきの術は何だ?」

 男は余裕を崩さすに尋ねてくるが、ピチカにはそれが何の事か分からなかった。

「術……?」
「……お前の術じゃないのか?」

 ピチカが困惑すると、向こうも片眉を上げて訝しげな顔をする。しかしすぐに納得したように「旦那か」と呟くと、隣りにいる赤い髪の男に小声で何やら注意をしている。

「あまり近づき過ぎるな。もしくは怪我をさせようとすると駄目なのかもしれん」
「ああ、分かった」
「何なの?」

 ピチカは訳がわからなかったが、なるべく毅然として続ける。

「あなたたちは誰? 子どもを使ってまで一体何の目的で馬車を止めたの? 名前を知っていたという事は、狙いは私?」
「そうだ、あんたに用がある。我々と一緒に来い。大人しくついてくるなら手荒な真似はしない」
「行くわけないでしょう」
「シールドがあるせいか強気だな。だが我々も魔術師だ。シールドの壊し方は知ってる」

 刺青の男はニヤリと笑って言った。ピチカはきゅっと唇を噛み、拳を握る。
 
「さぁ、俺たちにシールドを壊される前に自分から出てこい。そうすれば怪我をしなくて済むぞ。それにお前の旦那も、もう我々の仲間が捕らえている」
「……ヴィンセント様はとても才能のある魔術師よ。あなたたちなんかに捕まるわけないわ」
「確かに奴は天才だ。だがこちらには仲間がいる。我々の実力がヴィンセントの十分の一だったとしても、それならばこちらは十一人の魔術師を集めればいいだけの事」

 ピチカは不安になって顔をしかめた。ヴィンセントが彼らに負けて捕まっているとは信じ難い。ピチカを連れて行くための嘘かもしれない。だが人数の差でヴィンセントが負けるというのもあり得る話だ。

「旦那を殺されたくなければ、我々と一緒に来るんだな」

 ピチカは迷ったが、もし本当にヴィンセントが捕まっているとしても一人で彼らに着いて行くのはまずいと思った。応援を呼んで誰かと一緒にヴィンセントを助けに行かなければいけない。

「いいえ、行きません」
「旦那を見捨てるのか?」

 刺青の男は笑って言うが、その口車には乗らなかった。
 すると男は面倒そうにため息をつき、ピチカがシールドに入れて一緒に守っていた子どもを手招きする。

「おい、約束の小遣いをやるから来い。金を持ってさっさと家に帰れ」
「あ、待って……!」

 走り出した男の子を止めようとしたが、ピチカの手は届かなかった。子どもはシールドを出て男たちの元へ駆けていってしまう。
 と、刺青の男は近寄ってきた子どもを人質に取り、ナイフをちらつかせてピチカを脅した。

「大人しく俺たちについてくるか、子どもを見捨てるか選べ」

 男の冷たい目は本気だ。きっと子どもを殺す事に抵抗はないのだろう。
 ピチカが迷っていると、続けて言う。

「いくら時間をかけてもらっても構わんが、お前が悩んでいる間に誰かがここを通りかかれば、俺たちはそいつの事も消すぞ。目撃者を出したくないんでね」
「……分かったわ。ついて行く。だけどその子とうちの御者に手を出さないと約束して」
「ピチカ様……!」

 後ろにいる御者の男が不安そうに言う。刺青の男は「いいだろう」と頷いた。

「その二人には手を出さない。さぁ、さっさとシールドを解いてこっちに来い」
「ピチカ様、いけません」

 止めようとする御者に、ピチカは小さな声で言う。

「あなたたちに手を出さないという約束を彼らが守るか分からないから、私がここを離れたら、あなたは子どもを連れて森の監視塔へ行って兵士たちに助けを求めて。今は昼の休憩時間だし、デオたちは塔に集まっているはずだから」

 ここからなら城も遠くないが、監視塔の方がより近い。

「そしてデオにこの事を伝えて、城にいる魔術師団のアルカン隊長に協力を求めてもらって。ヴィンセント様が何事もなく無事でいたらヴィンセント様にも。お願いね」

 御者にそう伝えると、ピチカはシールドを抜け出た。シールドは壊さず、御者を守って移動するようにしておく。
 しかし自分から離れたシールドを維持するのはかなり難しく、魔力の消費も激しいので、五分持てばいい方だろう。監視塔にいるデオたちのところに着くまで維持できるかどうかといったところだ。

「さぁ、どこへ行けばいいの?」
「まぁ焦るな。すぐに着く」

 ピチカが緊張しながら強がって言うと、刺青の男はフッと笑って、地面に魔術陣を描き出した。

(きっと移動術だわ)

 ここから一瞬で目的地まで移動するつもりなのだ。
 しかし男は木の棒を使ったりはせず、自分の魔力を練って指先から出し、半透明の絵の具のようなそれを使って地面に陣を描いている。これは〝魔力記描(まりょくきびょう)〟だ。
 そして魔力記描ができるという事は、この男はそれなりの実力を持った魔術師という事でもある。普通はペンなどを使って描いた魔術陣に後から魔力を込めるのに、魔力記描は陣を描きながら魔力も込めるという高等技術だから。少なくともピチカにはできない。

(これじゃあ痕跡が残らない)

 ピチカは焦りから、じわりとこめかみに汗をかいた。
 地面に木の棒を使って描いたり、紙にペンや絵の具を使って描いたりした移動術の魔術陣は、後に陣を消したり回収したりする人員を残しておかない場合、そのままそこに残る。だからその魔術陣を見れば、移動した先がどこなのか解析できるのだ。
 しかし魔力記描の場合、一度陣を使えば勝手に消えて、後には何も残らない。
 つまり御者がアルカンをここに連れてきても、アルカンはピチカがどこに移動したのか分からず、助けを寄越せない。

「乗れ」

 地面に移動術の魔術陣を描き終えると、淡く光るその陣を顎でさして男が言った。
 
(怖い……)

 自分はどこに連れて行かれるのだろうか。連れて行かれた先で何をされるのだろう。ヴィンセントは本当に捕まっているのだろうか。
 震えてきた手を強く握って、ピチカは一歩踏み出した。あまり悠長にしていたら、御者にかけているシールドが消えてしまう。彼らがデオたちのところに着くまでは維持しておきたいのだ。

「行くぞ」

 魔術陣の上に、ピチカと刺青の男、それに赤髪の男と三人で乗る。もしかしたら赤髪の男はここに残って御者や子どもを殺すつもりかもしれないと思ったから、一緒に移動すると分かって少しホッとする。

「ピチカ様!」

 御者の男が焦ったように叫ぶ声を聞きながら、ピチカは男たちと共にその場から消えたのだった。


===


「何だ? 何が起きた……」

 ヴィンセントやアルカン、国王のルードルフや熟練の騎士たちが警戒を続ける中、突然この場――国王の私室に現れた魔術師の男は顔をひきつらせていた。
 動揺している様子の魔術師に、アルカンが片眉を上げる。

「あん? てめぇで飛び込んできて何言ってやがる。陛下を暗殺しに来たんじゃねぇのか?」
「は? 陛下? ……っ、ルードルフ王!?」

 緑色の短い髪の魔術師は、そこで驚いたようにルードルフを見た。言われて初めて気づいたかのような反応だ。

「何だ、てめぇ。陛下を狙ったんじゃねぇのか」

 移動術を使って急襲されたと思っていたが、どうやら違うようだ。何故ここに来てしまったのか、この魔術師本人にもよく分かっていない様子である。
 アルカンは不機嫌そうに顔を歪めて言う。

「だが何かの手違いって事もねぇだろ。この部屋にはシールドが張ってあるんだぞ。それなのに偶然移動してきたんだとしたら大問題だ。責任者の俺は隊長を辞めなきゃならねぇ」
「シールド……移動……?」

 緑の髪の男はまだ状況を飲み込めていない。本当に突然ここに来てしまったらしいが、ルードルフ、ヴィンセント、それにアルカンの事は知っている様子だった。特にヴィンセントの顔を見た時は大きく目を見開いていた。

「何なんだ、てめぇは。誰なんだよ」
「ああ、分かった」

 アルカンが舌打ちして言ったのと、ヴィンセントがふと気づいたように言ったのは同時だった。

「分かったって何がだよ」
「この男は陛下を狙って現れたんじゃない。私の術にかかって私のもとに飛ばされてきただけだ」
「お前の術?」

 そこで緑の髪の魔術師がそっと呪文を呟いているのに気づき、逃げられたり攻撃されたりする前にヴィンセントも魔術を使った。
 床から無数の黒い手が出てきて魔術師を拘束し、口も塞ぐ。
 アルカンは顔をしかめて言った。

「気持ち悪ぃ術だな。で、お前の術って何だよ。説明しろ」
「ピチィにかけておいた術が発動したんだろう。仕事中に誰かに襲われた時のためにピチィにはいくつか防御魔術をかけてあるんだが、その中の一つが作動したに違いない。ピチィに危害を加えようとして近づけば私のところに移動してくるという仕掛けだ」
「ピチィって何だよ……」

 ヴィンセントの妻の呼び方に若干引きつつ、アルカンは続ける。

「そう言えばピチカには何か色々魔術がかかってたな。だが、ならこいつはピチカを狙ったって事か? 一体何が目的で……あ、おい!」

 そこで急にヴィンセントが走り出し、部屋から出ていこうとしたので、アルカンはとっさに声をかけて止めた。
 ヴィンセントは走りながら振り向いて早口で言う。

「思えば悠長にしている場合じゃなかった。この男には仲間がいるかもしれない。ピチィが危ない」
「危害を加えようとすればお前のとこに飛んで来るんだろ」
「だが心配だ。昨日はアゼスがピチィに近寄っていたし――」

 言っている途中でヴィンセントは部屋を出て行った。アルカンはルードルフを中に残したままシールドの外に出て叫ぶ。

「おい! 待てって!」

 
===


「ここは……?」

 その頃、ピチカは刺青の男、赤髪の男と共に見知らぬ部屋に移動していた。部屋は広々としていて、内装は豪華だ。迎賓室や応接間として使っているのだろう、調度品は少し派手だが洗練されている。かなりお金をかけて買い揃えたのだろう。
 しかしピチカが部屋を見回して振り向いたところで、内装に負けず劣らず豪華な衣装を着た金髪の男が目に入った。

「アゼス殿下……」

 驚きと、やはりと納得する気持ち。その二つの相反する感情が同時に沸き起こる。

「やぁ、ピチカ。よく来てくれた」

 アゼスはにっこり笑うと、親しげに近づいてきてピチカを抱きしめた。遠慮がない挨拶にピチカは体をこわばらせる。

「昨日も思ったが、君は男の子のような格好をしていても可愛いな」

 仕事帰りなのでピチカはズボンを穿いて髪を一つに縛っていたが、アゼスはその格好を見て言う。
 ピチカはそれには答えず、部屋の中をもう一度見回し、ここはアゼスの屋敷なのだろうかと思う。アゼスは王城の中にも自分の部屋をいくつか持っているが、ここは城の中ではなさそうだ。
 城の中だったなら、魔術塔まで逃げてアルカンに助けを求める事もできたかもしれないが……。

(ここは殿下の領地にあるお屋敷かしら)

 窓の外に見える庭の景色からでははっきり判断できないが、そう予想をつける。
 アゼスの領地は王都から近い場所にあるものの、ピチカが走って城まで逃げられる距離ではない。

「ヴィンセント様はどこに?」

 ピチカは刺青の男を見て訊いたが、男は笑って見返してくるだけだった。

「やっぱり嘘だったのね」

 ヴィンセントが無事でいると分かった事には安堵するが、この場に味方がいないのは心細い。
 アゼスの後ろに目をやると、魔術師らしき男が一人、女が二人立っていた。刺青の男と赤髪の男を入れれば敵の魔術師は五人だ。

(緑の髪の魔術師もいるとしても、全部で六人……)

 ヴィンセントを捕らえるのにこちらは十一人いればいいというような事を刺青の男が言っていたので、少なくとも十一人以上はいるのかと思ったが、そもそもヴィンセントを捕らえたというのが嘘だったので、魔術師も十一人もいないのかもしれない。
 
(だけど六人しかいないとしても、私一人で何とかできる人数じゃない。刺青の男の実力は私よりずっと上のようだし……)

 とりあえず自分の周りにシールドを張っておきたいと思ったが、御者にかけたシールドの維持にかなり魔力を持って行かれていて、自分を守る余裕がない。それでも短い間ならシールドを張れるだろうが、ここぞという時に力を残しておきたかった。
 しかも御者にかけたシールドもそろそろ壊れそうだ。デオたちに無事保護してもらっているといいのだが。

「アゼス殿下」

 ピチカはこわばった表情のままアゼスを見た。
 
「ヴィンセント様を得るために、私を人質にでもするおつもりですか? けれどこんな方法では、ヴィンセント様は殿下に反発するだけです」
「ヴィンセント? ああ、ヴィンセントか。確かに彼が私のところに来てくれれば心強いと思う。だが今日、君をここに連れてきたのはヴィンセントとは関係ないんだよ」
「え?」

 予期していなかった言葉にピチカは固まる。ヴィンセントが関係ないのなら自分が何故狙われたのか分からず、混乱と不安が胸に押し寄せてきた。
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