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マドーラの革命(3)
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マドーラ公爵邸は、白と若葉色の外壁の爽やかな印象の屋敷だ。屋根や窓枠は黒く、近年全面改築されてデザインは新しい。
しかしこの規模の屋敷を改築したということはそれなりの費用が掛かっているので、反乱を起こそうとしている若者の中には、改築費用を補うために『戦争に備えるための徴税』を行ったのではないかと考える者もいる。
そんな疑いを持たれているとは知らず、屋敷の主のマドーラ公爵パッシェは、妻と息子、娘と共に夕食に舌鼓を打っていた。
「マーカスもやっと結婚を考えてくれて嬉しいわ。たくさん縁談の話はあったのに、どれも断るんですもの」
パッシェの妻であるカルメは、フォークとナイフを動かす手を止めて息子に話しかけた。
「母さんが紹介してくる貴族の娘は、みんなプライドが高くてどうも好きになれなかったからね」
「まぁ、この際相手が庶民でもいい。後継ぎさえ作ってくれれば」
しわがれた声で言ったのはパッシェだ。パッシェは御年七十一になるマドーラ公爵で、細身の体にきちっとした上等な黒い貴族服を身につけている。髪と同じく白い口髭もしっかり整えられていて、眼鏡をかけ、古風で冷厳な雰囲気を醸し出していた。
カルメも少し古めかしいデザインの深緑色のドレスをまとい、白髪の混じり始めたグレーの髪を綺麗に結って、真珠の耳飾りをつけていた。
「私がテレジアを見つけたのよ。お兄様は私に感謝してよね」
まだ若い末娘のレジーナは、はしゃいで言う。
「ねぇ、ところで私も気になる人ができたんだけど――」
頬を赤らめたレジーナが両親に打ち明けようとしたが、そこでマーカスが割って入った。
「そういえばテレジアの村に……あの……」
「どうした? 歯切れの悪い」
言い淀んでいるマーカスを見て、パッシェが片眉を上げる。
「私は忙しいんだ。報告したいことがあるなら早く話しなさい」
「いや、あの、テレジアの村で……、アイラ殿下によく似た少年を見つけて……思わず逃げたんだけども……」
「……何? アイラ殿下?」
パッシェの声が一段鋭く、大きくなる。するとマーカスはおどおどと早口になって喋った。
「いやいや、でもたぶん見間違えだったと思う。よく似た他人だよ。隣にアイラ殿下の奴隷も一緒にいたけど……あの目立つ金髪の、美形のやつ。でもテレジアの村にいたのは黒髪だったし、やっぱりそっくりの別人だと思う」
そこまで行ってハハハと乾いた笑いを漏らしたところで、屋敷の外がにわかに騒がしくなった。突然、大きな何かが破壊されたかのような金属音が耳をつんざく。
「何だ?」
公爵一家は揃って窓の方を向く。部屋で給仕をしていた執事も窓に近づき、日が落ちて暗い外を確認した。
次に聞こえたのは男の――屋敷を警備している騎士たちの悲鳴だ。
訓練された騎士たちが悲鳴を上げることはそうそうない。何かとんでもないことが起きているのではと思ってパッシェも立ち上がった。実際、騎士たちが持っているであろうランプが、暗闇の中で空中の高い位置にいくつも浮いている。
「何が起きてる」
と、そこで騎士が一人慌てて食堂に入ってきてこう告げる。
「閣下! 表で魔法使いが暴れています! 最初は分かりませんでしたが、あの力からしておそらくアイラ殿下だと……」
「何?」
パッシェは顔をしかめたが、それと同時に安堵した。未知の敵が襲来したのではないと分かったからだ。しかしマーカスやレジーナは「ひぃ」と情けない声を上げて顔を青くしている。
パッシェが急いで玄関から外に出ると、破壊された金属製の門が吹っ飛んでいて、門があった場所には黒髪で男装したアイラが立っていた。アイラの奴隷だったルルもそばにいる。
アイラは片手を上げて騎士たちを宙に持ち上げていた。騎士たちは三十人近くいるが、全員アイラの頭上高くにふわふわと浮いていて、悲鳴を上げている。
「あ、パッシェ」
家から出てきたパッシェに気づくと、アイラは人形のように可愛らしい顔で無邪気に言う。
「こいつらに攻撃を止めろと命令してくれ。侵入者だと言って私を捕まえようとしてくるんだ」
パッシェがその通りに指示すると、アイラは騎士たちを地上に下ろした。そして自分よりずっと年上のパッシェに向かって尊大に言う。
「ここに着くまで思ったより時間がかかって疲れた。私は足を怪我してるのに。とりあえず中に入れろ。休みたい」
魔力を操るこの元王女を追い返すことはできないと分かっていたので、パッシェはただその要求を受け入れた。
「どうぞ。お望み通りに」
アイラが通されたのは食堂だ。アイラとルルが夕食をまだ食べていないと伝えると食事を用意してくれることになった。
食堂には公爵一家が揃っていて、引きつった顔をしてアイラを出迎えた。しかしパッシェだけは落ち着いた様子でアイラに椅子を勧める。
「や、やはり村にいたのはアイラ殿下だったのですか……。一体どうしてそんな恰好を……」
マーカスは恐る恐るといった様子でアイラに近づいてきて言った。
「どうしてって、私は逃亡中だからな。庶民の服を着て男装でもしないと正体を隠せないだろ」
「そ、そうですか」
マーカスからすると、元王族だった人間が逃亡中と言えど粗末な服を着るなんて信じられないのかもしれない。自分だったらできないし、王族は自分たち以上にプライドが高い人間だから尚更できないはずと思ったのだろう。
椅子に座ると、アイラは単刀直入に言った。
「お前たち、殺されるかもしれないぞ。領民が反乱を企てている」
「え?」
「何を……」
レジーナやマーカスは驚き、カルメは息をのんだが、やはりパッシェだけは冷静だった。眼鏡をかけ直しながら言う。
「思い当たるとすれば、最近徴税を行ったことでしょうか。領民の負担はかなり大きいだろうと分かっていました」
「それだけじゃない。他の理由もあって若者の不満が募っていったようだ。例えばマーカスの結婚もそう」
アイラの後ろに控えて立っているルルは、黙って成り行きを見守っていた。
アイラはマーカスを見て言う。
「お前、婚約者のいる娘を嫁に貰おうとしているだろ? それで婚約者とその仲間たちは怒ってる。もちろん本人も」
「婚約者?」
寝耳に水といった様子で聞き返したのはパッシェだ。カルメも驚いた表情をしているので、マーカスの結婚相手に婚約者がいたのは知らなかったようだ。
パッシェやカルメは、結婚相手は喜んで公爵家に嫁いでくるという想像をしていたのかもしれない。
「まぁ、婚約者はいたかもしれない」
マーカスとレジーナは、一応後ろめたいという気持ちはあるのか視線を泳がせて下を向いた。
アイラは続けて言う。
「あとは聖女がエストラーダ革命を成功させたこと、恐怖の対象だった王族がもういないことも若者たちを後押ししてる」
「聖女め」
忌々しそうに呟いたのはマーカスだ。パッシェも聖女と聞くと少し不快そうに眉根を寄せた。王族との繋がりを大事にし、王族に媚を売ってきた公爵一家にとって、その王族の権力を失わせた聖女は腹立たしい存在なのだろう。革命前に王から優遇されていた者ほど、聖女のことを嫌うものだ。
「それで反乱の首謀者と人数は? 彼らはいつ襲ってくるつもりですか?」
淡々と尋ねてくるパッシェに、アイラも同じような調子で答える。
「首謀者は……まぁ秘密にしておく。人数は百人くらいだったかな。襲撃の日は明日って言ってたけど、変わるかも」
「そうですか」
パッシェはそこで騎士を一人部屋に呼び出すと、彼に警備を強化するよう伝えた。騎士は頷いて迅速に部屋を出ていく。
「うちの騎士たちは優秀なので戦いの素人百人程度なら退けられるでしょう。日々の訓練だけは真面目にさせていますから」
「お飾りの騎士じゃないってことだな」
「いつ何が起きるか分かりませんし、常に警戒はしています。騎士が弱くて役立たずだと、私や家族の身の安全が一番に脅かされますしね」
「領民の安全もな」
「そうです」
パッシェはそこで「ところで」と話題を変えると、眼鏡の奥からアイラを見て言う。
「殿下は……いや、今はもう殿下ではありませんね。アイラ様はカボチャがお嫌いだったはず。そしてマドーラの生ハムを気に入ってくださっていたと記憶しています」
「ああ、そうだ。カボチャのことまでよく覚えてるな」
「王族の方々の嗜好は把握しています。食事はすぐに出来上がりますので、もう少しお待ちください。入浴の準備も進めていますし、いつでも休めるよう部屋も整えてあります」
「準備がいいな」
アイラは少し驚いて返した。するとパッシェはこともなげに続ける。
「あなた様がここへ来るかもという予想はして、少し前から部屋は用意しておりました。ポルティカで聖女に見つかったという噂を聞いたものですから、マドーラに逃げてこられる可能性は高いと」
「そうなのか」
「ええ。ポルティカからザリオに向かう安全な道は一つしかありませんから、ザリオに向かえば待ち伏せされる。そうなると地理的にこちらへ来るしかありません」
「お前ってやっぱり……」
アイラは感心して呟いた。パッシェは決して愚鈍ではない、賢いと思ったのだ。
歴代のマドーラ家の人間は領主としての能力も商才も低かったようだが、パッシェはわりと領主の才能がある方だと感じる。
実際、農業を細々とやっていたところに新たに養豚業を起こし、マドーラを豊かにした。王族と血縁関係がある公爵、という地位にあぐらをかいているだけではないと思うのだ。
自分の利益になることを貪欲に求め、勉強できる。そして自分に降りかかるかもしれない危険や面倒事を察知して対策できる賢さをパッシェは持っている。
アイラは満足げにニッと笑うと、テーブルに身を乗り出してパッシェに言う。
「食事を取ったら、風呂より先に徴税のことについて聞かせてくれ。戦争に備えてという名目で集めたらしいが、お前が隣国との戦争をどのくらい懸念しているのか知りたい」
するとパッシェは珍しく驚きをあらわに目を丸くした。
「……アイラ様にそういうことを聞かれるとは思いませんでした。城を出て……あの両親の元から離れて変わられたのですね」
大きく見開いていた目を穏やかに細めると、パッシェは真面目にアイラの質問に答え始めたのだった。
夜も更け、アイラとルルは風呂に入った後、用意された寝室で就寝の準備をしていた。アイラは鏡台の前に座り、ルルに髪をとかされながら呟く。
「パッシェと話すの、結構面白かったな。あいつも色々なことを知ってる」
「この歳までずっとマドーラの領主をやられていて、経験も豊富ですしね」
「パッシェって城に来ても父上たちの機嫌を取っていただけで、それ以外は当たり障りのない話をしてたから、楽しくないやつだと思ってた。でもちゃんと話すと賢いし、面白いやつだったんだな。特に畜産と農業のことは詳しいし」
「そうですね」
ルルはアイラの髪を撫でて頷く。
「とはいえ、本当に頭が良ければ領民から反乱を起こされたりはしないよな。ヘクターみたいに自分の悪い部分は隠して、領民から親しまれるために良い領主を演じることができるはずだ」
拷問を趣味とするグレイストーン領主の穏やかだが底知れない笑みを思い出し、アイラはちょっぴり鳥肌を立てた。ヘクターとパッシェ、どちらの方が悪人かと聞かれたらアイラは迷わずヘクターだと答える。
髪が整うと、アイラはあくびをして立ち上がった。
「はぁ、疲れた。今日はほぼ一日歩きっぱなしだったし、パッシェに色々聞いて頭を使ったからな。久しぶりの柔らかいベッドだし、早く寝よう」
準備されていたひらひらとしたワンピースのような寝間着を着たアイラが、倒れ込むようにしてベッドに寝転んだ――その時だった。
外から多くの人の声がして騒がしくなったと思ったら、レジーナが慌てて部屋の扉をノックしてきた。
「ア、アイラ様! 大変ですッ! 反乱を起こした領民が屋敷に詰めかけてきていて……! た、助けてくださいますよね!?」
「あれ? 計画では明日だったのに」
予定を変更したのかと思いながらアイラはベッドから起き上がり、ルルにカーディガンを羽織らせてもらってからのんびり廊下に出ていく。
「今から寝るところだったのにな」
「アイラ様、急いでください! 屋敷に侵入されてしまいますっ」
取り乱しているレジーナに急かされながら歩く。
「お前、何をそんなに慌ててるんだ。テレジアとジスの結婚の邪魔しておきながら報復される覚悟はしてなかったのか?」
「だって庶民が公爵一家に報復なんて……っ、普通は考えもしないでしょう!? 身分が違い過ぎるのに!」
「革命以前はそうだったかもしれないけどさ」
レジーナに返事をしながら玄関を出ると、確かに門の内側にベルトたち若者の集団が入り込んできていた。
数時間前にアイラが門扉を吹っ飛ばしてしまったので、門は役割をはたしていなかったのだ。代わりに公爵に仕える騎士たちが灯りと武器を持った若者たちを止めている。
おそらく普段より厳重に屋敷を警備してたらしく、騎士たちは五十人程度集まっていた。一方、若者たちは五十人より多いが百人には満たない数だ。
「思ったより人数が少なく見えるな」
「土壇場で怖気づいた者が何人もいるのかもしれないですね」
暗闇で騎士と揉めている若者たちを、目を凝らして眺めながらアイラとルルが言う。ほとんどの若者は公爵家に強い憎しみを抱いているわけではないのだから、「やっぱりやめる」という者が出てもおかしくはない。
しかしこの規模の屋敷を改築したということはそれなりの費用が掛かっているので、反乱を起こそうとしている若者の中には、改築費用を補うために『戦争に備えるための徴税』を行ったのではないかと考える者もいる。
そんな疑いを持たれているとは知らず、屋敷の主のマドーラ公爵パッシェは、妻と息子、娘と共に夕食に舌鼓を打っていた。
「マーカスもやっと結婚を考えてくれて嬉しいわ。たくさん縁談の話はあったのに、どれも断るんですもの」
パッシェの妻であるカルメは、フォークとナイフを動かす手を止めて息子に話しかけた。
「母さんが紹介してくる貴族の娘は、みんなプライドが高くてどうも好きになれなかったからね」
「まぁ、この際相手が庶民でもいい。後継ぎさえ作ってくれれば」
しわがれた声で言ったのはパッシェだ。パッシェは御年七十一になるマドーラ公爵で、細身の体にきちっとした上等な黒い貴族服を身につけている。髪と同じく白い口髭もしっかり整えられていて、眼鏡をかけ、古風で冷厳な雰囲気を醸し出していた。
カルメも少し古めかしいデザインの深緑色のドレスをまとい、白髪の混じり始めたグレーの髪を綺麗に結って、真珠の耳飾りをつけていた。
「私がテレジアを見つけたのよ。お兄様は私に感謝してよね」
まだ若い末娘のレジーナは、はしゃいで言う。
「ねぇ、ところで私も気になる人ができたんだけど――」
頬を赤らめたレジーナが両親に打ち明けようとしたが、そこでマーカスが割って入った。
「そういえばテレジアの村に……あの……」
「どうした? 歯切れの悪い」
言い淀んでいるマーカスを見て、パッシェが片眉を上げる。
「私は忙しいんだ。報告したいことがあるなら早く話しなさい」
「いや、あの、テレジアの村で……、アイラ殿下によく似た少年を見つけて……思わず逃げたんだけども……」
「……何? アイラ殿下?」
パッシェの声が一段鋭く、大きくなる。するとマーカスはおどおどと早口になって喋った。
「いやいや、でもたぶん見間違えだったと思う。よく似た他人だよ。隣にアイラ殿下の奴隷も一緒にいたけど……あの目立つ金髪の、美形のやつ。でもテレジアの村にいたのは黒髪だったし、やっぱりそっくりの別人だと思う」
そこまで行ってハハハと乾いた笑いを漏らしたところで、屋敷の外がにわかに騒がしくなった。突然、大きな何かが破壊されたかのような金属音が耳をつんざく。
「何だ?」
公爵一家は揃って窓の方を向く。部屋で給仕をしていた執事も窓に近づき、日が落ちて暗い外を確認した。
次に聞こえたのは男の――屋敷を警備している騎士たちの悲鳴だ。
訓練された騎士たちが悲鳴を上げることはそうそうない。何かとんでもないことが起きているのではと思ってパッシェも立ち上がった。実際、騎士たちが持っているであろうランプが、暗闇の中で空中の高い位置にいくつも浮いている。
「何が起きてる」
と、そこで騎士が一人慌てて食堂に入ってきてこう告げる。
「閣下! 表で魔法使いが暴れています! 最初は分かりませんでしたが、あの力からしておそらくアイラ殿下だと……」
「何?」
パッシェは顔をしかめたが、それと同時に安堵した。未知の敵が襲来したのではないと分かったからだ。しかしマーカスやレジーナは「ひぃ」と情けない声を上げて顔を青くしている。
パッシェが急いで玄関から外に出ると、破壊された金属製の門が吹っ飛んでいて、門があった場所には黒髪で男装したアイラが立っていた。アイラの奴隷だったルルもそばにいる。
アイラは片手を上げて騎士たちを宙に持ち上げていた。騎士たちは三十人近くいるが、全員アイラの頭上高くにふわふわと浮いていて、悲鳴を上げている。
「あ、パッシェ」
家から出てきたパッシェに気づくと、アイラは人形のように可愛らしい顔で無邪気に言う。
「こいつらに攻撃を止めろと命令してくれ。侵入者だと言って私を捕まえようとしてくるんだ」
パッシェがその通りに指示すると、アイラは騎士たちを地上に下ろした。そして自分よりずっと年上のパッシェに向かって尊大に言う。
「ここに着くまで思ったより時間がかかって疲れた。私は足を怪我してるのに。とりあえず中に入れろ。休みたい」
魔力を操るこの元王女を追い返すことはできないと分かっていたので、パッシェはただその要求を受け入れた。
「どうぞ。お望み通りに」
アイラが通されたのは食堂だ。アイラとルルが夕食をまだ食べていないと伝えると食事を用意してくれることになった。
食堂には公爵一家が揃っていて、引きつった顔をしてアイラを出迎えた。しかしパッシェだけは落ち着いた様子でアイラに椅子を勧める。
「や、やはり村にいたのはアイラ殿下だったのですか……。一体どうしてそんな恰好を……」
マーカスは恐る恐るといった様子でアイラに近づいてきて言った。
「どうしてって、私は逃亡中だからな。庶民の服を着て男装でもしないと正体を隠せないだろ」
「そ、そうですか」
マーカスからすると、元王族だった人間が逃亡中と言えど粗末な服を着るなんて信じられないのかもしれない。自分だったらできないし、王族は自分たち以上にプライドが高い人間だから尚更できないはずと思ったのだろう。
椅子に座ると、アイラは単刀直入に言った。
「お前たち、殺されるかもしれないぞ。領民が反乱を企てている」
「え?」
「何を……」
レジーナやマーカスは驚き、カルメは息をのんだが、やはりパッシェだけは冷静だった。眼鏡をかけ直しながら言う。
「思い当たるとすれば、最近徴税を行ったことでしょうか。領民の負担はかなり大きいだろうと分かっていました」
「それだけじゃない。他の理由もあって若者の不満が募っていったようだ。例えばマーカスの結婚もそう」
アイラの後ろに控えて立っているルルは、黙って成り行きを見守っていた。
アイラはマーカスを見て言う。
「お前、婚約者のいる娘を嫁に貰おうとしているだろ? それで婚約者とその仲間たちは怒ってる。もちろん本人も」
「婚約者?」
寝耳に水といった様子で聞き返したのはパッシェだ。カルメも驚いた表情をしているので、マーカスの結婚相手に婚約者がいたのは知らなかったようだ。
パッシェやカルメは、結婚相手は喜んで公爵家に嫁いでくるという想像をしていたのかもしれない。
「まぁ、婚約者はいたかもしれない」
マーカスとレジーナは、一応後ろめたいという気持ちはあるのか視線を泳がせて下を向いた。
アイラは続けて言う。
「あとは聖女がエストラーダ革命を成功させたこと、恐怖の対象だった王族がもういないことも若者たちを後押ししてる」
「聖女め」
忌々しそうに呟いたのはマーカスだ。パッシェも聖女と聞くと少し不快そうに眉根を寄せた。王族との繋がりを大事にし、王族に媚を売ってきた公爵一家にとって、その王族の権力を失わせた聖女は腹立たしい存在なのだろう。革命前に王から優遇されていた者ほど、聖女のことを嫌うものだ。
「それで反乱の首謀者と人数は? 彼らはいつ襲ってくるつもりですか?」
淡々と尋ねてくるパッシェに、アイラも同じような調子で答える。
「首謀者は……まぁ秘密にしておく。人数は百人くらいだったかな。襲撃の日は明日って言ってたけど、変わるかも」
「そうですか」
パッシェはそこで騎士を一人部屋に呼び出すと、彼に警備を強化するよう伝えた。騎士は頷いて迅速に部屋を出ていく。
「うちの騎士たちは優秀なので戦いの素人百人程度なら退けられるでしょう。日々の訓練だけは真面目にさせていますから」
「お飾りの騎士じゃないってことだな」
「いつ何が起きるか分かりませんし、常に警戒はしています。騎士が弱くて役立たずだと、私や家族の身の安全が一番に脅かされますしね」
「領民の安全もな」
「そうです」
パッシェはそこで「ところで」と話題を変えると、眼鏡の奥からアイラを見て言う。
「殿下は……いや、今はもう殿下ではありませんね。アイラ様はカボチャがお嫌いだったはず。そしてマドーラの生ハムを気に入ってくださっていたと記憶しています」
「ああ、そうだ。カボチャのことまでよく覚えてるな」
「王族の方々の嗜好は把握しています。食事はすぐに出来上がりますので、もう少しお待ちください。入浴の準備も進めていますし、いつでも休めるよう部屋も整えてあります」
「準備がいいな」
アイラは少し驚いて返した。するとパッシェはこともなげに続ける。
「あなた様がここへ来るかもという予想はして、少し前から部屋は用意しておりました。ポルティカで聖女に見つかったという噂を聞いたものですから、マドーラに逃げてこられる可能性は高いと」
「そうなのか」
「ええ。ポルティカからザリオに向かう安全な道は一つしかありませんから、ザリオに向かえば待ち伏せされる。そうなると地理的にこちらへ来るしかありません」
「お前ってやっぱり……」
アイラは感心して呟いた。パッシェは決して愚鈍ではない、賢いと思ったのだ。
歴代のマドーラ家の人間は領主としての能力も商才も低かったようだが、パッシェはわりと領主の才能がある方だと感じる。
実際、農業を細々とやっていたところに新たに養豚業を起こし、マドーラを豊かにした。王族と血縁関係がある公爵、という地位にあぐらをかいているだけではないと思うのだ。
自分の利益になることを貪欲に求め、勉強できる。そして自分に降りかかるかもしれない危険や面倒事を察知して対策できる賢さをパッシェは持っている。
アイラは満足げにニッと笑うと、テーブルに身を乗り出してパッシェに言う。
「食事を取ったら、風呂より先に徴税のことについて聞かせてくれ。戦争に備えてという名目で集めたらしいが、お前が隣国との戦争をどのくらい懸念しているのか知りたい」
するとパッシェは珍しく驚きをあらわに目を丸くした。
「……アイラ様にそういうことを聞かれるとは思いませんでした。城を出て……あの両親の元から離れて変わられたのですね」
大きく見開いていた目を穏やかに細めると、パッシェは真面目にアイラの質問に答え始めたのだった。
夜も更け、アイラとルルは風呂に入った後、用意された寝室で就寝の準備をしていた。アイラは鏡台の前に座り、ルルに髪をとかされながら呟く。
「パッシェと話すの、結構面白かったな。あいつも色々なことを知ってる」
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「パッシェって城に来ても父上たちの機嫌を取っていただけで、それ以外は当たり障りのない話をしてたから、楽しくないやつだと思ってた。でもちゃんと話すと賢いし、面白いやつだったんだな。特に畜産と農業のことは詳しいし」
「そうですね」
ルルはアイラの髪を撫でて頷く。
「とはいえ、本当に頭が良ければ領民から反乱を起こされたりはしないよな。ヘクターみたいに自分の悪い部分は隠して、領民から親しまれるために良い領主を演じることができるはずだ」
拷問を趣味とするグレイストーン領主の穏やかだが底知れない笑みを思い出し、アイラはちょっぴり鳥肌を立てた。ヘクターとパッシェ、どちらの方が悪人かと聞かれたらアイラは迷わずヘクターだと答える。
髪が整うと、アイラはあくびをして立ち上がった。
「はぁ、疲れた。今日はほぼ一日歩きっぱなしだったし、パッシェに色々聞いて頭を使ったからな。久しぶりの柔らかいベッドだし、早く寝よう」
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「あれ? 計画では明日だったのに」
予定を変更したのかと思いながらアイラはベッドから起き上がり、ルルにカーディガンを羽織らせてもらってからのんびり廊下に出ていく。
「今から寝るところだったのにな」
「アイラ様、急いでください! 屋敷に侵入されてしまいますっ」
取り乱しているレジーナに急かされながら歩く。
「お前、何をそんなに慌ててるんだ。テレジアとジスの結婚の邪魔しておきながら報復される覚悟はしてなかったのか?」
「だって庶民が公爵一家に報復なんて……っ、普通は考えもしないでしょう!? 身分が違い過ぎるのに!」
「革命以前はそうだったかもしれないけどさ」
レジーナに返事をしながら玄関を出ると、確かに門の内側にベルトたち若者の集団が入り込んできていた。
数時間前にアイラが門扉を吹っ飛ばしてしまったので、門は役割をはたしていなかったのだ。代わりに公爵に仕える騎士たちが灯りと武器を持った若者たちを止めている。
おそらく普段より厳重に屋敷を警備してたらしく、騎士たちは五十人程度集まっていた。一方、若者たちは五十人より多いが百人には満たない数だ。
「思ったより人数が少なく見えるな」
「土壇場で怖気づいた者が何人もいるのかもしれないですね」
暗闇で騎士と揉めている若者たちを、目を凝らして眺めながらアイラとルルが言う。ほとんどの若者は公爵家に強い憎しみを抱いているわけではないのだから、「やっぱりやめる」という者が出てもおかしくはない。
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そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
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