上 下
48 / 63

船の中(1)

しおりを挟む
 アイラは今まで恋をしたことがない。だから好きな相手と「もう会うな」と言われても納得できない気持ちや、悪い人間だと言われても信じられない気持ちは正確には理解できない。
 だから、昨晩忠告したからティアはもう大丈夫だと少し安心していた。
 しかしティアはファザドのことをそう簡単には諦められなかったようだ。

 今日はサチが王都からやって来る日なので、アイラとルルは遅めの朝食を取った後、出かける準備をしていた。

「今日はサチが来るから早めに起きてねって言っていたのに、結局のんびり寝ていたわね。もうすぐ十一時よ」

 カトリーヌはルルに帽子を被せてもらっているアイラを見ながら言う。

「さぁ、急いで。もしもサチが早めに出発していたり、移動が順調だったらそろそろ着いてもおかしくないわよ」
「分かった」

 と言いながらアイラは特別急ぐ様子はない。サチに出くわしても逃げ切れるだろうという自信があるからだ。
 しかしカトリーヌは心配らしい。

「気をつけてね、殿下。サチがポルティカにいる間はあまり街をうろつかないようにね。聖女様に見つからないでよ」
「分かってる」

 カトリーヌとアイラがそんな会話をしながら玄関に向かっていた時だった。女性の使用人がぱたぱたとこちらに駆けてくると、カトリーヌに頭を下げてからアイラに話しかける。

「お出かけのところ申し訳ありません。出発される前に、ティアからの伝言を伝えさせてください」
「伝言?」

 立ち止まったアイラに使用人は続ける。

「はい。ティアは今日は仕事が休みなので、先ほど出かけて行ったんです。それで彼女はまだ満足に字が書けないので、私に伝言を頼んできました。ええと、『彼は悪い人ではないと思うので、私がちゃんと話を聞いてきます。だから疑わないであげてください』と言っていました」
「ファザドに会いに行ったのか。話を聞いてきますって……」

 伝言を聞いたアイラは少し焦った。身投げ事件のことや、ファザドを犯人かもしれないと疑っていることを本人に話すべきではない。
 
「ティアを探しに行かないと」
「それなら、護衛にうちの騎士を連れて行ったらどう?」 

 カトリーヌはそう提案したが、アイラは断った。

「いや、騎士を連れて街を歩いてたら目立つ」
「もうすぐサチも来ますしね」

 ルルも頷く。ティアの安否を急いで確認したいのに、騎士を連れていたために注目を浴びて、サチや王都の騎士に見つかるという事態は防ぎたい。
 アイラは昨晩ティアが言っていた言葉を思い出して言う。

「デートする時は船で会っていたみたいだし、とりあえず港に行ってみる」
「たとえファザドが殺人犯だったとしても殿下の力があればまず殺されることはないでしょうけど、用心はしてね。私も行きたいけど、ここでサチを出迎えないと。彼女を屋敷に引きつけておいた方が、殿下は自由に動けていいでしょうし」
「うん、そうしてくれ」
 
 カトリーヌと別れて、アイラとルルは屋敷を出て行く。そしてティアやファザドがいないか街を見て回りながら港へと向かった。
 港に着くと、そこには碧い海が広がっていた。最近では身投げ事件の遺族たちがゴミを投げ捨てることもないので、海に近づいても嫌な臭いがするということはない。顔見知りになった遺族の中には、アイラが綺麗な海を見たがっていると知って、自分たちが捨てたゴミを回収してくれた者もいた。
 
「船はあっちの方にたくさん停泊してるな」

 小さな漁船が並んでいる場所もあるが、そことは離れたところに貿易船らしき大きな船がずらりと停まっているのだ。

「あの中のどれかがファザドの船だろう」
「港の作業員に聞いてみましょう」

 一見しただけではどれがファザドのものが分からないので、船を特定するために聞き込みをした。ファザドは毎年この国を訪れていること、それに異国の王子であることもあって、港の作業員にも彼を知っている人間はいた。

「マーディルの王子の船はあれだよ」
「ありがとう」

 教えられた船には確かにマーディルの国旗が掲げてある。

「でかい船だな」

 マーディルからポルティカまでの旅は順調に進んでも一か月以上はかかるだろうから、十分な食料や船員を乗せるためにも大きい船が必要なのだろう。

「ファザドの姿は見当たらないな。船員に聞いてみよう」

 船には、荷物を運び入れたり船の点検をしたりしている船員たちがたくさんいた。何だか忙しない雰囲気だ。
 彼らもファザドと同じく褐色の肌をしているので、皆マーディルの人間らしい。アイラやルルが声をかけても言葉が分からないようだった。ファザドはこの国の言葉を流暢に話していたが、船員たちはそこまでの教養はないのだろう。
 アイラの「ファザドはどこだ?」という簡単な質問なら理解できる者もいたのだが、それに何と答えているのか、今度はアイラたちが理解できなかった。
 この船員たちはおそらくポルティカで起きている身投げ事件のことも知らないだろう。街で事件のことが噂になっていても、彼らは話を理解できないから。

「うーん、何を言ってるか分からない。もういい、行け」

 アイラは身振り手振りで船員に『もういい』と伝え、船に返した。
 そしてコミュニケーションに疲れてため息をつきながら言う。

「ティアが来ているか、勝手に船に入って調べていいかなぁ?」
「それはちょっと……」

 アイラの強引な提案をルルが止めた、その時だった。

「何してるんです?」

 二人の背後にいつの間にかファザドが立っていた。深海のような彼の青い瞳がアイラを見下ろしている。
 アイラは一瞬びっくりしたが、気を取り直して異国の王子に言う。

「ちょうど良かった。ティアを探してるんだ。どこにいる? お前のところに行くと言って屋敷を出たんだ」
「ティアですか」

 ファザドはそこで自分の船を指さして続ける。

「ティアなら船の中にいます。会いに来たんですか? どうぞ」
「うん」

 言われるまま、船に掛かっている梯子を登ろうとするアイラをルルが止めた。

「船の中に入ったら簡単に逃げられませんし、ティアがそこにいる保証もないですよ」
「確かにティアがいる保証はないけど、船の中に入っても簡単に逃げることはできる。私の力があればな。それにティアが本当にいたら放っておくことはできない」

 ひそひそと話すアイラたちの会話が少し聞こえたのか、ファザドが笑う。

「ボク、何か警戒されてますか?」

 アイラたちがファザドを身投げ事件の犯人かもと疑っていること、ティアは話していないのだろうか? ファザドの様子はいつもと変わりなく友好的だった。
 けれどルルは一応ファザドに警告する。

「私やライアがここに来ていることはポルティカ伯爵も知っていますので。もしも私たちが帰らなければ、伯爵は船に人を寄越すでしょう」
「何をそんなに警戒しているのか分からないんですが……」

 ファザドは困惑ぎみに言う。本当に何も分かっていないし、犯人でもないのかもしれない。
 梯子を登って三人で船に乗り込んだところで、ファザドは会話を続ける。

「伯爵と言えば、今日は屋敷にこの国の聖女様が来ると聞きました。どれほど美しい女性なのか、ボクもお会いしてみたかったですね」
「聖女のことを知ってるのか?」
「もちろん。聖女様が革命を起こして、前国王たちが処刑されたのも知っていますよ。貿易相手の国のことくらいはちゃんと調べています。今は聖女様の人気が高くて、国王のアーサー陛下は影が薄いようですね」
「そうだな」

 サチは聖女と呼ばれているだけで何の役職にも就いていないが、国民の支持や人気があるので、今やそれなりの権力を持っている。
 しかし国政の大事な部分を担っているのは、アーサーや大臣たちだろう。彼らが地味だが大事な仕事をこなしていると想像がつくので、アイラは安心している。
 少なくともアイラの親や兄が支配していた時よりは、この国は良い状況にあるのだ。

「聖女様を迎えるとなると、伯爵もしばらくお忙しそうですね。ボクはそろそろここを発つので、挨拶をしておきたかったんですが」

 残念そうに言うファザドに、アイラが返す。

「もう国に帰るのか?」
「ええ。今年は忙しくて。結局ポルティカには二週間ほどしかいられなかったですね。来年はもう少しゆっくりしたいです」
「長い船旅を経てポルティカに着いたのに、また船上での生活に戻るのか。大変だな」
「仕事なので仕方ありません。船での生活は嫌いではないですし。辛いのは、女性がいないことくらいですよ」

 そんな会話をしながら船内の廊下を歩く。港に泊まっているからか、今はほとんど波の揺れは感じない。
 けれど大きな船とはいえ、さすがにカトリーヌの屋敷と比べると狭く、天井も低くて圧迫感がある。人とすれ違うにも、お互い少し体を避けなければいけなかった。

「で、ティアはどこにいる?」
「あそこの部屋ですよ。ボクの部屋なんです」

 ファザドはアイラとルルを船の中の一室に案内すると、にこやかな表情でドアを開けた。
 
「何だ?」

 ドアが開いた途端にむっとするような甘い香りが廊下に流れてきて、アイラは思わず部屋を覗き込んだ。机の上でお香が焚かれているので、あれが匂いの源らしい。
 そして船室の中にはティアと、他にも二人の女性がいて、床やソファーに座り込んでいるのが見えた。彼女たちはなぜか、何もない空を見つめて楽しげにくすくす笑っている。

「ティア?」

 アイラが不審に思った瞬間、後ろからドンと体を押された。アイラの背後にはルルがいたが、ルルごとファザドに押されたようだ。
 床に倒れこんだアイラは、同じく倒れこんできたルルに危うく潰されそうになったが、ルルが床に手をついて自分の体を支えたのでそれは免れた。
 ルルが慌てて言う。

「大丈夫ですか、アイラ?」
「膝がちょっと痛いけど大丈夫だ。ファザドの奴、私を押すなんて」

 腹を立てたアイラが振り返ると同時に、部屋のドアは勢いよく閉められ、鍵をかけられた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

公爵令嬢の狼

三国つかさ
恋愛
公爵令嬢ベアトリスは、家柄・魔力・外見と全てが完璧なお嬢様であるがゆえに、学園内では他の生徒たちから敬遠されていた。その上、権力者の祖父が獣人差別主義者であるために、獣人生徒たちからは恐れられて嫌われている。――だからバレてはいけない。そんなベアトリスが、学園内の森で狼と密会しているなんて。

引きこもり転生エルフ、仕方なく旅に出る

Greis
ファンタジー
旧題:引きこもり転生エルフ、強制的に旅に出される ・2021/10/29 第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞 こちらの賞をアルファポリス様から頂く事が出来ました。 実家暮らし、25歳のぽっちゃり会社員の俺は、日ごろの不摂生がたたり、読書中に死亡。転生先は、剣と魔法の世界の一種族、エルフだ。一分一秒も無駄にできない前世に比べると、だいぶのんびりしている今世の生活の方が、自分に合っていた。次第に、兄や姉、友人などが、見分のために外に出ていくのを見送る俺を、心配しだす両親や師匠たち。そしてついに、(強制的に)旅に出ることになりました。 ※のんびり進むので、戦闘に関しては、話数が進んでからになりますので、ご注意ください。

【完結】婚約破棄したら『悪役令嬢』から『事故物件令嬢』になりました

Mimi
ファンタジー
私エヴァンジェリンには、幼い頃に決められた婚約者がいる。 男女間の愛はなかったけれど、幼馴染みとしての情はあったのに。 卒業パーティーの2日前。 私を呼び出した婚約者の隣には 彼の『真実の愛のお相手』がいて、 私は彼からパートナーにはならない、と宣言された。 彼は私にサプライズをあげる、なんて言うけれど、それはきっと私を悪役令嬢にした婚約破棄ね。 わかりました! いつまでも夢を見たい貴方に、昨今流行りのざまぁを かまして見せましょう! そして……その結果。 何故、私が事故物件に認定されてしまうの! ※本人の恋愛的心情があまり無いので、恋愛ではなくファンタジーカテにしております。 チートな能力などは出現しません。 他サイトにて公開中 どうぞよろしくお願い致します!

生活魔法しか使えない少年、浄化(クリーン)を極めて無双します(仮)(習作3)

田中寿郎
ファンタジー
壁しか見えない街(城郭都市)の中は嫌いだ。孤児院でイジメに遭い、無実の罪を着せられた幼い少年は、街を抜け出し、一人森の中で生きる事を選んだ。武器は生活魔法の浄化(クリーン)と乾燥(ドライ)。浄化と乾燥だけでも極めれば結構役に立ちますよ? コメントはたまに気まぐれに返す事がありますが、全レスは致しません。悪しからずご了承願います。 (あと、敬語が使えない呪いに掛かっているので言葉遣いに粗いところがあってもご容赦をw) 台本風(セリフの前に名前が入る)です、これに関しては助言は無用です、そういうスタイルだと思ってあきらめてください。 読みにくい、面白くないという方は、フォローを外してそっ閉じをお願いします。 (カクヨムにも投稿しております)

追放ですか?それは残念です。最後までワインを作りたかったのですが。 ~新たな地でやり直します~

アールグレイ
ファンタジー
ワイン作りの統括責任者として、城内で勤めていたイラリアだったが、突然のクビ宣告を受けた。この恵まれた大地があれば、誰にでも出来る簡単な仕事だと酷評を受けてしまう。城を追われることになった彼女は、寂寞の思いを胸に新たな旅立ちを決意した。そんな彼女の後任は、まさかのクーラ。美貌だけでこの地位まで上り詰めた、ワイン作りの素人だ。 誰にでも出来る簡単な作業だと高を括っていたが、実のところ、イラリアは自らの研究成果を駆使して、とんでもない作業を行っていたのだ。 彼女が居なくなったことで、国は多大なる損害を被ることになりそうだ。 これは、お酒の神様に愛された女性と、彼女を取り巻く人物の群像劇。

オタクおばさん転生する

ゆるりこ
ファンタジー
マンガとゲームと小説を、ゆるーく愛するおばさんがいぬの散歩中に異世界召喚に巻き込まれて転生した。 天使(見習い)さんにいろいろいただいて犬と共に森の中でのんびり暮そうと思っていたけど、いただいたものが思ったより強大な力だったためいろいろ予定が狂ってしまい、勇者さん達を回収しつつ奔走するお話になりそうです。 投稿ものんびりです。(なろうでも投稿しています)

転生した王妃は親バカでした

ぶるもあきら
恋愛
い、いだーーいぃーー あまりの激痛に目がチカチカする。 それがキッカケの様にある景色が頭にうかぶ、 日本…東京… あれ?私アラフォーのシングルマザーだったよね? 「王妃様、もう少しです!頑張ってください!!」 お、王妃様って!? 誰それ!! てかそれより いだーーーいぃー!! 作家をしながらシングルマザーで息子と2人で暮らしていたのに、何故か自分の書いた小説の世界に入り込んでしまったようだ… しかも性格最悪の大ボスキャラの王妃バネッサに! このままストーリー通りに進むと私には破滅の未来しかないじゃない!! どうする? 大ボスキャラの王妃に転生したアラフォーが作家チートを使いながら可愛い我が子にメロメロ子育てするお話 我が子をただ可愛がっていたらストーリー上では夫婦ながらバネッサを嫌い、成敗するヒーローキャラの国王もなんだか絡んできて、あれれ?これってこんな話だったっけ?? *・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・* 拙い本作品を見つけてくれてありがとうございます。 毎日24時更新予定です。 (寝落ちにより遅れる事多々あり) 誤字脱字がありましたら、そっと教えてくれると嬉しいです。

辺境領主は大貴族に成り上がる! チート知識でのびのび領地経営します

潮ノ海月@書籍発売中
ファンタジー
旧題:転生貴族の領地経営~チート知識を活用して、辺境領主は成り上がる! トールデント帝国と国境を接していたフレンハイム子爵領の領主バルトハイドは、突如、侵攻を開始した帝国軍から領地を守るためにルッセン砦で迎撃に向かうが、守り切れず戦死してしまう。 領主バルトハイドが戦争で死亡した事で、唯一の後継者であったアクスが跡目を継ぐことになってしまう。 アクスの前世は日本人であり、争いごとが極端に苦手であったが、領民を守るために立ち上がることを決意する。 だが、兵士の証言からしてラッセル砦を陥落させた帝国軍の数は10倍以上であることが明らかになってしまう 完全に手詰まりの中で、アクスは日本人として暮らしてきた知識を活用し、さらには領都から避難してきた獣人や亜人を仲間に引き入れ秘策を練る。 果たしてアクスは帝国軍に勝利できるのか!? これは転生貴族アクスが領地経営に奮闘し、大貴族へ成りあがる物語。

処理中です...