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元奴隷(1)
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グレイストーンを出たアイラたちは、エストラーダ国の最南にある港街ポルティカを目指している。
小さな荷車を母馬が引き、アイラとルル、そして子馬はその隣を歩いた。
グレイストーンでは王都の騎士や街の住民たちに正体がバレて、変装していることに気づかれてしまったので、アイラとルルはまた魔法で髪の色を変えた。今度は無難な茶色だ。この国で一番ありふれている色を選んだ。
そしてアイラは伯爵に買ってもらったキャスケット帽を目深に被って顔を隠している。
「もうすぐ着くか?」
「まだまだですよ」
アイラの問いかけにルルが返す。
「何故だ? ヘクターの馬車で送ってもらったからかなりの距離を稼げただろう? その後も丸一日こうやって歩いているわけだし」
「それでやっとポルティカまで半分というところですよ。あまり急いで怪しまれないように馬車はスピードが出せませんでしたし、アイラは歩くのが遅いので。それにあなたが思っているよりこの国は広いんです」
「そうなのか」
アイラはそう言うと、帽子のつばを持ち上げ、ふと空を見上げた。雲一つない青空も途方もなく広く思える。城から眺める狭い空とは違って見えた。
「ちゃんと前を見ないと転びますよ」
ルルに注意されながらも、アイラはしばらく空を見て歩いたのだった。
そして夕方、アイラたちはとある町に辿り着いた。今日はここで宿を取り、体を休める予定だ。町はそれほど大きくないが、街道沿いにあるということもあり、旅人もよく立ち寄る。宿もいくつかありそうだ。
「人に紛れるために滞在するなら大きな街がいいんですけどね」
「でも昨日も野宿だったし、私はお風呂に入りたい。何日も不潔なままでいるなんて考えられない。……お、あそこでお菓子を売ってる。マフィンもあるぞ。買って食べよう」
「もうすぐ晩ごはんだから駄目です」
そんなことを言いながら町の通りを歩いていると、その脇にある薄暗い路地に人影が見えた。
一人はアイラより二、三歳ほど幼い少年で、路地の地面にうずくまるようにして座り込んでいる。もう一人はルルと同じ歳くらいの女性で、少年を心配そうに介抱していた。
「頬が腫れてる。殴られたみたいだ。それに泣いてる」
アイラはちらりと見えた少年を見て言い、足を止めた。
「首を突っ込まないでくださいよ」
ルルはそう忠告したものの、アイラはずんずん路地に入っていく。まだ子供と言っていい歳の少年が痛々しく頬を腫らして泣いている様子に胸が痛んだ――という訳ではなかったが、弱い存在が虐げられているとムカッとするのだ。
「どうした?」
アイラが仁王立ちして尋ねると、少年と女性は突然現れた偉そうな美少年にちょっと戸惑ったようだった。
「……だ、誰ですか?」
少年は薄茶色の短い髪をしていて、ひょろりと細い。手や足には細かい傷跡がいくつかあり、服は泥で汚れている。
女性の方も髪の色は薄茶色だが、長さは鎖骨の辺りまである。顔立ちは悪くない。優しげで綺麗だ。
しかし二人とも粗末な服を着ていた。一般庶民が着ているものとデザインは変わらないが、少年のズボンには破れた穴を縫ったような跡があるし、何度も洗ったせいか襟元が伸びているのだ。女性のワンピースも誰かから譲ってもらったものなのか、サイズが微妙に合っていない上に着古した感がある。
「何があったんだ? 言ってみろ」
「……いえ、あの……」
「もたもたするな。私の時間を無駄にするんじゃない」
心配してくれているのかいないのかよく分からない態度に、少年たちはさらに困惑する。
とそこへ、路地の入口に馬を置いてルルもやって来た。ルルはアイラに耳打ちする。
「アイラ、彼らは奴隷ですよ。……いえ、奴隷はこの国からいなくなったので元奴隷ですね」
アイラたちがグレイストーンで伯爵の屋敷に滞在している間に、一ヵ月の猶予期間を経て、奴隷制度は正式に廃止されたのだ。だからこの国にはもう奴隷はいない。
ルルは彼らを奴隷だと思った根拠の説明を続ける。
「少年のうなじに刺青が見えます。女性の方は髪が邪魔で見えませんが、あの自信なさげな様子や身に着けている服からして、彼女もきっと元奴隷でしょう」
「元奴隷……」
アイラの呟きは少年たちにも聞こえたらしく、彼らは少し身構えた。奴隷だったと気づかれることは、嬉しいことではないのだろう。
しかし緊張気味だった少年は、次の瞬間ハッとして表情を緩めた。
「あ! あなた、グレイストーンで見た……! あれ? でも髪の色は黒だったような……記憶違いかな」
首を傾げる少年にアイラが尋ねる。
「グレイストーン? お前たちもグレイストーンにいたのか?」
「はい! 元々グレイストーンの商人のお屋敷で働いていたんですけど、奴隷制度の廃止でお屋敷を出てきたんです」
「ふーん」
少年のこれまでの事情にはあまり興味がないアイラに、ルルがまた小声で言う。
「ああ、分かりました。グレイストーンに着いた初日に、マフィンを食べているアイラを羨ましそうに見ていた少年ですよ」
「そうか?」
いまいち思い出せないアイラだったが、目の前の少年の足元に潰れたマフィンがあるのには気づいた。まるで誰かに踏みつぶされたかのような潰れ方だ。
「そのマフィン、どうしたんだ? マフィンはそうやって潰すものじゃない。食べるものなんだぞ」
「し、知ってます。これはちょっと色々あって……」
腫れた頬を押さえながら、少年は悲しそうにマフィンを見る。
一方、女性は少年の代わりに話し出した。
「先ほどこの町の不良たちに襲われて……弟が買ったマフィンも踏みつけられたんです。元奴隷がお菓子を食べるなんて生意気だと」
「お前たち姉弟なのか。そういえばよく似てる」
「ええ、私の名前はティア、弟はトーイと申します。あなた方もご兄弟ですか?」
「そうです。私はルル、弟はライアです」
答えたのはルルだ。この元奴隷の姉弟はグレイストーンにいたらしいが、そこでアイラが起こした騒ぎを知らないのか、知っていても、今目の前にいるアイラの正体には気づいていないようだった。
ティアは疲れたように眉を垂らして説明を続ける。
「私たち仕事を求めてグレイストーンを出たんです。元の主人は賃金を払ってまで元奴隷を雇い続けてはくれませんでしたから」
奴隷は寝床と食事を与えるだけでいいが、一般庶民となった元奴隷を働かせるには給料をやらねばならない。奴隷が奴隷でなくなれば、主人の負担も増える。
一方、奴隷は解放されれば喜んで主人の元から離れるかと思いきや、住む場所も仕事もなくなるからと、そのまま雇ってもらうことを望む者も多いようだ。ティアたちもそうだったのかもしれない。
ティアは元主人のことを庇いつつ続ける。
「あ、でも元の主人は良い方だったんですよ。私たち奴隷を酷く扱うことはしませんでした。それに奴隷という身分でなくなった私たちを雇えずに、屋敷から出て行かせることを申し訳なく思ってくれていたようです」
ティアたちの主人は一般庶民よりは裕福だったようだが、何人も使用人を増やすほどの余裕はなかったのだろう。
「元の主人にそのまま雇ってもらえればよかったのですが、こればかりは仕方ありません」
「けど、仕事が欲しいならグレイストーンにいた方がよかったんじゃないか? あそこは葡萄園もたくさんあるし、大きな街だ。探せば仕事はあるだろ?」
アイラの言葉に、ティアは首を横に振った。
「大きな街だからこそ、他の町からも仕事を求めて元奴隷たちがやって来ているのです。それほど体力があるわけでもない私や、まだ子供と言ってもいい年齢の弟にできる仕事は限られていますし、グレイストーンでは需要に対して働き手が多いと思って街を出ました。逆に小さな町に行ってみようと、弟と相談して」
「ふーん」
アイラは腕を組んで相槌を打ったが、ティアたちの選択は最善ではない気がした。やはり仕事を求めるなら大きな街に行くべきだ。
アイラがそんなことを考えていると、ルルが話を戻した。
「それで、仕事を求めてこの町に来たところ、不良たちに絡まれたということですか?」
「ええ、私たちが持っていたなけなしのお金――元の主人が『少ないけれど持っていきなさい』と渡してくれた退職金代わりのお金も、全て奪われてしまいました。抵抗したトーイは殴られてしまって……」
ティアは心配そうに弟を見る。トーイは悔しそうに歯を噛みしめ、目に涙を浮かべていた。視線の先には潰れたマフィンがある。
「マフィンって初めて食べるから、楽しみにしてたのに……」
「お金に余裕はありませんが、トーイが食べてみたいというので一番安いものを買ったんです。結局一口も食べないまま踏みつけられてしまいましたが」
「お前たち、びっくりするくらい憐れだな」
アイラは目を丸くして言った。奴隷というだけで憐れなのに、奴隷制度の廃止によって住むところも失い、なけなしのお金も取られ、マフィンを食べるというささやかな望みすら叶わないなんて。
アイラはルルの方を振り返って言う。
「ルル、こいつらにマフィンを買ってやれ。ついでに私の分も買ってきてくれ」
「何がついでですか。もうすぐ夕飯だから駄目だと言ったでしょう」
ルルはぴしゃりと言いつつ続けた。
「それに仕事を失った元奴隷たちにいちいち同情していたらきりがありませんよ。彼らのような境遇の人間は他にもたくさんいるでしょうし、全員に施しをしていては私たちのお金が無くなってしまいます」
「あの、どうかお気になさらずに……」
ティアはおどおどと言う。
「自分たちのことは自分たちで何とかしますから……」
「何とかって? 無一文でどうするんだ? 今日どこかに泊まることもできないだろう?」
「野宿で十分です。仕事も……頑張って探します。寝る場所と食事を提供してもらえれば、この際、お給料はいりません。その条件ならきっと見つかると思うんです」
「それじゃ奴隷だった時と同じじゃないか」
アイラの言葉に、ティアは困った顔をして口をつぐんだ。
「このままじゃお前たち、いいカモだぞ。弱みにつけ込まれる。世の中にはな、元奴隷をいいように使い捨ててやろうって考えてる悪い奴だっているんだ」
アイラはそう言った後、腰に手を当てて続ける。
「だが、奴隷は勉強する機会がないから、お前たちが世間知らずで無知なのも仕方がない。その点、私は勉強はたくさんしてきた。まぁ母上たちが教えてくれたのは、この国の王族は偉いんだってことだけだったけど……。でも最近は賢王サンダーパトロスの伝記の本だって読んだし、お前たちよりは物知りだ」
「はぁ……」
ティアとトーイは、困惑しながらアイラを見ている。この偉そうな子、ちょっと変わってる……と思っているような目で。
一方、アイラはそんなふうに思われていると気づくことなく、胸を張って宣言する。
「お前たちがあまりに憐れだから、私が仕事を見つけてやる。ポルティカまで一緒に来い。あそこなら仕事は山ほどある」
小さな荷車を母馬が引き、アイラとルル、そして子馬はその隣を歩いた。
グレイストーンでは王都の騎士や街の住民たちに正体がバレて、変装していることに気づかれてしまったので、アイラとルルはまた魔法で髪の色を変えた。今度は無難な茶色だ。この国で一番ありふれている色を選んだ。
そしてアイラは伯爵に買ってもらったキャスケット帽を目深に被って顔を隠している。
「もうすぐ着くか?」
「まだまだですよ」
アイラの問いかけにルルが返す。
「何故だ? ヘクターの馬車で送ってもらったからかなりの距離を稼げただろう? その後も丸一日こうやって歩いているわけだし」
「それでやっとポルティカまで半分というところですよ。あまり急いで怪しまれないように馬車はスピードが出せませんでしたし、アイラは歩くのが遅いので。それにあなたが思っているよりこの国は広いんです」
「そうなのか」
アイラはそう言うと、帽子のつばを持ち上げ、ふと空を見上げた。雲一つない青空も途方もなく広く思える。城から眺める狭い空とは違って見えた。
「ちゃんと前を見ないと転びますよ」
ルルに注意されながらも、アイラはしばらく空を見て歩いたのだった。
そして夕方、アイラたちはとある町に辿り着いた。今日はここで宿を取り、体を休める予定だ。町はそれほど大きくないが、街道沿いにあるということもあり、旅人もよく立ち寄る。宿もいくつかありそうだ。
「人に紛れるために滞在するなら大きな街がいいんですけどね」
「でも昨日も野宿だったし、私はお風呂に入りたい。何日も不潔なままでいるなんて考えられない。……お、あそこでお菓子を売ってる。マフィンもあるぞ。買って食べよう」
「もうすぐ晩ごはんだから駄目です」
そんなことを言いながら町の通りを歩いていると、その脇にある薄暗い路地に人影が見えた。
一人はアイラより二、三歳ほど幼い少年で、路地の地面にうずくまるようにして座り込んでいる。もう一人はルルと同じ歳くらいの女性で、少年を心配そうに介抱していた。
「頬が腫れてる。殴られたみたいだ。それに泣いてる」
アイラはちらりと見えた少年を見て言い、足を止めた。
「首を突っ込まないでくださいよ」
ルルはそう忠告したものの、アイラはずんずん路地に入っていく。まだ子供と言っていい歳の少年が痛々しく頬を腫らして泣いている様子に胸が痛んだ――という訳ではなかったが、弱い存在が虐げられているとムカッとするのだ。
「どうした?」
アイラが仁王立ちして尋ねると、少年と女性は突然現れた偉そうな美少年にちょっと戸惑ったようだった。
「……だ、誰ですか?」
少年は薄茶色の短い髪をしていて、ひょろりと細い。手や足には細かい傷跡がいくつかあり、服は泥で汚れている。
女性の方も髪の色は薄茶色だが、長さは鎖骨の辺りまである。顔立ちは悪くない。優しげで綺麗だ。
しかし二人とも粗末な服を着ていた。一般庶民が着ているものとデザインは変わらないが、少年のズボンには破れた穴を縫ったような跡があるし、何度も洗ったせいか襟元が伸びているのだ。女性のワンピースも誰かから譲ってもらったものなのか、サイズが微妙に合っていない上に着古した感がある。
「何があったんだ? 言ってみろ」
「……いえ、あの……」
「もたもたするな。私の時間を無駄にするんじゃない」
心配してくれているのかいないのかよく分からない態度に、少年たちはさらに困惑する。
とそこへ、路地の入口に馬を置いてルルもやって来た。ルルはアイラに耳打ちする。
「アイラ、彼らは奴隷ですよ。……いえ、奴隷はこの国からいなくなったので元奴隷ですね」
アイラたちがグレイストーンで伯爵の屋敷に滞在している間に、一ヵ月の猶予期間を経て、奴隷制度は正式に廃止されたのだ。だからこの国にはもう奴隷はいない。
ルルは彼らを奴隷だと思った根拠の説明を続ける。
「少年のうなじに刺青が見えます。女性の方は髪が邪魔で見えませんが、あの自信なさげな様子や身に着けている服からして、彼女もきっと元奴隷でしょう」
「元奴隷……」
アイラの呟きは少年たちにも聞こえたらしく、彼らは少し身構えた。奴隷だったと気づかれることは、嬉しいことではないのだろう。
しかし緊張気味だった少年は、次の瞬間ハッとして表情を緩めた。
「あ! あなた、グレイストーンで見た……! あれ? でも髪の色は黒だったような……記憶違いかな」
首を傾げる少年にアイラが尋ねる。
「グレイストーン? お前たちもグレイストーンにいたのか?」
「はい! 元々グレイストーンの商人のお屋敷で働いていたんですけど、奴隷制度の廃止でお屋敷を出てきたんです」
「ふーん」
少年のこれまでの事情にはあまり興味がないアイラに、ルルがまた小声で言う。
「ああ、分かりました。グレイストーンに着いた初日に、マフィンを食べているアイラを羨ましそうに見ていた少年ですよ」
「そうか?」
いまいち思い出せないアイラだったが、目の前の少年の足元に潰れたマフィンがあるのには気づいた。まるで誰かに踏みつぶされたかのような潰れ方だ。
「そのマフィン、どうしたんだ? マフィンはそうやって潰すものじゃない。食べるものなんだぞ」
「し、知ってます。これはちょっと色々あって……」
腫れた頬を押さえながら、少年は悲しそうにマフィンを見る。
一方、女性は少年の代わりに話し出した。
「先ほどこの町の不良たちに襲われて……弟が買ったマフィンも踏みつけられたんです。元奴隷がお菓子を食べるなんて生意気だと」
「お前たち姉弟なのか。そういえばよく似てる」
「ええ、私の名前はティア、弟はトーイと申します。あなた方もご兄弟ですか?」
「そうです。私はルル、弟はライアです」
答えたのはルルだ。この元奴隷の姉弟はグレイストーンにいたらしいが、そこでアイラが起こした騒ぎを知らないのか、知っていても、今目の前にいるアイラの正体には気づいていないようだった。
ティアは疲れたように眉を垂らして説明を続ける。
「私たち仕事を求めてグレイストーンを出たんです。元の主人は賃金を払ってまで元奴隷を雇い続けてはくれませんでしたから」
奴隷は寝床と食事を与えるだけでいいが、一般庶民となった元奴隷を働かせるには給料をやらねばならない。奴隷が奴隷でなくなれば、主人の負担も増える。
一方、奴隷は解放されれば喜んで主人の元から離れるかと思いきや、住む場所も仕事もなくなるからと、そのまま雇ってもらうことを望む者も多いようだ。ティアたちもそうだったのかもしれない。
ティアは元主人のことを庇いつつ続ける。
「あ、でも元の主人は良い方だったんですよ。私たち奴隷を酷く扱うことはしませんでした。それに奴隷という身分でなくなった私たちを雇えずに、屋敷から出て行かせることを申し訳なく思ってくれていたようです」
ティアたちの主人は一般庶民よりは裕福だったようだが、何人も使用人を増やすほどの余裕はなかったのだろう。
「元の主人にそのまま雇ってもらえればよかったのですが、こればかりは仕方ありません」
「けど、仕事が欲しいならグレイストーンにいた方がよかったんじゃないか? あそこは葡萄園もたくさんあるし、大きな街だ。探せば仕事はあるだろ?」
アイラの言葉に、ティアは首を横に振った。
「大きな街だからこそ、他の町からも仕事を求めて元奴隷たちがやって来ているのです。それほど体力があるわけでもない私や、まだ子供と言ってもいい年齢の弟にできる仕事は限られていますし、グレイストーンでは需要に対して働き手が多いと思って街を出ました。逆に小さな町に行ってみようと、弟と相談して」
「ふーん」
アイラは腕を組んで相槌を打ったが、ティアたちの選択は最善ではない気がした。やはり仕事を求めるなら大きな街に行くべきだ。
アイラがそんなことを考えていると、ルルが話を戻した。
「それで、仕事を求めてこの町に来たところ、不良たちに絡まれたということですか?」
「ええ、私たちが持っていたなけなしのお金――元の主人が『少ないけれど持っていきなさい』と渡してくれた退職金代わりのお金も、全て奪われてしまいました。抵抗したトーイは殴られてしまって……」
ティアは心配そうに弟を見る。トーイは悔しそうに歯を噛みしめ、目に涙を浮かべていた。視線の先には潰れたマフィンがある。
「マフィンって初めて食べるから、楽しみにしてたのに……」
「お金に余裕はありませんが、トーイが食べてみたいというので一番安いものを買ったんです。結局一口も食べないまま踏みつけられてしまいましたが」
「お前たち、びっくりするくらい憐れだな」
アイラは目を丸くして言った。奴隷というだけで憐れなのに、奴隷制度の廃止によって住むところも失い、なけなしのお金も取られ、マフィンを食べるというささやかな望みすら叶わないなんて。
アイラはルルの方を振り返って言う。
「ルル、こいつらにマフィンを買ってやれ。ついでに私の分も買ってきてくれ」
「何がついでですか。もうすぐ夕飯だから駄目だと言ったでしょう」
ルルはぴしゃりと言いつつ続けた。
「それに仕事を失った元奴隷たちにいちいち同情していたらきりがありませんよ。彼らのような境遇の人間は他にもたくさんいるでしょうし、全員に施しをしていては私たちのお金が無くなってしまいます」
「あの、どうかお気になさらずに……」
ティアはおどおどと言う。
「自分たちのことは自分たちで何とかしますから……」
「何とかって? 無一文でどうするんだ? 今日どこかに泊まることもできないだろう?」
「野宿で十分です。仕事も……頑張って探します。寝る場所と食事を提供してもらえれば、この際、お給料はいりません。その条件ならきっと見つかると思うんです」
「それじゃ奴隷だった時と同じじゃないか」
アイラの言葉に、ティアは困った顔をして口をつぐんだ。
「このままじゃお前たち、いいカモだぞ。弱みにつけ込まれる。世の中にはな、元奴隷をいいように使い捨ててやろうって考えてる悪い奴だっているんだ」
アイラはそう言った後、腰に手を当てて続ける。
「だが、奴隷は勉強する機会がないから、お前たちが世間知らずで無知なのも仕方がない。その点、私は勉強はたくさんしてきた。まぁ母上たちが教えてくれたのは、この国の王族は偉いんだってことだけだったけど……。でも最近は賢王サンダーパトロスの伝記の本だって読んだし、お前たちよりは物知りだ」
「はぁ……」
ティアとトーイは、困惑しながらアイラを見ている。この偉そうな子、ちょっと変わってる……と思っているような目で。
一方、アイラはそんなふうに思われていると気づくことなく、胸を張って宣言する。
「お前たちがあまりに憐れだから、私が仕事を見つけてやる。ポルティカまで一緒に来い。あそこなら仕事は山ほどある」
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