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第12話 染まり切れぬ外科医

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「戸塚がこんな時にカラオケ誘うって事は…沼田先生の話だろ」

 ここは秋葉原にあるカラオケチェーン店、その店のハニートーストを恰幅の良い30代の男が、少々食べづらそうに口を開けてアイスの乗ったパンを口に運んでいたが、大口を開けながら

「ほんなほこ」

「食べてからでいい…」

清水がそう言うと、ハニートストを口へ頬張った男は咀嚼をして、ごくりと飲み込むと

「そんなとこって言いたかったんだ。
悪いな清水、忙しいところ呼び出して、上の人間が来なそうな個室の店って言うと、カラオケくらいしか思いつかなくてさ、教授や理事は秋葉なんて絶対来ないだろ」

「まぁ、まず来ないだろうな…。
忙しいのは戸塚も同じだろ」

そう言うと清水はホットコーヒーに口をつける。

「まぁ、清水や僕らだけじゃなく今は医局員の誰しもが忙しよな、分院に出てるのは別としてさ…沼田先生の事は緘口令が敷かれたみたいに、誰1人としてその名前を出さないし…息苦しくてたまらないよ…酸欠になりそうなくらいに…」

 そう言うと、八つ当たりをするかのように残りのハニートーストをナイフでザクザクと乱暴に切り分ける。そんな姿を清水は眺めながら、戸塚の言葉に同意する。

 息苦しいどころじゃない…沼田先生が亡くなって悲しみに暮れて喪に服しているからと言う理由ではない。
 
理由は理事と教授の存在…。
 
 大学病院の教授は絶対的存在でその意見に反論する事など絶対に許されない。
教授が温厚な人間なら良いが、外科の教授と言うのは野心家で起伏が激しく裏表の激しい人間が多い。そう、うちの教授みたいに…。

 元々、顔色を窺って穏便に過ごしていたが、沼田先生の一件以来その酷さに拍車がかかっている。なぜあんな人間が医者をしているのか不思議でならない。しかし、逆らえば将来に大きく影響が出る。教授の手が届かないくらい辺鄙な田舎の病院で開業する事がない限り、強気に出られないのが現状だ。

 そんな沈んだこちらの気も知らず。隣の部屋から楽しげに歌う声が響いてくる。
楽しそうで羨ましい限りだ…。

「それで?愚痴を言う為にわざわざ呼んだわけじゃないんだろ」

「まぁ…なっ…沼田先生の話をしたかったってのもあるんだけど、1番は…今年度で医局を退職しようと思ってさ、友達が消化器内科のクリニックを開業するんだけど、内視鏡できる医者を探してるって声かけられて、色々燃え尽きたって言うか…これから巻き込まれるであろう内政とか…考えただけでも諸々疲れてさ、自分がそう言うの向いてないのよくわかってるし、この際、潔く外科医を辞めることにした。教授には来週話すつもりだよ」

 そう言うと、戸塚はフォークとナイフを皿に置き少し俯いた。言いたいことを全部吐き出したわけではないという感じだ…。

「そっか…やっぱりか…なんかさ…、そんな気がしてたんだ。
戸塚は優しからこんな所は早く抜け出したほうがいい…。うちの親父も卒業生だから大学病院の話は聞いていたけど…思っていた以上の理不尽で汚い世界だったよ。
今居る教授陣や理事達は人の命を救う人間とは思えない。なんでこんな汚い世界なんだろうな…金も権力もそんなに欲しいなら…医者じゃなくてもできるのにな…。沼田先こそ本物の外科医だったのに、あの人こそ教授になるべき人だったんだ。何で…なんで沼田先生が死ななきゃならなかったんだよ…」

 悔しさと悲しさ、そして同期の戸塚がここから抜け出してくれると言う安堵、あらゆる感情がごちゃ混ぜになり、涙が溢れ出てくる。

 戸塚がゴソゴソとカバンを漁ると、スポーツジムの宣伝チラシの入ったくしゃくしゃのポケットティッシュをテーブル越しに渡してくる。そんな戸塚の様子に、ガタイに似合わず本当にいい奴なんだよな…フッと笑いながらありがたくそのティッシュを受け取ると、シオシオになったティッシュを一枚取り涙を拭う。

 何で優しい奴から居なくなってしまうんだろう…きっと戸塚だけじゃない。他にも性根の優しい者達は今回の件で、今まで見て見ぬふりをしてやり過ごしていたものを直視せざる終えなくなり、耐えきれず医局を立ち去るものが出てくるだろう。

 正直、今回の件で自分自身も応えている。自分の父親はうちの大学病院での勤務を経て、18年前から市立病院の医院長をしている為、汚い所は見聞きして慣れているつもりでいた。しかし…外から見るのと、その中に身を置く事は全く違う。そんな中でも、今まで見て見ぬ振りをし、長い物に巻かれなければやっていけない世界だと諦めてやって来た。

 だが、今回の事は次元が違う…正直自分自身もこの先続けていけるかわからない。何よりも自分のこの性格だ、次の教授が佐々木先生になれば、NOと簡単に言う自分など地方の病院へと飛ばされるのが目に見えている。恥を忍んで、親の病院に雇って貰うか…。

「大丈夫か清水…清水が1番沼田先生に懐いてたからさ、他の皆んなも心配してたよ。僕はあの日は外勤で居なかったけど、成瀬先生にも噛みついたんだって?本当にさ、僕は清水も心配なんだよ…清水はすぐ強がるからさ…」

「ははっ…確かに強がってるな…」

「…なぁ…もう一個、話したい事があるんだけどさ…犯人かも知れないって人影の話を聞いたか?」

その言葉に勢いよく、ぐしゃぐしゃになった顔を上げる。

「知らない!誰だ!?」

「これはオフレコなんだけど、あの日の午前3時半過ぎに医局棟に戻ってきた産婦人科医が見たらしいんだ。ほら、うちの奥さん産婦人科医だろ、その後輩がさ…医局棟から足早に立ち去る男を見たんだってさ、スーツ姿で手には丸めた白衣を持って、足早に大学裏の方に向かっていったんだって、後ろ姿だけだったけど若くはなかったって話だよ。」

「それ、警察には話してるのか?」

「勿論話したらしいよ、まぁ、本当に犯人か分からないけどさ…
なかなか無いだろ、そんな時間に慌てて帰る医者なんて…。あの日は緊急が1件だけでオペ室暇だったらしいし、分娩なら産婦人科の人間が知らないわけがない。まして当直医じゃ帰るわけないし…監視カメラでもあれば、1発で顔が割れるんだろうけど、うちの大学、監視カメラが驚くほど設置されてないからな、何でか知らないけど」

「監視カメラは学生の出入りする棟しか設置されてないからな…研究棟にも無いくらいだから、変なところでケチな大学だよ。それにしても…その男、本当にうちの医師なんだろうか?
医師ってのは良くも悪くも頭がキレる。殺人なんてそんな突発的なことするとは思えないけどな…」

 再びハニートーストを口に運び始める戸塚を見ながら、沼田先生に恨みを持ってその時間に居そうな人間を思い浮かべようとするが、教授選に関わる人間が殺人を犯せば容疑者としてリストアップされるだけでなく、こんな悪目立ちをしてしまえば、外科のイメージダウンは必須、そこまで短慮な人間は思い浮かばない。邪魔な人間がいるなら裏から手を回して大学から追い出すのが一般的なやり方だ。

 たしか、言い争っている話の内容が公表します?だったか…突発的に殺害しなければならないほどの、罪でも殺人犯にはあったのか?
 
「地下で白骨化した遺体も見つかるし…」

 そう言いながら戸塚はコーラの入ったグラスに手を伸ばす。糖分取りすぎだと、苦言を呈しながらも飲み食いしている戸塚を見て自分も少し空腹を覚える。沼田先生が亡くなって、悲しくて辛いと思っているのに腹が減る自分を憎らしく思う。食えるくらいの精神的余力はあるのかと…自重気味に思いながらメニュー表へと手を伸ばす。少し高めのカラオケ店なだけあって、メニューが豪華だ。

「まさか遺体のある建物でのうのうと仕事してたとは思わなかったよ」

 そう答えながらメニューを眺めるも、今更ながらに戸塚の食べているハニートーストが気になってくる。
現在、身元確認中の白骨化遺体だが、十中八九数十年前に行方不明になった女医の遺体だろうと言われている。

「その白骨化遺体の人物と思われてる女医が付き合ってた相手、うちの外科医だったんだってさ…本当にその人物なら、2回も殺人事件が起きてるわけだ。」

「まだ殺人と決まったわけじゃ無いけど…まぁ、そう考えると、本当にとんでもない大学だな…そう言えば学生の時に噂なかったか?1号館の地下には死体が埋まってるって話、あれは今回の白骨化遺体の事だったって事なんだろうか?」

「さぁ?そうなんじゃないか?
いつからあの噂あるのか知らないけどって、そう言えば…文化祭の準備で備品取りに行った柔道部の先輩が幽霊見たって話思い出した。廊下の電気が突然消えたと思ったら白衣の女が廊下の奥から歩いてきたって、顔面蒼白で走って逃げてきてさ、誰かに脅かされたんじゃないの?って、その時は大笑いしてたけど…本当だったのかも…。」

「基礎研究やってる棟なんだから、白衣着てる人間がうろついててもおかしくないだろ、幽霊話なんて校舎だけじゃなく病院内でも結構聞くし、霊安室の前通ったら突然足首掴まれたって、この前オペナースの花音(かのん)ちゃんが言ってた。」

「あの子不思議ちゃんのカマチョだから、信憑性薄くない?」

「確かに、でもまぁ、なくはないって話だよ」

そう言いながら、タブレットでハニートーストのバニラアイス添えを注文した。

「話は戻るけど、清水…意外と元気そうで良かったよ」

「切り替えの速さは外科医の得意のするところだろ、良くも悪くもさ…」

「そうだな…人の死に慣れるって言うのは嫌なものだな…」

「あぁ…本当に…」


 
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