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第5話 後悔

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 橘さんを平塚さんに任せて、私も研究室に戻るためにエレベーターホールに戻るが、いや、階段で降りた方が早いなと思い直しホール横にある非常階段へと繋がる扉を開ける。非常階段は建物の内部にあるものの、患者が通るわけではないので薄暗い。夜は絶対使いたくない!と思うような不気味さがある。

階段を降り始めて間もなく、下から2人の看護婦がコンビニ袋を持って登ってくる。

「やっぱり他殺?犯人野放し?恨んだ患者に刺されたのかな?
それか、教授選出てたから蹴落とし?」

「いや、私は自殺って聞いたよ」

「マジで!?
揉めてて刺されたって話じゃなかったの?」

「さぁー?でも、殺人だったら怖すぎるよね…。」

 すれ違う二人の会話を、思わず階段の踊り場で立ち止まって聞き入ってしまう。自殺、もしくは揉めた末の殺人か…昔もそんな話があったな…あれは痴情のもつれって話だったけど、と冷ややかに笑いながら考えてしまうのは、今朝の事…。刺された男性医師はその瞬間、何を思っていたのだろうか…今の看護婦の話が事実なら、身内の犯行という事になるだろう。

 うちの大学…ついに年貢の納め時が来たんじゃないか?そんな事を思いつつ、コンビニでしっかりカフェラテをゲットし、外来棟から出て中庭を通って1号館に戻ろうと思っていたのだが、よく晴れた青空の元、その中庭に鑑識や警察官やスーツを着た刑事?がそこ彼処におり、テレビで見慣れたKEEP OUTの規制線の黄色いテープで2号館の周りが封鎖されていた。流石に中庭は通れるようだったが、授業が休校になったらしく大量の学生達が警察官の誘導の元、中庭に列を作って門から出されていた。

 えぇ…これって職員も強制帰宅とか?学生が返されるという事は、殺人だったと言う事なのではなかろうか?今頃になって、相当な非常事態では!?と恐怖と焦りが出てくる。無差別殺人ではないという話だが、看護婦さんの話を聞いたに過ぎないので確実な情報ではないわけで…。確かに、殺人犯がこの大学内にまだうろついているのなら、それは大変に恐ろしい事実だ。呑気にカフェラテ啜ってる場合じゃない!!と、慌てて研究室に向かう。

 1号館のエントランスに入れば、ちょうど校内放送のピンポンパンポンと言う音が流れた。しかし、放送し終わってしまったようで己のタイミングの悪さを呪う。

 小走りで階段を3階まで駆け上がり、廊下の中ほどにあるミーティングルームへと走りこめば教員から研究技術員、秘書まで皆が集められていた。教授が窓際の席に座り、皆も椅子に座っているが、座りきれない大学院生達は立ってその話を聞いている。私もコソコソと大学院生の背後に回り込み、さも初めから居ましたを装う。

「先ほどの放送の通り、2号館で医師が亡くなりました。
他殺との断定はまだできていないそうですが、安全のため一人残らず帰宅して頂きます。もし、昨晩から今朝ににかけて不審人物や何か話を聞いたなどの情報があれば、警察に協力をお願いします。大学の方から情報が来ましたら皆さんに随時メールをするようにします。
それでは、皆さん気を付けてお帰り下さい。」

そう話し終えると、すぐさま松谷先生が口を開く

「まさか、明日も出勤できないなんてことないですよね?
せっかく研究が進められるチャンスなのに、しかも今日ELISA開始しちゃったから、明日来れないとか困りますよ、19万がゴミになる。」

その言葉に、西田先生が盛大な溜息をつく

「先生…自分の命と19万どっちが大事なのよ「19万」」

 苛立たし気に即答する松谷先生の言葉に他の者達も、うわぁ~という目で見る。
唯一教授だけが、鋭く目を細める。

「自分の命を懸けて研究を遂行するのは大変結構、しかし、これは大学側からのお達しです。
松谷先生が大学職員である以上、それは従わなければならない。
警察の方々のご迷惑にもなりますからね。そんなに研究費がお困りでしたら、19万のELISA代は私の研究費から補填しましょう。異論は?」

 淡々と話す教授の言葉に、松谷が苦々し気に「ないです」とぼそりと呟いた。
それでは解散!と、言われて皆がヤバい!怖い!詳細知りたい!などと、ざわつきながらデスクのある部屋へと戻る。

 慌てて荷物をまとめて「怖い怖い!!」と言いながら皆が帰り支度をして廊下に出れば、他の研究室からも慌ただしく人が出たり入ったりと、みな急いで仕事を片付けて帰るのだろう。

 三橋さんと山田さんと、今後どうなってしまうんだろうと話しながら階段を下っていたところで、冷凍保存する試薬を冷蔵庫に入れて溶かしていたことを思い出す。いつ出勤できるとも限らないこの状況、駄目だ一回戻そうと、三橋さんや山田さんに気を付けて帰ってね!と手を振り、慌てて研究室に戻る。

 今日は本当に朝からとんでもない日だ…。
研究室に白衣も羽織らず飛び込めば、実験台に片肘を乗せてコーヒーを飲みながら優雅に新聞を読んでいるスーツ姿のシルバーグレイの男性が目に入る。短く切りそろえられた髪は清潔感があり、ジャケットは綺麗に折りたたまれて、隣の椅子の上に置かれている。白いシャツには皴一つなく、奥さんの趣味だろうか?ブルーがかったグレーのネクタイは、その姿をさらに品のある男性へと引き立てる。がっ!!!

「ここ研究室ですよ!!飲食禁止ですよ柳教授!!」

 そう注意すれば、柳教授がゆっくりとした動作で新聞から目を離しこちらを振り返る。
教授と言っても正確には元教授だ。定年退職して隠居するのかと思いきや、こうして暇さえあれば研究室に顔を出して若者に声を掛けアドバイザーという名の暇つぶしで来ているのだ。

 今の教授からすれば目の上のたん瘤だろう。普通、教授は定年退職すると業績やコネ次第で誉教授として席が残ったり、中には自ら起業したり、どこかのベンチャー企業の理事やアドバイザーとして残るのだが、柳教授はそういったことは一切せずに、ただ大学の研究室の居心地が良いという理由だけで来ているのだ。
もちろん給料など出ていない。完全に暇つぶ…趣味なのだ。

「やぁ桜井君、そんなにカリカリしていると早死にするよ、ハハッ!」

いや、何がおかしいんだよ!今日に限ってはめちゃくちゃ不謹慎だろ!!!という言葉は飲み込む

「いつからいらっしゃったんですか…、大変なんですよ今日は、放送聞きませんでした?」

 溜息をつきながら教授の脇を通り抜けて研究室の奥にある冷蔵庫から試薬を取り出し、並びにある巨大なー30℃の冷凍庫の扉を開け引き出しを開ける。私がガサガサしているというのに、お構いなしの教授は

「昼頃に来たんだが……もちろん状況は知っているとも、殺人があったんだろ?自殺と言う話も出ている様だが、まぁ、この大学で自殺や事故死は珍しくはないがね。定年退職したOB、OGでも早々に噂が回っているようだ。退職すると皆暇になるからね。」

 人の死を暇つぶしのスキャンダルくらいにしか思っていないのだろうかこの方々は…。
医学部も病院も教授という名の付く席に座るには、心を捨てないとなれないと誰かから聞いた気がする。
私が思うに鋼のメンタルも必要だと思うが、まさにその通りであろう。

「とにかく、そういう事ですから教授も早く帰ってくださいよ!
警察が回ってきて職質されても知りませんよ…」

「おや、失礼だね。
私は元教授だよ、無関係ではないから大丈夫」

「いやもう職員証もないし、無関係みたいなもんじゃないですか…。
牧教授が良しとしても、ある意味不法侵入ですよ…」

「今日の桜井君は随分と辛辣だねー、何かあったのかい?」

 だから其れどころじゃないと言うのに、こんな状況でもマイペースを貫く柳教授に苛立ちを通り越して呆れてくるが、仕方ないと諦めて冷凍庫の前から教授の前に戻るとキャスターの付いた黒い丸椅子を引き寄せて教授の向かいに座る。

 警備員か警察官が見回りに来ないことを願うばかりであるが、廊下はまだ慌ただしい声が響いているので全員の撤退には時間がかかるだろう。正直、今朝の話と入院棟で聞いた話を三橋さんと山田さんに話そうと思っていたが、ゴシップネタを手に入れたかのようで不謹慎な気がして話せなかった。けれど、誰かには聞いてほしかった。私の胸の内に籠ったこのモヤモヤを吐き出したかった。

 私が思い詰めている顔をしていたのか、雰囲気を察した教授も新聞を畳んで実験台に置く。
聞く準備はできたよ言わんばかりの教授を見て、今朝の出来事から先ほどの看護婦の会話までの話を教授に話した。教授は無言であったが静かに頷き、私の話が終えるまで一言も発さずに、ただひたすら話を聞いてくれた。

私が話し終えて黙り込むと、教授は「なるほどっ…」と言って足を組むとコーヒーに手を伸ばす。

「それは確かに朝からショッキングな現場を見てしまったね。
助かったならまだしも、亡くなったと言うのだからそれは気持ちが晴れないのも無理はない。だけどね、桜井君、君はその医師の知り合いでもなければ、救命にあたるべき医師でも看護婦でもない。
たまたま居合わせてしまったただけだ。それは君の役目ではないのだから、気に病む事は何一つとしてないよ。とは言っても、君は性根が優しいからねー。当分は脳裏に焼き付いて事あるごとに思い出すだろうが、何事も時間が解決してくれる。そう。何事も少しずつ風化していくものだ。君も経験があるだろ?」

 その言葉に、まぁ…はい…と右手首をポリポリと搔きながら歯切れが悪く答える。
この教授はどこまで私の事を知っているんだか…、一体どこから耳に入るのか、私に限らず他の所属員の私生活なんかも話した事がないのに知っているのだ。教授陣の情報網は本当に恐ろしい…。そう思いながら小さくため息をついて、研究室の床に視線を落とした。


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