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俺は内心で安堵しながら、冒険者ギルドを目指した。しばらく歩くと目的地に到着する。建物の大きさはそれほどでもないが、頑丈そうな外観をしている。俺は入り口の扉を押し開けると、中へと入っていった。
受付に向かうと、そこには数人の職員がいた。そのうちのひとりがこちらに向かって歩いてきた。年齢は二十代後半くらいの女性だ。背が高く、すらっとした体型をしており、顔立ちは整っていて、髪はショートカットだ。彼女は微笑むと、挨拶をしてくる。
「こんにちは」
「どうも」
俺も軽く会釈を返す。
それから、リリアナが挨拶をした。
「はじめまして」
「あら、可愛いお嬢さんだこと」
女性は感嘆の声を上げると、リリアナのことをじっと見つめた。それから、不思議そうに問いかける。
「あなたたちふたりだけ?」……どういう意味だろう? 俺は質問の意味を考え込むも分からなかった。そこで、素直に質問を返してみることにする。
「はい」
すると、女性の職員が困ったような表情を浮かべた。それから申し訳なさそうに謝罪する。
「ごめんなさいね……。実はこの街の冒険者は全員出払っちゃったのよね……」
俺は思わず聞き返したくなる気持ちを抑えつつ質問を投げかける。
「それはどうしてですか?」
すると、女性が事情を説明してくれた。それによると――冒険者ギルドの依頼を受けたパーティーがいくつかあって、そのうちのひとつに向かったらしいのだが、まだ帰ってきていないらしいのだ。そのため、今は緊急の依頼に対応できる者がおらず、他の都市から応援を呼びに行くという話になったのだという。
それを聞いた俺は納得した。
「なるほど」
それから、俺は依頼の内容について確認することにした。
「それで、依頼の内容はなんですか?」
すると、女性の態度が急変した。彼女は真剣な眼差しになると、重々しい口調で言う。
「魔王軍の関係者からの依頼なの」
俺は驚きの表情を浮かべる。
すると、隣にいたリリアナが言った。
「魔王軍……」
「ええ」
「魔王軍の関係者が、なぜ私たちに依頼してきたんですか?」
「分からないわ」
「えっ……」
「ただ、依頼を受けてくれるのであれば、報酬を払う用意はあると言っていました」
「そういうことでしたか」
俺は少し考えたあと、質問する。
「ちなみにですが、引き受ける場合はどうすればいいのでしょうか?」
「この紙に名前を書いてください」
俺は言われた通りにする。
すると、女性が驚いたような声を上げた。
「これは……」
俺は何事かと思いながら振り返る。
彼女はまじまじと用紙を見つめていた。そして、そこに書かれた文字を指差す。
「この字に見覚えはありませんか?」
俺は自分の名前を眺めたあと、記憶を掘り起こす。
(この字は確か……)
それから、ゆっくりと答えを口に出す。
「確か、師匠の字に似ている気がします」
すると、彼女はさらに驚く。
「あなたの師匠というのは、もしかしてアルスランという名前ではありませんでしたか?」
「はい」
俺は即答すると、彼女は少しの間を置いてから、衝撃的な事実を口にした。
「その方は私の祖父なのです」
「えっ!?」
俺は驚いてしまう。
それから、彼女の話を聞くことにした。
なんでも彼女は祖父の知り合いの娘なのだという。つまりは従姉妹にあたるそうだ。彼女は幼い頃に両親を失っており、その後、祖父母に育てられたのだという。そんな話をしていると、突然、背後から大柄な男が現れた。彼は険しい目つきで見下ろしてくると、威圧するような声で話しかけてくる。
「おい、お前ら。そこで何をやっている?」
俺は慌てて立ち上がると、自己紹介をする。
「すみません。私たちは怪しいものでは……」
「ん? ああ、あんたらが例の勇者か?」
男はそう言うと、鋭い視線をぶつけてくる。
俺は彼のことを見上げながらも、小さくうなずいた。
「はい」
そこで男が口を開く。「俺の名前はドワンという。よろしくな」
「はい、どうも」
俺は頭を下げる。それから、気になっていたことを尋ねた。
「ところで、先ほどの話は本当なのでしょうか?」
「ん? なにがだ?」
「いえ、その……」
俺は言葉に詰まってしまう。
(なんて説明したらいいんだ?)
すると、ドワンと名乗った男性が豪快に笑い始めた。
「がっはっはっ! 気にするなって。言いたいことは分かるぜ」
それから、彼は言葉を続ける。
「確かに、俺はアルスランの野郎とは昔からの付き合いがある」
「やっぱりそうだったのですね」
俺はうなずくと、話を続けてもらう。
「ええと、詳しい話を聞きたいのですがよろしいですか?」
「もちろんだとも。そのためにわざわざ来たのだからな」
そうして、俺たちは彼の家へと向かうことになった――
俺たち三人は街の中を歩いていくと、一軒の家に到着した。
そこは木造建築の二階建てで立派なものだった。
俺たちはその家の中に入ると、応接間のような場所に通された。室内には高級そうな家具が置かれており、大きな窓からは街の景色を一望することができた。部屋の隅では火鉢のようなものが設置されており、部屋全体を暖めている。俺はソファーに腰掛けると、リリアナと並んで座る。向かい側にはドワンが座り、テーブルを挟んで彼と向き合う形になる。クロエたちは壁際に立って待機していた。
しばらくして、ひとりの女性が現れる。彼女はお茶の入ったカップを並べると、一礼してから退室していった。俺はその様子を見守ってから口を開く。
「あの人は?」
「あれは俺の妹だ」
「妹さんがいらっしゃったのですか」
俺は意外に思いつつも、話を進めることにする。
「それで、さっきの話の続きを教えてもらえますか?」
すると、彼が答える。
「まぁ、そう焦らずとも、もう少しゆっくりしていくといい」
「そうですか」
俺は肩の力を抜いてから、出された紅茶を飲もうとする。だが、リリアナが制止してきた。
「待って!」
「どうした?」
俺は彼女のほうへ視線を向ける。
すると、リリアナは真剣な表情をしていた。
「毒が入っているかもしれないよ」
そう言って、彼女は俺の手を取ると、そっと引っ込めた。それから、ティーポットを持ち上げると、匂いを嗅ぎ始める。どうやら、本当に何か入っているようだ。
(どうしたものかな……)
俺は悩んだ末、ひとまず様子を見ることにした。
しばらく待っていると、リリアナの身体に異変が起きる。彼女は顔をしかめると、苦しそうに胸を押さえた。
「ぐぅ……」
「大丈夫か?」
俺はすぐに駆け寄る。彼女は辛そうにしながらも、必死に言葉を紡いだ。
「うん……平気……」
「無理はしなくていい」
俺は彼女を優しく抱き寄せると、背中をさすりながら回復魔法をかけた。すると、徐々に顔色が良くなっていく。彼女は落ち着きを取り戻すと、ゆっくりと深呼吸をした。俺はそれを確認すると、改めて質問する。
「いったいなんでこんなものが?」
すると、ドワンが苦笑しながら言った。
「すまん。冗談のつもりだったんだが」
俺は思わずため息をつく。
それから、あらためて事情を説明した。
すると、彼は謝罪をしたあと、真剣な表情で言う。
「それでだな……。実は、アルスランから手紙を預かっている」
「師匠からの手紙ですか?」
俺は内心で驚きつつ、尋ねる。
すると、ドワンは懐から封筒を取り出すと、こちらに差し出してくる。俺は受け取ると、中身を確認した。そこには短い文章が書かれている。
『久しぶりだな。元気にしているか?』
それだけだったが、懐かしさが込み上げてきた。
俺はしばらく読み進めると、最後の行に目を通す。そこにはこう書かれていた。
――リリアナを頼む。
俺は心の中で返事をすると、元の位置に戻す。それから、目の前の男性にお礼を告げた。
「ありがとうございます」
すると、彼は首を横に振った。
「いや、こちらこそ悪かった。実は、今回の件については少し複雑な経緯があってな……」
そうして、彼は事情を説明してくれた。
なんでも、数日前に街の近くに魔王軍の関係者と思われる者たちが現れたらしい。そして、彼らはこの村を占拠して、住民たちを人質にしたのだそうだ。その数は三十人ほどで、全員武装しているらしい。しかも、魔王軍の幹部だという者がリーダーとして君臨しているというのだ。
それを聞いた俺は思わず尋ねてしまう。
「それで、人質は無事なんですか?」
すると、ドワンは困ったような表情を浮かべて言った。
「それが分からないんだ」
「どういうことですか?」
「奴らは村人たちを広場に集めて、そのまま放置しているらしい」
「なるほど」
俺は納得すると、質問を続ける。
「なぜ、そんなことを?」
すると、彼は真剣な表情で答えた。
「おそらく、俺たちの反応を見て楽しんでいるのだろう」
「楽しむ?」
「ああ。魔王軍の関係者の中には、そういう性格の者が多いんだよ」
俺は少し考えたあと、あることに思い至る。
「もしかして、魔王軍の関係者というのは――」
「ああ、お前が考えている通りだと思う」
「やはり……」
俺は納得すると同時に、厄介な相手だと考え込む。
(魔王軍の関係者か……)
魔王軍といえば、人類共通の敵として知られている存在だった。魔王が率先して魔王軍を組織し、人間たちを侵略しようと企んでいるという。魔王軍は人間の国をいくつも滅ぼしており、今では大陸の半分以上を支配しているとされている。そのためか、魔王軍と戦う勇者と呼ばれる集団も存在した。そして、勇者とは世界に選ばれた特別な力を持つ者のことを言う。
俺もその勇者のひとりだった。
(師匠はどうして俺のことを……)
俺は疑問を抱く。すると、隣にいた女性が声を上げた。
どうやら彼女は師匠という人物について知っているようで、俺に向かって問いかけてくる。
「あなたはアルスランを知っているの?」
その言葉を聞いて、ドワンが驚いたように言う。
「おい、まさか……」
彼女は落ち着いた様子で微笑む。
「ええ、そのまさからよ」
俺は何のことか分からずに戸惑ってしまう。
そんなときだった。部屋の扉が開かれ、ひとりの少女が現れた。年齢は十歳くらいだろうか。彼女は不安そうな面持ちで入ってくると、ぺこりと頭を下げてくる。
「おじいちゃん、こんにちわ」
「おお、よく来たな」
彼は嬉しそうに声をかけると、少女の頭を撫でていた。
俺は状況が飲み込めず、黙って見守る。すると、彼女が視線を向けてくる。
「あの……」
俺はハッとすると、慌てて自己紹介をする。
「ああ、すみません。俺は……」
だが、彼女は俺の言葉を遮るようにして口を開いた。
「知っています。勇者様ですよね?」
「まあ、そうだけど……」
俺は戸惑いながらも答える。
それから、彼女の名前を聞くことにした。
「ところで、君の名前は?」
「わたしはサラです」
「よろしく」
俺は握手を求める。
彼女は笑顔を見せると、手を差し出した。
俺が握ろうとすると、横合いから伸びた手がそれを阻んだ。見ると、リリアナが俺の腕を掴んでいた。
彼女は鋭い眼差しを女性に向けていた。
「あんたが噂の勇者かい?」
女性は挑戦的な態度で言う。「はい、そうですけど」
俺は困惑しつつも答えると、彼女は言葉を続けた。
「あたしの名はリリアナだ。あんたのことはアルスランから聞いてるよ」
「アルスランさんから?」
俺は驚いてしまう。どうやら、彼女も師匠と知り合いのようだった。
そこで、俺は気になっていたことを尋ねた。
「あの、リリアナさんは師匠の知り合いなのですか?」
すると、彼女はあっさりと答えてくれる。
「まぁ、腐れ縁みたいなもんだけどな」
「そうなんですか」
俺は納得すると、改めてふたりの関係を確認する。
(ということは、師匠は他にも何人か仲間がいるってことだよね)
俺はそのことを考えると、なんだかワクワクしてきた。
(師匠の仲間たちか……どんな人なんだろう?)
それから、リリアナが不機嫌そうに睨みつけていることに気づく。俺は不思議に思って、彼女のほうを見つめた。すると、彼女はそっぽを向いてしまった。俺はますます混乱してしまう。
すると、ドワンが口を開く。
「そういえば、まだ名乗っていなかったな」
「はい」
俺はうなずくと、彼の話に耳を傾ける。
「俺の名はドワンだ。一応、この村の村長をしている」
「村長さんですか」
俺は意外な事実に驚く。
すると、彼は話を続けていく。「それでだ。さっきの話に戻るが、リリアナはお前さんに会いたいと言っていてな」
リリアナが話し始める。
「別に会いたいとまでは言ってないよ」
だが、ドワンは気にせずに続けた。
「そうか? なら、アルスが連れてきた男とでも会うか?」
リリアナは俺の顔を見ると、顔をしかめた。
「……」
それから、小さくため息をついてから言った。「分かった。会えばいいんだろ」
どうやら、彼女は俺に会うことに決めたようだ。
俺はリリアナと視線を合わせると、お互いに小声で挨拶を交わす。
(とりあえず、これでよかったのかな)
俺はそう考えると、彼女に提案することにした。
「じゃあ、これから一緒に屋敷に向かいましょうか」
「そうだな」
彼女はそう言いながら立ち上がると、歩き出す。俺はそれを追いかける形で部屋を出た。すると、背後では老人たちが話をしていた。
「本当にいいのか、リリアナ」
「いいんだよ。あいつはただの人間じゃない。それに、もし何かあったとしても、すぐに対処できるだろ」
「確かにそうだが……。あまり無茶はするんじゃねえぞ」
「分かってる」
俺はそれを聞きながら、先へと進んでいく。
しばらくすると、彼女は立ち止まった。
「着いたぜ。ここが我が家だ」
「へぇー」
俺は思わず感嘆の声を上げる。
すると、彼女は自慢げな表情で言った。
「なかなか立派なもんだろう」
「うん、すごい」
目の前にある建物はまるで豪邸のような造りになっている。壁は白塗りで、屋根には瓦が敷かれていた。玄関前には噴水があり、庭もかなり広い。俺は圧倒されつつも、なんとか平静を保つと、建物の中に足を踏み入れた。
すると、そこには使用人の女性たちの姿があった。リリアナに気づくと、みんなが一斉に頭を下げる。
「おかえりなさいませ」
すると、リリアナが苦笑しながら告げた。
「だから何度も言っているだろ。そういうのはいらないって」
すると、メイド服の女性たちは困ったような表情を浮かべる。
そんな中、ひとりだけ冷静な女性が前に出た。
彼女は二十代後半くらいに見える綺麗な女性だった。その顔からは、知的な雰囲気が漂っている。おそらくはこの家の管理を任されている執事なのだろうと予想できた。
その人物は落ち着いた口調で話しかけてくる。「いえ、そういうわけにもいきません。この方は?」
彼女は俺を見ながら尋ねてくる。
俺は自己紹介することにする。
「はじめまして。俺は――」
だが、その言葉を遮るようにして、彼女は言った。
「あなたが勇者様ですね?」
「えっ?」
俺は驚きの表情を浮かべてしまう。
なぜ彼女がそのことを知っているのだろうか。
(もしかして、師匠が教えたとか……)
俺はそんなことを考える。だが、そんなことをする理由はないはずだ。そもそも師匠は秘密主義で、自分のことをほとんど語らなかった。なので、彼が誰かに自分の存在を知らせたとは思えないのだ。
(だとすると、どうしてだろう……)
すると、彼女は優しく微笑んで言った。
「私はリリアナお嬢様の専属執事を務めさせていただいております、セバスと申します」
「えっと、俺は……」
そこまで口にしたところで、彼女は手で制した。
「存じ上げています。なんでも、魔王軍の関係者を撃退されたと伺っております」
「それは……」
俺は困ってしまう。なぜなら、その情報は間違っているからだ。
(俺は魔王軍の関係者と戦ったことはないんだけど……)
俺はそう考えながらも、否定するのは得策ではないと思い直す。そして、肯定しておくことにした。
「はい、その通りです」
すると、彼女は深々と一礼してから言う。
「やはりそうでございましたか。私もその場におりましたが、勇者様の戦いぶりはまさに英雄と呼ぶにふさわしいものでした」
俺は褒められて少し照れくさくなってしまう。
(まあ、悪い気分はしないけど……)
それから、俺は質問を投げかけてみる。
「あの、どうして俺のことを?」
すると、彼女は笑顔のまま答えてくれた。
「実はアルスラン様から、勇者様のことをいろいろと教えていただきまして……」
「師匠が?」
「ええ」
俺はそこで師匠のことが少し気になった。
師匠はいったい何を考えているんだろうか。
もしかしたら、俺のことを勇者として利用しているのかもしれない。
(まあ、そんなことはありえないと思うけどね)
俺は師匠のことを信頼していた。師匠はいつだって優しかったし、弟子である俺のことを大事にしてくれた。そんな師匠が自分を利用しようとするはずがないと思った。
俺はそう考えてから、気になっていたことを尋ねる。
「ところで、師匠とはどうやって知り合ったんですか?」
すると、彼女は微笑みながら答える。「実は昔、ある魔物に襲われてしまいまして……」
「その時に師匠に助けられたんですか?」
「はい」
彼女はうなずいたあと、さらに言葉を続ける。
「それ以来、ずっとアルス様を尊敬しております」
「なるほど……」
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