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第5部 同棲編

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 一緒に、叱責されている気分に陽菜は陥った。俯いて、前髪で表情を隠して熱々の食事に向き合う。食べている時は咎めるにも持ち手のスプーンが邪魔だから。

 相手は何もアクションを起こせないのを、彼等は幼いながらも熟知している。陽菜はそれがどんなに緊張と隣り合わせであることを知っていた。

「医者だからって、付き合ったわけじゃあ無いわよね? 一応確認だけど」

「……違います」

「あのなあ……」

 最賀を高給取りの恋人だなんて、一つも思ったことはない。
 医者の彼女であることはステータスだ。そう豪語して、さも己の功績に例えて威張る人間は多く見てきた。不倫をしてでも、愛人だろうとその座を優位に使って我が物顔でいる人間を。

 だが、陽菜は最賀忠という一人の男がもしも職を失おうとも支える根拠だけは持ち合わせていた。一途に、真摯に向き合う行為が如何に困難極まりないことを双方の理解の元成立した関係だ。

 最期を迎えるまで、陽菜は最賀だけを愛している。それが答えである。最賀が医者の職務を失おうとも、陽菜が働けば良い。

 きっと世間一般ではパートナーが職を失った時の選択肢は二つに分かれるだろう。

 高給であるなら、尚更生活水準を落としたく無いはずだ。段々と距離を置いて、次に乗り換える。電車と同じで、目的地に速く到着する電車に飛び乗るのは必然である。

 陽菜は、最賀忠を見捨てたりはしない。それは最賀も同じだろう。陽菜が失職しようと、五体不満足になろうと何だって己の身を投じて全うする。

 究極の愛情を互いに呪い合う程に、強く惹かれている。

 決して言葉には発しないが、最賀の考えは何となく同じだろう。

 すると、子供二人が狭い横並びの椅子で喧嘩し始める。何方かが叩いたらしい。

五月蝿うるさい、静かにしなさいッ」

 ばしゃりとジュースのグラスは意図も簡単にひっくり返った。その反動で、陽菜のワンピースに水飛沫が跳ねる。

 ビクッと体が反射的に震える。大人の横暴さに身を縮めて生きていた陽菜は、子供が取る行動を熟知している。親の顔色を窺い、感情や考えを読み取って、己の安全が確立される為の悪路を導かせる。
 最賀は陽菜の冷や汗を感じ取って、背中を撫でた。

 この人だけが、置き去りにされている。

 ファミリーレストランの一角で、姉の対象では無く奪われる側であると。
 はっきりと雲を掴むのは、また先のことだが。陽菜は哀愁の人匙に敏感だ。掌は冷え切っており、普段の温かさは無い。

 服の裾はジュースでびしょ濡れだった。姉弟の喧嘩を諌め、おしぼりを最賀に手渡される。叱責した張本人は我関せず、箸を進めている。何方が親なのか、分からない。

 最賀が暗い色の服を敢えて選択した理由を、陽菜はやっと理解した。印象の良し悪しでは無く、汚れても目立たぬ色を優先させたことを。

 二人の世話ばかりで、ちっとも最賀は食事に手を付けていなかった。どうせ食べられない、と諦めていたのか。最賀の前には温サラダのみだ。
 陽菜は先程まで拳を振り上げていた幸太へ優しく声を掛けた。

「……こっちに来る?」

「……うん」

「此処はご飯食べる所だよ。お姉ちゃんをぶったりしちゃあ良くないぞ」

 席を移動してちょこんと座る幸太は、意外にも大人しくご飯を食べる。涙の痕が痛ましかったが、落ち着きを取り戻したようだ。
 御免なさい、と服のシミを気にする姪へ問題無いとなるべく穏やかに話す。ほぼ一方的な拳に、反撃せず耐えていた彼女には非はないのだ。

「旗?」

 口いっぱいに頬張った甥が、徐に指を差した先は、小さな旗があった。これを巡って喧嘩したらしい。

「あ、一個しか無かったのか」

「ちょっと待ってて下さいね」

 店員に聞くと、快く一つ貰えることになった。

「はい、どうぞ。お姉ちゃんにごめんなさいって言えるかな?」

「ごめん……なさい」

 二人の和解を見守ってから、陽菜は冷め切ったミートグラタンを早食いする。もう、居た堪れなくて仕方が無かった。
 最賀は姉と会う度に、何かを失って行く。

 尊厳さえも奪い去っても足りないくらい、最賀真由美は枯渇しているのである。

 近況報告を簡易的に行った最賀は、旅館へ先に行くよう仕向けた。タクシーに押し込まれて、陽菜は有無を言わさぬ恋人の表情にビクリと萎縮した。

「忠さん、私……」

 最賀なりの優しさなのだろう。タクシーの窓を開けて、身を乗り出して抗議するが無意味だった。

「アンタには、関係無いことだ。こんな不毛なやり取り、聞かせたくはない」

 その完璧な拒絶に、唇を噛み締める。蔑ろにされたわけでは無い。頭では分かっている。けれども、陽菜は独りにさせたくないと言う決意は跡形も無く最賀自身の手で壊したのだった。









「若い女に引っ掛かって、何やってんの?」

「──彼女は、そんなんじゃあない」

「じゃあ、何よ。愛人?」

「違う、俺が……、俺が逆上せ上がっているだけだ。あの子は何も悪くない」

「都草病院で循環器内科部長に就任も近々だったのに、ポスト蹴る羽目になって。少しは頭を冷やしなさい。あの人達みたいになるわよ」

「……は、顔合わせる度に子供の前で良く言うよ姉貴も」

「だって、本当のことじゃない」

「まあ、そうだな。年食った俺が、連れ回して良いひとじゃあない」

「ふーん、一応頭では分かってんのね?」

「草臥れた、上級医のツテでなんちゃって副院長やってる内科医だぞ」

「……ねえ、戻って来ないの」

「──何処に」

「地元に、明石市に」

「……さあ。俺は此処には戻って来ない」

「どうして? この子達だって、家族の私もいるし。家族なんだから助け合って生きていくのは当たり前じゃない」










「……これが?」








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