142 / 156
第4部 溺れる愛
5-7
しおりを挟む最賀が出した紹介状に不備があったのだろうか。過去のデータを同封し、糊付けしたのは陽菜だったので腕を組んで記憶を絞り出す。だが、特段不備は無かったはずだ。紹介先の宛名を見て懐かしんでいる場合では無かったのかもしれない。
「お前がついていながらも、何適当な仕事させてんだよ! チワワに進化してねえじゃねえかこの馬鹿ッ!」
激情型の男は、未だにヒートアップ中である。未だに現場でこんな怒る医者と勤務は難航するだろう。
流石はNG率ナンバーワンの早坂だ。怒りの沸点が低いところは未だに健常らしい。陽菜は最早この手の理不尽な八つ当たりは慣れてしまった。と言うより、麻痺している。
この早坂と五年間、レセやクラークの担当だったせいで、ちょっとやそこらのイビリにはビクともしない。バインダーさえ飛んで来なければ。
早坂はその点物はぶん投げて来ないので、宥めるか餌を与えるかの二択である。あとは、妻の桃原を差し出すか。これで解決するのだ。
「ええ……そんなこと仰るようでしたら、最賀と代わって下さい」
ぶち、と早坂の答えを待たずして保留。綺麗な音色の保留音が流れる。あの男の言い分には付き合ってられないのだ。
「先生、今お時間大丈夫でしょうか」
「ん? ああ、今手空いてるが。どうした?」
「はやさ……国際メディカル病院センターの桃原先生からお電話が。紹介状の件で……かなり御立腹でして」
「えー、怒るような内容なの? 態々診療中に掛けてくるんだから相当あれね」
小野寺は腰に手を当てて、呆れている。そりゃあ多忙な診療時間に御丁寧に掛けてくるのだ。早坂の性格はひん曲がっているので、それ相応の何かが待ち受けているだろう。
最賀は渋々、受話器を手に取った。
「……はい、代わりました最賀ですが」
お察しの通りの、ギャンギャン騒ぐ声に対して淡々と答える最賀の図がシュールな光景だった。
武骨な指で陽菜を呼ぶので、メモに視線を落とす。紹介した時点では出ていなかった、最新の検査結果の捜索と、カルテを出して欲しいと依頼される。
「山藤さんに任せて良いかしら、話長そうだし」
「今誰もいないので大丈夫ですよ」
「私採血だけしてくるわぁ」
飽きてしまった様子で、小野寺はさっさと採血室へ引っ込んだ。長い電話になりそうだ。幸いにも患者は途切れたので、不幸中の幸いか。
「ですから……」
早坂に詰められた最賀は、眉間に皺を濃く刻む。雲行きの怪しい流れに、語気がやや強まる。
「ああ、ありがとう。ええと、最新データでは……はい? 冠動脈造影CTの意味御存じですよね?」
冠動脈造影CT検査は、冠動脈の狭窄の有無を目的とした造影検査である。静脈から造影剤を注入して、画像診断する手法だ。画像がはっきりと明瞭になるので病変が見つけやすい。
「早目の検査が必要なので紹介しているのですが。DM薬? 当院では処方歴無く他院処方なので、問診の際は……はあ?!」
険しい顔付きになる最賀は早坂と未だにやり取りをしている。早坂は絶対に引くようなタイプでは無いので、折り合いをつけるのは困難極まりないだろう。
「……はあ、……ええ、あの。少し声落として頂いても良いですか? 聴こえてますので」
聞こえた範囲では、その紹介した患者は飯田診療所で採血した際の血糖値やHbA1cの数値はやや高めだった。来院時本人が食事摂取後三時間だったのだ。
糖尿病既往で、次回採血結果次第では食事指導やかかりつけ医へ受診依頼をしたと言う。
最新の薬手帳のコピーを拝見した上で、休薬指導を行ない検査に送り出した……はずだった。
「いやいや、そんな訳無いでしょう、休薬指導は──当たり前だ! 聞いてない? おかしな話だ! はあ?!」
一度折り返す、と勝手に切ったらしい。最新データとカルテを差し出すと、溜息を漏らしながら開く。目を通して、深々と再度溜息を吐いた。眼鏡を外して、眉間を摘んで暫く動かない。
データをファックスするよう、指示されて陽菜は受付の棚にある電話機器で操作する。電話番号は五年経過しても覚えている。不思議な感覚だ。ダブルチェックをもう一人のパートタイマーの事務と行ってから送信する。
「今ファックスしましたが、最新データではNT-proBNPとBNPや脂質数値も諸々──……二日連続で飲み忘れ? はあ、幸い飲み忘れ多く、御家族の方からお話あったのでしたら適用では……はあ、以降此方も気を付けますので、はい……御対応感謝します」
電話を切ると、最賀は机に身を投げ出して脱力していた。温かい淹れ立ての御茶を渡す。準備しておいて正解だった。
「はああ……なんで大事な薬飲んでるのに自覚はない、残薬だらけとか……だからポッと出の良く分からん患者紹介するの嫌だったんだよ……。その辺の大きな病院と羽島市民病院はCT一ヶ月待ちだなんて聞いたから」
「先生……お疲れ様でした」
「本人曰く糖尿病の薬だなんて思ってなかったけど、古い手帳に偶々貼ってあったらしい。しかも問診でもスルーしてた物だ。それならうちでも薬手帳古いのも持って来てくれ! 自覚ないなら特に!」
患者の認知機能や内服薬の重要性の理解が低い場合、薬を飲み忘れたり、存在自体を忘れがちになる。病気の診断も、含まれる。その場合は家族や友人等周囲のサポートが必要不可欠だ。必要な無い薬を処方する医者はいない。
故に、必要であるからこそ処方するのだが患者と医者の間にある理解のすり合わせが中々難しい。
薬手帳の記録付は薬局や病院側からしても情報の共有となる。患者も自身が内服する薬の内容を確認出来るので、習慣づけることが大切だ。しかし、手帳の管理が困難だったり、箪笥に収納したままで持参無しも跡を立たない。
「そもそも、検査の時に家族同伴なら、うちにも! 同伴で! 来てくれ! しかも内容的に血糖コントロール不良じゃないか! 何してくれるんだ! 俺が間抜けだってことか?」
0
お気に入りに追加
55
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
【R-18】私を乱す彼の指~お隣のイケメンマッサージ師くんに溺愛されています~【完結】
衣草 薫
恋愛
朋美が酔った勢いで注文した吸うタイプのアダルトグッズが、お隣の爽やかイケメン蓮の部屋に誤配されて大ピンチ。
でも蓮はそれを肩こり用のマッサージ器だと誤解して、マッサージ器を落として壊してしまったお詫びに朋美の肩をマッサージしたいと申し出る。
実は蓮は幼少期に朋美に恋して彼女を忘れられず、大人になって朋美を探し出してお隣に引っ越してきたのだった。
マッサージ師である蓮は大好きな朋美の体を施術と称して愛撫し、過去のトラウマから男性恐怖症であった朋美も蓮を相手に恐怖症を克服していくが……。
セックスシーンには※、
ハレンチなシーンには☆をつけています。
若妻シリーズ
笹椰かな
恋愛
とある事情により中年男性・飛龍(ひりゅう)の妻となった18歳の愛実(めぐみ)。
気の進まない結婚だったが、優しく接してくれる夫に愛実の気持ちは傾いていく。これはそんな二人の夜(または昼)の営みの話。
乳首責め/クリ責め/潮吹き
※表紙の作成/かんたん表紙メーカー様
※使用画像/SplitShire様
【R18】ドS上司とヤンデレイケメンに毎晩種付けされた結果、泥沼三角関係に堕ちました。
雪村 里帆
恋愛
お陰様でHOT女性向けランキング31位、人気ランキング132位の記録達成※雪村里帆、性欲旺盛なアラサーOL。ブラック企業から転職した先の会社でドS歳下上司の宮野孝司と出会い、彼の事を考えながら毎晩自慰に耽る。ある日、中学時代に里帆に告白してきた同級生のイケメン・桜庭亮が里帆の部署に異動してきて…⁉︎ドキドキハラハラ淫猥不埒な雪村里帆のめまぐるしい二重恋愛生活が始まる…!優柔不断でドMな里帆は、ドS上司とヤンデレイケメンのどちらを選ぶのか…⁉︎
——もしも恋愛ドラマの濡れ場シーンがカット無しで放映されたら?という妄想も込めて執筆しました。長編です。
※連載当時のものです。
イケメンドクターは幼馴染み!夜の診察はベッドの上!?
すずなり。
恋愛
仕事帰りにケガをしてしまった私、かざね。
病院で診てくれた医師は幼馴染みだった!
「こんなにかわいくなって・・・。」
10年ぶりに再会した私たち。
お互いに気持ちを伝えられないまま・・・想いだけが加速していく。
かざね「どうしよう・・・私、ちーちゃんが好きだ。」
幼馴染『千秋』。
通称『ちーちゃん』。
きびしい一面もあるけど、優しい『ちーちゃん』。
千秋「かざねの側に・・・俺はいたい。」
自分の気持ちに気がついたあと、距離を詰めてくるのはかざねの仕事仲間の『ユウト』。
ユウト「今・・特定の『誰か』がいないなら・・・俺と付き合ってください。」
かざねは悩む。
かざね(ちーちゃんに振り向いてもらえないなら・・・・・・私がユウトさんを愛しさえすれば・・・・・忘れられる・・?)
※お話の中に出てくる病気や、治療法、職業内容などは全て架空のものです。
想像の中だけでお楽しみください。
※お話は全て想像の世界です。現実世界とはなんの関係もありません。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
ただただ楽しんでいただけたら嬉しいです。
すずなり。
お嬢様、お仕置の時間です。
moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。
両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。
私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。
私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。
両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。
新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。
私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。
海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。
しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。
海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。
しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる