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第4部 溺れる愛

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 最賀が出した紹介状に不備があったのだろうか。過去のデータを同封し、糊付けしたのは陽菜だったので腕を組んで記憶を絞り出す。だが、特段不備は無かったはずだ。紹介先の宛名を見て懐かしんでいる場合では無かったのかもしれない。

「お前がついていながらも、何適当な仕事させてんだよ! チワワに進化してねえじゃねえかこの馬鹿ッ!」

 激情型の男は、未だにヒートアップ中である。未だに現場でこんな怒る医者と勤務は難航するだろう。

 流石はNG率ナンバーワンの早坂だ。怒りの沸点が低いところは未だに健常らしい。陽菜は最早この手の理不尽な八つ当たりは慣れてしまった。と言うより、麻痺している。

 この早坂と五年間、レセやクラークの担当だったせいで、ちょっとやそこらのイビリにはビクともしない。バインダーさえ飛んで来なければ。

 早坂はその点物はぶん投げて来ないので、宥めるか餌を与えるかの二択である。あとは、妻の桃原を差し出すか。これで解決するのだ。

「ええ……そんなこと仰るようでしたら、最賀と代わって下さい」

 ぶち、と早坂の答えを待たずして保留。綺麗な音色の保留音が流れる。あの男の言い分には付き合ってられないのだ。

「先生、今お時間大丈夫でしょうか」

「ん? ああ、今手空いてるが。どうした?」

「はやさ……国際メディカル病院センターの桃原先生からお電話が。紹介状の件で……かなり御立腹でして」

「えー、怒るような内容なの? 態々診療中に掛けてくるんだから相当あれね」

 小野寺は腰に手を当てて、呆れている。そりゃあ多忙な診療時間に御丁寧に掛けてくるのだ。早坂の性格はひん曲がっているので、それ相応の何かが待ち受けているだろう。
 最賀は渋々、受話器を手に取った。

「……はい、代わりました最賀ですが」

 お察しの通りの、ギャンギャン騒ぐ声に対して淡々と答える最賀の図がシュールな光景だった。

 武骨な指で陽菜を呼ぶので、メモに視線を落とす。紹介した時点では出ていなかった、最新の検査結果の捜索と、カルテを出して欲しいと依頼される。

「山藤さんに任せて良いかしら、話長そうだし」

「今誰もいないので大丈夫ですよ」

「私採血だけしてくるわぁ」

 飽きてしまった様子で、小野寺はさっさと採血室へ引っ込んだ。長い電話になりそうだ。幸いにも患者は途切れたので、不幸中の幸いか。

「ですから……」

 早坂に詰められた最賀は、眉間に皺を濃く刻む。雲行きの怪しい流れに、語気がやや強まる。

「ああ、ありがとう。ええと、最新データでは……はい? 冠動脈造影CTの意味御存じですよね?」

 冠動脈造影CT検査は、冠動脈の狭窄の有無を目的とした造影検査である。静脈から造影剤を注入して、画像診断する手法だ。画像がはっきりと明瞭になるので病変が見つけやすい。

「早目の検査が必要なので紹介しているのですが。DM糖尿病薬? 当院では処方歴無く他院処方なので、問診の際は……はあ?!」

 険しい顔付きになる最賀は早坂と未だにやり取りをしている。早坂は絶対に引くようなタイプでは無いので、折り合いをつけるのは困難極まりないだろう。

「……はあ、……ええ、あの。少し声落として頂いても良いですか? 聴こえてますので」

 聞こえた範囲では、その紹介した患者は飯田診療所で採血した際の血糖値やHbA1cの数値はやや高めだった。来院時本人が食事摂取後三時間だったのだ。

 糖尿病既往で、次回採血結果次第では食事指導やかかりつけ医へ受診依頼をしたと言う。
 最新の薬手帳のコピーを拝見した上で、休薬指導を行ない検査に送り出した……はずだった。

「いやいや、そんな訳無いでしょう、休薬指導は──当たり前だ! 聞いてない? おかしな話だ! はあ?!」

 一度折り返す、と勝手に切ったらしい。最新データとカルテを差し出すと、溜息を漏らしながら開く。目を通して、深々と再度溜息を吐いた。眼鏡を外して、眉間を摘んで暫く動かない。

 データをファックスするよう、指示されて陽菜は受付の棚にある電話機器で操作する。電話番号は五年経過しても覚えている。不思議な感覚だ。ダブルチェックをもう一人のパートタイマーの事務と行ってから送信する。

「今ファックスしましたが、最新データではNT-proBNPとBNPや脂質数値も諸々──……二日連続で飲み忘れ? はあ、幸い飲み忘れ多く、御家族の方からお話あったのでしたら適用では……はあ、以降此方も気を付けますので、はい……御対応感謝します」

 電話を切ると、最賀は机に身を投げ出して脱力していた。温かい淹れ立ての御茶を渡す。準備しておいて正解だった。

「はああ……なんで大事な薬飲んでるのに自覚はない、残薬だらけとか……だからポッと出の良く分からん患者紹介するの嫌だったんだよ……。その辺の大きな病院と羽島市民病院はCT一ヶ月待ちだなんて聞いたから」

「先生……お疲れ様でした」

「本人曰く糖尿病の薬だなんて思ってなかったけど、古い手帳に偶々貼ってあったらしい。しかも問診でもスルーしてた物だ。それならうちでも薬手帳古いのも持って来てくれ! 自覚ないなら特に!」

 患者の認知機能や内服薬の重要性の理解が低い場合、薬を飲み忘れたり、存在自体を忘れがちになる。病気の診断も、含まれる。その場合は家族や友人等周囲のサポートが必要不可欠だ。必要な無い薬を処方する医者はいない。

 故に、必要であるからこそ処方するのだが患者と医者の間にある理解のすり合わせが中々難しい。

 薬手帳の記録付は薬局や病院側からしても情報の共有となる。患者も自身が内服する薬の内容を確認出来るので、習慣づけることが大切だ。しかし、手帳の管理が困難だったり、箪笥に収納したままで持参無しも跡を立たない。

「そもそも、検査の時に家族同伴なら、うちにも! 同伴で! 来てくれ! しかも内容的に血糖コントロール不良じゃないか! 何してくれるんだ! 俺が間抜けだってことか?」



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