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第4部 溺れる愛

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 子供の相手なんて、どう接したら良いか全く未知数だ。陽菜自身が子供扱いされた期間は短かったし、何より子供との関わり方は皆無である。

 早速、三条は予約時間を大幅に間違えた患者の検査で立て続けになし崩しの状態となった。検査がずれ込み、検査室で掠れた声が院内に悲しくも響き渡る。

 延長保育は時間厳守であり、何度も遅刻すると退園勧告をされる可能性も否定出来ないらしい。世間体もあり、育児を蔑ろにしていると保育園から認識される可能性も否めない。

 三条が大騒ぎしてお迎えが間に合わないと叫んでいた時、最賀が一時的に職場を抜けるのを許可した。融通が効いて、こんな時助かる。育児に勤しむ子持ち世代には有難い。

「はああ……Bビーダッシュしたから疲れたわ……」

 ぶすくれた顔で三条が連れて来た園児は黄色の帽子を被り、ギザギザのワッペンが縫われた制服で登場した。首の長い得体の知れない生き物が胸元で堂々といる。ツインテールにしたかったらしいが、毛量の差が極端で歪んだ結び目だ。

 女児は華麗に診療所入口から登場するや否や、陽菜と目が合うと勢い良く指差した。

「あ!! パパが可愛いお人形さんみたいって言ってた人だ!!」

「コラッ、うるる! 挨拶は?!」

「三条うるる、キリン組、四歳です!」

 キラキラ目を輝かせている幼児に、陽菜は屈んで挨拶する。受付から出て、しゃがんで陽菜もにこりと笑う。子供の警戒心は予想もつかない。

「上手ですね、うるるさん。はじめまして、私は山藤陽菜です」

「三条君に似ず、いつ見ても可愛いわあ」

「おのさん、こんばんは!」

 挨拶上手で、ぺこりと会釈すると半開きの鞄はあっという間に床に散らばった。陽菜は一緒に拾う。

 四歳児は元気が有り余っている。飛び跳ねたり、小野寺の手を繋いではしゃぐ姿は可愛らしい。小野寺の名前は長いのだろう、端折って呼ぶところもまた微笑ましかった。

「おばさん、なんでもあげたくなっちゃう」

「夕飯近いんで、菓子はやめて下さい」

「さて、パパはお仕事がまだたーくさんあるから、こっちでお絵描きしようねえ」

「いっぱい、色あるから、自由に使って下さいね?」

 蛍光色のカラーペンに、色鉛筆が奇跡的に引き出しから発掘したのでコピー用紙を何枚か引っこ抜く。椅子をマックスまで座高を低くし、座らせてからお絵描きセットを渡す。くるくると円を描いて、黙々と絵を描き込んでいる。

 静かに待つ子供の姿は親の教育の賜物だ。なるべく飽きがこないよう、適当に正方形に切った簡易折り紙も出す。一応、退屈凌ぎにはなったのかもしれない。

 ──三条さん、こんな小さなお子さんを育てながら働いていたなんて……。御両親も高齢だし、送り迎え大変なのでは?

「ええと、この子は患者さんのお連れさんか?」

 診察室から出て来た最賀を見るや否や。うるるは陽菜の胸元に飛び込んで顔を埋めた。大きな悲鳴の後に、盛大な拒絶を示して金切り声を上げる。

「こ、こわいッ!! このおじさん怖いッ!!」

「うるるちゃん、この男の人は、先生ですよ」

「い、痛いことばっかするおじさんじゃん!! うるる知ってるもん、お注射チクッとするって言うけど、痛いことする!」

 白衣の男性は、痛いことをするという認識は強ち間違いでは無い。確かに、医者は処置や注射で痛いことをする。子供から見たら、医者は敵であるのだ。ぶるぶると肩を震わせて、しがみ付くうるるをあやす。

 最賀は慌てて、怖がらせないように無理矢理笑顔を作るが引き攣っている。
 三条家一人っ子の長女うるるは幼い怪獣と化す。今は陽菜の腕の中にいるが、一触即発寸前である。いつ爆発してもおかしくはない。

「あ、あー……いや、俺は……うるるちゃん? にはしないぞ」

「嘘つき! この服着てるのは痛いことする人と同じだもん!!」

 うるるはギャアギャアと受付で騒いでしまう。微笑ましいのか、患者は何も言わない。夕飯前なのでお菓子で宥める作戦は早々と頓挫したせいで、どうしたら良いか陽菜は狼狽した。弟は昔から甘え上手で、大抵は注射の後の御褒美を確約させていた気がする。

 甲高い雄叫びが鼓膜にキーンと響く。陽菜は眩暈がしそうだ。父親の三条の登場を切望したが、生憎手が塞がっているらしい。陽菜の願いは空中分解し、刹那的に散って行った。

「せ、先生……すみません。三条さんのお子さんを、見てまして。何かご用事ですか?」

「──あ、ああ。この患者のカルテ出して欲しくて」

 近付くものならば、再度金切り声を発する恐れがある。故に、最賀は長い腕を限界まで伸ばして、うるるとの距離を一定に保った。

 陽菜は何とかメモを受け取る。うるるの視界からサッと消える姿は忍者にも負けず劣らずだ。二人の共同作業は無事事なきを得た。

「ねえねえ、プイキュウのベリルみたいな髪にしたいの」

「プイキュウ……ええと、どんな髪型ですか?」

「ベリルはね、とっても優しくて強いんだよ! この子!」

 プイキュウとは、今流行りの児童向けアニメなのだろうか。陽菜はその流行には疎い。ハンカチを取り出したうるるは、細く小さい指で指す。

 真っ赤な苺色の髪色は両サイド二つに結ばれ、毛束は三つ編みをくるりんとお花の形である。ボブカットのうるるの毛量でも、辛うじて可能だ。

 それに、此処で断れば大泣き案件である。ウインクしたプイキュウのベリルの顔が、何とも恨めしく思う。陽菜の手に汗握る緊張は彼女には伝わらないだろうから。

「ああ、たぶん出来そう。丁度ここに髪ゴムがあるので、やってみましょうか」

「……良いの? パパはほら、こうだし……おばあちゃんは難しいのは出来ないから」

「じゃあ、今日はお風呂入るまでの間、ちょっとベリルに変身しましょうか」

 ベリルの髪型は、高齢者や男性にはきっと荷が重い。最賀と同じく、やや不恰好になるだろう。陽菜は仕事の合間になら、とうるるへ言い聞かせる。会計処理やカルテ出しがある程度済んで、いざ髪を結ぶ。

「あ、うわあ……ベリルだあッ」

 物の数分で完成した髪型はハンカチ通りだ。そう言い聞かせて、手鏡で見せると歓声が上がった。うるるのお眼鏡に叶ったようだ。一安心して、陽菜は最後の患者を見届けた。

 結局、三条が戻って来たのはうるるを連れてから四十分後だった。高度な子守りは陽菜の肩凝りにも直結したが、うるるの可愛らしさは圧倒的な力を持っていた。

 三条が打刻後、ありがとうなと礼を述べる。手を繋いだうるるが、目をキラキラと輝かせて陽菜を見詰めた。

「……また来ても良い?」

「こら……山藤さんも小野寺さんも困っちゃうだろ。仕事してるんだよ、此処の皆んなは」

「でも……」

「副院長が良ければ、私は大丈夫よ。うるるちゃんはお利口さんだし、忙しくなかったら見てるわ」

「陽菜ちゃんは?」

「うるるさんやお父さん、先生が良ければ大丈夫ですよ」

 開放した診察室から、事前報告があれば!と声だけが聴こえる。ひょっこり扉から顔すら出さず、だ。うるるが強烈な拒絶反応が尾鰭を引いて、最賀は姿を表すのは控えたのだろう。

 二人を見送り、陽菜は院内の電源を落としに巡回する。小野寺が診療所の看板を玄関へ戻してくれたのは助かった。陽菜が今回鍵締めの当番なので、レジと金庫の鍵を確認し、着替えを済ませる。

 親の愛情を受けたうるるは、幸せに満ちた世界を映している。それが、なんだか少し羨ましくも感じたのだった。



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